act.9 陳弁

 「……?」

 関所を出る直前、全方位から広がるように響いた笑い声の主は先ほどの奉行様だろう。何がそんなにツボに入ったのだろうか。

「…………」

 八尋の誘導で元いたがらんどうの広間のような部屋に辿りついた。先ほど鮮烈な死を遂げた騎士は、影も形も見当たらない。鏡面仕上げのように磨き上げられた大理石には、血痕どころか埃一つ見当たらない。来る時は見当たらなかった扉を押して、ようやく外に出る。陰気くさい空気は一変して、元の梅雨明けの空がそこには広がる。振り返れば来た時と同じように両開きの分厚い石扉が、中のがらんどうを晒している。そのがらんどうに向かって一礼し、扉を閉めて、前方で待つ令嬢の元へと足を向ける。

 来た時と同じようにだだっ広い、平野を割くように伸びる、先の見えないあぜ道を、八尋の三歩後ろについてとぼとぼ歩く。しばらく歩いて関所が見えなくなったころ、溜め込んでいたものを一息に吐き出すようにして、八尋は大きく息を吐いた。少し小さくなったように見えた背中を元に戻して、領主様は振り返る。

「ここまで来れば問題ないだろう。ユウキ、少し楽にしていいぞ」

 小さく笑って彼女が促す。こちらも少し姿勢を崩す。

「気になることがたくさんあるだろう、道中でよければ私が教えてやる。私の常識がお前の常識ではないということを懸念出来なかった、私の落ち度だからな」

 今だけだぞ、と隣を歩くように歩みを合わせながら、彼女ははにかんで促す。

 教えてくれるというのだ、教えて貰おう。彼女から直接教えて貰える機会というのは二度訪れないだろうから。

「この世界の住人は皆妖怪の類なんだよな?」

 長いあぜ道は夕焼けに染まり始めている。こういう時間を現世では逢魔ヶ時おうまがどきと呼ぶそうだがこちらではどうなのだろう。

如何いかにもそうだ。ここの住人は現世うつよの人々が呼ぶ妖怪や神威かむいの類に相違ない。私や、今のお前だって例外なく妖怪か、神威の類だ。このくらいの時間を現世では、魔に逢う時と書いて、逢魔ヶ時と言うらしいな。こちらではこれくらいの時間を、迷い入りこむ時と書いて、迷入之時まよいりのときと言うのだ。稀に現世人うつよびとの子どもが迷い込むことがあるのでそう呼ぶらしい。迷っている現世人の子どもを発見したら、私の家に招いて、無事現世に帰す決まりになっているのだが、子どもというのは森羅万象共通、無邪気で無鉄砲なものらしくてな。だから探すのに苦労するんだ。おかげでなかなか帰せなくて、単なる行方不明が神隠し扱いされてしまうなんてこともたまにある。ああなると書類が一気に増えて面倒だから、ユウキも気をつけておけ」

「わかった、そんなことが訪れないよう祈っておこう。そうなるとあの爺さ……奉行様は何の妖怪になるんだ?」

「ここまで奴の読心は届かんぞ?用心に越した事はないが……。まあいい。あの爺はやまびこ種とさとり種のハーフだ」

「ハーフとかいるのか、妖怪にも」

「ごろごろいるぞ、混血なんて。私みたいな純血種の方が珍しいだろうな」

 すると、特性というか能力はどうなるんだろうか。

「あれは人の心を読み、弱みを握って脅し、成り上がるのが得意な爺だ。だが爪が甘く、いつもここぞというときに計画が重要人物にバレてしまうのだよ。面白いだろう?この前は私の暗殺計画が私にバレてしまって、それはそれはもう滑稽だったよ」

 思い出すだけでも面白いのか口元を隠して笑みをこらえている。笑い事ではない気がするのは、俺が小物だからだろうか。

「バレて関所にどこかから左遷された感じ?」

 こんな僻地だ。左遷されたんだろう、きっとそうだ。そうに違いない。

「ん?いや、奴も言っていた通りあれは代々続く関所の管理を任せられている家だぞ。左遷されたからではない。それに奉行と呼ばれるあの男が就いている仕事は、ここ霊獄では、一般家庭から努力してなれる最も権威ある地位に位置している」

