第3話 ロシアンボトル【4】

「じゃあ岡崎君、早良さんは先に選んじゃったから、次はあなたが選んでいいわよ」


「えっ?いいのか?」


「ええ、だってわたしが主催者なんだから、岡崎君が先に選ばないと、後から『イカサマ』疑惑が浮上する可能性があるでしょ?わたしが『イカサマ』をしていないっていう証明の為に、先に選びなさい」


 どうやら天地は、先程早良に言われた「イカサマと同等」という言葉を根に持っているらしい。イカサマという言葉だけを強調し、誇張するように言う。


 結構というか、かなり繊細な部分を気にする奴なんだな……今後の為に、反面教師とさせていただくぞ早良。


「それじゃあそうだな……って選んでもどうせ中身は分からないし、こっちでいいか」


 俺はそう言って、俺から向かって右側の水筒を選んだ。

 

 どちらにしろ、外見は同じ種類の黒い水筒でしかない。悩んで水筒を見つめていたところで、俺に中身を透視する能力など備わるわけも無いしな。


「ふうん……岡崎君ってこういう時、あんまり悩んだりしないのね」


「まあな、こんな分かんない事悩んだって時間の無駄だしな」


「その割には女の子の事ではじっくり悩んでたわよねぇ?」


 早良が俺を覗き見るようにして、茶々を入れてくる。余計でいらない、大きなお世話だ。


「へえ、その女の子はきっと、さぞかし幸せなんでしょうね」


 白を切る、天地。


「そうねぇ~、いつも仲良さそうで、見てるわたしが妬いちゃいそうなほど幸せそうよ?」


 とぼけてみせる、早良。


 なんだろうか……この空間だけ、色んな意味で歪んでいるような気がする。色んな意味で、俺が居るのは場違いな気がする……。


 女って怖い。


「それじゃあそうね……まず飲む前にニオイを嗅ぐのは禁止で。蒸気で辛いのが分かっちゃうから」


「ちょっと待て……蒸気に混じるほど辛いのかそれ」


「そうよ、だから署名してもらったんじゃない」


 あれは脅しじゃなくて、本気の署名だったのか。


 だったらなにか?もし三分の二の確率だったら、俺はコイツに、意図的に抹殺されていたという事になるのか?


「岡崎君、わたしはあなたの命をいつでも狙ってるから、十分注意する事ね」


「…………」


 朝っぱらから、清々しい程の脅迫だった。


 コイツ……俺の事が好きなんじゃなかったっけ?あれ……そもそも好きって何なんだ?好きという言葉の意味の、ゲシュタルト崩壊が俺の中で進みつつあった。


「ふふっ、そう言ったって激辛『スープ』なんでしょ?そんなビビり過ぎよ岡崎君は!」


「……早良、お前は知らないだろうけど、俺は一度、あの辛さを知ってるからビビってるんだよ」


「あっ、そうなんだ」


 そう、俺は一度、天地がアメリカから持ち帰ったホットソースのその破壊力を直に味わっていた。お土産だと言われ渡された、ブラウニーの中にそれは盛られていたのだ。


 だから頭は憶えておらずとも、体がそれを覚えており、さっきから手が強張って仕方ない。


 これが条件反射というやつか……しかしたった一回で、ここまでの恐怖を刷り込ませるとは……もしはずれのスープにあのホットソースの半分が入ってたら、本当に人ひとり死にかねないぞ。


「だけどわたし、辛いのは得意な方だから、多少辛い程度じゃ耐えられるわよっ!」


 俺のこの悲惨で情けない姿を見ながらも、それでも早良はウキウキワクワク、ゲームを楽しんでいる。


 真正の馬鹿か、それとも怖いもの知らずか……無知っていうのは、これ程までに人を強くさせるのかと、しみじみと俺は思った。


「それじゃあ、いっせーので飲むわよ」


 三人で一斉に水筒の蓋を開ける。嗅ごうと思えばニオイも嗅げそうだが、そんな事をしたら天地の鉄拳制裁を受けそうなので、絶対やめておこう。


「いっせーの!」


 天地の掛け声で、一斉に水筒に口を着け、中身の液体を口に含む。


 あのホットソースは遅効性であり、口に入れたその瞬間では、本当の辛さを味わう事は出来ない。喉を通るくらいで、ようやくじわりじわりと感じ、食道に来る頃に、その時限爆弾が爆発する。


 ちなみにこれは俺の経験談であり、感じ方は人によって異なるのだろうが、まあ大体はこんな感じだろう。


 俺は固唾を呑むが如く、口に入って来たスープを飲み込む。おそらくこの辺りから、もし俺が激辛スープを選んでいた場合は辛味が湧き上がって来るはずだ。


 来るはず……だが?


「あれ……?」


 全く辛くない、いや、むしろ美味い。


 天地の料理が絶品なのは、なにしろ毎週月曜日に天地の手作り弁当を食べている俺からすると、既知の事実であるのだが。


 いやしかし、そうじゃない。この場合、そういう事を言いたいのじゃなく、俺がこうして美味いスープに有り付けているという事は、俺以外の天地か早良、どちらかがはずれを引いちまったという事になる。


 しかし、何故かあの二人の中では我慢大会が始まっているようで、どちらとも無表情のまま何も言わないし、何も表情に表さない。


 なに意地の張り合いをしてるんだコイツらは……我慢したってロクな事が無いぞ。


 もう既に、はずれの激辛スープを引いた方は口から火が出るほどの辛味に、口を占領されているだろうからな。今にも水が欲しいと、呻きだすだろう。


 間もなくして、一分程経過。両者睨みあったまま、動かない。


 まるで動物が縄張り争いをする際に、睨みあって威嚇するような、そんな光景にも見えてくる。


 もし例えるなら、天地が猫で、早良は犬か?縄張りを守るボス犬と、その縄張りを踏み荒らすイタズラ猫との争い……なんだかそれっぽくて、我ながら良い例えだと思った。


 しかしまあ、この場合の一分とは長いもので、ついにというか、やっとその抗争にも決着が着く時がやって来た。

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