第24話 旅に出ようか

「俺を取り合いとはねぇ?」


 馬鹿だなぁ・・と、俺は笑った。


 術者の寮になっている建物らしい。どこからとなく、お茶や乾燥させた薬草のような臭いが漂っている。古びた木の梁が剥き出しの天井が低い。土壁の建物だった。


「どこも、医師不足ですから」


 寝台の横に椅子を置いて、ヨミが座っている。

 今回は、丸一日の睡眠で目を覚ましたので、裸にされて体を拭かれる事は無かった。

 いや、それも良いかなって思う反面、やっぱりちょっと恥ずかしいような気持ちもある。お願いすれば今すぐにでもやってくれそうな雰囲気だったが・・。


(魔力を使い果たしてたのに・・なんか回復してるなぁ)


 このところ、と言うか・・生命樹の力を授かってからというもの、段々と自分の体が人間離れしていっている気がする。魔術の糧となる魔素の量も底なしだ。


(まあ、生き延びるには良いのかな?)


 生命力が強いというのは、今の物騒な世の中を生き延びるためには良い事だ。

 ヨミが言うには、治癒師として、拉致監禁してでも、この町に閉じ込めようという動きがあるらしい。俺が治療した何とかという獣人を中心にした何とかという勢力があって、そいつらが中心になって何やら企んでいる・・・と。


 俺はふうんと鼻を鳴らしながら聴いていた。

 

「ユート様は、ご自分の価値が分かっておられません」


 ヨミが綺麗な唇を噛みしめるようにして悔しげに言うのだが、その辺の感覚は自覚が無いのでどうにも分からない。


「でもねぇ、俺には、誰が危険で、誰が大丈夫とか分からんよ?」


 怪我人、病人を治療して回っただけなのだ。


「・・その、そういう獣人も居ると、そうお伝えしたかっただけです」


「ん?」


「そういう無理な事をやろうとしない・・獣人もちゃんと居ます。だから・・」


「獣人を嫌うなって?」


「・・はい」


「う~ん・・ヨミ達って、結構狭い生き方してるよねぇ」


「え・・?」


「平人がぁ・・とか、獣人がぁ・・とか、そんなの種族に関係無く起こることだよ?どこの世界でも当たり前に起きるぞ?獣人の1人が悪いことしたから、獣人全員が悪者だとか・・どんな阿呆でも思い付かんと思うけど?」


「そうでしょうか?」


「俺が分からんのは、俺自身の価値かなぁ」


「ユート様は、とても優れた治癒師様です」


「あはは・・今まで一生懸命に追いかけてくれたのは、番兵やら憲兵だったからねぇ。医師として必要だからって言われると、何だか嬉しいかも」


「ユート様」


 ヨミの瞬きをしない双眸がまっすぐに見つめてくる。


「はい・・冗談です。無理矢理ってのは、するのも、されるのも好きじゃ無い。拉致して医者やれって言われても従わないよ。ただ、そいつらの提示する条件は聴いておきたいかなぁ」


 俺は煎れてくれたお茶を啜った。


「条件・・ですか?」


 ヨミが小首を傾げた。


「まさか、ただ働きさせるつもりじゃないよね?それなりの報酬は考えてるんじゃない?」


「報酬ですか・・報酬次第では、ここに残るおつもりでしょうか?」


「いいや?出て行くけど?」


「え?・・で、では、どうして?」


 混乱したらしく、ヨミが珍しく狼狽えている。


「へ?ただ、俺の腕に、どのくらいの値がついたのか知りたいだけ」


「・・ユート様」


 ヨミが小さく肩を落とした。


「医師扱いされたの初めてなんだよ」


 言い訳めいた口調で俺は言った。


 今まで、俺は医師として必要とされたことが無い。モグリの医師として指名手配されたり、薬が効かなかっただの、変な所を触っただの・・そういうので追いかけ回された事はある。しかし、治癒の腕を認めて褒められたのは人生で初の出来事だった。いつかは、そういう自分でありたいと、心の片隅で思っていただけに、得も言われぬ達成感がある。


(とは言っても・・確かに、首輪つけられて治癒師やれって話は嫌だからな)


 しかし、その点で言うと、ヨミやウル達と俺はどういう立ち位置になるのか。成り行きで同行はしていたが、そもそも指令を出した北軍とは縁が切れた訳で、49大隊付きの軍医という役どころは終了しているだろう。


 こうしてカーリー達に合流した今となっては、俺と一緒に行動するのはお終いになるのだろうか。


 この北の辺境部から抜け出すために居候するって事なら、レナンやヨミの部隊で無くても良いのだし、仮に1人でも氷原を抜けて南へ行ける自信はある。ずうっと独りで生きてきたんだからね。ただ、せっかくお近づきになれた美人さんから離れるというのは宜しく無い。


(あれ?・・俺って、何でこんなところで治療とかやってんだろ?)


