第二章 はじめましての大騒動!_2





 うん。無理だな。無理無理。バレるのなんて時間の問題だよ。

 いくら顔が似てたって、性格も存在感も真反対のドしよみんが身代わりなんて無理だ。

 私はコンソメスープと最後のちっちゃなケーキしか食べられなかったスキッ腹をなでながら、とぼとぼろうを歩く。

 カツオぶしとしようだけのどんぶり飯がこいしい。ぜいたくに卵を落としてかっこみたい。毎日こんなテーブルマナーのしよくたくじゃ身がもたないよ。

 どうせすぐバレてタダ働きになるんだから、だったらさっさとめたほうがいい。

 あのバカ殿とのさまがいない今、夏さんなら話せば分かってくれそうだし、むしろ彼も私のめんどうなんて見ずに済むから、助かるって言われると思うんだ。

 けいやくしちゃっても、内職は女子りようでがんばろう。お父さんお母さん、許してね……。

 二人は今ごろ何してるかなぁと、ふと考える。賞味期限切れのカンヅメとかじゃなくて、温かいもの食べられてるかな。おなかすかせてないといいなぁ。

 心は辞めると決めたものの、罪悪感で首がだんだん下を向いてきてしまう。

 ぼうっと考え込んでたせいで、向かいから走ってくる二人のひとかげに気づかなかった。

「わっ、ごめんなさいっ」

 かたが軽く当たってしまって、私はすぐさま頭を下げる。

 相手の男子はずいぶん先まで行ってから、おどろいたようにふり返った。

「あ、ごめんね!」

 でもすごく急いでるみたいで、そのまま走りけていってしまう。

 私、気配がうすすぎて人としようとつするのはよくある事だけど、やっぱりこんな調子じゃ、ふんすい並みにオーラがき出てるような春臣さんは演じられないよ。

 息をついて、ふと足もとに本──じゃないや、がくが落ちてるのに気がついた。

「あの、コレ落としましたよ!」

 あわてて拾い上げるも、彼らは足を止めない。

「マジかっ、音楽練習室にへんきやくしといて~っ! たのんだよー!」

「えっ、あ、はいっ」

 そのまま曲がり角の向こうに遠ざかっていく二人の足音。

「マズいよ、今のもしかして天王寺春臣じゃないか」

「今のが『SS』の一人!? まさかいくらなんでも見まちがいだろっ?」

 うう、彼らの残した声がさらに私のヒットポイントをけずってくれる。

 このまま楽譜を置き去りにするわけにもいかないし、私はしかたなく通りすがりの生徒に場所を聞いて、音楽練習室とやらを目指すことにした。

 それにしても、『SS』ってなんだろう。ちょくちょく耳にしてる気がする。

 たぶん春臣さんのことだよね? なにかのりやくしよう

スーパーサド」とか。……うん、きっとそれだな。

 地下への階段は、ぼんやりと白熱灯に照らされて、ただならぬムードだ。

 歴史のある建物にありがちな話で、今にもなんか出そうな……。

 ──その時。ぽろん、とかすかなピアノの音。

 私はひえっと縮こまる。

 耳をませば、まるでけんばんで遊んでるみたいに一つ一つ、ピアノの音がひびく。

 だれかまだ練習してるのかな。それとも……? いやまさか。

 ぞぞっと首すじにとりはだが立った。

 お母さん、東北のれいざんでバイトしてたとき、ゆうれいと目が合ってもそ知らぬフリをすればOKって言ってたよね。目を合わせなけりゃ、なかったことと同じだって。

 私はゴクリとノドを鳴らし、うすぐらい廊下をまっすぐまっすぐ前だけ見て歩く。

 すぐに「音楽練習室」と表札の出てる部屋が見えてきた。

「なんだ、明かりついてるや」

 生徒が居残ってるだけかと、気を抜いてドアの小窓からのぞきこんだとたん──、

 たたきつけるような激しさで、鍵盤が鳴った!

 そのまま、白い指が鍵盤の左から右へすさまじい速さですべる。たきのように激しい音の連なり。次々ぜる、痛いほど美しい音の連続。

 あっけにとられて指の動きに目をうばわれたけど、そのちようぜつこうの持ち主は、

 夏さんだ!

