第55話 負けない戦い

 クロニクスの皇城は、広大な湖の中にある。岸から一本の長い橋を渡って正門をくぐらないと城の外郭にすら辿り着けない。もっとも、魔族には空を飛翔できる種族が多く、城壁は飾りのようなものだ。


(そう思うでしょう?)


 俺は城郭から押し寄せている軍勢を見下ろしていた。

 どうやら龍種が主戦力だろうか。

 大きな龍から小さな龍まで勢揃いだ。もちろん、上空を舞っている奴もいる。

 おまけに、予想の通りに城内にも内通者がいて、実は俺がいる城郭の一角を残して城内は占拠されていた。

 先代皇帝への忠義か、城外の何者かに唆されたのか。俺を殺して次の皇帝をたてようという事なのだろう。つまり、俺は城の外と内から攻められているわけだった。


「陛下っ!」


 四本腕で下半身が蛇身をした大男が近づいて来た。えらくデカイ。近寄ると、見上げなくてはならない。近衛隊長である。


「俺に味方する奴は、全員中にこの部屋に居るな?」


「はっ、扉の外には裏切り者どもしかおりませぬ!」


「よろしい・・何人かな?」


「近衛の者・・侍女、侍従含めまして246名であります」


「思ったより味方が多いな」


 俺は軽く驚いた。平人の皇帝というだけで誰からも頼りなく思われているはずだが、まあ、弱いから助けてやろうって気分の奴も居たのだろうか。


「外の奴らは、何か言って来てる?」


「降伏せよと・・賊軍の使者らしき者が申しております」


「ふむ。あいつら、あれで全部か?」


 俺は眼下に見える長大な橋の向こう岸を指さした。


「後続は分かりませぬ。ただ、橋の正面に陣取っている者達の中央、あの黒い龍人は覇王龍の一族。闇龍の王族に連なる者です」


「良かった。それなりに大物なんだな」


 俺はにんまりと笑って、右手をひらひらと振って見せた。


「陛下?」


 蛇身の近衛隊長が怪訝そうに俺を見た時、皇城を取り囲む湖の水が竜巻で巻き上げられたように渦を巻いて上空へと立ちのぼった。一本、二本と次々に数を増やしていき、みるみる内に数百本の水流の柱が出現していた。


「くくく・・水のある場所で俺に喧嘩を売ろうとか、身の程を知りたまえよ龍族ちゃん」


 にたにた笑いながら、俺は数百の水柱を城の周囲で乱回転させ始めた。


「こ、これは・・陛下がなさっておいでなのですか?」


「当然だ。水芸で俺の右に出る奴は居ないぜぇ」


 俺は立てこもって扉を死守している近衛兵達を振り返った。


「アンコ、傷薬と解毒薬」


『ハイ オヤブン』


 影から薬が詰まった箱が次々に浮かび上がって並んでいく。


「すべて秘薬だ。腕が千切れようが、腸が飛び出ようが、即座に治る。全員に持たせろ!」


「こ、このような・・はっ!畏まりました!」


 近衛隊長が左胸を右拳で叩く最敬礼して、大声で部下達に指示を飛ばす。


「外のトカゲは気にすんな。城内の反逆者達を片付けろ。急がないと、俺の嫁さん達が帰ってくるぞ?そうなると、お前達も職務怠慢で血祭りにあげられるからな?」


「はっ!」


「この場を野戦病棟と定める。侍女達はここで救護班として働け。怪我人はここへ担ぎ込め。俺が治療してやる。生死の判断をお前達がするな!わずかでも息があれば治る。それから・・・」


