9

 夜中に、珍しく目が覚めた。

 真っ暗で最初自分がどこにいるのか分からなかったが、やがて龍樹の屋敷にいることを思い出す。

 だけど……あれ? 夢は……

 夢は見ていなかった。ただの普通の平坦な眠りから覚めただけだった。

 なんだ、何も思い出せていないのか。暗闇の中で天井を向いたまま、心の中に湧き起こってくる不安の塊にじっと目を凝らした。

 どうしたんだろう。ここのところずっと順調に思い出せていたはずなのに。この調子で思い出しさえすれば、僕がどうやって小枝さんの種を飲むに至ったのか分かるはずなのに。この一番大事な時に眠りの中で何の収穫もないことにがっかりしたと同時に、焦りだけががじわじわとのしかかってきた。

 ああ……だけど。

 考えてみたら、自分の過去に何があったかが分かったところで、それが小枝さんにとって何になるというのだろう。記憶を取り返すことは結局のところ、僕の体から種を取り出すことに必要なプロセスであるのかもしれないが、彼女にとってメリットがあるかと言われれば、そんなことはないではないか。

 彼女は種を失った。そして龍樹さんは、彼女に再び種を渡すことは出来ないと言ったのだ。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。僕は一体何をしたんだろう。寝返りを打ちつつ繰り返し悶々と考えるも、結論なんて出るはずはなかった。もちろん、自分が何をしたかについて知らなければとは思っていたが、結局のところ、それを知ったところで小枝さんを楽にしてあげられるわけではないのだ。

 本当に、どうしたらいいのだろう。考えのループに捕らわれてしまい、眠気はすっかりとどこかへ消えてしまった。はぁっとため息をつくと、布団からがばりと起き上がる。

 夕方に西瓜をやけ食いしたせいか、トイレに行きたくなってきた。とりあえずすっきりして、もう一度仕切りなおしだ。これから眠ったらまた、昨夜のように何かが思い出せるかもしれない。

 立ち上がると、部屋を出て便所へと向かった。辺りは真っ暗で、身の回りにあるものすべてが死んでしまったかのようにしんと静まり返っている。足元に小さな常夜灯が灯ったきりの長い廊下をそろそろと歩いていると、突然吹いてきた風が、閉じられた雨戸にぶつかってガタガタッと大きな音をたてた。

 思わずどきりとして、立ち止まる。一瞬、誰かが雨戸を叩いて自分を呼んでいるような、そんな錯覚に陥った。

 ――いや。そんなわけない。

 気を取り直して、再び便所へと歩きだす。ここの便所は今時珍しいいわゆる「ボットン」式で、前に一度だけ、好奇心から便器の底を覗き込んでみたのだが、穴の奥のほうで小さな虫がうごうごと蠢いているのが見えて、心底ぞっとした。便器の前に立つと、なるだけ足元を見ないように、目の前に作られた小さな格子窓から外の景色を眺めた。この屋敷は、限られた部屋にしか蛍光灯を設置しておらず、夜間にはほとんどの部屋が真っ暗になってしまう。そのせいか、月が出ている今晩は窓の外のほうが少し明るく見えた。夜目に慣れた目でじっと眺めていると、山の上の黒々とした木々が、風に煽られて右に左に揺れているのがはっきりと見て取れた。

 ……ん? 待てよ。

 山の木々をじっと見つめているうちに、ある考えが突如浮かんできた。

 そうか。種なら、あそこにいっぱいあるじゃないか。

 用はすっかり済んだというのに、その場に突っ立ったまま、窓の外の木々から目が離せなくなっていた。

 よく考えてみたら、龍樹さんの手を借りるまでもなく、僕がひとっ走り山に登っていって、種をもらってきたらいいだけじゃないか。そして自分の手で、彼女に返してあげればいい。だってここから目に見えるところに、あれだけの木が生い茂っているのだもの。絶対、問題の種の一つや二つ、手に入れることができそうだ。

 自分がやったことの落とし前だ。そうすることは別に悪いことなんかじゃないはずだ。

 実花は山に入るのは危険だとか言っていたけど、もしも少しの間森を調べてみて、種が簡単に見つかりそうにない場合は、深入りせずに戻ってくればいい。どっちにしろ、自分一人で山に入るチャンスは今この時間帯しかないはずだ。昼間はみんな起きているし、下手に計画を練ったりなんかしたら逆に龍樹に考えを読まれて失敗するような気がする。思い立った今が、行動に移す時だ。

その思いを励ますかのように、山の木々は右に左にゆっくりと揺れている。

 意を決すると、便所を離れ、玄関へと向かった。

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