 あのきれいな長い指が、私には何がどうなってるのか分からない速さと正確さで、次々とキーをとらえていく。飛んでハネてすべる、強い指。ひとつひとつにごりなく澄みきった、氷のみたいな音。

 彼の横顔にあせの玉が浮かんでる。

 すごい。それに、なんてキレイ。思わず手がポケットの携帯にびる。動画りたい。このしゆんかんを切り取って保存したい。

 ガラスごしの彼は、さっきまでのゆうしようはどこへやら、歯を食いしばるように鍵盤に指をたたきつける。シンケンで、シンコクな横顔。

 ──じやしちゃだめだ、と我に返った。

 たぶんコレは、彼が見られたくないたぐいの顔だ。

 私はじりっと足を後ろに引く。

 その時、胸ポケットから、場にそぐわぬ電子音!

 取り落としそうになりながら保留のボタンを押しかけて、指が止まった。

 お父さんだ。まだ海の上のはずなのに。

「も、もしもし?」

『テマリ、元気だったかぁ? 高校はどうだ?』

 あいかわらずの、のんきな声。

 私はその場にしゃがみこみ、「何かあったの!?」と早口で返す。

『いやぁ、たいしたコトじゃないんだけどな。マグロがい~っぱいれて、双葉のビギナーズラックだって、すんごいホメられたんだよ。ボーナス出すぞって!』

「えっ、お父さん、すごい!」

 いい知らせだとは思わなかった! じゃあ私が身代わり契約破棄しちゃってもだいじよう!?

『お父さん、ヤル気もりもり出ちゃってさ。夜中、船のトイレに行ったとき、あちこち電気つけっぱなしだったから、しょうがねぇなぁって消して回ってあげたんだよ』

「……うん?」

『そしたらビックリだよ~! 朝、マグロがぜんぶいたんでるって!』

 は。けいたいを取り落としそうになって、あやうくふるえる両手でキャッチした。

「お父さん、もしかしてれいとう庫の電源まで落とし……」

『おう!』

 おうじゃないです!

『そんなわけで、マグロのべんしよう代と今回の出港費、三ヶ月で耳をそろえて返せって。でも間に合わなかったら、シベリアのかに漁船に乗せてくれるってさ。再就職先まで用意してくれるなんて親切な人たちだよな。感謝感謝だよ』

「シ、シベリア、蟹漁船……!」

『で~っかい蟹、お土産みやげにとってくるから、お母さんとじようで食べような! テマリはちゃんと青春エンジョイしてるんだぞ☆』

 双葉ぁぁとドスのきいたせいが響いたのを最後に、通話がぷつっと切れた。

 私は息もたえだえに携帯を下ろす。

「わ、私が、しっかりせねば……、三ヶ月後に、お父さんが氷の海にしずむ……」

 身代わりなんて無理とか言ってる場合じゃない。もう、やるしかない。

 私はろうの冷たいいしゆかに手をついて、ぐぐっとツメを立てる。

 三ヶ月間、絶対にやりとおさなくちゃ……!!