 今更ながら疑問が脳裏に再点灯した。


 得た物は大きかったけどな。

 生命樹に与えられた知識のおかげで、たぶん治癒術に関しては抜群の腕を持っている。欠損部位まで再生させる術も使えるようになった。水に親和性のある場所なら魔術を使えるし、黒い玉という愉快な子分も出来た。


(あぁ・・そうだな。俺、手に入れちゃったのか)


 いつか習得したいと思っていた本物の治癒術を、今の俺は使えるのだ。いつの間にやら、夢想していた以上の術を会得してしまっている。

 

 本物の治癒術を身につけて見返してやりたい、馬鹿にした奴らを逆に馬鹿にしてやりたい、医師の免状を貰ってくれと逆に頭を下げさせたい・・・そんな思いを強く持っていたが、どうやら、そっちの目標は達成してしまったようだ。あまりにあっさり手に入れたので、何の感慨も湧いて来ないが・・。


(他は何だっけ?・・お金はいっぱい稼ぎたいし・・治療が上手いって褒められたいし・・それから、ええと・・)


 腕組みをして考え込んだ俺を、ヨミが不安そうに見つめていた。


(ふむぅ・・うろうろ旅をするのが目的じゃないよな?・・でも、あれぇ?)


 正直、今の治癒術の腕があれば、どこに行っても楽に暮らせるだけの稼ぎを得られる気がする。いや、間違い無く金は稼げる。


(治癒が上手いねって・・ヨミみたいな美人さんが褒めてくれたし)


 俺の野望は、もう完遂しちゃったのでは無かろうか?


 弱冠16歳で野望達成とか・・。


(くっ・・馬鹿なっ!)


 俺の目標設定が甘すぎたとでも言うのか?俺は自分に厳しい男のはずだ!

 

(確か、男の野望上位を占めるのが・・・女、金、権力、名誉・・だったっけ?ん?腕っ節の強さとかもあった?まあ・・そのくらいか)


 喧嘩の強さ以外は、治癒術師として名を馳せれば、全部手に入りそうな気がする。それに、銃をぱんぱん撃つ世の中で、喧嘩の強さがぁ・・とか笑えるし。


 となると・・?


(あれ?・・俺って・・詰んでんじゃね?)


 16歳で野望喪失?


 国盗りとか、考えただけで怠いし・・。金も、ちょっと豪勢に飲み食い出来れば良いわけで・・名誉とかは俺の人生に必要無いし、知り合いの女の子にちやほやされれば十分満足だ。


(となると・・女?)


 俺は心配そうに見ているヨミを見つめた。相変わらずの美人さんだ。理由はよく分からないけども、近くに居てくれる絶世の美人さんだ。

 関係はともあれ、人が羨むような美人を側に侍らせているのは間違いない。

 もしかして、すんなり・・。押したら案外・・。くらいの距離感まで近づけている気がする。いや、他に男が居る感じじゃないし?ずうっと俺の近くに居てくれるし?思っちゃうよね?16歳だもんね。俺に気があるんじゃね?・・みたいな?いけそうだけど、どうしよっかなぁ・・ってさ?


(むむぅ・・)


 つまり、俺って満たされてる?俺の心は満足いっぱい?

 

(いやっ!そう・・あれだ!冒険ってやつだ!男子たるもの冒険心を失ったら駄目だろ?冒険だよ・・そうだ、冒険、冒険・・・冒険?)


 でも、冒険って楽しいの?冒険ってことは、危険と隣り合わせって事だよな?自分に降りかかる危険って楽しくないじゃん?


