暗殺症候群(アンサツシンドローム)

ジョーウ

第1話

 とある住宅街の、寒気を漂わせる薄暗い路地裏。そこで、息を荒らげながら疾走する1人の黒づくめの男がいた。

 何かに怯えながら、何かに恐れながら、ただただ必死で路地裏を駆け巡っていた。やがて、その道も終わりに近づき、


 「・・・・・・ッ!!マジかよ!! ざっっけんなよ!!」


 四方八方に立つ住宅。そこには隙間も無く、右方向に塀はあるが、高すぎて全力で跳ねたり、背伸びをしたりしても、その努力は報われず、


 「・・・・・・・・詰んだな」


 その男の背後からゆっくりと迫ってくる、黒のパーカーにジーンズという素朴な格好をした1人の高校生が不敵な笑みを浮かべながらそう言う。


 「ま、待て!! は、話をすれば分かるから!!な?! だから、そいつをまずは仕舞ってくれ!!」


 覚束無い口調でそう言いながら、その高校生の左手に持っている鋭利な包丁を指差す。


 「話をって、お前、もうまともに喋ることも出来る状態じゃねぇだろ? 」


 男はさっきから塀に寄り掛かって姿勢を低くし、おどおどしながらその高校生を見上げている。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。

 しかし、男はただビビってその高校生を見据えている訳ではない。


 「まあ、こんな事話してても時間の無駄だわ」


 高校生は再びゆっくりと悠長に歩き出し、男に迫る男は、高校生が1歩迫るごとに喉が渇き、掠れている事も忘れてただただ奇声を発する。高校生を背に、無意味に塀を叩く。

 しかし、男がどれだけ渾身の力を込めて叩いても、塀が、その力が無意味であることを証明している。

 残り1メートルの距離で高校生が男に向かって包丁を振り翳した瞬間、


 「ッッォら!!」


 男は足元に隠していた空き瓶を掴み高校生に向かって思い切り殴り掛かった。

 だが、高校生はその男の思惑が分かっていたかのように、空き瓶を男の目の前で包丁で一思いに割った。

 割れた空き瓶の破片が男の顔に複数刺さり、あっという間に血だらけになった。

 唯一、目に入らなかったのが幸運だったのだろうが、すぐさま高校生は血だらけの男の顔を縦に切り裂いた。


 「ぎゃあああぁァァ!!!??」


 男は路地裏が反響するほどの絶叫を叫び、地面に転がりながら、顔を抑え、悶えている。


 「うるせぇな。耳障りだ」


 高校生はしゃがみ、もう1度包丁を振り翳した。今度は男の首を横から一刺し。肉が裂ける鈍い音と共に、周りに鮮血が飛び散った。

 その血は高校生のジーンズを真っ赤に染めた。やがて、男は息絶えたらしく、真っ赤に染まった顔を歪めながら横たわった。

 高校生はその男の横顔を一目見たら立ち上がり、


 「この血、拭くのめんどくせぇな。ま、いいか」


 そんなことを口にしながら、その場から颯爽と立ち去った。










 その高校生、河田修也は人間不信だった。


 とある満点の曇り空の日、中学生の修也はいつもと何ら変わりのない学校帰りの通学路を友達と喋りながら歩いていた。好きな漫画や、ゲームの話などをして、いつもの様に盛り上がっていた。


 楽しく、


  笑顔で、


 いつもの日々を過ごしていた、筈だった。


 その時が修也の最後の笑顔だった。


 住宅街の十字路で友達と別れた修也は落ち着いた足取りで、家へと向かった。友達と話せないのは寂しくもあるが。すぐそこなので、家に帰ればゲームでもして、気を紛らわせられる。明日は何をしようか。明日は体育の体力測定があったな。俺の握力を皆に見せびらかして驚かしてやろうかな。

 そんな阿呆なを考えている内に家に着いた。門を開け、カバンから鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、捻る。

ガチャ、という音とともに修也は何やら不穏な空気を感じた。妙に物静かだ。

 玄関に入ると右手には靴箱、前にはリビングと、階段に続く廊下がある。


 いつもと同じだ。

 なのに、とても張り詰めた雰囲気が伝わる。

 修也は恐る恐る靴を脱ぎ、リビングへ歩を進める。暑いわけではないのに、手や背中が汗で濡れる。リビングの扉の前に着き、手汗でビッショリの手をドアノブへ伸ばす。ひんやりとした感触が手に伝わり、寒気が走る。


 そして、捻る。ドアが開かれるとそこには、


 「・・・・・・・・・・ぁ・・・・」


 ソファに、真っ赤に染まりながらうつ伏せに倒れ伏す母の姿があった。修也は眠るように倒れている母の姿を見ると、驚愕しながら、今見ている現実を拒否するかのように後退していく。


 嘘だ。そうだ。これは夢だ。悪夢だ。明晰夢を見るなんてなんて初めてだなぁ。


 その時は、修也はその現実を受け入れてなかった。それはそうだ。中学生と言えど間近で死体を見ても、信じられる訳が無い。もしかすると、信じたくなかっただけなのかもしれないが。


 修也は目を擦る。前を見るが光景は変わらない。


 もう1度擦る。やはり変わらない。


 再び擦る。次第に目尻に涙が浮かんできた。


 「・・・・・・なんで・・・・・変わらねぇんだよぉ・・・・・」


 いくら目を擦っても変わらない光景。目は充血し、足には力が入らず膝から崩れ落ちていた。


 何故、母は死んでいるのか。


 何故、自分は泣いているのか。

 普通なら最初に驚愕する筈だ。その光景を目にし、何が起こったのか、何が起きているのかを、巡りが緩慢な頭で思考するものだ。なのに何故、あたかも分かっていたかのように哀哭するのか。