 決意と共にバッと前を向いて────気がついた。

 頭の上に、かげが落ちてる。しかもなんでかピアノの音色も止まってて──。

 真上に、くちびるをニッコリ引き上げた、夏さんのがお

 彼は開いたドアのすきにヒジをつき、私を見下ろしている。目だけ真顔で。

「…………なんの用?」

 私はすいい~~っと目をそらし、楽譜を床にお供えして立ち上がる。さぁ回れ右。

 げようとした首を、後ろからガシッとつかまれた。

「君にノゾキしゆがあったとはね」

 ダメでしたお母さん、目をそらしても、なかったことになりませんでした。

「あんまりキレイな音だったから、ついきほれてしまいましてっ。すみませんでした!」

 首ねっこをつかまれ、まるで伸びきったねこみたいになったままさけぶと、

 一瞬のちんもく

 あれ、と見上げる前に、上からふっと笑い声がふってきた。

 夏さんが困ったような顔で、笑ってる。

 はからずも心臓がきゅっとしてしまった。

「よくずかしげもなく、まっすぐ人をめられるね。春臣と同じ顔で、気味がワルいよ」

「だ、だって、『いいね!』っていう気持ちはそくレスしないと」

 ファンスタ界ではテッパンの常識だ。

 首から手をはなされて、私は伸びたシャツを急いで整える。よく分からないけど無罪ほうめんなんだろうか。

 夏さんはがくたなもどすと、消灯して練習室から出てきた。

 すたすたと歩き出す彼に、私もついて行く。

「ええと、その、な、夏さんって、ピアノ、ものすごく上手なんですね」

「ウチが代々、音楽家の家系なだけだよ」

 音楽家! これまで交わったことのない人種だ。

「じゃあ夏さんも、将来ピアニストになるんですか?」

「……まぁ、そうかな。たぶんね」

 あれ。歯切れのワルい返事。

 夏さんのかたい表情に、聞いたらいけないことだったのかもって、しゅんとしてしまう。

「うかうかしてるとしゆうしん時間だな。に入りたいだろ? みんなが入り終わったころに見張りに立っててやるから。用意しておくといいよ」

 夏さんは、急ぐよ、というように、私の背中を軽くたたく。

 もうおこってないのかな。

 ……さっきのピアノをいてる時の表情、ただならぬ感じだったけど。

 私はぴたっとその場に足を止め、気をつけの姿勢をとる。

「夏さん。あの、お風呂のこととか、これからいろいろと、よろしくお願いします」

 この身代わり生活、絶対にやりきるって決めた私には、事情を知ってる夏さんの協力が何より必要だ。れいは通しておくのがスジだよね。

 深く頭を下げると、ふり返った夏さんはまゆを上げて私を見た。

「風呂を守ってやるのは、きっかり五分間。悪いけど俺もいそがしいからね」

 ご、五分! それは服をいでパジャマを着る時間もふくまれるのかな。

 いや、イケそうな気がする。かみ短くなったし、どうせ頭からつま先まで古油で作ったせっけんで洗うだけだし、ドライヤーも持ってないから自然かんそうだし。

 しんけんに考えながら彼を見れば、ちんみような動物をカンサツする目!

「も、もしかして今の、からかったんですか?」

「さあ?」

 しれっと横を向く彼。私はくやしいやら恥ずかしいやらでグヌヌとうなる。

 ……まぁ、でも。

 さっきの夏さんの笑顔を見たら、ちょっとホッとしたんだ。

 たとえそれがしようでも、イケメンでハイソでピアニストの卵で、私と一点たりとも共通こうのない彼も、一応、同じ人間という種族ではあるんだって思えたから。

 お父さんの身の行く末のためにも、もうこの男装生活、やるしかない。

 だったら、なるべく楽しんで、はりきって行こう!








 ──というヤル気は変わってないのです。変わってないけど、


「天王寺学園理事長の一人ひとりむすにして、天王寺グループのあとぎ、天王寺春臣。

 だれもがうらやみ、誰もがあこがれる『彼』が、今、天王寺学園全校生徒の前に姿を現す!」


 けいばんかべしんぶんに、私はますますゲッソリしてしまう。

 にゆうりよう日の翌日、すなわち始業式。

 私は体育館で全校生徒の熱い注目を浴びて、すでにろうコンパイだ。

 なのに特進クラスの表札をくぐり、おそるおそる教室に入った今も──、ちくちくざくざくどすどす、クラスメイトたちの視線がさってくる。

 存在感空気系の私が、こんなふうに注目を浴びるのなんて生まれて初めてだ。

 しかも、なんだろな。みんな「天王寺家」がこわいのかエンリョしてるのか、こっちをものすごく観察してはくるんだけど、半径一メートル以内に入ってこない。

 見られるだけの、ビミョーなきよかん

 願ってやまなかった「フツーの女子高生」になるのはあきらめたけど、いくらなんでもこんな、希少動物の観察会みたいなじようきようは想定してなかったよ。

「あれが、天王寺春臣?」

「なんか思ってたのとちがくない? 三回くらい目がどおりしたぜ?」

 やっぱり、いきなり疑われてる。

「春臣。ほら、顔を上げて胸を張れ。存在感が空気並みにうすくなってるぞ」

 後ろの席の夏さんが、身を乗り出して私に耳打ちする。

 そのとたん、きゃああっと黄色い声が、女子軍団から上がった。

 わかる、わかるよ。夏さん、ちょっとした仕草もサマになるもんね。でもできたら、私もそっち側で黄色い声を上げてるほうでいたかった。

「プリント」

 ドゴッと景気のいい音と共に、私の机がバウンドした。

 冬馬が背中からほのおを燃え立たせ、机に紙の束をたたきつけてる。

「春臣、ありがわ。お前らがチヤホヤされんのは今のウチだけだからな。調子にのんなよ」

 ネクタイを引っ張られ、ぎゃっと声を上げる間もなく、三白眼が鼻の先に!

