6. 新人プロモーター、行動する

 鶴見舜は、柏木美穂の言葉を頭の中でくり返していた。

「目を付けたアーティストは確実に売れるのかあ……」

 頭の中では処理しきれずに、口に出してつぶやいてしまう。現実的に、舜の周りにも「売れる売れない」を的確に見極められる人間はたくさんいる。舜自身はそこまで冷静に見極められる目はまだ持っていない。

 ただこの「声」に、「曲」に、演奏やキャラクターに果たしてお金を払いたいと思うか。

 いつの間にかそんな目で楽曲やアーティストに向き合うようになりつつあった。

──これ、メチャクチャいい曲。

 しかしそんなふうに単純に心を震わせられる部分を大切にもしたいし、何よりもアーティストの味方であり続けたい。アーティストの持つ魅力を十二分に引き出し、応援する──。

「……って、理想言い過ぎか」

 けれども舜は自分が志半ばで潰えた夢を叶えた人たちを、全力で守ると決めたのだ。青臭いと笑われようと、やれるところまでは信念に沿ってやってみるつもりだった。

「えーと、松原さんの連絡先……」

 スマホを取り出して急いでスクロールしながら、舜は急に不安になって動きを止めた。

──やっぱり今から突然ってかなり迷惑かな。

 迷う気持ちがありながら、舜は結局松原ハジメにメッセージを送った。

「突然で申し訳ありません。今日どこかでお時間をいただけないでしょうか?」

 するとほどなく松原から返信があった。返信はごくあっさりとしていた。

「いいですよ」

 松原に居場所を訊ねると、舜の会社からそれほど離れてはいなかった。二十分後に落ち合う約束をし、舜はあまりにもあっけなく松原に接触できることとなった。


「あの、突然の呼び出しってことは」

 松原ハジメは言いかけてアイスコーヒーを一口飲んだ。悲観的な口調ではなかった。

「俺、いよいよクビ宣告ですか?」

 ストレートな言い回しに俊は言い淀んだ。「違う」とはっきり否定できないことがもどかしかった。

「そうじゃないです……前回、今後の方向性についてもう少し個人的に話しておきたくて」

 松原の視線が痛いほど突き刺さってくる。こちらの腹を探っている目だった。

「僕は、tipiの前回のepはかなりいいと思いました。ただ、別の方向性でも魅力が引き出せる可能性がありそうだなと思って……あ、生意気ですね」

 熱く話しかけて、舜は自分が若輩者だったことをふいに思い出す。

「いや、ありがとう。嬉しいです……」

 ごく控えめな声で松原はつぶやいた。戸惑っているようにも見えた。

「ぱっと聴いただけだと耳馴染みがよくて、そのままスルスル聴けるんですけど歌詞は深く心に刺さるものもあって」

 気付くと舜は夢中に喋り出していた。

──ダメだ。止まらない。

 客観的には、黙っている松原をそのままに勝手に熱の入ったtipiの音楽語りを始めているとわかっていた。けれども想いが先に出てきてしまう。

 松原はそんな舜の言葉を遮ることもなく、目を細めて聴いていてくれた。

「実は俺も……次にやってみたいテーマがあって」

 しばらく舜の話に相槌を打った後、松原が静かに口を開く。思いがけない嬉しい言葉に、舜は身を乗り出した。

「えっ?ほんとですか?」

 それから座り直し、落ち着いて訊ねた。

「どんなテーマですか?よかったら聞かせてください!」

「まだ漠然としてるんだけどね」

 恥ずかしそうに松原ハジメは話し始めた。そこからは松原が淀みなく音楽論を語り始めた。

 これからやってみたいこと。尊敬するアーティストやインスパイアされた音楽。

「うまく形になってくれるかわからないけど」

 そう、謙遜を交えながらも情熱的に話してくれた。

 次第に大きく明瞭になっていく声。輝きを増してくる目と表情。

 聞いている舜までつられて笑顔になっていくのを感じていた。

〝松原さんにはモチベーションがない〝

 柏木美穂の言葉が頭の中で粉々に砕けていく。彼女にも松原のこの姿を見せたかった。こんなに饒舌に語るところを見たらきっと──。

 舜は高揚していた。まだ何も出来上がってもいないのに、ガッツポーズを取りたい気持ちだった。

 松原は簡単な音源サンプルと歌詞のイメージを作るから出来たら見てほしい、と舜に告げ、舜は二つ返事でOKした。

「楽しみに待っていますね!」

 別れ際、満面の笑みを浮かべた舜に、松原は曖昧に笑って頭を下げただけだった。

──よし、サンプルがあれば次回作を打診できるかも。

 再び走り出しそうになっていた舜の目の端に、妙にきちんとスーツを着込んだ男の姿が映った。


 松原ハジメは鶴見舜に笑顔で会釈をすると、踵を返した。その表情は平板だった。

 嬉しそうでもなければ、それほど辛そうでもない。小さく息をついて歩き出そうとした松原を待ちかねていたように呼び止める声がした。

「あれは本心ですか?」

 前触れもなく切り出したのは、藤井だった。神出鬼没の老紳士は、いつもおろし立てのようにしわ一つないシャツを着、スラックスを履いていた。

 松原は藤井が眼前に現れると、夢と現実の区別がつかなくなった。

「……で、どうしてあなたが俺の話を知っているんですか?」

「先ほどの喫茶室に、藤井も潜んでいたのでございます」

──喫茶室。

 いかん。その言い回しのほうが気になって、尾行されていた事実が薄れる。

 松原は首を振って、藤井の独特さを頭の中から排除しようとした。

「そこで話はすべて聞かせていただきました。次回作へのプランがどうとか」

「ああ」

「実は松原様は遊んでいるように見えて、ずっと曲作りのことを考えていらしたんですね」

 ここ数日の松原を当然知っているという口調で藤井は言った。

 少しの間口をつぐんでいた松原は顔を上げると、真っすぐに藤井を見た。

「藤井さん」

「何でしょう」

「あなたに……お願いがあります。歩きながら話してもいいでしょうか」

 藤井は先刻承知していたとばかりに大きく頷いた。両手を胸の前で重ね合わせ、祈るようなポーズを取った。

「そうおっしゃると思っていました」

 松原が歩き出すと、藤井も同じ速度でついてきた。

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