第8話 妙






 突然神殿に現れた人間に挑まれ、アルヴァが追い出すまでチェスを行うことが日課となりつつあること三日。

 アルヴァは廊下を歩いていた。


「アルヴァ様」

「……キアランか」

「お戻りと知り、伺いました」


 灰色の目の神の存在に、ぼんやりとしていた意識が戻る。最近これは良くここに来ている気がしてならない。

 「お戻り」とは自分が地上から帰って来たことを示すのだろう。期間は、どれくらいだったか。いつもより短い期間で帰ってきた。

 今回ばかりはちょうどいいところに来たかもしれない。


「あれは何だ、キアラン」

「あれ、とは」

「あの人間だ」


 アルヴァは、神殿に来た人間に戸惑いを覚えていた。


 あの人間は妙だ。

 初めて目にしたときから、不可解なのだ。初めは気のせいだと思っていたが、違う。

 一度目に目にしたのは――廊下。その後地上へ降りたが、あまり長居しようとはならず戻ってきた。

 決定的だったのはその後。

 帰ったあとの習慣で部屋で寝ていると、ふと目を開くと側にいる人間の姿が目に入り、何か懐かしい像が重なった気がして手を伸ばした。伸ばし、目がはっきりと姿を捉えるとそれまであった感覚がぼやける。

 そのくせ無視出来ない『違和感』を抱えている自分がおり、それは日増しに強くなってきていた。

 チェスをする回数を重ねる度、言葉を交わす度、変わる表情を見る度。それを見た自分のどこかが反応している。

 どこが? ――分からない


 チェスをしているときに覚える感覚は、既視感のようなそれ。

 自分が以前よくボードゲームの類を勝負していた神がいたからか。否、友と呼べる関係の神は己と同等の強さを持つが、あの人間は弱すぎる上に筋が滅茶苦茶だ。思いがけない手を打ってくる点では同じと言えようが、ずば抜けたセンスはない。


 ならば何が引っかかる。



 直感が、あれは悪いものだとでも判断しており、違和感はそれゆえか。人間が?

 悪いものであるない以前に、寝ているときにあれだけ側に来られるまで気がつかなかったことがおかしい。

 通常でも無意識に最低限張られている警戒をくぐり抜けてきたように、するりと懐にでも入られた気分だ。


「あの人間はお前が連れてきたのか」

「はい」


 はじめに見たとき、キアランが連れていたことを思い出したために彼に問うのだ。


「あれは何だ」


 あの人間は何だと。

 キアランが連れてきたのであれば、悪いものではない。が、落ち着かない心地が及ぼされるときがあるところがある。ただの人間にそのような力があるはずがない。


「人間です」

「単なる?」

「はい。地上に降りて見る人間と何ら変わりません」

「一体何のために連れて来た。地上へ降りる俺への当て付けか?」

「いいえ。ただ、彼女はアルヴァ様に必要だからです」

「……俺に?」


 キアランが何を言っているのか理解が出来ず見るが、キアランは生真面目な顔で見返してくるばかりだった。



 キアランが去り、再び廊下へ行くアルヴァには大して目的はなくぼんやりと歩いている。そんなことは今に始まったことではない。

 この神殿が陰気になったことは自覚済みのこと。庭も荒れ放題なことは分かっていた。召し使いに何もしないことを望んだのは他ならぬ自分だ。

 庭が整えられ、何かに興じたりといったこと何もかもに何の意味があるのかと思いはじめ、アルヴァは何も望まなくなった。

 きっかけはきっと、些細なことだったのだろう。だから記憶にはなく、無気力だけが残っている。

 庭を見ると空虚感のようなものを覚えたとしても、神殿のどこを歩こうと空しさを見たとしても、何とかしようという気力は起きる気配はなかった。


「あれは」


 空虚な廊下の先を、一直線に影が過っていった。足音だけは姿が見えなくなった後にも響き渡る。


「……そういえば、あの人間は普段は一体どこにいるんだ」


 チェスをしていない間はどこで何を――今走って何をしでかしているのか。

 アルヴァの足はシエラが走り去って行った方へ進路を変え、外へ向かう。

 時刻は昼過ぎ。柔らかすぎる光が徐々に足元から、脚、全身にあたる。

 その先に広がっているのは荒れた庭――アルヴァの視界に鮮やかな色が飛び込んで来た。


「……な、」


 庭。

 色が失せ死んでいた庭は、緑が甦り、花が咲き乱れている。廊下に沿い、見える範囲全て。

 左右を見渡していたアルヴァは庭にしゃがみこんでいる後ろ姿を見つける。



 ――あれは何なのだろうか

 自分に地上へ降りることを止めさせるために来たという人間。目の前にいるだけで、一つ一つの行動が、引っかかるような感覚を及ぼしてくるその所以は何処に。キアランの言葉の真意はどこに――。

