第35話 魔人の治療

 魔の森の外れ、少し前に潰した灰色ゴブリンの村から少し離れた場所に、小さな洞窟の入り口が隠されていた。あるのは知っていたが、あの時は気にも留めなかった。


 あの日、銀狼種の男、ヤクト・ノームは洞窟に迷い込むゴブリンを排除したついでに、近くに巣くったゴブリンを駆除しようと近くに潜んでいたそうだ。そこへ俺達がやって来て、ゴブリン村を潰したので動向を見張っていたそうだ。

 まあ、ヨミとウルが見逃してやっていたという感じだったが・・。

 

「ウル・・」


「はい」


「もしかして、ヤクトの主人を知ってる?」


 俺の言葉に、先導していたヤクトがぎょっと眼を見開いて振り返った。


「やはり・・お分かりです?」


 ウルが曖昧な微笑を浮かべつつ少し視線を伏せた。

 

「何となくね」


「・・ふふ、そこの子狼はまるで気付かないというのに、さすがはユート様です」


「な、なにを言って・・?」


 ヤクト・ノームが躊躇いがちに訊いた。


「私が・・ウル・シャン・ラーンが、ジスティリア・ホウリウスと面識があるという話ですよ」


 ウルが残念な子供を叱る口調で言った。


「我が主の御名をっ!?」


「ジルが赤子の時から存じています。母親のアイーズとは魔術の腕を競う間柄でしたからね」


「御母堂までも・・あ、貴女はいったい?」


「本当に残念な子・・レオールが泣いてるわよ?」


「父上まで御存知なのですかっ?」


 最早、ヤクトの声は悲鳴に近い。銀毛に覆われた耳も尻尾も垂れ気味になっていた。


(そう言えば、ウルは長生きしてたんだっけ)


 すっかり忘れ気味だが、今の魅惑的な肉体に若返る前は、呪いで幼体のまま魂を縛られてしまい、幼女のような姿のまま永い時を生きていたのだとか・・。


「私は、赤ん坊の貴方を抱き上げた事もありますよ?」


「えっ!?」


「・・やれやれ、いつから狼種はこんなに鈍くなったのかしら。レオール坊やはもっとしっかりしていたと思うのだけど・・まあ、仕方ありませんね。まだ、ずいぶんと未熟なようですし、気配の消し方など見ていて可哀相なぐらいでしたし・・」


 狐耳の美人さんが、何だか怖いです。容赦の無い感じです。

 銀狼種のヤクトさんが固まったまま真っ白になっていきます。ほぼ息して無いです。


「ホウリウス家は始祖に近い名家なのですよ?どうして、貴方のような残念な未熟者が衛士などやっているのですか?聴けば、あの可愛いジルが苦しみ続けているとか?その時、貴方は何をやっていたのです?」


(・・あぁ、ヤクトさん、とうとう眼と鼻から水っぽい何かが溢れてきちゃった)


 俯いて、うぐっ、えぐっ・・と喉を震わせるようにして身を縮めている。


 さすがに何だか哀れである。


「ええと・・患者さんの治療を急ぎたいんだけど?」


 俺はヤクトでは無く、ウルを見て言った。


「・・申し訳ありません。つい、感情的になってしまいました」


「ウルの知り合いの子なんでしょ?苦しんでいるんなら治療を急いだ方が良い」


「はい。ヤクト、急ぎましょう」


 蹲って泣いてるし・・。


「ヤクトっ!」


 ピシッと鞭のような声が飛んだ。発したのは、もちろん狐耳の美人さんである。


「ひゃっ・・は、はい!」


 ヤクトが我に返った顔で飛び起きた。


「急いで、案内なさい」


「はっ!」


 ウルに命じられて背筋を伸ばしたヤクトが素早く踵を返して、大急ぎで奥へと走り出した。


(まるっきり、主従だね)


 呆れながら、俺は銀色の尻尾を追いかけて走った。俺でもついて行けるくらいの速度なので、やっぱり残念な子なのかも知れない。ヨミとか全力で走らせたら姿が消えますからね。


 途中、魔法の結界があったが、これもまた残念なくらいに程度が低くて・・。

 いや、ウルの眼光が怖かったので、これ以上は触れずにおいた。


「こちらになります!」


 結界を抜けた先は大きな空洞になっていて、素人が苦労して作ったのだろう粗野な小屋が立っていた。壁を押せば倒壊間違い無しだろう。

 

 ウゥゥ・・


 低いうなり声と共に、ウルの金毛の尻尾が逆立って膨らんでいたが見なかった事にして、俺はそそくさと小屋の中へと入った。


 途端、かっと頭に血が昇った。今度は俺がブチ切れた。


「この・・馬鹿たれがっ!」


 俺はヤクトをぶん殴った。残念な駄犬が一撃で壁を突き破って吹っ飛び、何処かへ弾んで倒れたようだが、知ったことでは無い!


