転転転生 -the reincarnational lifeplanning-【休載中】
月山 馨瑞
第1話-①
第一話 : 幸福、しかし不安定な人生のある一例
「一緒に転生してほしいの」
恋人は僕の耳元でそう囁いた。
彼女は背中から僕に手を回して、抱き着いていた。身体を密着させていて、端から見ればそれは、二年経ってもなお燃え続ける、お熱なカップルとしか見られないだろう。
しかし僕はまるで体内が凍ってしまったかのような、気味の悪い悪寒に襲われていた。
「一緒に死のう? ねえ、いいでしょう? もう私は仕事辞めちゃったし、こんな世界なんか捨てて一緒に異世界転生したほうが、お互いの為だと思うの。ねえ、いいでしょう?」
まるで子供が、欲しいおもちゃをねだるかのような甘え声で、我が恋人は言った。やれやれ、どうしてこんな事になってしまったのだろう、と冷めた気分で僕は小さく呟いた、もちろん心内でだけど。
今現在、世界的に転生というが普及し始めている。
『今現在』というのはつまり共和歴九十八年だ。西暦の方だと細かな算出法は忘れてしまったが、まあそれはいいだろう。
『世界的に』というのは、文字通り世間一般で、という意味。『世界』という漠然とした領域で広まってはいるが、僕の周りでは転生した人が数人くらいしかいないという事だ。
転生はある意味では流行といってもいいだろう。
『転生』とは読んで字の如く、自殺して、異世界へと生まれ変わる事であった。それは、自らの人生に区切りをつけて、《リンカーネイション・ライフ・スタイル》という、異世界での生活を求めるという生き方だった。
要するに共和歴九十八年のこの世界では、死ぬ事が流行っているわけである。
まったく、物凄い時代に生まれついてしまったと思うが、聞くところによると地球上で自殺をする動物は人類だけともいうし、それを考えれば不自然な事でも無いのかもしれない。
さて、これを読んでいる人には転生について少し説明しておく必要がある。
そこで、僕の手元にあるこの資料データ――《次元科学技術史入門 第五版》(目白キュ・両画アドゥヂ著 WTSO出版》を少し紐解いていく事にしよう。
始まりはいつか? という事を考えていくとスタートの地点はいっぱいあるのだけれど、そのうちの一つに挙がるのは共和歴七年という年だ。
共和歴七年は、《次元線》という概念の検出に初めて成功した年だったらしい。元々重力場の対になる概念として《次元場》というのが考えられていた。そして、光だか波みたいに伝わっていく《特異的な存在》が《次元場》に存在すると、仮説として言われていた。
本当は『《次元線》とは光子的な特質と《特異的な特質》の両方を兼ねる存在である』等と専門的な話が必要なのだけれど、僕すらも大学の授業ではちんぷんかんぷんだったのでお互いの為に省かせてもらおう。
話を戻すと、この年に《EEM》という民間企業が、重工業の実験途中で《次元線》の検出法を偶然見つけたのだという。この技術は当然の事ながらWTSO(世界科学保管機構)が預かる事になり、《次元線》の研究が大幅に進む事になった。
それで、長い年月をかけて実験に次ぐ実験をして研究していった結果、以下の事が分かった。といっても大抵の事は、《次元科学》に興味の無い人にとってはどうでもいい事だから、それは省いてこの話に必要な事だけを書くと、
ⅰ)《次元線》の発見で別次元の宇宙を発見する事ができた。
ⅱ)生命体からは《次元線》が検出され、それらはそれぞれに固有な特徴を示す。
ⅲ)生命体、特に人間が死んだ時、《次元線》は発射され死体の《次元線性質》は変化する。死んだ人間の《次元線》はある状態において《別宇宙の同次元》――つまり同じ座標の、おそらくあると思われる同じ地球に送られる。この現象を《転生現象》と呼ぶ。
ⅳ)現世界側で或る操作を行う事で《次元線》に含まれるその人間の《精神体》を保存する事ができる。これによって《人類の霊魂の存在・転生の存在》が証明された。
ⅴ)これらをさらに極め、最近では別宇宙との映像を含めた通話を可能にした。
と、このくらいであろう。箇条書きしたので簡単に見えてしまうが、実際のところ、これらの事が我々一般人に情報公開されたのは十五年前の事で、研究に七十年以上の時間を費やしている。
だが実のところ七十年という期間は短い方で、WTSOの存在が無ければこれが千年以上に延長されるのだという。何ともWTSO様々といったところだ。
兎も角そういう経緯があって、共和歴九十八年の現在では、転生という終生活動、あるいはリンカーネイション・ライフプランニングは一般化したわけである。これまでの説明のように、ここでいう転生とは、《次元線》を人為的に調整する事によって《死んだ人間の精神》を特定の異世界のどこかへと転移させる事である。