 俺は背筋を正して傾聴している近衛兵達を含めた、この場の全員に継続回復の魔法を付与していった。


 その効果は劇的だ。

 大小多少なりとも傷を負っていた近衛兵達が立ち所に全快しているのだ。傷病だけでなく、体力まで回復したのだ。


「その状態は5時間継続する」


 驚愕と共に明るさを取り戻した面々を眺め回し、


「おい?どうだ?これでも外の奴らに遅れをとるような間抜けが居るか?」


 俺は笑いながら訊ねた。


「おりませぬ」


「ああぁん?聞こえんなぁ?」


「おりませぬ!皇帝陛下、万歳っ!我らの勝利は絶対であります!」


 近衛隊長が宣言する。


「よろしい。では、そこの扉を開ける。少し離れていろ。扉が開いたら分かっているな?」


「はっ!全隊討って出るぞ!殲滅戦だっ!小汚い裏切り者共を、一匹残らず片付けろ!」


 近衛隊長の号令に、近衛兵が興奮顔で歓声をあげた。


 どうやら、本当に俺に味方するつもりらしい。


「アンコ」


『ハイ オヤブン』


 ふわふわ漂っていたアンコの周囲に、6個の金属玉が出現した。

 直後、6本の灼熱の熱線が扉を貫通して抜けていき、そのまま縦横に切り裂く。

 扉前に集まって居た連中がまとめて切断されていった。

 一瞬にして、扉向こうに押し寄せていた敵が全滅である。皇帝の首級をあげられるかもと、功を競って扉向こうに殺到していた事が命取りとなった。


「どうぞ?何やってんの?」


 俺に促され、近衛隊長が大慌てて号令を掛けて外へと跳びだして行った。近衛兵達が勇んで後を追う。力に大差が無いなら勝敗は明らかだ。


「ん・・君は行かないの?」


 俺はぽつんと残っている侍女の1人に視線を留めた。


 他の侍女達とは明らかに雰囲気が違う、漆黒の法衣を羽織った小柄な娘だった。

 あまり見かけないような黒い髪に覚えがある。


「先代様にお仕えしておりました。ラージャ・キル・ズールと申します」


 刃物のような双眸で俺を見つめたまま小さく会釈をする。綺麗な顔立ちだが、やや険が勝っているだろうか。少しばかり目付きが尖った美少女・・と幼女の間くらい?見た目の年齢は吸血姫や闇妖精の姫と同じくらいだろうか。


「君は、ええと・・何処かで会ったかな?」


「かつては、先帝に付き従って御身のお命を奪おうとした身でありながら、死罪とされず・・こうして生き恥を晒しております」


 少女の話では、以前、先代皇帝とレナンが一騎討ちをやっている時に、助太刀乱入しようとした魔族諸々の中に混じっていたそうだ。ヨミの雷撃で身動き取れなくなったそうだが・・。


「ええと?もしかして、今でも俺の命を狙っちゃったり?」


「我が忠義をお疑いでしょうか?」


 少女の双眸がきりりと吊り上がる。単純に血が沸騰する型らしい。


「あぁ・・いや、そういう訳じゃ無いけどねぇ」


「正当なる皇帝陛下にお仕えすることこそ、歴代ズール家の連綿たる誉れに御座います!」


「それはどうも、ありがたいけど・・・じゃあ、なんでここに居るの?さっさと裏切り者とかを退治に行けばいいじゃん?」


「そ、それは、その・・恥を忍んで、陛下のお情けにお縋り致したく・・」


「なんだろ?」


「・・我が身の事に御座います」


「君の?」


「その・・」


 ひどく躊躇いながらも、勇気を振り絞るようにしてラージャが自身の身の上に起きた事を語った。

 聴いてみれば大したことじゃない。

 子供が出来たかも知れない。相手は先代の皇帝しか思い当たらない。そういう話だった。


 いや、本人にとっては一大事なのだろうが、聴かされた方としては・・。


(まあ、頑張って?)


 生暖かい祝福をするしかあるまい?先帝さんよぉ?こんな年端もいかないお子様に手をつけるとか何やっちゃってんの?どんだけ飢えてんの?見境無しかよ?・・というか、あの巨体でどうやったん?


「いえっ、違うのです!これには訳が・・」


 ラージャが噛みつくようにして、必死の形相で補則の説明を開始した。

 かなり気負っているらしく、ちょいちょい脱線しながら、先代皇帝の要らない個人情報まで飛び交ったが、要約すると、かなり色を好む質だったらしい。以上・・。


「ち、違うのです!いえ、そのような・・確かに、そのお元気であらせられたのですが・・」


「はいはい、分かりますよ?あれですね?いっぱい奥さんやら妾さんやらをこしらえて、少しばかり体力が不安になったもんで妖しげな薬を調達して・・」


 効くと言われている薬を試したら、記憶が飛ぶほどに情熱が燃え上がって暴走して、それこそ手当たり次第に・・という訳で、その災害に巻き込まれてしまった被害者の1人が、ラージャ・キル・ズールであると。


「・・はい」


 ラージャが項垂れた。

 不味かったのは、その薬というのが香炉を利用して鼻腔から吸収するものだった事だ。少量での使用に不安を覚えた先代皇帝は使用上の注意を無視し、かなり多めに焚き込めてしまったらしく、その香は寝間どころか、控えの侍従部屋にまで充ち満ちてしまい・・。


「ふ、不覚にも、記憶がまったく無くっ!」


 羞恥で身を縮めるようにしながら、ラージャが黒歴史を吐露する。


「まあ、おおよその事情は分かったけども、それで俺は何をすれば良いの?」


「・・畏れ多いことながら・・」


「さっさと要件を言ってくれ。俺は忙しいんだから」


 いい加減面倒になって俺が言うと、ラージャがいきなり床に跪いた。


「皇帝陛下の子を身籠もっていないか・・そのっ・・お調べ頂けないでしょうか!」


 叫ぶようにして訴えたラージャを、遠くで聞き耳を立てていた侍女一同がぎょっと眼を見開いて見つめる。


「・・・・は?」


 俺は固まってしまった。

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