3

「篤くん」

 龍樹の親戚の家で風呂をもらい、屋敷に戻ろうと山道を登っていたら、夜闇に紛れて実花の声が聞こえた。

「どう?体調は」

「あ、はい、大丈夫……です多分」

 立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回しつつそう答えると、闇の中で懐中電灯の灯りがチカチカと近づいてくるのが見えた。

「眠るとまた何か忘れちゃうかもしれないけど、気にせず分からないことは何でも聞くのよ、分かった?」

 ありがとうございます、と答える。

「種が出て行くまでに、色々、思い出せたらいいね」

「あの……、その種っていうのは、確実に体から出て行ってくれるんですか?」

 まさかずっとこのままってこともありえるんじゃ、と言いかけると、実花はそうねぇ、と呟いた。

「文書に残る事例を読んでみた限りでは、心配はないと思う。ただ、どこまで記憶を返してもらえるかは人によるみたいねぇ」

「そうですか……」

「あなた、今何年生?」

「中学二年です」

 ふうん、と実花は言う。

「私とそんなに変わらないのね」

「実花さんは?」

「中三」

「この辺りに、中学校なんてあるんですか?」

 こんなど田舎、子供なんて住んでいるようには見えないけど、という言葉は口に出さなかった。

「普段は街に住んでいるから。今は夏休み中だからここに来て、おじさまの手伝いをしているの」

「じゃあ、いつもは普通の中学生なんですね」

 こんな人気のない山奥でおかしな恰好をして暮らしている割には垢抜けた美人だったので内心納得していると「なによそれ、普通って」と、後ろを歩く実花の声色が俄かにとがった。

「えっ、あ。すみません」

「……別に、謝らなくても」

 背後から、もごもごと「なぁんか、やりにくわね」と独り言のようにつぶやく声が聞こえる。

「あの、それで、僕はどうやってここに来たんですか」

「連れてこられたのよ」

「誰に?」

「大人の男の人が龍樹おじさまにあなたを預けて行くのを見たわ」

「男の人? 僕の父でしょうか」

「違うと思う。だって、ご両親はあなたがここにいる間、サッカーの合宿に行っていると思っているらしいじゃないの。その時期にあわせてこっそりと治療に来たってことなんだったら、多分違う人だわね」

「そうか……そうですよね」

 思わず、誰なんだろう、とひとりごちた。

「その辺の記憶も、思い出せたらいいんだけどね」

「龍樹さんに聞けば、教えてくれるでしょうか」

「さあ。でもおじさまは、時々わざと事実を伏せることがあるわ。それがあなたにとって大事なことであるなら、尚更ね」

 でも一度、訊いてみてもいいかもしれないわよ。そう言うと、実花はじゃあここで、と立ち止まった。

 振り返って実花に目をやると、間近に迫った屋敷の外灯に照らされて、彼女の顔が薄ぼんやりと光って見えた。

「しっかり寝て、また明日、山での治療に備えてね」

 おやすみ、と言うと、彼女はあっさりと後ろを向いて、元来た道を戻って行った。

 てっきり屋敷に用事があるのだろうと思っていたのに、どうやら単にこちらの様子を見に来ただけだったらしい。あんまり愛想のいいタイプではなさそうだけど、どうやらこまごまとこちらのことを気にかけてくれているようだ。

 実花の後ろ姿を見送ってしまうと、屋敷に戻った。

 辺りはしんとして、人の気配がしない。

 龍樹さんはどこにいるんだろう。そう思いながら、自分のために宛てがわれた部屋の襖を開く。

 敷きっぱなしの布団にもぐりこむとすぐに、眠気がまるで生き物のように覆いかぶさってきた。






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