「え?じゃあアイツ、バレたあともその地位に居続けてるの?」

「いや、一度僻地に左遷したんだが、どういうわけか次の日には返り咲いていてな。まだ懲りてないようだし、どんな手を使ったんだか……大方お得意の『交渉術』で丸め込んだんだろうが……。とりあえずアレには注意を払って置いて損はないと思うぞ」

「了解。関所に入ったところに居たデュラハン風のアレは何なの?」

「あー……、アレは対わたし用に奴が用意した式の一つだろうな。文字通り私のための悪趣味な式さ。アレに手を出せば、率先して私が法を犯したということで責任を問われ、部下が率先して手を出せば、我が家の教育がなってない、といちゃもんを付け、また無視して通り過ぎると民草の好意をあろうことか無視をする王としてそしりをあげ、アレに手をこまねいて時間に遅れれば、時間も守れず何を守るのかと糾弾する予定だったに違いない」

 どう足掻いても何か言うつもりだったってことか。

「でも、一度現当主の暗殺を企てた男の言葉を、民草が信用するもんかね?」

「それもそうなんだがな」

 かぶりを振りながらヤヒロは答える。

「もちろん信用されないだろうさ。だが、『もしかしたら……』と疑ってしまう民が居ないとは思わん。私が就任してまだ日も浅いし、反対勢力だって少なくない。TVやネットはないが、新聞があり、速報があって、ゴシップ誌がある。あれらメディアの力を侮ってはいけないのだ」

 上に立つ者は上に立つ者の苦労があるということか。

「ふと思ったんだけど、ヤヒロはどんな……えーっと」

「『妖人あやかしびと』だ、こちらでは人の体を為した妖や物ノ怪などをそう呼ぶ。現世の人間は『現世人うつよびと』と呼ぶぞ、覚えておけ。他の世や獄の者に関してはまた追って教えよう。で、私がどうした?」

 講釈が一段落着いて、俺に話が戻る。

「ヤヒロはどんな妖人なんだ?」

「………………それは聞かない方が身の為だ」

 打てば響くように返ってきていた返事は、ここに来て鈍い物になった。

「どうして?」

「その辺はサトリにでも訊いておけ。他に何かあるか?無いならそろそろ悶を繋ぎたいのだが」

 ヤヒロは無理やり話を終わらせにかかっている。これが最後の質問になるだろう。

「あの爺さんの居た部屋に入るための扉と、関所に入るために開けた扉の仕組みってどうなってるんだ?」

「それは――――」

 外套の端をこちらに寄越して俺が掴んだのを確認するや否や、門を開いて中に踏み出し、

「こちらで話した方がいいだろう」

 気付けば道元邸の玄関口に立っていた。

 ヤヒロが玄関扉の方へ足を向けるのと同じタイミングで、まるで知っていたかのように扉がこちら側へと開き、中から使用人らしき人影が現れた。

「お帰りなさいませ、お嬢様とお客人」

 黒染めの燕尾服に黒い靴、黒い手袋と上から下まで全てが黒い。雪のように白い肌とのコントラストが眩しい。

「出迎えご苦労である」

 お嬢様が労いの言葉をかける。

 使用人さんは、扉を押さえて俺達を招き入れたあと、

 扉を静かに閉め、

 玄関で靴を脱いだお嬢様にビロードのスリッパをお出しし、

 靴を揃えて靴棚にしまい、

 手袋を着け替え彼女の外套を受け取った。

 驚くべきは、ここまでの動きの一切が、主たるヤヒロの邪魔になっていないことだろう。その流麗で物静かな動きは一種の舞踊のようにも見えて、気付けば、俺は広い玄関に呆けたように立ちつくしてしまっていた。

「……何を呆けておるのだ?」

 なんとお嬢様、見慣れすぎていて、目の前でどれだけレベルの高い事が起こったか、理解出来ていない御様子。さすがお嬢様。

「ああ、そういえばこれの紹介がまだだったな」

 勝手に得心がいったと頷くお嬢様。こちらが呆けていたのを、誰だかわからない人が急に現れたからだと思っている御様子。

「おい」

 促されて、お嬢様の隣にたたずむ黒染めの執事服が映えた美男子びなんしは、少し既視感のある声音で言葉を紡ぎだした。はて、どこで聞いたのだろうか?