「や、やめてよ。調子になんて乗ってないよ」

 春臣さん本人ならともかく、今キャアキャア言われてるのは夏さんのほうだけだし、それに私はむしろそつこうそつこく、寮に帰りたいくらいなのに。

「覚えとけ。このクラスで一番モテんのは、オレなんだからよ」

「──へ?」

 スゴみをきかせた冬馬の声。でも発言の内容が、なんかカワイイ気がする。

 まじまじ見返すと、彼は「なんだよ」とますます顔をしかめてみせる。

 けど、女子の視線が自分に集まってるのに気づいたとたん、アッともウッともつかない声を発し、顔をそむけてしまった。

「……冬馬ってホントは、女子、苦手?」

「なっ、んなっ、」

 しゆんかんてきに冬馬の首から上がふつとうする。

「苦手っていうより、興味しんしんだけどきんちようするんだよな、三条」

 私のかたごしに夏さんのうでが突き出て、冬馬の真っ赤なおでこを押し戻していく。

 私から離れていく冬馬は、口をぱくぱく開閉するだけで声が出てこない。

「三条は中学までずっと全寮制の男子校だろ? しかもその学校が山奥にあったんだから、こいびとどころか女子とじかに接する機会なんてほとんどなかったよな」

「え、じゃあ、恋に恋する男の子ってヤツなの? 見かけによらずカワイイとこ、」

 あるね、まで言えなかったのは、冬馬が私のほっぺたを片手でワシッとつかみつぶしたからだ。

「それ以上言ったら、おまえブッ殺す……!」

「ひひましぇん」

 私はバンザイの姿勢で、カワイくても古武道あとり古武道跡取りと心の中でり返す。

「ほら、担任が来たよ」

 夏さんの声に、冬馬はしぶしぶ前を向き、私も急いでプリントを後ろに回す。

 そして──。モブしよみん双葉テマリへの、天王寺学園によるようしやない洗礼が始まった。



 プリントにさいされていた、始業式当日の授業内容は以下のとおり。


一、いきなりの学力しんだんテスト

一、採点待ちのあいだの、自己しようかい(全員ざいばつ政界関係者もしくはとくしゆ技能持ち)

一、答案へんきやくとともに、担任からのしつげきれい ←イマココ!




「有栖川、夏」

 チョークよりも竹刀しないのほうが似合いそうな担任が、夏さんを呼ぶ。

 ちからきて机につっぷす私の横を、彼のムダにさわやかな気配が通り過ぎていく。

「さすが新入生総代だな。全教科満点だ」

「どうも」

 すかさず黄色い声があがったのはさておき、全教科、満点!?

 ピアノだけじゃなく勉強までカンペキって、どういうことなんだ。神様ズルすぎる。

「次、伊集院秋人」

 まどぎわの一番後ろの席。午後のざしをななめ四十五度に受け、げんえき高校生モデルが気だるげに立ち上がった。

「伊集院は帰国子女なのに、なんで英語だけ九十五点なんだ。しかったな」

「はぁ。日本の英語のテストは独特なんで」

 どうでもよさそうに言いながら、彼は長いかみをかきあげる。そのあまりの色っぽさに、教室のざわめきは止まらない。

 さすがSSだな、そりゃSSなんだから、と聞こえてくる声に、私はハテと首をかしげた。スーパー・サドって、春臣さんのコトじゃなかったのかな。

「夏さん、SSってなんですか?」

 後ろに体をひねって聞いてみると、彼は満点の答案を机に突っこみ、ほおづえをついた。

「期待の新入生四人のあいしようらしいね。Special Seasonsの略。みようなコト考えるよな」

 スペシャル・シーズンズ。「特別な、季節たち」?

 頭の中の?マークがさらに大きくなったけど、

「次、三条冬馬」

「オス!」

 武道男子らしい気合いの入った冬馬の声に、私はようやく気がついた。

 三条「冬」馬。伊集院「秋」人。有栖川「夏」──。

「三条は……まぁ、スポーツ特待生だからな。そっちを期待してるぞ」

「オス!」

 それって、「期待の新入生」の残り一人はもしかしなくても、名前に「春」がつく、

「天王寺春臣!」

「はいいっ」

 せきずい反射で立ち上がった私は、机の角に思いきりむこうズネをぶつけた。

 足を引きずってきようだんまでたどり着いた私に、担任はまどうようなフクザツな顔。

「あ~~……、天王寺は、今日は調子が悪いみたいだな? 保健室行くか?」

「だっ、だいじようですっ。今日は緊張しちゃったみたいで、アハハ」

 教室中にざわめきが広がっていく。

 答案を受け取ってげるように席にもどると、前から冬馬がのぞきこんでくる。

 答案をバッといてかくすと、後ろから夏さんが「……ウソだろ」ってつぶやくのが聞こえた。

 ぎゃっ、そっちから丸見えだった!

 私もコワゴワ、答案の赤い数字に目を落とす。

 十三点。……ウソじゃ、ない、みたい。

「今回の平均点は六十二点だ。おのおのよく復習しておくように」

 私、中学では中の上をキープしてたのに、この学校ハイレベルすぎるよ……!

期待の新入生」の最後の一人が、見事に期待を裏切った。

 みんなの信じられないモノを見る視線に、私はごんっと音を立て、机に臨終した。





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