 アルヴァは目を細めた。



 ***







 私がアルヴァ様とチェスをしている間やちょっと睡眠をとっている間にも、図面があるもので召し使いたちが庭作りを進めてくれている。

 そのお陰で廊下から見える範囲の庭は八割方再生を遂げたと言っても良い。


「……相変わらず、すごい花……」


 一日で生え揃う芝生も十分すごいが、同じく時間も手間もいらなかった花たちもすごい。

 天界の花とは苦労なしに咲いてこの綺麗さなのだから、すごいを通り越えて怖い。


「綺麗だからいいか」


 種を蒔いて二日くらいすれば、あら不思議の見事な満開である。緑が入っただけで生まれ変わったと感じていたことが些細なくらい、華やかさが加わった。

 天界の花は水をあげなくても長くもつので、どれだけたくさん植えても後の手間はかからない。枯れるのは余程の時だと聞く。


「他のところも見てこよ――アルヴァ様」


 ここから遥か先を見るだけでも華やかさ満載なので、歩いて行くのが楽しみだと足取り軽く方向転換すると、廊下にアルヴァ様の姿。

 私の記憶の限りでは庭で会うのは初。そしてタイミングよろしくも花が満開になったところ。

 この生まれ変わった庭はどうですかと聞きたくなって駆け寄る。


「アルヴァ様、この庭どうですか?」

「お前、庭を」

「あ、そうです。勝手にいじりました」

「『いじった』?」


 いじった程度ではないだろうと言いたげなアルヴァ様。

 そういえば庭を改善することも望まなかったのだったか。横目で庭を見ると、召し使いが凍りついたように動きを止めていた。


「いじりました」

「俺が、それを望んだか」

「いえ、勝手にいじりましたって言ったじゃないですか。庭があまりにも酷いので触らずにはいられませんでした。私の目的の一貫です」

「目的の一貫?」

「庭が酷いと神殿の雰囲気まで悪くなってしまいますから。改善すればアルヴァ様の居心地も良くなって、地上へは降りたくなくなる計画です」


 本当は単にアルヴァ様がいなかったから暇で、庭が酷すぎるからここをどうにかして待とうと思っただけだけど。

 あながち利に叶ってなくはないと思う。


「で、どうですか? 我ながら見事だと思うんです」


 見上げて改めて尋ねると、アルヴァ様は私から目を離して庭を見る。


「……お前は、妙な人間だ」

「え、それ感想ですか」


 庭に関する感想ではないし、それを言われたのは何度目。

 私が見上げ続ける先でさらにアルヴァ様はため息をついた。


「お前は、何だ……」


 何だって何だ。これも三度目くらいだろうか。

 アルヴァ様が私を見下ろす目は、何を考えているのかは読めない。何を思い、「何だ」と言っているのか読めないものは仕方ない。アルヴァ様も答えが自分の中にないから聞くのだろうし。


「何と言われましても、まあそれを知るためにも私と接してもらう他ないですね」


 私は「今日の勝負がまだでした」とにっこり笑った。







 本日もチェス勝負にて何度として惨敗。


「……勝ちが遠い……」


 キングの首が後一歩で切られるので、あえなく降参。もう一勝負を挑むのも慣れたもの、勝負を取り付けすごすごと駒を最初の位置に並べ始める。


「俺に勝とうとする方がおかしい」


 向こう側でアルヴァ様が手早く駒を並べる。

 勝負事に負けることがないと言われたこともある。でもそう言われると挑みたくなるもので、よく彼は付き合ってくれていた。

 こうしてみると、彼は何をしようが表面がどう変わろうが根元は変わらないんだろう。


「……何だ」


 じー、と視線を注いでいると訝しげにされる。


「思えばアルヴァ様は強すぎるので、私の相手をしているとつまらないのではないかなと思って」

「今さらか」


 そうだなぁと思う。三日こうし続けているのだから。


「止めるか」

「いやまさか」


 これで相手をしてくれないなんてことになると嫌なので首を振り、口でも否定。


「アルヴァ様も暇でしょうから、暇潰しにはなりますよね」

「お前、結構失礼なことを言うな」


 口が滑った。

 けれどアルヴァ様は存外気分を害したようではなくて、その手をなぜかこちらへ伸ばす。まだ配置についていない私の方の駒を取り、並べるのを手伝ってくれるではないか。

 手の働きが疎かになってなっていた私も慌てて駒並べを再開。


「……お前とのチェスは、悪くはない」


 それがどのような意味を込めて言われたにしろ、小さな呟きを拾った私は一瞬ぽかんと、次いで口許を綻ばせた。


「じゃあ私がアルヴァ様に勝てるまで付き合って下さいね!」

「永遠に不可能だ」






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