act.7 訪問


 関所の中は外の梅雨明けのような開放的な涼しさとは打って変わって、ひんやりと、ぞっとするほどにひんやりとしていた。それに、このひしひしと伝わってくるアウェイ感はなんだ?入り口付近でも感じたこの感覚が、自分たち以外に人っ子一人いないこの空間において、一層不気味に感じた。なぜこれほどまでに空気が重苦しいのか、前を歩く黒外套の上司に対し質問をぶつけてみたいが、今は一秘書官でしかない俺に、口を開く許可は出されていない。もやもやした気持ちのまま、顔に出さぬようにしつつ、上司の三歩後ろにぴったりと張り付きついていく。

突然目の前に、西洋甲冑とボロを身にまとった、首無しの騎士デュラハンが立ちはだかった。

「ッ――――!」

ヤヒロの身を案じて、後方から即座に前へと躍り出る。

やはり俺たちは、招かれざる客だったようだ。じゃあどうしてヤヒロはわざわざここに来たのか?いいや、そんなことはどうでもいい。今は目の前の問題を解消しなければ。

「……何のつもりか?」

デュラハンに問うてみる。彼は何も答えない。何も言わず、己のボロボロの剣をこちらに構える。

「……邪魔立てすると、受け取っていいのだな?」

一陣の風が吹き荒ぶ。その風の音は、まるでこちらを拒むかのようだ。

「ならば押し通る!!」

亡霊の突進に合わせ、こちらも一足飛びに前進する。まずはそのナマクラをへし折ってやろう。ナマクラと、俺の拳がぶつかる刹那――――。

『〔やめんか〕〔バカ者〕、〔私の〕〔顔に〕〔泥を〕〔塗る気か〕?』

どういうことか。不可視の力に顎を打ち上げられ、したたかと腰を打つ。何が起こったかわからない。ただ、畏れ多いなにかの命令に、『世界が逆らえなかった』ように感じた。

 しかし、感じたからなんだというのか。たとえ何者かが世界に命令し、俺を吹き飛ばしたとしても、現在俺の上司は道元八尋ただ一人。彼女の命じることが全てだ。「敵前逃亡しろ」などと命令された覚えはない。だが、彼女を守ることが与えられた使命である、という訳でもない。そんな命令は与えられていない、かといって敵将にやすやすと大将の首を差し出すなどという道理もない。

それに、悪漢に襲われている女性を見て見ぬ振りをできるほど、俺はオトナじゃない。だからこそ、庇うように身を躍らせたのだ。少し離れてしまったが、この距離ならまだ間に合う。『あのとき』のようにはしたくない。もう何もできずに終わるのは嫌なんだ。

だが、俺の思いとは裏腹に、八尋は亡霊の騎士に少しではあるが頭を垂れている。殺されるとでも言うのか、そんなことはさせない。

そう思った。強く、何よりも強く。だが体は反応しない。縛り付けられたかのように、その場から微塵も動くことができない。

「奉行の使い魔殿、うちの秘書が無礼を働いた。何分まだ新人なものでな。先ほどの愚考は大目に見てやってくれまいか?」

ヤヒロが何か言っている。「私の事は好きにするといい、だが後ろのアレは見逃してやってほしい」というあれだろうか。

くそ!なんで動いてくれないんだ!もう目の前で誰も死なせたくないというのに。 

俺が一人で悪戦苦闘している間にも、刻一刻と時間は過ぎて行く。デュラハンが剣を大上段に構えた。それをただただ呆然と見つめるヤヒロ。その後姿は、倦怠感にも似た虚無感でいっぱいになっているようにも思える。

せめて避けてくれ!そう叫ぼうにも、俺の口は、開いてくれない。くぐもった情けない声が、意味を持って届いてくれることもない。こちらの境遇を嘲うかのように亡霊の騎士は剣を振り下ろす。



自らの体に向けて。



最初に訪れたのは困惑。次に訪れたのは疑念。俺たちを殺しにきたコイツは、殺戮対象の眼前で仰々しく、自らの腹を割いている。正直何をしているのか皆目検討も付かない。いや、考えたくないの間違いだろうか。

ヤヒロの顔には、毒々しく濁った奴の血液がまるで呪詛のように滔滔とうとうと浴びせられている。そんな彼女は特に抵抗する様子も無く、眉をしかめる様子もない。

そのあまりにも、日常から外れすぎた異様な光景に、俺はチンケな歌劇を見せられてしまったような感覚に陥った。

散々に鮮血を撒いた抜け殻は、ガシャリと音を立ててその場に崩れた。斬り口からは、いまだに血が流れている。

「なかなかどうして、いい趣味をお持ちの様で」

皮肉が多分に含まれているのだろう。侮蔑と嫌悪の視線を亡骸に向け、吐き捨てるようにヤヒロは呟いた。怒り心頭なようで、全身ベトベトのまま、苛立ち気にこちらを向いて先を急かす。

「いつまで腰を抜かしている?さっさと立たんか」

瞬間、身体を捕縛していた何かが一気に霧散し、喉に蓋をしていた空気はその硬質さを失った。極度の緊張状態から開放されたような、そんな感じだ。

自らの腹を捌いて斃れた敵に敬意を表してから、ずんずんと前を行く血みどろの令嬢を追う。こんなことは予想外でかなり混乱気味の俺とは対照的に、まるでいつものことのように冷静で、どこか辟易した様子が伺える。その顔は、少なくとも凄惨な死を目撃したばかりの少女のそれではなかった。


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