終生活動、つまり終活という通り、転生を行う層は六十代から八十代の高齢者が一般的だ。
今の時代平均寿命は百を超えてる訳だけど、脳が老化でやられてしまう前に転生を望む人が多いのは当然の理だろう。良い事かどうかは分からないけれど、この事で先進国特有の高齢化社会は解消されていった。
だが、奇妙な事に、転生を希望する人間の十数%は、二十代から三十代の若者世代だった。
つまり二十代から三十代になったところで、文字通りこの世界を見捨てて、別の世界で心機一転やり直す、という若者が近年多いのだという。
転生という選択はどうにもその人の人生――というよりは来世だが――を大きく左右する行為だと思うのだが、正直理解できなくもない。ここ二、三十年の、人口減少や経済・文明衰退とか、地球に近付いている巨大隕石群――《カタストロフィ・ボーイ》だとかの事を考えれば、若者が将来に絶望して転生するのも無理は無いのかもしれない。
さて、これまでこの時代において広まっている、転生という行為について説明してきたわけだけれど、結局のところ転生と僕の人生とはまったくの無縁である。
僕――つまり、藤井ユウマという男は、二十八歳で、《新湘新ライン》に毎日揺られるしがない公務員だ。
仕事場は東京都区の《関東特都庁》。
《神奈川県区》の北部に聳える閑静な住宅街から、電車に乗って三十分経つと電車は多摩川を越えて《東京都区》へと入る。そうすると車窓に映る景色はがらりと変わって、高層ビルディングや《環境塔》等が建ち並んでいる様子が見えてくる。
ビルディングは大抵が直方体でその全面には反射率の高いガラスを身に纏っている。しかし今日はあいにくの曇天で、どのビルも灰色の胡麻豆腐のような姿をしていた。
その隙間を縫うように、あるいはビルの屋上等に、円柱の頭蓋に四本の細い足を生やしたような鈍色の機械があちらこちらに生えている。頭蓋をゆっくり回転させているあれは《環境塔》と呼ばれ、空気中の二酸化炭素やノックス等の有害ガスを吸着させる機能を持つ機械であった。十年前に、『《東京都区》の建築物に標準的な《環境塔》を設置せよ』という条例が作られたから、大抵のビルディングにそれは乗っかっていた。
一時間半の通勤時間を費やして、電車は《新東京駅》へと着く。そこから徒歩十五分程先に《関東特都庁》はあった。
《新東京》でも一際大きく聳え立つ巨大な建物で、現代美術の集大成ともいえるような不可思議な形状をしている。それはいわば巨大な直方体が不規則に融合し、そこから幾多もの小さな正方形が、苔のように生え揃ったような姿をしていた。それは、これまで二年通勤している僕でさえ見飽きる事は無いデザインをしていた。とはいえ見飽きないという事は決して良い意味ではない――往々にして良いデザインというのは何回も見れば食傷する。
僕の部署は事務的に記すならば《関東特都庁》総合管理課といったところで、それは《特都庁》の一階にあった。例の如く僕の職場も三十年前から顕著化してきた人口減少による縮小化・機械化・自動化の波を受けている。
僕達の仕事は国民の(国という表現すら今では適切ではない可能性もある)、戸籍情報だとか住民票だとか、その他諸々のデータを管理し、本庁まで来た人の役所的手続きを処理するのが主だ。
しかしその実態として、国民らの超膨大データは、何重ものセキュリティに守られたNabla社製の人工知能管理システム《オーロラ》によってほぼ自動的に管理してくれるし、実際の人間を対応するのはELLEN社製の精鋭アンドロイド達に他ならない。
三種に分かれた彼等は、それぞれの役目をしっかりと果たす事で、抜けの無いほぼ完璧な仕事をしてくれる。その商品名はそれぞれ、《エマ》、《セバスチャン》、《マスター》であった。基本的に、僕達はこういったアンディ達を管理する仕事をしている。
簡単に説明すると、300体程いる《エマ》は実際に人間と対峙したりして、実務を行うアンドロイドだ。それを監視・管理しているのが中級である《セバスチャン》で、それをさらに管理しているのが数体の《マスター》である。
《マスター》は高級な人工知能を持っていて、《エマ》や《セバスチャン》が対応しきれていない問題を適格に状況分析し、分かりやすくまとめる。だが《マスター》には問題を処理する権限を与えられていない(頭が良すぎるからだ)。
《マスター》が問題提起した仕事を処理するのが、局員――つまり僕達である。
僕達は彼が報告する事務手続きの処理状況を、モニタを見ながらふむふむ良し良しと確認し、時折彼が発見した問題に対してやれやれだとかようやくだとか言いながら適切な処理を下す。
幸か不幸かこのアンディ達はとても優秀だった。《マスター》が目を付ける程の問題が一日の内に発生しないのはざらだし、下手すれば一週間もの間何も起きない事がある。
