恋愛相談②

 さとしは朝が弱かった。いつも遅刻ギリギリの時間に家を出て、のんびりと学校へ向かう。

 だが、昨夜はどうにも寝付けず、朝早くに目が冷めてしまったので通常とは違う一日の始まりとなった。

『いつもと違うことをしたら、必ず何か事件が起きるんだよ』

 そんな明る気な声が過ぎるも、顔を思い出したくなかったのですぐに脳内から言葉を追い出す。

 思えば、あれがきちんと顔を合わせて話した最後だったような。しかし、どうでもいいことだった。

 少し肌寒く、もう一枚着こめばよかったと後悔しながら昇降口へ向かう。

 ――そう言えば、あの相談室はどこの棟だったっけ。

 昨日出会った美少女のクラスがどこなのか気になったが、あの毒舌を思い出してまたも脳内から追い出す。

 苦手な人間とは関わりたくない。最近の慧はそんな考えを抱いていた。


 ***


 教室へ行くと、ドアの前に三人の女子が立っていた。名前は知らないが、別のクラスの女子だということは分かる。

「ちょっと、どいて」

 彼女たちの脇を通り抜けようと、安穏とした声でドアをくぐる。

 すると、いきなり腕を掴まれた。

「は?」

「やっと来たね、飯原!」

 驚いてよく見ると、自分の腕を掴む彼女は昨日、相談室で鉢合わせた派手な女子生徒だった。ファンデーションと香水の匂いが一気に鼻の奥を突き刺す。

「あんた、どういう神経してるわけ?」

 ヒステリックなその声に、慧は思わず顔をしかめる。

「何? 急に。俺に何か用なの?」

「しらばっくれんな! この嘘つき!」

「はぁ?」

 意味が分からない。一体、何がどうなっているのか。

「ちょっと待て。俺はあんたらのこと、なんにも知らねぇんだけど」

「何それ、その態度! あんたが同時に三人に告白しようとしてるってこと、知ってんだからね!」

 もう一人の女子が詰め寄ってきた。黒髪を肩で切り揃えており、こちらは派手さはないもののスカートが異常に短かった。

 あと一人は、定規のように真っ直ぐなストレートヘアを茶髪に染めた女子だった。大人しそうな垂れ目で、慧と他の女子二人を交互に見ている。

 ざわつく教室内を見やり、素早くドアを閉めた。

 これ以上騒がれると厄介だ。

 ともかく三人を宥めようと、慧は頬を引きつらせながら愛想笑いを浮かべた。

「ここじゃなんだし……屋上に行こうよ。四人で、ね、話をしよう」

 そう言うと、ようやく三人の女子生徒は渋々といった様子で頷いた。


 ***


「――まず、名前訊いていい?」

 冷たい風が吹き荒れる屋上に、制服の上からカーディガンを羽織っただけの女子生徒三人が対峙する中、慧は恐る恐る口を開いた。

 途端に、集中豪雨が降りかかってくる。

「ふざけんな! なんで知らないんだよ!」

「いい加減、その小芝居やめなよ」

「それはあんまりだよぉ」

 大人しそうな女子はそう呟くと、嗚咽を漏らして泣き始めた。

「だから! 俺、本当に何も知らないんだって! あんたらがどこのクラスで、誰で、どういう経緯で俺と接点があるのか分からないんだよ」

 泣かれるとさすがに狼狽えてしまう。彼の態度を怪訝に、女子生徒三人は顔を見合わせる。

 そのうちの泣いていた彼女が先に声を発した。

「……私、二年の吉原よしはら彩音あやねです」

 それに続くように、派手な女子が口を開く。

「C組の川井かわいメイ」

「E組、佐々野ささの菜央なお

 最後に黒髪の女子が腕を組みながら言った。

 やはり、この中に知っている名前はない。一先ず、慧は安堵した。

「で、俺に何されたって? まだ一回も会ったことないと思うんだけど……会ってたにしても覚えがないんだけど」

 少し調子を取り戻して、慧は彼女らに訊く。

 すると、さっきまで睨みつけるように見ていた川井が目を逸らした。佐々野もばつが悪そうに俯く。一方、吉原は涙を拭うのに忙しい。

 慧は頭を掻き、さも困った素振りを見せた。

「え? じゃあ、やっぱり違うじゃん」

「そんなわけない!」

 川井がヒステリックに叫ぶ。慧は思わず身震いし、後ずさった。

 すぐに怒る女は一番嫌いな部類だ。

「前に聞いたんだよ。あんたが私のこと好きだって。飯原って派手な子がタイプなんでしょ?」

「それ、私もこの人と似たようなこと言われた。私は、背が高くて髪が短い子だって。だからわざわざ切ったのに」

「わ、私も……」

 佐々野の次に、泣きじゃくりながら吉原が言う。

「私も、茶髪が好きだって聞いたから染めてきたのに」

 慧は黙り込んでしまった。

 実は、彼女達が言ったことは全部、慧の苦手なタイプなのだ。

 どれもまったくのデタラメであり、このことを知っているのは慧を含めて、一人しかいない。

 何かがおかしい。言いようのない不気味さが、今になって背筋をさわった。

「それ、誰に聞いたの?」

 問うと、彼女たちはまた顔を見合わせて同時に言う。

「……


 ***


 すぐさまユカに問い詰めようとしたが、今日は休みだと聞いた慧は授業後に連絡をすることにした。

 しかし、休み時間になってもスマートフォンを覗く気にはなれない。

 結局、放課後までこの問題を放置してしまった。

 この時期、三年生の間では緊張感が漂い、あちらこちらでピリピリとした空気が放たれている。

 一方、慧は進路が既に決まっていたので焦る要素はなかった。しかし、今朝のことが原因で噂が悪い方向へ向かうかもしれない。現に、クラスメイトからは不信感を抱かれている。

