神は誰であろうか

やまむら

神は死ぬ

「神は死んだ」

有名な哲学者の言葉だ。確かにそうだと、今ならば頷く事が出来る。ただ、少しだけ僕なりに訂正するならば、「神は死ぬ」である。


神とは一体何なのだろうか。人が神に祈り出す時は、生死の境であろう。ならば、この世界の神は僕と言って差し支えなかろう。しかし、神の力は無限ではなく、有限だった。

この世の中に、永遠に存在するモノは何1つない。物事は常に変化し続け、劣化していく。そして、最後には、その存在が消滅する。ただ、そこに至るまでの時間が長いか短いだけの差異しかない。僕はそれらを自らと引き換えにコントロールする事が出来た。


この力を初めて使ったのは、7歳の頃だった。しかし、それは意図的ではなく、事故と言っても間違いは無かった。

当時、僕はゲーム機を持っていなかった。周りの友達は持っていたが、家の事情から僕は買う事ができなかった。

友達の中のリーダー格の男子は、ゲーム機をたくさん持っていた。そんな彼は、ゲーム機の無い僕を見下し、馬鹿にし、仲間外れにしていた。日頃から僕の事が気に食わなかったのだろう。ゲーム1つ、たったそれだけでと思うが、小さな世界にとっては大きな火種となるものであった。



ある日、別の友達を遊びに誘った。だが、リーダー格が横から、ゲームをして遊ぼうぜとしゃしゃり出てきて、半ば無理矢理にその友達を連れて行ってしまった。僕は怒りに震えた。子どもながらに心の底から、死んでしまえと思った程だった。

その時はリーダー格に対しての怒りもあったが、ゲームに釣られた友人への怒りもあったのだろう。だから、あんな結果になったのだ。


次の日の朝、いつものように学校へと行った。いつものなら僕より早く来ているはずのリーダー格や件の友達の机は空いていた。

時間になると、担任の先生が目を腫らして教室へ来た。朝の会が始まり、先生は言葉途切れ途切れに、日程の確認などを行なっていた。生徒たちは先生の異様さを察し、空気が張り詰めていたことを思い出す。

そして連絡事項に差し掛かった時、堰が崩壊した様に先生が泣き出した。リーダー格と件の友達が交通事故で亡くなったという。一緒にリーダー格の家へ向かう途中、信号無視をしたトラックに2人共轢かれたとのことだった。

その話を聞いた僕は、衝撃を受けた。それは悲しみの衝撃ではなく、嬉しさから発された衝撃だった。

周りが泣き出して下を向く中、僕も下を向いていた。仲間外れにした罰が当たったのだと、込み上がる笑いを堪えるためだった。


その数日後に、葬式は行われた。予想外の出来事ということもあり、周囲は右往左往していた。彼らの家を訪ねた際、先生や同級生の親も丁度来ていた。「良い子でしたのに」だの「本当に残念です」と話しているのを耳にした。何が良い子か、何が残念か、あいつらは報いを受けただけだと、僕は心の中で笑っていた。

それから数日の間、僕は悲しんだフリをすることに苦労した。周りが悲しむ中、1人嬉々とする姿を晒す事は、小さいながらに問題があるだろうと察していたのだ。


しかし、運の良いことに他から見ればリーダー格と僕は仲が良さそうだったらしく、リーダー格の親から「忘れないであげてね」という言葉と共に、形見としてゲーム機を貰った。


今思えば、この時期から身体に変化が起きていた。その最初の症状は、視力の回復と向上だった。


僕は視力が低く、小さい頃から眼鏡をかけていた。葬式から数日後の朝、目を覚まし、いつもの様に眼鏡を掛けた。だが、視界がボヤけ、焦点が定まらない。眼鏡が急にダメになったのかと思い、何度もレンズを拭いたり、掛け直したりしたがボヤけは変わらなかった。しかし、途中である事に気が付いた。裸眼で見る風景の輪郭がハッキリとしていたのだ。そこで視力が回復している事に気が付いたのだ。僕と家族は不思議に思いながらも、単なる視力の回復として一件落着となった。

それ以降も似た様な事が度々あった。



2回目は、中学生の頃だった。テスト返却の時間に低い点数を取った僕をある教師がクラス全員の前で罵倒した。思春期だった僕には、本気で殺してやりたいと思う程の屈辱だった。

翌日、案の定その教師は死んだ。夜道を帰宅している途中、精神が錯乱した男に包丁で滅多刺しにされた。

葬式後、気が付けばその教師が担当していた教師の科目にて全国でも有数の成績を出せるようになっていた。



3回目は高校1年生の春頃だった。ベタな展開ではあるが、生意気という理由から上級生に呼び出され、全治1ヶ月の怪我を負った。

はたまた案の定と言うべきか、その上級生は死んだ。僕に暴行を行なった日の夜、街でも特に柄の悪い連中に目をつけられ、死ぬまで殴られ続けられたらしい。

そして、怪我が治るに連れ、僕は触覚がより鋭くなっている事に気が付いた。以前なら何てことはない、ちょっとした刺激でも僕の触覚は痛覚と認識するようになっていた。例えば、軽く物が当たっただけでも、穴が空いたと思うような程の痛みが走るのだ。



4回目は大学1生の夏頃だった。僕は陸上部に所属していた。運動部ということもあり、日々青春の汗を流していた。そんなある日のこと、練習を終えて部室へ向かうと、扉を挟んだ部屋の中から笑い声が聞こえてきた。

内容は至って簡単だった。僕が臭いということだった。僕なりに臭い対策として制汗剤を使用したり、香水を付けたりしていた。しかし、それが逆効果だったようだ。汗と制汗剤、香水の匂いが混ざり、独特の臭いになっているらしかった。あいつには近付かないようにしようぜ、あいつの周りの奴らって本当に可哀想だよな等と、人を蔑視する発言を繰り返した。

恥ずかしさと屈辱に耐え兼ねて、僕はその場を後にした。

案の定、その日の内に彼らは死んだ。夜に海水浴へと行き、溺れ、窒息死だったらしい。

彼らの葬式が終わった後、僕は嗅覚が鋭くなった。例えば、チーズは牛乳の腐った臭いがし、とても食べれる物ではなくなってしまった。



5回目は、社会人になってからだった。気になる異性が居り、その人と夕食を奮発して食べに行った。その時は美味しいと言っていたが、後日心無い共通の知人から、不評だった事を聞いた。底辺の味覚との評価だったらしい。その話は瞬く間に友人間に広がり、僕は笑い者となった。

案の定、後日ではあったが彼女は死んだ。飲食店で行われた無差別殺人だった。死因は青酸カリ入り料理を食べたためだった。

彼女の葬式後、僕は味覚が敏感になった。野菜でさえも、嗅覚と合わさり土の臭いと青臭い味がし、食べられなくなった。




鋭くなった五感を持った僕は今、荒れ狂う波を見下ろしていた。潮の匂いが鼻腔を強く刺激し、頭が割れそうになる。

これまで僕に屈辱を与え、死んでいった者たちを思い出す。今思えば、僕は彼らに安らぎを与えた存在だ。人生の苦しみから救った僕は、彼らの神といって問題はないだろう。

では、僕の神は一体誰になるのか。それは僕自身でしかない。自らの生死を選択できる存在を、神と言わずして何であろうか。



足を前へ押し出そうとする彼らを横目に、僕は薄い笑いを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神は誰であろうか やまむら @yamamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る