第26話 満ち足りた時間




 夢だと分かる夢がある。

 見慣れた神殿、懐かしい庭、四阿。四阿で私が見上げているのはアルヴァ様だ。優しく微笑む彼は私があれこれ話していることに耳を傾け、相づちを打つ。

 ただしその庭が懐かしいと思うことは、庭の景色が『今』とは異なると分かっている証拠。

 これは今の私――シエラの記憶ではなく、かつての私、昔の記憶だと分かるというわけだ。

 しかし時折、前の私の記憶と認識せず夢とも認識せずに、それが現実だと認識してその場所にいると思い込むときもある。目覚めて初めて、夢だったと分かる夢。

 こちらを見て、笑い、手を伸ばすアルヴァ様は今とあまり変わりない。戦を司るという、聞いたたげでは物騒そうな神様は、そうとは思えない穏やかな笑みと甘い瞳をする。優しい声をする。



 ――アルヴァ様は私のどこが好きなのだろう。

 今も昔も聞いたことがなかった。前世では聞こうと思ったこともなかったことで、今そんなことを思ったのはアルヴァ様に告げられた言葉によるだろう。――「愛している」と。

 アルヴァ様という神様が、私に惹かれる要素。


(……考えてみると、全然分からない)


 とはいっても口に出して聞けようはずもないので、行き場のない問いに成り果てる。


 じゃあ私はアルヴァ様のどこが好きなのだろう。と考えても分からないことは置いておき、私の場合を考えてみる。

 前世、戦場で助けてくれたから?

 私とアルヴァ様が会ったのは、前世の戦場だ。殺されかけたときに彼はその姿で現れ、手を差し伸べた。

 父に剣を習い、そのまま戦場を渡ってゆく傭兵となり、いずれ死ぬときは戦地で死ぬのだろうと思っていた私を、戦場から遠ざけた。

 だからだろうか。……いや、そのときはまだ恩人みたいな思いの方が強かった。


 そこからだ。

 地上の家族の元とを時々行き来しながらの、天界でのゆっくりとした暮らし。後から思えば緑のみで整えられた庭がとても鮮やかに見えてならなかった。

 その場でアルヴァ様と過ごしていき、惹かれていき、アルヴァ様に好きだと言われたのも天界に来てしばらくしたときだった。


 好きだと思う気持ちは次第に生まれてきたもので、これだと具体的に述べることはきっと、難しいもの。

 想う気持ちがあれば、好きである事実は変わらない。




 ***






 周りに大して遮るものはなく、敷かれた道の両脇の芝生の向こうに花が咲く庭。

 芝生の上。きれいなことをこれ幸いと横になり、いつの間にか目を閉じ眠気に負けたらしい。

 頭には指が髪に軽く差し込まれ、梳き、柔らかく撫でられている心地よさが繰り返し、繰り返されている。これで眠りに落ちてしまった可能性が高い。

 手の主はここに一緒に来て隣に腰を下ろしているアルヴァ様。

 心地良さに身を委ねている私は、意識は現実に戻ってきておりながらもしばらくは閉じていた目を、ようやく開く。


「……寝顔は見ないでくださいよ」

「寝るからだろう」


 その通り。

 しかしこの環境が揃えば眠ってしまうのは仕方ないように思える。相乗効果とは斯くも恐ろしい。

 寝転んだまま見上げるアルヴァ様は夢と遜色ない。眠気が残ってぼんやりしていることで、これも夢かと下らないことを考える。


「アルヴァ様の夢、見てました」

「……お前は、そういうことは恥ずかしげもなく言うのか」


 恥ずかしげもないと言われても、アルヴァ様ほどではないと思う。

 私が起きても緩やかに髪を撫で続ける彼は、おもむろに指先で髪の一房を掬う。


「お前の髪は、赤が混じっているな」

「そうですね。錆びた色ですよ」


 赤みのかかった濃い茶。どちらに完全に偏りもしない色は錆びた色だと言われる。私自身もそうだなと納得した。

 加えて血の色が混じっているようだとも思った。前世の生き方が反映でもされているではないかと、考えてみたりして。


「錆びた色はこんなに綺麗ではない。お前の髪は美しい」


 アルヴァ様の手がすくった一房に――口づける。

 この神様ひとは、けっこう自然にこんなことをする。

 唇を落とす瞬間も向けられている瞳は私を容易に惹き付ける。本来の顔の作りとしては柔らかさが欠けた鋭い美貌には、瞳と笑みを刻む唇で甘さが加わり、見る者を魅了する。

 その瞳に一人、映る。

 私からすれば、アルヴァ様こそ美しいと称するべきだ。


(美しい、より格好いいかな)


 思わず見とれていると、アルヴァ様の指から髪がすり抜け、落ちる。


「――アルヴァ様、私といて楽しいですか?」


 髪が落ち着いたタイミングで、寝ているときの影響で面倒なことを聞いてしまった。

 私とこうして一緒にいることは、楽しいのだろうか。私は一緒にいられて嬉しいけれど、どの要素で。


「楽しいというより、お前といることは好きだ」


 アルヴァ様は急な質問に対して不思議がる様子はないどころか、考える素振り無しに答えた。


「シエラのことが好きだからな」


 呼吸するように、自然に。彼はその言葉を口にし、伝える。

 私はその度に心が温かく、熱くなる。


「それ」

「それ?」

「恥ずかしげもなく言うのは、アルヴァ様の方だと思います」


 何度言われても照れることだから、照れは内心に隠して、さっき私が言われたことを持ち出して指摘した。

 恥ずかしげもないのはあなたの方だ。


「確かに、そうか」


 するとアルヴァ様は示すところ、自分がさきほど言ったことを思い出したのか、すんなり頷いた。

 その上で微笑み、付け加える。


「だが、事実だからな」


 さもそれが当然であるかのように。


「……」

「シエラ?」


 アルヴァ様とは反対の方向へ、ころんと転がった私の背に、どうしたという風な声がかかる。


「シエラ、どうしてそっちを向く?」

「……私だって照れるんです。放っておいてください」


 そう言った矢先に、私は影に覆われる。


「ちょっ、アルヴァ様」


 異変に上を窺うと、そのときには両側についたアルヴァ様の腕に挟まれて、真上から見下ろされていた。

 何をし始めるというのか。急な状態に目を見開く。


「どんな顔をしているのかと思ってな」

「どんな顔って……」


 大層な顔はしていない。

 ただ、上から真っ直ぐに注がれる視線から逃れられなくて、冷まそうとしていた熱がじわりと顔に生まれる。


「放っておいてくださいって言ったのに……」

「言われると余計に見たくなる」


 アルヴァ様は愉しそうに微笑する。


「赤くなった顔を見ているのは気分がいい」

「……何かそれ、悪党みたいな言い方ですよ」

「勝手に言っておけ」


 顔をもっと明らかにするように、髪をそっと避けられる。

 どこにも逃げられないようにされてから、真上にある顔が近づいてきたと思ったら、唇が額に柔らかく触れた。

 顔がすぐそこにまで迫り閉じていた目を開くと、間近で黒い瞳に映り込んでいた。



 過ぎていく一つ一つの出来事が、欠けた断片が嵌まったように、どこにも空虚を感じる隙なく満ち足りた日々だと、心からそう感じた。






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