 元々、慧は他の生徒よりも目立っていた。顔立ちが良く、勉強も出来る方で、元サッカー部のエース。

 揃いすぎた肩書きのせいで、学校行事で成果を上げれば学年全体が話題を持ち上げるほど。

 それが今、裏目に出ていることは明白である。

 しかし、その現状は分かってはいるのだが、どうにも気怠さが勝ってしまい、ただただ無気力のままぼんやりと三人の女子生徒を思い出しては消して、ユカの顔を浮かべては消す作業を繰り返していた。

 一体、何故、ユカはこんなことをしたのだろう。

 彼女は普段、学校へは来ない。大学も行く気はないようだった。アルバイトばかりしているらしいが、授業以外の時間は連絡が絶えない。どうやら時間を見計らっているようだ。

 最初のうちは良かったが、付き合い始めて三ヶ月、慧は疲れてしまった。

 通知を表示しないように設定したりマナーモードのままにしたりと、あれこれ対策はしたのだが、会うたびに見つかって解除される。連絡を取り合う友人や、その日の出来事などなど事細かに調べられることもしばしばだ。

 何度別れを告げたか分からない。

 しかし、ユカは聞く耳を持たず、挙句泣きわめいて「死ぬ」と脅しにかかる……大人しくしていれば可愛いのだが、それは顔だけのことだった。

「――やっぱり来たわね」

 背後から声がした。唐突のことで驚き、勢いよく振り向く。

「何か困り事があるようね」

 そう微笑んで俺を見ていたのは、昨日に姿を見せた相談室の雅日智夜子だった。

 辺りを見回すと、いつの間にか人気のない廊下が左右に伸びており、ひっそりと佇む空き教室が目に映る。

「……別に用はないよ」

 慧はぶっきらぼうに返した。

「あら、それなら何故ここにいるのかしら?」

 驚いたように智夜子が目を見開く。

「は?」

「ここ。相談室の前で、貴方、ずっとうろうろしてて……何かぶつぶつ言ってたわね。何をしてるの?」

 冷たい言葉にはほんの少し嘲笑が混ざっている。慧は思わず舌打ちした。

「たまたま通りかかっただけだよ」

「本当に?」

 彼女の探るような目が迫る。慧はすぐに目を逸らした。

 なんだか、見透かされているようで怖い。

 不気味だ。彼女には「美人」よりも「不気味」という言葉が似合っている。

「まぁいいわ」

 智夜子は溜息を吐き出した。そして、教室のドアを開けて慧を見つめる。

「とにかく入りなさい。ここは学園相談室。話だけでも聞いてあげるわよ」

 頭では拒絶していたのに、手招きされれば、足が勝手に教室の中へ入りこんでしまう。

 そろりと窺うと、室はカーテンで光が遮断されており、暗い。

 電気はつけずに、智夜子は教室の真ん中に置かれたゼミテーブルとパイプ椅子へと向かった。

「座って」

 そう言って、彼女がパイプ椅子を勧める。

 慧は怪訝そうな顔つきのまま、パイプ椅子に。一方、智夜子は椅子ではなく、机の上に座った。彼女が腰掛けると、少し軋んだ音が鳴る。

「なんでそこ?」

「え?」

「いや、なんでそこに座るんだよ」

 すると、彼女は首をかしげて微笑んだ。

「そんなこと訊いてきたの、貴方が初めてよ」

 彼女は、足を組んで慧を見つめる。

「ここね、よく見えるのよ。相談に来る生徒の顔が。迷いに迷った人々の苦渋に満ちた顔が」

 そうして楽しそうに笑みを零す姿に、思わずどきりと震えた。

 まるで彼女は、舌なめずりをして人々の悩みを食べつくそうとしている化物に見える。

 ――悪趣味な女だ……。

「ま、冗談はさておき。それで? 結局、不幸になったから困っているのかしら」

「……不幸、じゃない。ただ」

「ただ?」

 言葉の先を促される。手のひらで弄ばれているような感覚がしてとても癪だったが、慧の口はするすると言葉を吐き出した。

「よく分からなくって。今日、知らない女子から詰め寄られて、その犯人が俺の彼女だったんだけどさ……あぁ、なんか説明しにくいな」

「受験生らしからぬ語彙力のなさに眠たくなりそうなんだけれど。まぁ、大体の事柄は掴めたわ」

「お前さ、俺のことだろ」

 ここまで言われると、そう思わざるを得ない。彼女から馬鹿にされる言われもない。

 考えてみれば腹立たしいのだが、何故だか今は疲労が勝っていた。

 そんな慧に追い打ちをかけるが如く、智夜子は鼻で笑い飛ばす。

「思い上がりもいいところだわ。興味が無いだけよ。貴方、のだと当たり前に思っているのね」

 慧はもう何も言わなかった。何か言えば倍になって罵られる。それなら口を閉ざしたほうがいくらか良い。

「まぁ、でも。貴方、顔だけはいいから自信を持っていいと思うわ。そのせいで変な女たちに付きまとわれてるんだと思うのだけれど……でも、話は少しにあるようね」

 褒めているのか貶しているのか分からないが、それよりも「話が別の方にある」というのはどういう意味なのだろうか。

「飯原くん」

「……何だよ」

 思案に暮れている中に差し込む声。

 顔を上げると、智夜子の両目が近くにあった。

 黒く濡れた瞳は大きく、その暗さに飲まれてしまいそう。思わず呼吸を止める。

「貴方とその彼女さんとの馴れ初めを聞かせてくれない?」

 静かに真っ赤な唇が動いた。

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