「ヨミ・・」


 俺は他人に縋ることにした。


「はい?」


「ヨミはどうしたい?」


 この先、何がやりたいのか。何か目標があるのか。ぐいぐいと質問をぶつけてみた。


「え?・・私、ですか?」


「参考までに教えて」


「え・・と」


 ヨミが伏せ眼がちに思案して、すぐに顔を上げた。


「故郷に・・いつか、故郷を見てみたいのです」


 故郷の地で父母の墓を作り、お参りをしたいのだと言う。


「おお!」


 これぞ天啓である。実に素晴らしい野望だ。あやふやな俺より数段上等だ。なんと素敵な野望だろう。


「故郷って、どこ?この近く?」


「・・南方の海を越えた先になります」


「へ?・・南の海?」


「お気づきかと思いますが、私はこの辺りの獣人ではありません。尻尾も無いし・・耳も」


 ヨミが自分の耳を触って見せる。確かに、少し尖って長い耳をしているだけで、平人と変わりが無い。お尻はぷるんとしていて尻尾がついていなかったので変だなぁとは思っていたが・・。


「獣人は祖先の特徴を身に宿しています。わかりやすいのは耳と尻尾ですが、牙や爪、眼など、少しずつ平人とは違った部分があります」


「ふうん・・」


「平人の学者は、獣堕ちという呼び方をしています。魔瘴のような、何かによって平人が変異したのだと・・・起源については分かりません」


「・・ふむん」


「私は幼い頃、奴隷商によって、南海で捕らえられました。幼い獣人を愛玩動物のように鎖で繋いで飼う・・・当時、帝都の貴族で流行っていた娯楽のために」


 平人の方が圧倒的に数が多く、獣人の小集落を各個に潰して回ったらしい。個々人の強さなど、銃砲の前には何の意味も無い。好き放題に蹂躙されたそうだ。


「それって、今もやってんの?」


「今の皇帝によって禁止令が出されたことで、奴隷狩りも取り締まられるようになり、今は帝都の競り市でも獣人の奴隷は見かけなくなったという話です」


「・・結構、えげつないなぁ」


「私やレナン、カーリー達、軍属の獣人は、奴隷狩りで集められた子供達です。貴族などが屋敷に囲っていた愛玩獣人の末路という訳です」


「へぇ?大隊規模で捕まってたってこと?」


「もっと数は居たようですけど、戦地では最前線に送られ続けましたから・・」


 大勢が戦死していったそうだ。


「なるほどなぁ」


「ここの獣人達は、奴隷狩りを逃れて北限に隠れ住んでいた者達です。彼らからすれば、私のような帝国軍属の獣人は平人の手先になった唾棄すべき獣人ということなのです」


「・・仲が悪いの?」


「彼らからすれば、私達はすでに誇り高い獣人では無いそうです」


 ヨミがそっと微笑した。ひやりと底冷えするような笑みだ。


「ふうん?」


「平人に飼われた獣人は、もう獣人では無いのだと」


「感情的なもんかねぇ。そういうのこじれると大変だからなぁ」


「・・そして、獣人の国を作るならば、真なる獣人が統治すべきだと」


「ははぁ・・そうきましたか」


 俺は、わはは・・と笑った。

 実に可愛らしい、他愛も無い子供っぽい理屈だ。


「まあ、俺には関係ないけどねぇ」


 にたりと口元を歪める。


「ユート様・・」


「ん?」


「ユート様は・・獣人の国に興味がおありですか?」


「興味はあるけど・・住む気は無いよ?」


 当たり前じゃ無いかと、俺はヨミを見た。


「・・どうしてでしょう?」


「だって、寒いじゃん」


「え・・?」


「国って、あそこでしょ?あの古い都のあった」


「はい」


「雪と氷の中で家に籠もって暮らすとか・・俺には無理です、ご免なさい」


 雪とかたまに見るから楽しめるのだ。年中、氷と雪に閉ざされた中で、しかも、ほぼ毎日が吹雪の中とか、俺には耐えられない。


「・・えと・・すると、どちらかへ行かれるのですか?」


「南へ行きます」


「南・・」


「お日様がいっぱいで、暖かいところへ行くのです」


「・・お一人で?」


「えっ・・?ヨミは来てくれないの?」


 俺はぎょっと眼を見開いた。すでに、ヨミの同行は織り込み済みで考えていたというのに・・。まさかの独りぼっち?だって、南の海の向こうがどうとか言ってたじゃん?


「ぇ・・えと、お許し頂けるなら」


「許します。とことん許すので一緒に来て下さい。と言うか、独り旅とか淋しいです」


 俺は大急ぎで頭を下げた。


「喜んでお供します」


 ヨミが俯きながら首肯した。その少し尖った耳の辺りがほんのりと赤い。


 その時、


『アンコ イッショ イク』


 影から黒い玉が出てきた。


「当たり前だ。アンコは、俺の子分だからな。子分は親分を守るもんだ」


『アンコ オヤブン マモル』


「うむ、偉いぞ」


 俺は黒い玉をぺちぺちと叩いた。

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