第4章 反逆の時【3】

「さて、では匿う側として、あなた自身から詳しいことを説明してもらうわ」


 小さな卓袱台を挟んで、天地と神坂さんが対面している。第三者である俺はと言うと、神坂さんの背後、ちょっと離れた位置からそのやり取りを見守っていた。


 天地は相変わらずの澄ました表情を、神坂さんは自らの身に危機が迫ってるかのような、暗雲立ち込める表情をしている。


 悪魔と天使の対面だ。


「えっとその……なにから説明したらいいですかね?」


「そうね……まあ大抵のことは岡崎君がペラペラと喋ってくれたから、その週刊誌記者について教えてもらおうかしら」


 人の必死の交渉をペラペラって……表現として軽すぎるだろ。


 と、今の状況で突っ込んだりなんかしたら、その何倍もの罵詈雑言の洗礼を浴びそうな気がするので、ここでは控えておこう。


「ああ、鷺崎さぎざきさんのことですね……と言っても、あたし自身一方的に話しかけられるだけなので、詳しいって言えるほど知らないんですが……」


「鷺崎……その記者の名前、もしかして反流はるっていうヘンテコな名前じゃないの?」


「えっ!?そ……そうですけど、何で天地さんが知ってるんですか?」


「……昔、ちょっとだけ関わったことがあるのよ。そうね、分類するならもう二度と顔も見たくない、思い出したくも無い部類に入る男……いえ、人間ね」


 天地は目を細める。そこから感じられるのは、嫌悪感。


 そういえば天地の家の前で鷺崎と会った時、あいつが言っていたな、天地とは知り合いと言えないほどの、希薄な仲だと。


 一体この二人に何があったのか……おそらくそれは、どちらに訊いても語らないような、そんなさっさと忘却の彼方へと追いやりたいような、そんなものなのだろう。

 

 俺のような第三者が知る術など、おそらくは無い。語られることの無い、記憶だ。


「でも……その男が嗅ぎ回っているとなると、厄介この上ないわね。まあ実際、神坂さんがこんな状態に陥ってしまうほど、あなたのお父さんは決定的な何かをアイツから突きつけられたでしょうから」


「……あたしのせいなんですよね。あたしがどんくさいから……上手いようにあの記者さんに利用されてしまったんですよね……」


「……そうね、あなたは少し疎すぎるわ。人間の醜い部分に気づくのに」


「人間の……醜い部分ですか?」


「ええ、そうよ。あなた、人の言うことをとりあえず飲み込もうとするでしょ?それに、嘘や欺きという毒が含まれていたとしても」


「…………」


 神坂さんは目をそらす。


 天地の言ってることは、俺にも思い当たるものだった。彼女は、まず疑わない、人を疑うというその発想が無い。


 その人の言うことは正しい、もしそれが違ったとしたら、それは自分がどこか間違っているのかもしれない。これが、神坂さんの考えのスタンスなのだと思う。


 しかし、それはあまりにも人として危険。身を滅ぼしかねないような、そんな発想なのだ。


 人間、馬鹿正直なやつなどこの世にはいない。一度でも嘘を吐いたことが無いというやつがいたら、大法螺おおぼらもいいところだ。


 嘘を紡いで、人は自分に理を引き寄せている。言わば嘘は、理を獲得するための剣である。


 そしてそれに唯一対抗できるのが疑心という、嘘という剣から自らを守ることのできる、たった一つの防具、盾なのだ。

 

 そう例えるなら、神坂さんは盾や防具を持たず、裸単騎で戦場を歩いているのと同じ。


 背後から、横から、もしくは前方から斬りかかられれば即死。そんな危うい状態なのだ。


「でも……いくらあたしでもその……気づきましたよ、あの記者さんがあたしを狙っているって……」


 そういえば昨日、神坂さんは鷺崎から逃げ出した。


 つまりそれは、鷺崎が自分を嵌めていると知っていた、認知していたからとれた行動だったのだ。


「ほう……いつくらいに気づいたのかしら?」


「いつ……あの記者さんに最初に会ってから、二週間くらいしてからだったと思います」


「そう、じゃあ遅いわね」


「お……遅い」


「ええ、二週間もあればあの男なら、あなたから情報を毛一本ほども残さずに毟り取ることができる。いや、神坂さんくらい無防備な人だと、一週間でも可能ね」


「い……一週間!?」


「その後はまあ、適当に転がしておいたってとこかしら?それともまだ、情報は一切取れてないというテイを見せつけて、あなたを欺いていたという可能性もあるわね」


「そ……そんな……」


「そういう男よあれは。根っからの嘘吐き。人を欺くために生まれてきたような、そんな存在。それが鷺崎という男の根底よ」


 天地はそう言い切った。


 まるで鷺崎のことなら、何でも知っているかのように、アイツのパターンは、全て見抜いているかのように。


「おそらくこの分だと、今回あなたの義理の父親に接触したのは、揺するため。金かもしくは、更に重要な情報を引き出すための切り札に使ったかのどちらかね」


「お金……ですか」


「いや、この場合だと後者かしらね?地方の知事クラスの人間を揺すったところで、大した金額は出てこない。やるならもっと上の人間を、あいつは付け狙うはずよ」


「ど……どうしてそんな事が……」


「……分かるものは、分かってしまう。でも、それ以上は言えない。言いたくないの」


 頑なに口を閉ざす天地。


 そんな天地を見て、神坂さんはオドオドし、俺はそんな二人の姿を黙って見ていることしかできない。完全に傍観者の立ち位置だ。


 しかし、ここで何か俺が口を挟もうものなら、天地が許さないだろう。徹底的に咎められかねない。


 これは男子禁制のガールズトーク。


 俺に発言権など、この場には皆無であった。


「けれど、あなたの義理の父親も、あなたを咎めるなんてお門違いも甚だしいわね。そんな父親とは、すっぱり縁を切った方が身のためよ」


 なんの躊躇も無く、天地は神坂さんに吹っかける。


 しかしそれは、いつも俺に吐くような悪態ではなく、本音から出た言葉だろう。


 間違ってもあいつが、縁を切るなんて言葉を冗談で言うはずが無いからな。

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