第4章 反逆の時【4】

「……それはできればしたくありません……」


 神坂さんは正座のまま、顔を俯ける。やはり返答は、俺にしたものと同じだった。


「ふうん……何故?」


「な……何故って?」


「何でそこまで理不尽な非難を受けてまで、親子を続けようとするのか、その理由が聞きたいわ」


 表情一つ変えず、天地は神坂さんに疑問を突きつける。


 今日の天地は容赦がない……妙な攻めっけを感じる。

 

 まあ天地としても、決して他人事だけで片付けられるような、そんな一件では無いだろうからな。


「それは……あたしを育ててくれた両親だから……」


「そう……じゃあ何故絶縁したくもないのに、あなたは両親の言いなりで家を出てきたの?育ててくれた親から出て行けと言われたら、何一つ反論できないとでもいうの?」


「それは……」


「それは親子と言わず、主従関係と言うんじゃないかしら?」


「しゅ……主従関係……」


「そうね、言うなれば王様と奴隷の関係かしら?」


「お……おい天地!それはいくらなんでも言い過ぎだろ!」


 さすがに聞いているだけではいられなくなった俺は、前のめりになって神坂さんを擁護する。


 しかし天地は、まるで虫けらを見るような視線を俺に向け、本当に何の感情も無いような素っ気ない声で、俺にこう言った。


「あら、いたの岡崎君」


「いるわっ!最初からずっと、ここで正座待機してたわっ!」


 最早、そこにいるという存在ごと否定してきやがった。


 こんなのだったら、まだ罵詈雑言を吐かれた方がマシだった。


「天地、お前の言いたいことは確かに分かるけど、でも神坂さんの気持ちも少しは汲んであげろよ」


「気持ち?じゃあ岡崎君は、神坂さんの気持ちが理解できるというの?」


「えっ?そりゃ……そのう……」


「わたしには到底理解し難いから、今すぐ代弁を求めるわ。はい、いーち、にー」


「えっと……あのだな……」


「さん……はい、ゲームオーバー」


「たった三秒!?もうちょっと時間をくれてもいいだろ!」


「三秒ルールだから」


「それは違うもののルールだ!」


 落とした物を拾って食べる時なんかに適用されるルール。


 効果があるかどうかは知らん。


「ピーチクパーチクうるさいわね……まあいいわ、早く説明してみなさいよ」


 ピーチクパーチクって……俺は小鳥じゃないんだぞ。


「確かに天地、お前の言い分も俺には分かる。神坂さんの今の状態は、まさに言いなりになってるだけだと。でも……今まで育ててくれたという恩義を、神坂さんは感じている。だからこそ、そんな歯向かうような真似は出来ないって……」


「歯向かう……恩義ねぇ。そう、じゃあこうしたら、分からず屋のあなた達にも理解してもらえるかしらね?」


 そう言うと天地は、その場に立ち上がり、神坂さんに向かって右足を出してきた。


「あの……天地さんこれは?」


「わたしの足を舐めなさい」


「へっ……!?」


「はっ!!?」


 天地のにわかな、支離滅裂な行動に、俺も神坂さんも度肝を抜かれた。


 コイツ一体何考えてやがるんだ!


「おい天地!お前!!」


「部外者は黙ってなさい」


「部外者って……っ!」

 

「神坂さん……出来ないの?」


 その目はまるで、心底人を蔑むような、天の住人が地の罪人達を見下げるような、そんな冷酷無比な視線だった。


 人間相手に、こんな冷たい目を向けられる人間がいるなんて……悪魔じみてやがる……。


 さすがの俺も、空気の読めない俺でも、これ以上天地を引き止めることは無理だと察した、空気を感じた。


 人をかどわかす時の、悪魔のようなあの目を見て。


「…………」


 神坂さんは縮こまっていた。それも当たり前だ、こんな無理難題を押し付けられては、誰だってそうなるだろうさ。


 天地のやつ、まさかコイツが何も考えずに、こんな暴挙に出るとは思えないが。


 一体……何を考えてやがる!


「わたしは今日、本来なら岡崎君と一緒に、いえ、彼氏と一緒に合宿をする予定だったのよ?それをあなたがやって来て、あろうことか匿うという、わたしには何のメリットも無い、いえ、むしろデメリットでしかない損な役割を担ってやろうとしているのよ?勿論これも、わたしに恩義があるってことになるわよね?」


「……!そ……それは!」


「恩義があるから逆らえない、逆らえないのなら今すぐ、わたしの指図さしず通り、わたしのこの右足を舐めなさい。綺麗サッパリ、垢が取れるくらいに舐め回しなさい」


「…………」


 この一言で、天地の言いたいことは俺にも、そしておそらく、神坂さんにも理解出来たであろう。


 俺達の言い分を、逆手にとった行動。


 それはつまり、ここで神坂さんが天地の足を舐めない限り、俺達の言い分は通らないという、徹底的かつ、決定的な証明を示せと天地は強いていたのだ。


 これでは逃げ口上どころか、申し開きも出来ない。


「……そう、出来ないの。それはそうよね、わたしの足を舐めたとなれば、それは屈辱。自らに実害を与えるものね」


 相変わらず、天地の容赦ない責めは続く。


 情けなど掛けるつもりは無いのだろう……いやもしかしたら、ここで情けを掛けるようでは、神坂さんの心の底に根付いているこの考えを変えることなど、不可能であると、そう踏んでいるのだろう。

  

 本当に救いたいから、心を鬼にしている。


 俺がいかに生温いやつか……思い知らされてしまうほどに。


「でも、今あなたが両親から受けていることも、自らに実害を与えるもの……そこに何の違いがあるのかしら?」


「それは……」


「わたしの足を舐めることは拒否出来るのに、両親から追い出されることは拒否出来ない……つまりあなたは、恩義を感じているから拒否出来ないんじゃない。拒否することを恐れているのよ」


「恐れてる……あたしが……ですか?」


「そうあなたが。あなたは多分、育て親からの言いつけを拒否することで、全ての関係が崩れてしまうと恐れている。だから自分が妥協することによって、我慢することによって、全てが丸く収まるだなんて甘い考えを持ってきた」


 でも、と天地は神坂さんの方に差し出していた右足を下げ、続ける。


「そうであっても……いえ、それが故にこんな状況、絶縁寸前の状況まで追い込まれてしまった。トカゲの尻尾きりにあってしまった。何故なら相手も、あなたが自分たちの言いなりになることを知っているから」


「…………」


 神坂さんは何の反論もしない。


 多分知っていたのだ、彼女も両親にいいように扱われていることを。


 でも、それに反旗を翻すことが出来なかった。


 自分が我慢をすれば、この場は円満に解決する。自分が鵜呑みにすれば、両親は納得してくれる。


 そう、思い込んでいたのだ。

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