いぬねこおやこ
大葉よしはる
第1話 犬じゃない
春が来てしばらくたったけど、今日は冬へ戻ったみたいに寒いです。犬のトコは、それでも元気にご主人様と夕方のお散歩をしていました。
トコはメスで八歳。薄い茶色のラブラドールです。体が大きくて、耳がたれていて、しっぽは細長くなっています。
ご主人様は病院の隣でお薬屋さんをしているおじさんで、今日はお仕事がお休み。いつもトコや病気の人に優しくします。
一匹と一人が仲よくお散歩するのはいつものことだったのですが。
「ご主人様、子猫が捨てられていました」
トコは、くわえていた子猫をご主人様のすぐそばに置きました。
大人の人間なら手に乗せられるくらいの大きさ。足としっぽの先が黒くて他は白。小さな口でミーミー鳴いて、まだよちよち歩きです。ご主人様は、おどろき顔でトコと子猫を見比べました。
「拾ってきちゃったの? 犬と猫って、仲が悪いものだと思っていたけど」
「おっしゃるとおりですが、放っておけません。こんな寒い日に一匹でいたら、カゼを引いてしまいます」
トコが少しだけ振り返ったのは、道路の隅に置いてある段ボール箱。トコは子猫がその中で寒そうにしているのを見つけて、連れてきたのです。
「うちの裏に空き地があるでしょう。そこで生まれた野良猫の子が、二週間くらい前にこのくらいでした。その家族にさせましょう」
トコはご主人様にお願いして、お散歩のコースを変更してもらいました。車二台がやっとすれ違えるくらいの細い道を通って、家の裏にある空き地へ。
隅っこに土管が置いてあって、草や木が生えています。元はアパートを作るはずでしたが中止されてしまって、今はほとんど放っておかれているのです。ときどき来るのは車をとめる人。他は、近所の子どもが遊び場にするくらいです。
トコは子猫を柔らかい草の上に置いてから、空き地に呼びかけました。
「野良猫の家族、出てきてください。お願いしたいことがあります」
土管の中から何匹かの猫が顔を出しました。お母さん猫は真っ白で、三匹の子猫は白と黒とブチです。
「捨てられた子猫が寒そうにしていて……」
トコが話し終える前に、野良猫一家は土管をこそこそと出てどこかに行ってしまいました。ご主人様はそれを見てにが笑い。
「怖がられて、頼むことどころか近づくこともできそうにないね。どうするの」
「……わかりました。この子は私が育てます! ペットが私を含めて二匹になってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「いいよ。うちはぼくときみの二人で暮らすのに広いからね。きみが走り回れるようなお庭はないけど」
空き地の奥にブロックのヘイが作られていて、その先にご主人様の家があります。一階建てで、表通り側半分がご主人様のお店です。
「ただ、きみが立派に育てるんだよ」
トコは鼻から息を吹きました。
「もちろんです、ご主人様。私がたくさんの子どもを生んで育ててきたと、お忘れですか?」
トコには二つの自慢があります。
一番目は、ご主人様のお店に忍び込んだ泥棒をずっとずっと追いかけて捕まえたこと。
二番目は、自分でいったように子どもを何匹も育てたお母さんだということです。今ではみんなあちこちにもらわれていって、元気に暮らしています。
ご主人様もそのことをわかっているはずですが、ちょっと心配そうです。トコはご主人様の表情に気づきました。
「今までの子どもはみんな犬だったじゃないかとおっしゃりたいんですか? きっと猫でも同じですよ」
家に帰ると、ご主人様は一人でペットショップへ出かけました。すぐ近くなので、戻ってくるまでに大した時間はかかりません。
トコは子猫をリビングに連れていって、くしゃみを一つしました。鼻がムズムズします。
(やっぱりうちは、お薬のにおいがぷんぷんしますね。この子が慣れてくれるといいんですけど)
お店にたくさんのお薬を置いているから、においがこっちに流れてきてしまいます。正直なところ、鼻がいいトコはこれが苦手でした。ずっと家にいれば鼻が慣れますが、お散歩から帰ってきてしばらくは我慢しないといけません。
(お散歩の途中で通る肉まん屋さんは、いつもいいにおいがするんですよね。ご主人様にもああいうお仕事をしてほしいです)
トコがそんなことを考えながら待っていると、ご主人様が帰ってきました。買ったものを小さなお皿に入れて、軽く温めてから床に置きます。
「ペット用ミルクだよ。人間が飲むミルクだと、犬や猫はおなかを壊しちゃうからね」
ご主人様は、ハッとした顔になりました。
「おっと、ほ乳ビンに入れて飲ませてあげた方がよかったかな」
「そうかもしれませんね。でも私が育てるといったからには、ご主人様に必要以上の手間は取らせません」
トコは子猫を鼻先で押して、ミルクに近づけました。
「さあ、飲んでください。買ってきてくれたご主人様への感謝を忘れてはいけませんよ」
