藤井でございます 人形マネージャーと新人プロモーター

杉背よい

第一章 終わってから始まる人

1. 藤井と神様と新人プロモーター


「おや、これはまた……」

──いい感じに自身を顧みずに歌に捧げていますねえ。

 蓮の池の周りを散歩していた神様は、何気なく散歩をしていた途中で池の中に引き込まれて覗き込む。

 神様は日本を管轄するのにちょうどいい大きさの池を所有しており、日がな一日その水面を覗きこんでいる。真新しいジャージが濡れることも厭わずに、神様は水面に片手を入れ、水面を揺らした。

「藤井、藤井」

 神様は気まぐれに名前を呼ぶと、瞬時に初老の男性が現れた。男性は、黒いスラックスに糊のきいた白いシャツ、光沢のある黒いベストを合わせた執事のような服装をしていた。

「お呼びでしょうか、ご主人」

 無表情ではあるものの、動きに淀みのないこの藤井と呼ばれる男の実態は、神様の手元を手伝う精巧な人形だった。一日の大半を神様の世話係として過ごし、時折神様の気まぐれで下界に遣わされ、普段の業務とはまるで関係のないお使いを頼まれるのだった。

「水面下を見てごらん、藤井」

 神様が水面下を指さすと、そこには甘い声で歌う一見女性と見まごうような華奢な男性がいた。

「……はあ」

 藤井に感情はないはずだが、その口調には「またか」という薄い辟易の色が滲んでいたことを神様は見逃さない。

「新鋭のアーティストかな。素晴らしい歌声だ」

 神様はうっとりと目を閉じ、歌そのものに集中しているように見えた。

「それに何より、歌詞が素晴らしい……でね、藤井」

「この男のそばに行け。契約を持ちかけろ、と言うのでございましょう?」

 藤井は神様の心を読み、先の成り行きをすでに読んでいた。神様は話が早いとばかりに頷く。

「さすが藤井。察しがいいな」

 聞きようによっては神様の台詞は悪代官のように聞こえる。量販店で売られているような上下のジャージ姿に、生まれつき薄茶色でゆるく癖のある長髪を一つに束ねたその容姿は、「神様」と呼ばれなければおよそ何者かも検討がつかない。しかし神様のご面相だけは、秀でて美しかった。

「近頃は天界も退屈だ。退屈は平和とも言えるから喜ばしい」

 しかし私は、退屈が嫌いだ。神様は平然と美しい顔で言い放った。

「ご主人は、下界に行けば敏腕スカウトマンになれるのでは?」

 藤井は皮肉のつもりではなく、大真面目に言い返した。神様はつまらなそうに顔に落ちてきた一筋の髪をかき上げた。

「私はただの音楽ファンだ。そのほうが気楽だ」

「左様でございますか」

 これ以上議論しても無駄だと踏んだのか、藤井は会話を切り上げると蓮池の中に戸惑うことなく飛び込んだ。


 鶴見舜は、駅のホームで気を揉んでいた。電光掲示板には「人身事故による遅延。一部列車の運休」の文字が右から左へと流れていく。

「もうすぐ番組が始まってしまう。それまでに、いや始まった後のほうが捕まるか」

 舜は両手に社名の入った大きな紙袋を抱え、ぶつぶつ呟いていた。

 紙袋の中には、リリースを控えたサンプルCDが山のように入っていた。今からラジオ局に行き、番組プロデューサーやディレクター、編成部の偉い人たちにサンプルを渡すのだ。

 舜は新人のプロモーターだった。大学を卒業したばかりの舜は、この春から大手のレコード会社に就職し、希望してプロモーターの仕事に就いた。

 プロモーターとは、所属するアーティストの宣伝をすることが役目だ。コンサートプロモーターもいれば、テレビ局担当、雑誌出版系統の担当などに分かれ、舜はラジオ局担当に配属された。

 関東の主だったラジオ局を回り、新譜が出るたびにサンプルCDを配って曲をオンエアしてもらうようにアピールする。新人アーティストでチャンスがあれば、番組のゲストとして呼んでもらえないか打診し、スケジュールのブッキングや当日の立ち合いもする。CD発売のインストアイベントなどにも応援に駆け付ける。そんな仕事だった。

 遅れてホームに滑り込んできた電車に乗り込むと、大勢の乗客たちが耳にイヤホンを差して、恐らく何らかの音楽を聴いているのが目に入る。

──ここにいるどれだけの人が、ウチのアーティストの曲を聴いていてくれるんだろう?

