十六.導き

 南の島の朝は早い。

 トルムホイグでは思いもつかなかった時間に起きても、もう空は白んでいるし、風も暖かい。

 ランニングの途中で外輪山の尾根に登ったルゥリアは、一定間隔で並ぶ自動監視機からの電子音声に迎えられた。

「識別カードを提示してください」

「え? あ、はい」

 少し慌てて、シャツの下から首に掛けたカードを取り出す。

「本人確認しました。自動カメラが撮影中です。日常的な行動でも、システムが不審と判断した場合、警備ドローン並びに警備隊員が出動する場合があるので、ご注意ください。お二方とも、傾注ありがとうございました」


 ……お二方?


 ルゥリアが辺りを見回すと、

「お仕事ご苦労様」

 ホベルドが後から、カードを監視機にかざしつつ登ってくるところだった。

「殿下!」

「一人で遠出は、ちょっと不用心だな」

 と苦笑い。

「すみません。でも今日はこちらまで来たかったのです」

 謝って、尾根の外に広がる水平線に視線を向ける。それは北北東の方角だった。

「ノヴォルジの方だね」

「グレニアの方でもありますね」

「そうだね。そして今日は……」

「はい。覚えていて下さったのですね」

「うん」

 二人は、右手の方から差し始めた朝日を浴びつつ、目を閉じた。



 それから二時間後の格納庫内。アルビーが折り畳み椅子の上で顔をしかめた。

「なんか、息苦しくない?」

「空気がピリピリしているのは、実戦演習の日だからな。当然だろう」

 ルギウスがプリモディウスの方を見ながら答える。


 ゼーヴェが去ってから後、ルゥリア=プリモディウスは新型機械ゴーレムと対戦して圧勝していた。

 そして今日が、次の対戦日だった。

 相手は、アバンティーノのリグレス重工・機械騎研究所が開発したという新型機械ゴーレム『ルークリッジ』。設計者は東方タイファ帝国出身のリーチェ・クシェン博士とされるが、搭乗者は非公開だった。


「そういう事じゃなくてさ」

「まあ、今日は、ね」

 ホベルドがうなずく。

「なんだ? 演習の他に何かあるのか」

 怪訝そうなルギウスに、アルビーは溜息をつく。

「あんたのそういう所、少し分けてもらいたいね。気楽に生きられそう」

「何だと?」

「ルギウス君、ルギウス君」

 ティーリー・ゼンタレス二世が手招きをするように手を振りながら、自分が歩み寄る。富裕階級である故か、彼は上級貴族であるルギウスにも気後れせず接している数少ないノヴェスターナ人だ。その彼に耳打ちされると、ルギウスも気まずい表情を浮かべ、タラップの上のルゥリアに目を向けた。

「そういう、事か」

「うーん」

 アルビーは小首を傾げ、

「そういう事……なのかな」

 とつぶやいた。



 演習時間の5分前。

 ルゥリアとプリモディウスは格納庫から出て、演習場中心に向かった。だがその道の半ばで、ホイデンス所長の声が無線から飛び込んできた。

『ルゥリア、格納庫に戻れ。そして仮管制室まで来い』

「え? なぜですか?」

『来たら説明する。急げ』

「は、はい」

 後ろ髪を引かれながら引き返す。

 演習に向けて集中していた気持ちと闘志が断ち切られ、正直不満だった。だが、このような指示が出る事が異例だっただけに、何が起きたのか早く知りたい気持ちの方が上回った。


 格納庫に戻ると、整備士達が血相を変え、手持ち自動砲などを引き出している。今日の演習では使う予定がなかったはずの物ばかりだ。タラップで技師長が手を掴んで引き出してくれたが、彼も詳しいことは知らないという。

 下に降りて階段に向かう途中、他の被験者達の横を駆け抜けたが、彼らも困惑していた。


 階段を駆け上り、仮管制室に飛び込む彼女を出迎えたのは、

「走るな、階段を」

 というホイデンスの一睨みだった。

(急げと言ったではないですか)

