第16話 極北に咲く華

「ヨミ、平人の兵士達は?」


 ウルの問いかけに、


「3隊に別れて遺跡内を行軍中・・・北から18名、27名、23名」


 ヨミが単眼鏡を片手に答える。


「霊鎧の位置は変わりませんね?」


「はい、中央から動きません」


「新しい魔導装置かしら?・・もう1時間経つのに、霊鎧が起動し続けているなんて。帝国はいつの間にか、新しい技術を研究していたのね」


 霊鎧が動けるのは、せいぜい30分ほどだ。その都度休んで魔素の再充填が必要になるはずだったが・・。


 ウルが寒風が吹きすさぶ荒野を振り返った。

 潜んでいるのは、遺跡の東端にある廃墟だ。正面にある大きな館跡の崩れた壁越しに遺跡全体を見下ろせる位置にあった。


「リュート様の気配が見つかりませんね。あの兵士達に捕まったはずは無いですし・・この雪原を徒歩で行くのは過酷過ぎるでしょう。例え無事に歩けても、どうしても時間がかかります」


「でも、天幕の周囲にあの方の気配は感じられませんでした」


 ヨミが俯いて唇を噛む。


「まずは私達が生き延びなければ・・リュート様との再会も果たせませんよ」


 ヨミの背を抱えるようにしながらウルが諭す。


「そうなのですが・・・狙撃兵・・いえ、追跡技能持ちですね。私達の痕跡に気付いたようです。あの様子では、ここを見付けるのも時間の問題でしょう」


 ヨミが単眼鏡を覗きながら呟いた。

 霊鎧との距離は130タール前後。全速で動かれると、こちらが懸命に逃げたとしても約3分で追いつかれてしまう。鈍重そうに見えて最速で移動する時には少しだが浮遊して動くのだ。小回りは利かないが、直線だけなら、ぐんぐん加速して駿馬の3倍近い速度にまで達する。


 当然、他の歩兵は置きざりになる。

 分断という意味では多少は意味があるが・・。


「いけませんよ?」


 ウルが、ヨミの顔を覗き込むようにして笑みを見せる。


「はい、無駄死にをするつもりはありません」


「ふふ・・まずは幻術で乱しましょう」


 もう魔法陣は埋設してある。


 握りしめた拳を胸元に引きつけるようにして、ぶつぶつと小声で呪文を唱え始めた。単独で行う魔術と違って、埋設した魔法陣を起動させるだけだ。大きな魔力を使わないで済むため、こちらの位置を探知させ難い。


「始まりました」


 ヨミが単眼鏡で見る先で、追跡者が兵士達の攻撃を受け始めた。兵士同士も銃を向け合って撃ち合いをしている。互いを獣人兵に見せるという単純な幻術だったが、それなりに効果がある。


「北へ回った部隊は半分が耐えて見せました。中央の部隊はほぼ全滅・・」


「思ったより多く残りましたね」


 ウルが小さく息をついた。


「幻術は相手の数が多ければ多いほど効果が増します。十分な成果かと」


「そうですねぇ・・しかし、残兵はこちらより多いのですね」


「霊鎧が動きます」


 ヨミの声に、ウルが視線を向けた。


 2騎の霊鎧の内、片方がこちらへ向かって歩行を開始していた。当てずっぽうでは無く、ぴたりとこちらを目指している。

 

「見つかりました」

 

「・・そうですか。手練れの術者が居るのですね」

 

 ウルが顔をしかめた。

 

「北に残った8名が散開を始めました」

 

「そちらも手練れですね」

 