無論、何も起きない事に越した事は無いのだが、僕達人間は、退屈という病に対する免疫を持ち合わせていなかった。
そういうわけで僕達の仕事を要約すれば、『たまにしか失敗しないアンドロイド達を管理する、稀にしか失敗しないアンドロイド達を管理する、ごく稀にしか失敗しないアンドロイドの起こす失敗を、処理する仕事』である(やれやれ)。
《関東特都庁》の一階にある総合管理課の、自分の席に僕は座り込んのだが、今日この日も特に何事も無く時間が過ぎて行った。朝の、アンドロイド達の簡易システムスキャンが終わった後はずっと暇だ。
今日は午前の当番だったから
今日も一日、何もない平和な日だった、と僕は皮肉を独りごちた。
これが、藤井ユウマという男の実につまらない一日であった。
だがこれでも僕は、一応人並みに幸福な生活を送っているという自覚がある。僕が何とか二年間もの間、メンタルテストに引っかからず転属する事も無かった唯一の要因が、同棲している恋人の存在であった。
退社して片道一時間半の通勤路を過ごした後、《ニューホヅカ駅》で降りると僕は駅前のロータリに出た。既に日は沈んでいて、秋が過ぎ去ろうとしているのか少し肌寒さを感じる。薄ぼんやりとイルミネーションが並び、等間隔で木々が植えられている街路を僕は足早に進んだ。
朝と同じように十五分もすれば、《関東特都庁》の半分くらいの身長くらいの、中程度のタワーマンションへと辿り着いた。中に入ってエレベータに乗り、八階まで上がる。
A0807号室まで行き、果たして僕は帰宅した。
――表札の『藤井』と『唐津』の文字。ひやりとした指紋型ドアロックとドアノブ、足元にある彼女のヒールパンプスと揃いで買ったランニングシューズの三足、玄関前に敷かれた犬と猫のドアマット、下駄箱の上に敷かれたホワイトのレースとその上のホワイトボードとメモ、クラシックな茶色の木目のフローリング、真っ白な壁に暖かなオレンジのLESライト、少し向こうにあるトイレやバス等の扉にちらりと見えるリビング、家政婦アンドロイドの《ストロベリー》がキュルキュルと動く音、僕の帰りを聞きつけやってくる彼女の足音――
――ようやく見慣れた我が家だった。
五十年前に建てられた年季の入ったマンションだが、3LDKのロフト付きでやや広めであるここに住む事は、世間一般からすれば十分良い暮らしであるように思えた。加えて中古品だが良い働きをするアンドロイドを一台持ち、一人の女性と生活を共にし、ある程度の幸福を感じる事が出来ているのだ。
一体これ以上何を望もうというのだろうか?
ドアを閉め靴を脱いでいるところに、同棲している恋人の唐津ユァブがやって来た。仕事用のジーンズにカーディガンを身に着けたままで、今帰ってきたばかりだという事が伺える。
当然の事ではあるが、住み始めの頃なら兎も角、二年も共同生活をしていれば同居人の帰宅にわざわざ出迎えるなんて事はやめてしまう。だから僕はユァブが珍しくも僕のところへやってきたのに少し驚いた。しかし、
「おかえりなさい」
彼女の言葉と屈託の無い笑顔を見てその疑念もすぐに失せた。
「ただいま。何、どうしたの? 何かあったの?」
「ふふ」
「何だい、何か嬉しい事でもあったのかい?」
恋人が幸せそうにしているだけで、人というのは幸福な気持ちになれるものだ――僕も顔を綻ばせながら靴を脱いで家へと上がってリビングへと向かう。彼女も僕の後をついてきながら、
「ううん、何でもない。ただお願い事が一つあって」
「なんだよ、何か欲しいものでもあるのかい?」
その時、ユァブが私の背中に抱きついてきた。こんな事は滅多に無いので僕は少しどきりとしてしまう。
「え、えぇ? どうしたの。そんなに高い物なの?」
「ううん、高くはないんだけど、ちょっと大変なの」
思い切りの甘え声で彼女は言ってくる。
この時僕は退屈な仕事の事も、長い通勤時間の事もすっかり忘れ、これが幸福なのだと実に思った。
あの頭が狂いそうになるようなつまらない仕事をしているのは、僕が愛する彼女が僕を愛してくれる為なのだ。
この生活の為なら八時間仕事をするのも厭わないし、逆もまた然りで、この幸福の対価として僕はあの仕事をするのだ。
だから僕も思い切りのにやけ顔をしながら、たじたじとこんな事を言った
「しょ、しょうがないなぁ。給料入ったばかりだし、何でもしてあげるよ。ユァブには色々迷惑かけたし――」
「一緒に死んでほしいの」
ユァブは私の耳元でそう囁いた。
世界が凍った。
身体が金属になったような、そんな気がした。
「もう仕事辞めちゃったの。こんな世界なんか捨てて一緒に異世界転生しよう? ねえ、いいでしょ?」
思い切りの甘え声で、ユァブは言ったのだ。
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