「これは、申し送れました。私、この屋敷にて永らく家令を勤めさせていただいています、谷守燐埜たにもりりんのと申します。以後、お見知りおきを」

 …………いやいやまさかそんな、同姓同名なだけだって。はっはっはっは。

「こいつは秘書もやってくれていてな、いわゆるお前の先輩にあたる方だ。仕事の事でわからないことがあれば、彼に聞くといいだろう。それとリンノ、こいつは私達道元家の一員となるのだ。私の苦手なものを知っているよな?無理にとは言わない、できる限りそのように対応してほしい。私は先代とは違うのだ」

かしこまりました」

「畏まるな」

「承知いたしました」

「…………」

 じとーっと完璧を絵に書いたような家令さんを睨み付けるヤヒロ。

 少しして懲りたようにため息を吐き、リンノと名乗る家令は新たに口を開く。

「わかったわよ。これでいいのよね、ヤヒロちゃん?これを理由に減棒とか減給とかそういうのはナシよ?」

「阿呆、何ゆえ上司の言う無茶を押し通してくれる優秀な部下を、痛めつけなければならんのだ馬鹿者。私がやれといってリンノが応えたのであれば、それを褒めることこそすれ怒るなぞ筋違いも甚だしいわ」

「ヤヒロちゃんのそういう『いい上司』であろうとする姿勢すごく好きよアタシ。かわいいわ~。ねぇねぇねぇ、撫でまわしていい、ヤヒロちゃん?」

「給料が無くなる覚悟があるなら存分に撫でまわすがいい」

「あぁら、冗談よ」

 これは、知らなくていい現実というヤツなのだろうか。俺には、体をくねらせている目の前のオネエと、先の完全無欠な家令さんがまったく別人のように感じられる。

 呆気に取られていると、ヤヒロから後出しの補足が入った。

「こいつは見ての通りオネエだ。しかし安心していいぞ、ユウキ。こいつはストレートだから」

 肘で小突かれて少しおどけて見せる家令さんは、違うわよと訂正をいれてきた。

「アタシはかわいいものが好きな普通の住人よ、ちょっとこの屋敷に詳しいだけのネ」

「私の知らないことをなんでも知っているレベルが『ちょっと』とは到底思わんがな」

「あの頃のヤヒロちゃんもかわいかったわ~」

 やんやんと体をくねらせるリンノさん。あばらの間あたりにヤヒロの扇子がビシビシ入っているがお構いなし。鍛えておられるのだろうか……。

「こいつと話していると本題を見失いそうになるというのと、絡みがウザイというのがたまにキズなんだ」

 ヤヒロにそう言われて壁によよよとしな垂れている彼(彼女?)の姿を見ると、確かにちょっと鬱陶しいかもしれない。

「あー……ユウキよ、お前は何を聞きたがっていたんだっけな?」

 だいぶ絡まれていたからだろう、ヤヒロはどうやら俺の質問が思い出せなくなってしまったらしい。

「関所入り口の扉と爺さんの部屋の扉の仕組みについて」

 端的にまとめてヤヒロに聞きなおす。

「ああ、そうだったな。ふむ……関所入り口の扉は『不帰かえらず式』。爺さんの部屋の扉は『見上げ入道式』というシステムだな」

 聞き慣れないワードだが、漢字はなぜか当てはめることができた。まぁこれくらい、できて当然か。

「カエラズ……ということは帰らせない扉ってこと?」

「そうだ。これは不届き者、暗殺者やコソ泥なんかを『帰らせない』ためのシステムで、興味本位やアポ無しで入ったりすると下手を打てば一生日の目を見ることがなくなってしまうという最上級の防犯システムだ」