子猫が感謝しているかどうかはわかりません。少なくともおなかがすいてはいたようです。ミルクを少しずつなめ始めました。トコはそれを見て一安心。
「名前を付けてあげないといけませんね。私と同じ女の子ですので、かわいい名前がいいです。手間を取らせないといった直後に申し訳ありませんが」
トコはご主人様を見上げました。ご主人様は、何をいわれたのかすぐに理解してくれたみたいです。
「たしかに、飼い犬や飼い猫って飼い主が名前を決めるよね」
ご主人様は、そうたたずに名前を思いつきました。
「ココでどうかな。きみを飼い始めたとき、付けたかもしれなかった名前なんだ」
「私の『トコ』と同じくらいにいい名前ですね!」
トコは、ご主人様と一緒に子猫を見つめました。
「あなたは今日からココです。おりこうにするんですよ」
ココと名づけられた子猫はミルクを飲むことに一生懸命で、聞いているように見えませんでした。
トコは、ココがおなかいっぱいになるとすぐにお世話を始めました。子育てに慣れていると自分でいうくらいなので、やることに迷いなんかありません。
「女の子なんですから、いつもきれいにしておかないといけませんよ」
ココの頭も背中もおなかもしっぽも、ペロペロとなめていきます。
「男の子だってそうです。汚くしていたら病気やケガで弱っていると思われて、他の動物からケンカをしかけられやすいですからね」
それは、子犬の毛づくろいをするときのトコが決まっていうことでした。
ココはまだ赤ちゃんなので、トコのいうことをわかっていないのかもしれません。でも、ペロペロされて気持ちいいみたいでした。
夜になると、トコはリビングにある自分の小屋へココを連れていきました。
「もう春ですけど、今日は冷えます。そんな日じゃなくても、夜中に寒くなることはよくあります。一緒にねんねしましょう」
毛布をかけてあげて、その上からトコ自身が丸くなりました。
ラブラドールのトコは毛並みがふさふさしていませんが、くっついていればとてもあったか。冬の寒い日だと、ご主人様からベッドに引っ張り込まれることもあるくらいです。
毛並みはココの方がふわふわもこもこしています。でも小さな体ではすぐに熱が逃げていってしまいます。ココはトコに暖められながらぐっすりと眠りました。
朝になっても、やっぱりトコのお世話は続きます。
「今からとっても大切なことを教えます。よく覚えるんですよ」
トコは昨日よりもずっと真剣です。ココの首すじをくわえて、廊下の隅に広げてあるペットシーツの上へ運びました。ペットシーツは新聞くらいの大きさをした紙で、触るとさらさらしています。
「私たちはご主人様の家で生活させていただいているんですから、トイレのマナーを守らないといけません。あちこちでオシッコをするのは、ペットとしていけないことです」
ばっちい話ですが、人間も犬も猫も生きているのですからさけて通れません。
「まず、私がやってみせます。同じようにするんですよ」
誰かの前でオシッコをするなんて恥ずかしいです。でも、トコはこうすることも今までの子犬で慣れています。おりこうにペットシーツの上でオシッコを終えました。ペットシーツはオシッコを吸い取ってくれるので、足がぬれて汚くなったりしません。
ココもオシッコをしたかったみたいで、トコと同じようにすませました。だからトコはすぐにココをペロペロなめて、ほめてあげました。子どもたちはこうされることで大事なことを一つ一つ覚えていくのです。
「おりこう! その調子ですよ!」
でもトコはココがオシッコの後でしたことを見て、少しだけ目を見開きました。
「ペットシーツを引っかいてびりびりにしたらダメですよ。次は、やぶかないでオシッコしましょうね」
二週間もたつと、ココはすっかりこの家に慣れました。少しずつ大きくなりながらいろいろなことを覚えて、トイレの場所もカンペキです。変なところでそそうなんてしません。
でも、トコには困っていることがありました。
「ご主人様、申し訳ありません」
夕ごはんを食べているご主人様に、トコは平謝りしていました。
「ぼくたち飼い主にとって、ペットのトラブルはよくあることだよ。そこまで気にしなくていいのに」
「そうかもしれませんけど……今日もココがペットシーツを引っかいて、やぶいてしまって」
ココはおぎょうぎ悪くテーブルに乗ったりしません。家具を引っかいて傷だらけにすることもありません。でも、ペットシーツをやぶくくせだけはなくなりませんでした。
ご主人様の方は、おかずを飲み込んでから簡単そうに答えますが。
「ペットシーツなんて、次々取り替えるものじゃないか」
「買い替える回数が増えると、家計に響きますよ」
「どこの飼い犬がそんなことまで気にするんだい。それに、もしかするとやぶくことに理由があるのかもしれないよ」
ちょうどリビングにココが入ってきました。今はもう、前みたいなよちよち歩きではありません。トコは首すじをくわえてご主人様のそばまで連れていきました。
