>異世界転生ものが嫌いな理由

これは異世界転生が読まれている理由について考察したエッセイですね


私も転生ものを書いているので


このエッセイと

このエッセイに対する感想と

を少し考察してみました




● まず第一に、エッセイ内容から考えて「異世界転生もの」というジャンルの否定ではなく、「異世界転生」について書かれたエッセイなので、そこのところの混同をなくすることから始めます


「異世界転生ものが嫌い」は「異世界転生は読み書きすべきでない」とは別だ

ということです





 これを混同すると論旨が「表現の自由」や「好悪の自由」という方向に発展します

 そういった方向でのこのエッセイの否定は矛盾するので無意味です


つまり

「表現の自由」や「好悪の自由」はエッセイの作者にもあり

 異世界転生ものを否定しているのでないなら

 その自由を理由にこのエッセイを否定はできない


ということです





● 次にエッセイの内容を、ちょっと纏めてみましょう。


 その前にこのエッセイで争点になりがちな「異世界転生もの」とは何かの定義について考えてみましょう


 実のところこれはエッセイで論文ではないので、それを決めることに意味はありません


 エッセイの作者が定義した「異世界転生もの」と正しい異世界転生ものに差があっても

 

 「異世界転生は読み書きすべきでない」という論文でないならば

 エッセイの作者が定義した狭義の「異世界転生ものが嫌い」という感想を書いたにすぎないからです


 ということで

  このエッセイの「異世界転生もの」の定義を、内容から規定します

  この規定がないと論旨が

  意味のない「例外がある、決め付けるな」という方向に流れてしまいますので



さて、小説のタイプで規定しましょう


A 小説には娯楽を目的としたものとそうでないものがあり

エッセイに語られる「異世界転生もの」は、娯楽ものです


転生を使っていますが、拙作の真・仙極無双などは、娯楽ものでなく

このエッセイの「異世界転生もの」とは違いますので

もし、どういったものか興味があったら一度読んでみてください



B 娯楽の中でも「憧憬掲示型」ではなく「願望充足型」の小説


「憧憬掲示型」は主人公が英雄的で、「願望充足型」jは主人公が等身大以下


精神面でみるのなら

主人公が理想を護る者として存在するか

主人公が欲望を満たした者として存在するかの差です



 ここで間違えてはいけないのは、「理想」です

この言葉を悪用するものが多いので悪用された間違ったイメージで

遠く手に入らないものと思いがちですが


 「理想」の本来の姿は、愛や思いやりや慈しみといった身近で私達を幸せにしてくれるものの総称です

 「理想」は、求めるものではなく護るべきものです

 そして、「理想」を護ることが「正義」です


AとBにおいて

「娯楽もの」で「願望充足型」の異世界転生ものを

このエッセイでは、「異世界転生もの」といっていると規定します






そのうえで、このエッセイが語っているのは3つ。


1 異世界転生は、自己中心的な願望である

2 異世界転生は、「自己否定」という暗い願望の象徴である

3 異世界転生を認める事は、「死んで自分以外になる逃避を認めること」で「命の軽視」である


結論として、異世界転生を含んだ話が多く読まれているのが

「悪い」と言ってるのではなく、「哀しい」と言っている



1 についてですが

 「娯楽もの」「願望充足型」と規定したのはこの論旨からです


 楽しければいいじゃないかという快楽主義を全肯定した物語が嫌いということですね





2と3 についてですが

「異世界転生」を

「変身願望」ととるのか「自己否定」ととるのかで

このエッセイでは後者ととったという話ですが


「変身願望」なら死ななくてもいいだろうというのが筆者の論旨です

「命の軽視」が「狭義の異世界転生」にあるという指摘です


「変身願望」ならわざわざ死を絡めず

「チート異世界転移」でいいじゃないかという話ですね



深く考えれば、確かにその通りなので


このエッセイは深く考えるべきという立場で書かれたものです

対して、反発する感想は深く考えすぎだという立場で書かれているようです


これは

筆者は、「甘え」を否定し

反発する者は「偽善」を否定しているとも言えます


どちらも、若者にはありがちな、表裏のような関係にある精神活動です


「甘え」と「安らぎ」を混同せず、「甘え」を否定し「安らぎ」を肯定し

「偽善」と「正義」を混同せず、「偽善」を否定し「正義」を肯定


するならば、どちらも正しい意見です



正しいことを、快いことや善いことや良いことであると感じるかどうかは個人の人格であり

それぞれが一つの価値基準です




自己分析の習慣がないならば

このエッセイへの考察を機に

自分の感情の根源を考えて

本末転倒や矛盾がないか調べなおす

というのも面白いかもしれませんよ



月並みですがこのエッセイとそれに対する感想を読んでの考察を

そう纏めて終了させてもらいます

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