第一章 無理難題、言われましても!?_2




 とつじよ現れた黒スーツのお姉さまがたに制服をひんむかれ、まゆをざくざく整えられ、カラコンをつっこまれてパッチリふたに改造され、さらにはまつをビューラーではさまれてなみだぐむ。

「ひいい、痛いですうう」

「動かないっ!」

「ハイイッ!」

 しかられてビシッと背をばせば、首すじにハサミの冷たいカンショク。ひっつめて結んでた色気のないかみが、バサバサ床に落ちていく。

 そして細長いひも状のモノが首に巻きつき、ギュッとめあげてきた!

 く、苦しいっ! こうさつ!? もしかして私、だまされたのか。お父さんお母さん、鹿むすめでゴメンナサイ。両親に今生の別れを告げていると──急にあらしが収まった。

 おっかなびっくり目を開けたら、お姉さまがたが満足げに私を見つめてる。

 ガラガラと音をたてて運ばれてきた、台車つきの全身鏡。

 その鏡の中に、いかにも良家のおぼつちゃまふうの上品な男子が映りこんだ。

 すっきり整えられたえりあし。フワフワやわらかそうなまえがみが白い額にはらりと落ちる。せんさいなアーチを作るまゆは、男の子らしくキリリとしつつもやさしげな表情だ。

 彼が身に着けているのは、この学校の制服。

 Yシャツに上質な白生地のブレザー、タータンチェックのスラックス。

 ラフに着くずした襟もとから、きゃしゃな首すじがスッと伸び、成長期特有のはかなさとあやうさがかおり立つようで──。

 鏡の中の彼はなぜだか目をまん丸にして、こちらを見つめている。

 どこかで見た顔に、私は目をまたたいた。

 お姉さんがたが、たがいのけんとうたたえあいながらてつしゆうしていく。

 遠ざかるメイクワゴンの音を聞きながら、私はまた、目の前の鏡に視線をもどした。

「い、一体なんなの」

 つぶやいた私と同じタイミングで、鏡の中の彼が口を動かす。

 ──ん? 私たちは真顔で見つめあった。私は右手を上げる。彼もつられてうでを上げる。私が口をぱくぱくすると、彼もそれをマネする。

 まじまじと見つめる鏡から、彼も私を見つめ返す。

「こっ、こっ、これ、私!?」

 ほっぺたをはさむと、鏡の中の彼も同じ動作をする。うちまたの足が気持ち悪い。

 そうだ! だれかに似てると思ったら、この顔、TEMAに似てる! 私がメイクで作りこんだあの顔を、カラーレスのメイクにして、睫毛をシュッとすずしく下向きに伸ばして、カラコンの直径をひかえめにする代わりに、ひとみあわい茶色を混ぜこんで──。

 まるでTEMAの男子バージョンだ。

 私はバッと頭に手をやり、胸までとどいてた髪がすっかすかになっていることに青くなり、首を絞めあげたのがロープじゃなくてネクタイだったことにホッとする。

 コレ、一体どういうことなの!?

「やぁ、だいぶ心配したけど、うちの美容部員はさすがだね。まだ存在感うすい気はするけど、外見は問題ないよ。ね、夏! 僕の言ったとおりでしょ?」

 私の背後にさっきの二人が並んだ。

 満足げなマスク男子のとなりで、さわやかクンが目を大きくする。

「……おどろいたな。まぁ、イケそう、か」

 夏サンはアゴにこぶしをあて、しかたなく、といった調子でうなずいた。

 なにやら私の知らぬ間に話が進行してる。

「あ、あの? この格好は一体……。なんで私、男子制服なんて」

「僕は天王寺学園高等部一年、天王寺はるおみ。テマリと同じ、新入生だよ」

 私の問いかけをまるっと無視して、マスク男子は目を細める。

 そして彼はゆっくりとマスクを外した。



「お、同じ、顔……!」



 鏡の中に、そっくり同じ顔が、二つ並んでる。

 さすがに私のほうが線が細いけど、別々に現れたら見分けがつかないくらい似てる。

「ファンスタでTEMAの写真を見たときは、ああ、神様が僕の味方をしてくれたって思ったよ。ちょっとメイクで顔を作れば、じゆうぶんイケそうって確信したとおり」

 私は声も出ないまま、ふるえながら、彼に視線を移す。

 鏡の中で同じ顔がニマッと笑った。

「テマリには僕の身代わりをしてほしいんだ」

「………………は?」

「身代わり! 今ならたったの三ヶ月間だけ!」

 そんな今だけオトクなセールじつ中みたいな売り出し方されたって。

 じようだんみたいなセリフとは裏腹なホンキの目に、私はリトマス紙よりも青く染まっていく。

「み、身代わりって、なんで」

「僕の父さん、天王寺学園の理事長なんだけどさ。僕ってりように入ったが最後、父さんのいたレールを走ってくだけの人生になるわけ。それってさびしくない? 人生もったいないって急に気がついて、旅に出ることにしたんだ。ハダカいつかん、自分探しの旅。だから僕が帰るまで、コッチのほうは君にお願いしようかなと思って」