 反射的に舜は、手にしていた紙袋の中を覗き込んだ。

 たくさんのサンプルCDと、「紙資料」と呼ばれるCDの宣伝資料が入っていた。

 紙資料には、舜の手書き文字で「推し曲」とアーティストの特徴や曲のアピール文章などを書きこんでいた。できるだけ丁寧に、心を込めて書く。舜はそう心がけていた。


 舜が高校生の頃、バンド活動に精を出していたことは会社の誰にも言っていない。男子ばかり四人で、ロックバンドを組んでいた。舜はヴォーカルとギターというなかなか目立つポジションを担当していた。

 一時期は音楽の演者として生計を立てる──プロのミュージシャンになることを夢見たが、他の三人のメンバーの意向もあってバンドは解散した。舜は誰か別のメンバーと新しいバンドを組むことも考えたが、違う形で音楽に携わる道を探した。

 かつてのバンドメンバーはそれぞれ音楽とはまったく違う道に進んだ。銀行に就職する者、家業の会社を継ぐ者、地方公務員になる者がいた。

「お前はよく音楽の道を選んだな。俺はもううんざりだ」

 そう、言い捨てられた記憶が昨日のように蘇る。しかし、何と言われても舜は音楽業界に在籍し、音楽を支えるものになりたかった。それが舜なりの落としどころであり、音楽との決別の仕方なのだった。

 目指すラジオ局に到着すると、運よく目当てにしていたプロデューサーが通りかかった。

「あっ、今津さん、ちょっとだけお時間よろしいですか?」

 相手が忙しい状況ではないか気を配りながら、すばやく舜は声をかける。タイミングを逃すといつ接触できるかわからない。迷っている暇はなかった。

「おー、鶴見ちゃん。いいよ、大丈夫」

 人懐こいプロデューサーが気さくに応じてくれたのを見計らい、舜はサンプラーを取り出して説明を始めた。

「こちらいくつかご紹介させてください。まず……」

 大御所やメジャーなバンドの新譜を、特徴を説明しながら素早く渡していく。最後に、デビューしたばかりの新人のサンプラーを手渡すのだがこれが一番力が入る。

「あとですね、最後にメジャーデビューする若手バンドなんですが、横浜出身の男の子ばかりのバンドで、芯の強いロックでありながら結構キャッチ―なメロディが売りなんです」

 この新人バンド「コロン」は、舜も売り込みに力を入れていた。

「へえ、なかなか見かけも可愛い系だね」

 プロデューサーが目を留めてくれたので、舜はもうひと押しする。

「そうなんです!こう見えて喋りのほうもなかなか面白いんで、オンエアはもちろんなんですけど、ゲストとかもよろしければご検討ください!いつでも伺います」

 ぺこんと舜は頭を下げる。

「わかった。若手バンドを呼ぶのが好きな番組もあるから、後で話しとく」

「ありがとうございます!」

 よろしくお願いします、と何度も頭を下げて、舜は素早く次にサンプルを渡せそうな関係者を目で追っていた。

 すると、また運よく舜と懇意にしているディレクターが通りかかり、向こうから話しかけてくれた。

「鶴見くん、また飲もうね」

「あっ、はい!こちらこそお願いします」

 舜は営業スマイルで応じた後、「サンプラー、お渡ししてもいいですか?」とにこやかに続けた。一通りの順序でサンプルを渡した後、舜は「この人なら」と力を込めて最後の一枚を手渡した。

「あの、彼ら……新人じゃないんですけど」

 勢いをつけるように舜はそう言った。

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