第73話 訪陶公舊宅(2)

我生君之後 相去五百年 毎讀五柳傳 目想心拳拳

昔嘗詠遺風 著爲十六篇 今來訪故宅 森若君在前

不慕樽有酒 不慕琴無絃 慕君遺榮利 老死此丘園

柴桑古村落 栗里舊山川 不見籬下菊 但餘墟中煙

子孫雖無聞 族氏猶未遷 毎逢姓陶人 使我心依然



私は貴方の後にこの世に生を受けました。

二人の生の時期には五百年の開きがあります。

「五柳先生の伝」を読むごとに、その姿が目に浮かび、思いが心に沸き起こります。

貴方の遺風にならい、かつては十六篇の詩を作ったこともあります。

そして、今ここに、貴方の旧宅を訪れてみると、厳粛な思いに満ち、まるで貴方が私の目の前におられるような気がいたします。

私は、樽に満ちた酒を慕うのではありません。

弦が無い琴を慕うのではありません。

私が慕うのは、名誉や利益を捨てて、この田舎で老い、その一生を終えられたこと。

柴桑はかつての村の姿を留め、栗里も昔の山河の様子のままです。

「東籬の菊」は見当たりません、しか「墟里の煙」だけが今も健在です。

確かにご子孫に有名になられた人はおりませんが、ご一族はまだ、ここにお住みです。

その陶という姓の方に出逢うたびに、私の心は懐かしさに包まれています。



※五柳傳:陶淵明の「五柳先生の伝」隠棲者の理想を描いた伝記。

※森:おごそか、厳粛

※樽有酒:陶淵明「帰去来の辞」中の「酒有りて樽に満つ」から

※琴無絃:陶淵明伝によると、陶淵明は音律を理解せず、弦のない琴を所有していたと言う。



○元和十年(815)、江州での作。

○白楽天は、ひたすら隠棲者としての陶淵明を賞賛している。

 この白楽天による賞賛が、陶淵明の詩がさらに広く浸透する契機となったと言われている。


○白楽天自身は左遷の身、隠棲状態なので、より陶淵明を深く思ったのではないか。

 もし、白楽天が左遷されなかったら、ここまで陶淵明についての詩を書かず、陶淵明の作も広がらなかったのではと思う。そう思うと、文学の世界にも「天の意志」のようなものが、あるのかもしれない。




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