 春臣サンはにっこり笑う。

「そんな勝手な理由で、私に身代わりを!?」

「勝手ってヒドいなぁ。僕しんけんなやんだんだからね」

 ほっぺをプンスカふくらませる春臣サンに、私はもう言葉もない。

「でででもっ、私、しようしんしようめい女子ですし、男子寮なんて朝から晩まで男のフリしてなきゃいけないわけですよね!? そんなのすぐバレますから! おとか、えとか!」

だいじよう大丈夫。そこらへんは夏がフォローしてくれるから。夏が同室になるように取りはからってあるから、安心しといて。たよりになる男だよ、彼は」

 でも腕を組んでっ立ってる夏サンご本人は、ものすごくめいわくそうに顔をしかめてる。

 無理です! ってぜつきようしかけた私の言葉をふうじるように、春臣サンが私をのぞき込む。

 あいきようのある大きな目が、フッと微笑ほほえんだ。

 ……と、なぜか、ノドがつまって、言葉が一気に腹まで押しもどされてしまう。

 なんだこの、としと顔に見合わぬハクリョクは。

「僕と君が同じ顔をしてるのって、せきだよ。奇跡は、つかんで、利用しなきゃ」

 ほとんど同じ視線の高さからまっすぐ見つめられて、私は息もできない。

 彼は親しげに私のかたをたたくと、そのまま横をどおりする。

 私がバッとふり返ったときには、彼はもう窓わくを飛びこえ、外に着地していた。

「じゃ、テマリ、夏! あとヨロシクね~! 借金の返済は成功ほうしゆうだからね☆ おたがいに楽しも──っ!」

 ベンツに回収された天王寺春臣の姿は、はい音と共に私たちの前からかき消えた。

 …………私は、窓の外をふき流されていく桜の花びらを見送り、そして背後の、うんざり顔の夏サンとやらをふり返り、最後に、鏡の中の見慣れぬ自分を見つめた。


 この十数分で過ぎ去ったあらしがあまりに現実ばなれしすぎてて、脳の処理が追いつかない。

 い、いや、どう考えても男子寮で身代わり生活なんて、無理に決まってますからっ!!








「知ってると思うけど、天王寺学園の理事長は、天王寺たいせい。日本十大ざいばつに数えられる、元大名家・天王寺一族のボスだ。春臣はその一人ひとりむすで、ゆくゆくは天王寺グループを丸ごとぐことになってる。君はそのきつすいのお坊ちゃんになりきらなきゃいけない」

 ゆいしよただしい、歴史ある、古式ゆかしい男子寮のろうに、夏さんの低い声が静かにひびく。

 廊下には赤いじゅうたんが敷きつめられ、個室のとびらもマホガニーのじゆうこうなつくり。

 見上げれば、シャンデリアが午後のざしにきらきらとかがやいている。

 ひとがないと、まるで古城か一流ホテルを歩いてるみたいだ。

 口を開けてあっちこっち見回してると、横を歩く夏さんが立ち止まった。

 見下ろしてきたその切れ長の瞳が、私のマヌケづらにとまって、すぐらされる。

 彼の心の声が聞こえるようだ。

 ──この女、大丈夫かよ。って。

 ホントにちがいすぎて全然大丈夫じゃない。

 今さらながら、空前絶後のちようラッキーと思ってた、特待生すいせん合格。あれも実は、すでに春臣サンが私に目をつけてて、裏で手を回してたんじゃ……って思えてくる。

 私はごくりとノドを鳴らす。

 でも、でもだよ。冷静に考えてみれば、悪い話じゃない。

 三ヶ月どうにかやり過ごせば、借金をいつかつ返済してくれるんだ。

 見知らぬ土地で苦労してるだろう両親の顔を思いかべ、奥歯をグッとかみしめた。

 やろう。とにかく、やるだけやってみよう。

 そうだ。もし失敗してバレちゃったって、困るのはあの能天気無責任おぼつちゃまで、私はそしらぬ顔で女子寮に移動すればいいだけだし。うんうん。

 中学時代、内職で学校以外は家から一歩も出られなかった暗黒の日々。それを思えば、こんなホテルみたいな寮での生活、天国に決まってる。

 ……よし、やる気が出てきたぞ!

「ここが俺と『春臣』の部屋だよ」

 夏さんは一番奥の、角部屋の扉を押し開いた。

 思わずワッと声がもれる。

 現れたのは──十じようほどの広い洋間。

 部屋に入ってまず目が行くのは、どっしり重たい造りの二段ベッドだ。ハシゴじゃなくて、ちゃんと小さな階段がえつけられてるやつ。なんてカワイイんだろう。

 いたきのゆかには織りカーペットが敷かれ、かべぎわには、こじゃれたアンティーク調の勉強机が二つ並んでる。アンティーク調っていうか、創立当初からずっとココで使われてきた、本物のアンティークなんだろう。それに応接セットに、小さなキッチンまでついてる!