 小屋の床には複雑な魔法陣が描いてあり、中央に設置された円柱形の石碑に、見るからに呪具のような禍々しい鎖で手足を拘束された、ほっそりと小柄な女の子が吊されていたのだ。しかも、無惨に千切れた衣服を纏わり付かせただけの、ほぼ全裸の状態で・・。


「ああっ、殺さないでね!」


 小屋を出てヤクトを追ったウルの背中に俺は一声掛けた。俺がぶん殴っておいて何だが、今のウルだと本当にヤクトを殺してしまいそうだ。


 不意に少女が苦鳴をあげて仰け反り、眼から赤光を放ちながら両手を上に吊されたまま暴れ狂う。

 しばらくして、すっと総ての動きを止めて力なく吊り下がる。

 これを繰り返しているようだ。


 俺は委細構わず近づいて吸血鬼だという女の子のオデコへ手を置いた。

 ほどなく、蘇生した少女が苦痛の中で暴れ始めた。恐らく、もう正気は残されていまい。


(つまり、身体だけじゃなくて、精神も治さないと駄目なのか)


 吸血鬼に触れるのは初めてだが・・。


(・・腹・・中に何か入ってるな)


 はっきりと形のある物じゃないが、吸血鬼の幼女の腹部に何かが存在していた。ヤクトは呪いだと言っていたが、これは意思のある存在だ。微細な何かが集まった・・偽物の命。吸血鬼の体内で排除しようとする肉体と、その偽物の生命体がせめぎ合っている。生命力そのものは吸血鬼の方が上のようだが、微細な粒が潰される端から再生しているようだった。


「呪いとか病気じゃぁ無い・・これは、作り物・・作られた魔物だな」


 後ろに控えているだろうヨミに状況を伝えるために呟いた。

 治癒の魔法じゃ意味を成さない。破邪の魔法だの、解呪をやっても無意味。中で蠢く疑似生命そのものを取り出して退治しなければならない。だが、眼でも見えないほどに微細な粒の集合体を取り出す技などこの世に存在しないだろう。そもそも、これを見付けられる治癒師や医者など居ないと思う。


(けど・・俺は、こいつを知ってるなぁ)


 他でもない。極北に落下した小島。あの中で、俺はこいつに触れている。正確には、こいつの元になったのだろう、餓えて呪詛を吐き散らしていた瓶詰めの怨念集団を鎮静化したことがある。

 あの時、兵器だと直感したのは正しかったわけだ。


(こんな奴等があちこちにバラ撒かれたのか?)


 迷惑な事をやってくれたものだ。


「可哀相にな・・すぐ取ってあげるから、もう少しだけ我慢してな?」


 オデコに左手を当てたまま出来るだけ優しく聞こえるように声を掛けながら、右手を腹部の"異物"の上に当てる。


(まずは・・こいつを黙らせる)


 じんわりと指先で擦るようにしながら、飢餓の怨念に凝り固まった粒子の集合体を集めていく。指先から、俺の生気を喰わせるように誘いながら他へ散っていた飢餓の粒子まで誘因していった。


(きっつ・・これ、きついわぁ)


 ここまでゴッソリと生気を持っていかれる感じを味わったのは、初めて魔瘴を治療して以来の事だ。


「ヨミ・・また厄介かけちゃうかも」


 目を瞑ったまま呟いた俺に、


「ご安心下さい。必ず御守りいたします」


 ヨミの声がすぐ近く、肩の辺りで聞こえた。いつも通り、俺の背を護ってくれている。


「それじゃあ、全力で行きますか!」


 俺は左手も腹部へと添えて、両手の指で少女の腹部から脇へと包むようにして飢餓の粒子をねじ伏せていった。

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