 しかし、そんなことは今の修也に考えている余地は無かった。







 東京都にある、私立白峰中高一貫校。広大な校庭が広がっているその端々には、豊かな緑の木々が連なっている。この学校の周りには、住宅やコンビニなどが多く立ち並んでいて、何かと便利なので全校生徒数もそこそこ多い。


 そんな学校の1年C組に属している、ある女子生徒がいた。その生徒はこのクラスの学級委員長、又、この学校の生徒会長でもある存在だ。成績は良く、謙虚で、その美貌からは人の良さを感じさせる。

 彼女に気をひいている男子生徒は少なくない。1週間に1回のペースで毎回校舎裏で告白を受けている。その度に、彼女は嫌われない程度に断っている。その為、彼女を陰で悪く言う生徒は1人もいない。

 又、女子に至ってもそうだ。自分から話しかけることはあまりしないが、聞き上手なので、彼女と話をすると拍車がかかり、とても楽しい雰囲気になる。


 そんな彼女に、皆と毎日を楽しく過ごせる日々に不満など全く無いのだが、ただ一つだけ気になることがある。

 生徒会長、茅野亜希が、今、最も気になること。


 それは、とある一人の同級生のことである。


 学年は合計で五クラスあり、このクラスには合計で三十五人の生徒がいるが、クラスに入り始めてから、毎日席が一つだけ空いているのである。

 朝のHRで出席を取っても必ず不在扱いになる。担任の教師曰く、とある理由があるそうだ。病気では無く、家で安息に暮らしているそうだが、その生徒の幼馴染みである生徒に何故、学校に来ないのかと聞くと、「理由は知らんが、行こうと思えば行けるらしいぞ」とのこと。


 学校に出席出来るのであれば、した方が良いに決まっている。私事だけではなく勉強の方も両立出来ているのか。今はまだ高校生に進級したばかりなので難しいことはしていないが、一ヶ月も二ヶ月も休んでしまって後々自責の念に襲われるかもしれない。そんな勝手な心配からこの案が思い浮かんだ。


 教師も生徒達もいつもの事なので何ら気にしている様子は伺えないのだが、生徒会長たるもの、この学校にそんな生徒がいることを放っておくわけにはいかない。

 今までは、新しいクラスになり始めてからすぐに行 われるテストの勉強や、生徒会の仕事で忙しかったの だが、それらも終わり、今は十分に落ち着いた。


 今日の放課後、その生徒、河田修也の家に行き、事情を聞き出すつもりである。


 亜希はカバンから教材を取り出し、次の授業の準備 をし、そして、ぽつんと虚しげに空いている席を見る。


 「明日こそ絶対に来させてやるんだから!」


 そう思い定めると、校内全域に授業のチャイムが鳴り響いた。














 放課後。


 亜希は、いつもの通学路を早歩きで進んで行く。幸い、修也と亜希の家は近いので明日来させられなかったら、また学校に誘うことが出来る。

 本人のことを思い、あまり無理に来させはしないが、少しでも彼に、学校に行きたいという気持ちがあるのなら全力で勧めにかかる。


 彼の家に行く途中には商店街が並んでいる。今は夕方なので、平日とあっても、人通りは少なくない。とある場所には精肉店。とある場所には喫茶店など、様々な店が構えている。いつも通っている道なので、亜希はそんな店には目もくれず早足で歩を進めていく。

 少し時間が気になり電化製品店に多数置かれているテレビに目を止めた。その時、丁度夕方のニュースの時間で、左上には時間が大きく映されている。


 時間を目にし、あまり急ぐ必要は無いと確認できた為、ゆっくりと歩いて行こうと思った矢先に、とあるニュースの報道が流れてきた。一瞬気にはしたものの、どうでもいいので歩いていこうと思ったが、時間に余裕があることを思い出したので、少し見ていこうと、テレビに目を向ける。画面には女性キャスターがカメラに向かいながら、なにやら現場を報道している。


 「今朝、東京都江戸川区の住宅街で一人の男性が死亡していた事が確認されました。その男性は腹部を刃物で刺されており、死亡現場付近からその様なものは確認されていないので、警察は殺人容疑として調査して・・・・・・・」


 全く。騒がしい社会になったものだ。自分は、犯罪を身近に感じたことはないが、同じ都内だと思うと、やはり、この恐怖心は誤魔化せない。殺人なんてものは、自分には無縁だと思っていても、普段から命を狙われていないと言えば、それは嘘になるかもしれない。

 誰だってストレスを抱え、それに耐えきれなくなった人間が発散するために、禁じられた行為に及んでしまう。怒りや悲しみを覚えるのは誰にだって分かるが、憂さ晴らしの目的で人を殺すなんて、自分にとっては考えられない。そもそも、そんな勇気なんて自分には全く無い。


 しかし、この犯行は少し違うかもしれない。ストレス発散で人を殺すならもっと、猛烈で、嶮しい殺し方をすると思う。形も残らず肉片と鮮血だけが残る現場になるだろう。

 でも、この殺人は腹部を刺されただけと報道している。一体犯人には何があったのだろうか。そんな事が頭を過ぎるが、そこで思考を止めた。あまり考えない方が良いと判断したからだ。


 亜希は少し恐怖心を抱きながら、河田修也の家へと向かった。







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