 反論を飲み込み、

「すみません」

 と不承不承謝ると、ナイードが横から、

「走ると危ないからね。心配なんですよ。だからあんまり恨めしそうな顔しないであげて」

 助け舟を出し、ルゥリアは思わず自分の顔を両手でほぐす。ホイデンスが顔をしかめ、

「とりあえず座れ。少し聞いていろ」

「はい」

 ルゥリアはおとなしく空いていた椅子に腰を下ろす。

 モニタには、カルデラ中央に立つ、灰色の装甲を身にまとった大型機械騎が映し出されている。それも、複数のアングルから同時に撮影しているらしき映像が。

『第九ブロック、こちら第三ブロック』

 相手からの通信らしき男性の声が、室内に響く。

「こちら第九ブロック」

 ナイードがマイクを握る。

『そちらの機体がまだ来ていないようだが?』

「失礼しました。今一旦格納庫に戻り、実戦用兵器の準備中です」

『は?』

 いったん言葉が切れる。

『どういう意味ですか? そんな予定は有りませんが』

「すみませんね。でも前にお知らせしてるのをご覧の筈ですよ?」

『は?』

「遭遇すれば必ず討つと。御覧になった筈ですよ、騎士連盟の動画は」

 ナイードの横顔が、獰猛な笑みを浮かべた。

「そうでしょう、革命騎士グーフェルギの御一行様?」


 ルゥリアに戦慄が走った。

 今聞いたことが信じられず、ホイデンスやケリエステラの顔を盗み見る。どちらも厳しい表情のままでモニタを見つめている。


『これはまた、失礼な言い掛かりですね』

 相手の声が強張っているのが分かる。ナイードは軽く息を吐き、

「こちらにはグーフェルギの映像記録がありますのでね。そちらの機体の映像を照合させていただきました。確かに装甲は標準品ですが。覗き見えるフレームについて、97%以上の確率でグーフェルギの機械騎との一致を確認しました」

『絶対に否定します。今回の実戦演習はお断りします。後日損害賠償の提訴を』

「ならここの管理局に通報しますよ」

 ナイードは動じない。

『え?』

「テロリストと疑わしい人物あるいは集団について、通報しない事がむしろマレディオンのテロ対策法違反になりますからね。そちらが捜査に協力されれば、言い掛かりかどうかははっきりするでしょう。顔が公表されておられないリーチェ博士も、こちらが持っているテロリスト集団の映像と照合し、無実であればすぐに解放されるでしょう」

 少し息をついて畳みかける。

「そちらが逃亡を図れば、ここのマレディオン軍警備部隊だけでなく、兵器試験中のマレディオンやノヴェスターナの部隊も出てきますね。

 そうそう。アバンティーノ近隣を警戒しているノヴェスターナ艦隊が、海軍実験部隊の収容の為に近づいているようですよ。通報から一時間もあれば、戦闘機が飛んできますね。もしこちらに乗ってきた貨物船で逃亡を図っても、逃げ切れないでしょう。

 まあその前に、こちらが契約した企業傭兵部隊がそちらの出口は押さえているので、逃げようとしない事をお勧めしますよ」


 沈黙が続く。

 ルゥリアは、全てのピースがパズルにはまるのを感じた。

 母が自分の携帯端末に隠したデータ。ホイデンス所長が引きずり出すと言った言葉。そしていつグーフェルギがこの島に現れるかもしれないとも言った。次々と行われた新型機械騎との実戦演習。全てがここにたどり着く為の地図だったのだ。


『何が、望みだ』

 通信の声が、中年女性らしいものに変わった。

「おや、先ほど言いませんでしたか? ああ、私の話し方が挑発的過ぎて、強請集ゆすりたかりに聞こえたようでしたら申し訳ない。ただ、テロ対策法に基づく通報義務の例外条項は、一つだけですからね。ルーンリリア・バリンタ嬢による仇討ち、受けてもらいますよ」

『……それでもしこちらが勝ったら、やはり通報するのではないか?』

「人質を出す気はありません。賭けてもらうしかありませんね」

 またしばらく沈黙が。

「おや、黙りましたね。この台詞、聞いたことがおありでしょう。貴方の顔も、しっかり写っていますから、照合させていただきますよ、レイディア・クナンティスさん」


 ルゥリアの全身から血が引いた。館で聞いたその名。従士隊を皆殺しにするよう言ったという冷酷な女。それが、今このカルデラの向こう側にいる。

 そして、そうだとすると……。


『ははははは!』

 野太い男性の高笑いが無線から飛び込んできた。

『これは一本取られたな、博士』

『おい』

 通信機の向こうではない。別の通信機から入っている声だ。おそらく、機械騎の操者だろう。

『いいではないか。この戦い、受けて立とうぞ』


 グーフェルギ!


 そうだ。彼らが所属している研究所はアバンティーノにある。

 では、彼らはアバンティーノにいたのか。私が街を歩いてた時、すれ違っていたかも知れないのか。

 お父様を殺した、血に汚れた手で!


 ルゥリアは立ち上がり、ナイードに近づいた。彼は両所長に目配せし、うなずいてマイクを渡してくれた。

「私は……ルーンリリア・バリンタだ。グーフェルギ・ハリバンか?」

『おう。いかにもわしは、グーフェルギ・ハリバンである』

 平然とした声が返ってくる。怒りが全身に満ち、体が震える。

「お……覚えて……いるか。今日は、お前がお父様の命を奪った日だ!」

『そうか、そうであったな』

 忘れていた用事を思い出したような、むしろどこか懐かしそうな返事。ルゥリアは奥歯をギリっと噛み締めた。

「こ、これも、お、お、お父様のお導き。今日、ここで、必ずお前を倒す!」

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