「あなたもご主人様にごめんなさいするんです! どんなにかわいがられても、飼っていただいている身だと忘れてはいけません!」
ご主人様はにが笑いしました。
「相変わらずきびしいね。だからこそ、もらわれていった子たちが向こうの飼い主から『しつけがいい』っていわれるんだろうけど」
ココは、そんなご主人様も怒っているトコも気にしていない様子。まん丸の目でトコを見上げました。
「ママ、またあのおはなしききたいの。どろぼうをつかまえたときのこと。どろぼうにおいついてとびかかるところ、かっこいいの」
ココはそれを聞くのがとても大好きです。トコが泥棒に飛びかかる場面を聞いた後、自分も転がるボールを追いかけて遊びます。
「でも、そのまえにたべたいものがあるの。ごしじんちゃまがたべてるあれ」
「マイペースすぎます!」
トコはもっと怒りました。ご主人様の方は「やっぱりね」という顔です。
「そろそろミルクを卒業する時期だと思っていたよ。でも、いきなりこれを食べたらおなかピーピーになるかもしれない。離乳食で、食べることに慣れてからね」
ご主人様が食べているおかずは、マグロのお刺身でした。お魚は猫の大好物です。
「ペットシーツをやぶくのは、猫だからだよ。猫はトイレをすませたところに前足で砂をかける習性があるんだ」
習性とは、動物が生まれつき覚えている行動のことです。
「砂って、地面にある砂のことですか? ペットシーツの上にそんなものありませんよ」
トコは首をかしげずにいられませんでした。ご主人様は、ちっとも不思議そうにしません。
「なくても、ある気分で砂かけの仕草だけをするんだ。それがぼくやきみにはペットシーツを引っかいているように見えていたってわけ」
「そうだったんですか……でもペットシーツの上に砂なんかありませんし、我慢してもらわないと」
「習性を我慢なんてむずかしいよ。きみだって、穴ほりして宝物や食べ物を隠したくなるじゃないか。誰もきみのものを横取りなんてしないのに」
トコは目をそらしてしまいました。子犬のころにかんでいたサンダル、ご主人様がお祝いのときにくれた骨……いろいろなものを裏の空き地にうめてあります。
それをやめるなんて、トコにはありえないことです。だから、「あれ、たべたいの。たべたいの」と無邪気に繰り返しているココをじっと見つめました。
ご主人様はココに砂が必要になると予想していたようでした。ごはんを食べ終えてお皿を洗うと、物置からいくつかの品を取り出しました。
広めの植木鉢みたいもの。ただし底が浅くて、水が抜ける穴は開いていません。その中に砂利と似た形のものをたくさん入れます。これが猫のトイレに使う砂で、オシッコを吸い取ってくれるのです。
それをペットシーツの横に並べると、ココは砂の上でオシッコをしました。砂もかけられるようになって、ペットシーツ問題は解決です。でも、トコはうんうんうなりながらリビングの床に座っていました。
(犬も猫も変わらない。私はそう思ってきましたが、違ったのかもしれません)
当たり前のように砂をかけるココが、まぶたに焼きついています。
(ココは猫なんですから、猫らしく育てないといけません。どうすればいいんでしょう)
こんなに悩んだのは、生んだ子犬の中にご主人様の食べ物をかすめ取る子がいたとき以来です。
「空き地の野良猫に尋ねれば……怖がられて、逃げられますかね……」
トコがついにぶつぶついいはじめても、ココはのんきなものです。トコのそばでぴょんぴょん跳ね回っています。
「ママ、ママ、あたしあそびたいの」
「すいません。私、考えないといけないことがあって」
トコが構ってくれないので、ココは自分で楽しいものを見つけてじゃれ始めました。
「ママのしっぽ、おもしろそう!」
トコのしっぽは、それほどふさふさしていません。細長くて、フェレットのしっぽに似ています。
トコは、お散歩中にすれ違った人から「ヘビっぽいしっぽ」といわれてムカッとしたことがあります。そのときは、ご主人様のクツをかんで二足もダメにしてしまいました。でも、ココがじゃれつくことには怒ったりしません。ココの歯はまだ小さくて、かまれても痛くないですし。
「仕方ありませんね」
トコがしっぽを動かしてみせると、ココはますます楽しそうにじゃれつきました。トコはそれを見てため息をこぼしかけましたが、心の中がぱあっと明るくなったように感じました。
「その調子です! 猫は動くものにじゃれて遊ぶんです! そういえば裏の野良猫もやっていました!」
トコはうれしくなってしっぽをバタバタさせました。こうすることは、犬にとって喜びの表現です。ココはお母さんが一生懸命遊んでくれていると思ったのか、もっとじゃれついてきます。
「意外と簡単かもしれませんね。猫がいつもどうしているのか考えれば、やることをいくらでも思いつきそうです」
ご主人様は、そんなトコとココを眺めながら複雑そうな顔をしていました。
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