 家族三人で住んでたアパートよりずっと広いしゴージャスだ。

「そこのクロゼットが空いてるから、好きに使っていいよ。え、君、荷物そのバッグひとつだけなの? 男の俺より少ないとか、すごいね」

「いえ、さすがにパソコンセットは運べなくて、運賃、なみだをのんで宅配便をたのんだんです。あっ、でもこのままじゃ荷物が女子寮のほうに行っちゃうかも!」

「そう。じゃ、こっちに回すように手配しておくよ」

 夏さんは、君のデスクは右側、せんたくは地下でうんぬん、必要こうを簡潔めいりように教えてくれる。

 ムダなくキビキビ話す人だ。将来立派に政界財界で働けそうだな。きっと彼もどこぞの財閥のご子息で、高等な教育を受けてきたんだろう。

「ベッド、上と下、どっちがいい?」

 へ? と、それまで彼の動きを他人ごとのようにながめてた私は、とうとつに我に返った。

 ふり向いた彼のまえがみれて、きりりとしたすずしげなひとみが、まっすぐに私を見る。

 あわとびいろの瞳の、意志の強い光。

「……あ……どっちでも……」

 ぼそ、と答えたあと、「三ヶ月の男装生活」がじわじわリアルになってきた。

 そ、そうだよね。私、このさわやかイケメンさまと、このベッドをいつしよに使うんだ。

 三ヶ月まるまる同じ部屋できすることになるんだから当たり前だけど、なんかしようずかしいようないたたまれないような気分になってきた。

 いやいや、彼みたいな天上の方は、私のようなジミをえた空気系の女子になんてなんの興味もないだろうし、そもそも私は「男子高校生」になるわけだから、うん。ヘンに考えるのはよそう。そういうの、自意識カジョーっていうんだ。

 ぐるぐる考えてる私に、夏さんは肩をすくめた。

「君は『春臣』だろ? 『春臣』はえんりよなんてしないで、好きな方をさっさと取るよ」

「じゃ、じゃあ、寝返りでご迷惑おかけしないよう、し、下、で?」

「……ご迷惑、ね」

 ため息まじりの夏さんは、デスクのを引いてこしかけた。長いあしが組んでも余ってる。

「君は春臣と正反対の性格なんだね。とても三ヶ月もやってけるとは思えないけど」

「すみません……」

 床に落ちたうらみ節みたいにつぶやく私に、彼はしようする。

「いや、ウチのバカ殿とののせいで、こちらが申し訳ないよ。俺もノリ気じゃないんだけど、あいつ、言い出したら絶対に曲げないから」

「バカ殿、ですか」

 なんて的確な表現だ。この人も悪逆非道の仲間かと思ったけど、実は「バカ殿」のがいしやなのかもしれない。そっけない印象なのは、キレイなおもちだからそう見えるだけで。

「あの。夏さんは、春臣さんとどういったご関係なんですか?」

「おさななじみだよ。なじんでるつもりはないけど」

 キレイな顔のけんに、シワが寄った。

 この苦々しい色、やっぱりバカ殿被害者同盟だ。思わずあくしゆしようとうでばすと──、

「それにしても君、」

 彼の表情に、あきれ、プラス、あわれみ?

「三ヶ月も働かされるのに、けいやくしよも作らないなんてウカツだな。あいつ、成功ほうしゆうだって言ってただろ? 俺ならありえない契約条件だね」

 は?

ちゆうでニセモノだってバレたら、君はタダ働きってことだよ」

「……んなっ」

 まさか! こおりつく私に、彼は大きな息をついて背を向ける。

 私がちゆうはんに伸ばした手は、宙にやるせなく浮いたまま。

「俺は将来のために、『天王寺グループのあとり』に恩を売っておきたいだけなんだ。君の世話を手取り足取り焼くつもりなんてないからね。ま、せいぜいガンバってみなよ」

「えっ、えっ」

「あ、これ、春臣のデータ、預かってたやつ。特にとなりの部屋の二人組には要注意。小さいころだけど、春臣とそれぞれ面識があるんだ。チェックしておいたほうがいいよ」

 絶句する私の頭に、バサッと分厚い書類が降ってきた。

 言い終えた夏さんはデスクにめんらしきモノを広げ、なにやら書きこみ始める。

 もう声をかけてくれるなと言わんばかり、ごていねいにイヤホンまで装着済みだ。

 こ、この人、協力してくれる気なんてさっぱりないなっ!?

 私はがくりとカーペットにヒザをつく。

 絶望しつつ拾った書類は、三センチ超えの厚みだ。

 よしっ、やる気が!……………………出てこない。

 出てこないけど、ここで私が終わったら双葉家も終わってしまう。

 私は両手でカーペットの毛足をにぎりしめ、キッと顔を上げた。

 負けるものかっ! 一家さんの双葉家の希望の光は、すぐそこに、ちょっと、ホントにちらっと、見えてるかもしれないんだから……っ!





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