第20話 アンコ・ザ・ワールド

 太陽が当たると影が落ちる。

 その影が黒い玉=アンコの遊び場になる。

 言うまでも無く、生命樹の泉に居る"エイジャノタテ"の分体だ。生き物かどうかは怪しいが、感情らしきものがあるような・・そんな気もする。

 いつもは球体をしているが、実は色も形も変形自在で、どうやら決まった形は無いらしい。ただ、生物には化けられないようだ。どう化けても、器物のような生気の無い感じになってしまうらしい。


 俺は、ひょこひょこと、影から影へ移動しながら浮き沈みをする玉の様子を眺めていた。

 理屈は分からん。

 木の影に入ったと思ったら、離れた天幕の影から出てきたりする。

 

(楽しそうだなぁ・・俺もやりたいなぁ)


 俺は湯気のあがる湯呑みを手にぼんやりと眺めていた。


『オヤブン デキル』


 不意に、真後ろから声がして、俺はぎょっと振り返った。

 そこにアンコが浮かんでいた。


「あれ・・?」


 視線を戻すと、そっちでもアンコが影遊びをやっている。


『モット フヤス?』


 へっ?おまえって、増えるの?分裂?


「いやぁ・・好きなように遊んでていいぞ」


『オヤブン ヒマ?』


「うん、暇」


 そう、何を隠そう、俺は暇だった。

 どう暇かと言うと、身の回りの事はすべて、出来る女性陣が片付けてしまう上に、周辺の哨戒任務から食料の確保まで、テキパキとこなしてしまうため、俺は全くというほどやることが無い。

 今は、ヨミが哨戒に出ていて、ウルがお風呂に入っている。

 もちろん、俺は一番風呂に入った後だ。


『オヤブン ベンキョウ スル?』


「べん・・勉強?」


 俺はぎょっと目を剥いた。自慢では無いが、その手の単語を聴くと目と耳と頭が痛くなるのだ。持病なのかも知れない。


 まさか、黒い玉から勉強のお誘いとは・・。


「何すんの?」


『カゲフミ』


「・・子供の遊びじゃん」


『ヤル?』


「えぇ・・うん、まあ、遊んでやるかぁ」


 俺は苦笑しつつ立ち上がった。まったく、ガキというのは、人だろうが玉だろうが、こんな遊びが好きなものだ。


「で、どうやるんだ?」


『アンコ モッテ』


「ん?よし・・」


 俺は訳が分からないまま、アンコを抱えてみた。


『カゲ フンデ』


「自分の影・・は、踏めないか」


『ジブン ダメ ホカノ』


「そうなのか?じゃあ・・」


 俺は、座っていた椅子の影を踏んでみた。


「ぅわっ・・」


 罠かよっ!と叫びたくなるくらい、気持ちよく地面が抜けた。スカッと地面をすり抜けた感じで片足から落ちる。


 思わず手で地面を掴もうとしたが、どういう理屈か、届いているはずの手が地面をすり抜けてしまう。


『イチド モグル』


「潜っ・・ぶぅ・・」


 まるっきり落水である。開いた口に液体のようなものが入り込んで呼吸困難になった。


(馬鹿なぁっ!)


 ジタバタと手足を動かして何とか上にあがろうとする。本能的な動きだ。


『オヨグ ミズ オナジ』


(む・・むぅ・・そうは言っても)


 えらく希薄で、蹴る足にも掻く手にも、ほとんど手応えが無いのだ。


『オヤブン カゲ カンジテ』


(影・・感じる?)


 胸に抱えているアンコの言葉に、俺はふむ・・と考えながら空いている左手を闇の中に差し伸ばした。空気よりは抵抗があるが水よりは薄い。


 しかし・・。


(なるほど・・俺の方が軽いのか)


『ソウ オヤブン カルイ』


(・・あぁ、分かったぞ)


 俺はすうっと体の力を抜いた。それだけで、どんどん沈んでいた体が勢いを減じて、ややあって逆に浮かび上がり始めた。周囲を包んでいる闇色の物に対する恐怖が薄まって行くにつれて周りが良く見えてくる。

 頭上に光がぽつんと灯って見える。


(あれが椅子の影?)


『ハイッタ カゲダケ ミエル』


(・・なるほど、何か決まり事があるんだな)


 すうっと浮かび上がって行く感覚が心地良い。


 影の中から外へ・・。


 生まれて初めての経験に、俺は大きな満足を覚えながら頭から浮かび上がって行った。


「ふうぅぅぅ・・」


 空気が美味いぜ!


 俺はそうっと手を伸ばして影と地面の縁を掴むと、一息に体を持ち上げて外へと躍り出た。


『ワカッタ?』


「何となくな・・なんか、息が苦しくないな」


『ナカ ジカン ナイ』


「・・は?」


『ダカラ クウキ イラナイ』


「はぁ・・ああ、なるほど」


 そうなんですか?影の中って時間が無いの?無いって事は、つまり止まってる?いや、時間ってものが無いってこと?もう、訳が分からんよね・・。


『デモ イキモノ ハイレナイ』


「へっ?・・いやいやいやいや・・俺、入ったじゃん?」


『アンコ マモッタ』


「ぉ・・おぅ、そうだったのか?」


『デモ ツギカラ ヒトリデ ヘイキ』


「そうなの?」


『オヤブン カゲ ダイジョウブ』


「ふうん・・何か知らないが平気になったんだな?」


『アンコト アソベル』


「うむ。影か・・なかなか良い物だ」


 俺は満足して頷いた。


『マダ ベンキョウ アル』


「あ・・・そう?」


 ちょっぴり、俺の腰が引けた。


『オヤブン セイメイジュ チリョウシタ』


「感謝したまえよ?」


『セイメイジュ オヤブンニ オシエル』


「・・樹が?どんな事を教えてくれるんだ?」


 樹の分際で人様に物を教えるとか偉そうな奴だ。


『ナクナッタ カラダ ナオスワザ ホカニモ タクサン』


「あっ・・はい、そういうやつね!」


 損壊した肉体を再生する術があるなら、ぜひ教えて頂きたい。望むところだ!


『コレ ノム セイメイジュ ヤドル』


 アンコのツルリとした玉の表面に、木の種のような物が浮かび上がった。


「・・種?」


『ワケギノ タネ チシキ ヤドル』


「ふうん・・」


 ワケギ・・分け木か?名前の感じは、毒じゃ無さそうだが?


 俺は指で摘まんで、楕円形の種をまじまじと観察してから口に入れて呑み込んだ。


『チュウイジコウ アル』


「ふぁっ?」


 もう呑んじゃったよ?


『サイショダケ ワケギ ネヅクバショ イタイ キズ ノコル』


「ちょ、ちょっと・・アンコちゃん?」


『スグニ ラクニナル』


「いやいやいや・・痛いって、どうなの?どこが痛むの?ねぇ・・?」


 アンコを両手で掴んで迫ろうとした、まさにその時、その痛みはやってきた。


 ぎぃあぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・


 氷雪の平原に俺の絶叫が木霊していった。

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