 なるほど、つまり

「自分が許可を出した者だけ家路に着けられるってことか?」

「そうだな、そんな認識で大丈夫だ」

「OK、理解した。それで見上げ入道式ってのは?」

「そうだな……。ユウキよ、見上げ入道という妖怪の話を聞いた事はあるか?」

「そりゃあまぁ……有名どころだし。」

 ヤヒロの端正な顔にちょっとだけ花が咲いた。

「そうかそうか、わかるか。ならば話は早い。要はあれの攻略と同じシステムの扉なのさ」

「ふむふむ」

「扉に威圧されて見上げてしまう者には巨大な壁が見える。逆に、こんなもの毛ほども恐ろしくないわと態度で示せば、縮こまって元のサイズに戻る。そういう代物だ。議題の重要性を実感させるためや、小物を黙らせるために、一部の裁判所や、ああいう関所といった行政の要になりうる場所に度々設置されているのだ」

 これで疑問は全部か?と聞いてくるヤヒロにダメ押しでもう一つ聞いてみる。

「あのヤヒロが展開してた門ってなに?」

 とたんに明るかったヤヒロの表情がまた少しだけ暗くなる。

 逡巡して、こちらを伺ったと思うとまた躊躇う。

「………………それは」

「その質問にはオレが答えよう」

 いつからいたのか、俺達から見てホール左側の部屋の手前に、サトリが立っていた。

「サトリ」

 少し険の強い呼びかけに身をすくませて見せるヤブ医者。

「だってヤヒロちゃん答えにくいでしょ?だから助け舟を出してあげようと思ってサ」

 頭の後ろに両手を回して、サトリは続ける。

「ほら、オレって一応君の主治医だし。ヤヒロちゃんの身体のことはヤヒロちゃん並に詳しい自信、あるよ?」

「患者のデータを漏洩させる医者がどこにある?」

 それはもっともなんだけど、とサトリはまだ食い下がる気らしい。

「ヤヒロちゃん、ヤヒロちゃんの弱みや弱点がどこからか漏れて、利用される可能性に怯えるのはいいんだけど、オレ達が君の弱点を知らないままだと、万一の時の対応が遅れちゃうんじゃないかな?それに全部をバラすわけじゃないんだしさ、悶についてくらいなら話してもあげてもいいんじゃない?」

「………………」

 少し迷って、ヤヒロは俺の方を向いた。

「すまない、私から教えてやりたいのは山々なんだが……」

「ありがとう。色々と教えてくれて助かったよ」

何も謝られるようなことはされていないのに、謝られるのは気分が悪い。むしろ謝るとするなら無知なこちらだ。感謝こそすれ、謝罪なぞされる謂れなどありはしないのだから。

 呆気にとられたヤヒロにもう一度感謝を述べてから、サトリの方へと足を向ける。

「サトリ、嘘はナシだぞ?」

「さぁて、どうしようかね~」

 悪い顔をした居候に着いて、俺は玄関ホールを後にした。




 ユウキ達が玄関ホールから立ち去ったあと、ヤヒロは少しだけ心のうちあらわにする。

「気を、遣わせてしまっただろうか」

 誰にと言わずに呟いた。

「いい子じゃない、大事にしなさいよ」

 敢えて聞こえないフリをしてくれているこのオネエにも今まで何度救われたことか。

「……知れた事。この私が部下を大事にしなかったことがあったか?」

 ありもしないことを残った家令に尋ねる。

「アタシ今しがた蔑ろにされたばっかりなんだけど」

 真面目にしんみりしているのに、コイツはいつもこうだ。ああ言えばこう言う。…………本当に、良く出来た家令だ。

「…………コイツ」

 言葉とは裏腹の感情を言外に滲ませ、少女はいつもの彼女長としての振る舞いへと戻っていった。

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