「ヨミ、どうやら、ここが年寄りの死に場所です。ここに防陣を仕込みますから・・」


「いいえ、御師様、まだ霊鎧が残っております。先に来る方は私が連れて逝きましょう」


 ヨミが微かな笑みを浮かべた。

 1人が霊鎧の片方を連れて離れれば、その間だけでもこの防陣は無事でいられる。



「常ならば、見送ってあげたい所ですけれど、どうやら・・それすらも許して貰えそうにありませんね」


 ウルが彼方へ視線を向けた。

 ヨミもすぐに単眼鏡で覗き見た。


 残る1騎がこちらへ向けて移動を開始していた。


「これは・・あまり、よくありませんね」


 ヨミは苦笑を漏らした。

 どう控え目に考えても絶望的な状況だった。相手に魔術を辿れる術者が居り、幻術を凌ぐ歩兵が8名も居る。そして、無傷の霊鎧が2騎・・片方は二桁台の番号持ちだ。


「まったく、帝国の兵隊は勤勉過ぎです。真面目すぎる人は好きにはなれません」


 ウルも苦笑を浮かべて小さく首を振った。


「失礼します」


 ヨミは手を伸ばして、ウルの袖を引っ張った。

 すれすれを魔光を纏った銃弾が擦過して石壁を貫通していった。北に散開した狙撃兵の射程に収まったらしい。


「貫通の付与術ですか・・」


 ウルが苦く呟きながら防壁の魔術を発動させた。

 特性種の異なる防陣が幾重にも組み合わさって展開される。続けて飛来した銃弾はすべて防壁に当たって散った。


「これ張ると動けなくなるのよねぇ」


 ウルが嘆息する。


「幻獣達よ、お出でなさい」


 先ほどと同様に、拳を握って胸元に引きつける。

 空中に円形の魔法陣が浮かび上がり、白い煙のようなものが噴き出すと、たちまち大きな狼のような姿を形作って北側に潜む狙撃兵めがけて駆け去って行った。


「ヨミ、護ります。貫通術で霊鎧を!」


「はい!」


 ヨミが頷いて、背負っていた長銃を構えた。狙う先は先に動いた霊鎧である。

 蹴りつけるようにして石床を砕いて足場を固め、長銃の照門に霊鎧の威容を捉えると、小声で呪文を唱え始めた。長銃を中心に、小さな青白い魔法陣が幾重にも生み出されて銃口へと集まっていく。


 いや長銃だけでは無い、ヨミの体も青白い光に包まれ、焦げるような臭いと共に湯気を立ちのぼらせ始めた。


 異変に気付いた霊鎧が、手にした大鎚を振りかぶって加速し突進してきた。

 

 ヨミの術は、まだ間に合わない。


 霊鎧の大鎚が真っ向から振り下ろされてしまった。

 しかし、大気そのものが捻れたような異音を響かせて、不可視の防壁で弾かれた大鎚の柄が折れ曲がり、尖った鎚頭はひしゃげて弾き返った。振り下ろした霊鎧の右腕が肩からねじ折れている。


「次は防げません」


 ウルが静かに呟いた。


「・・十分です」


 全身から湯気を立ちのぼらせたヨミが長銃の引き金を絞った。

 至近距離から霊鎧の胸甲中央を狙った一発である。

 周囲が閃光に包まれた直後、紫電を纏った青光の帯が霊鎧の胸部を貫き、さらに後続の1騎めがけて襲いかかる。


 ぎりぎりの所で、後ろから来ていた霊鎧は騎体を真横へ投げ出すようにして回避していた。それでも、肩口から腕一本が溶解して落ちている。

 至近で胸甲を撃たれた霊鎧は、胴体の半分近くが消失して尻餅をつくように擱座すると、重々しい地響きと共に仰向けに倒れていった。


「御師様・・?」


「老いとは辛いものです。もう魔力が底をついてしまいました」


「・・私もです」


 ヨミが膝から崩れるように座り込んだ。着ている軍服の所々が焦げて白煙をあげている。満身創痍であった。


「幻狼も、兵隊にやられました。よく、これだけの精鋭を集めたこと」


「霊鎧・・来ます」


 ヨミが塞がった左眼をそのままに、辛うじて見える右眼を凝らした。


 片腕を失いながらも、ヨミの銃撃を回避した霊鎧がこちらに向けて歩行を開始していた。多少は警戒感があるのか、強引な突撃では無く、大楯を構えながら近づいて来る。


「歩兵の方は諦めましょう。前方に集中して防陣を組みます。ヨミ・・お願いできる?」


「はい、御師様」


 ヨミは穏やかに微笑して、半壊した長銃を捨てると、腰の三日月剣を引き抜いた。

 細い指先で弧を描いた刀身に触れ、祈りを捧げていく。


「我、剣神にこの身の理を捧げん。我が血、我が肉、我が魂をもって戦場の神々への供物とせ・・」


 祈りの言葉を唱えていたヨミが、ふと言葉を中断して周囲へ視線を振り向けた。


「どうしました?」


 ウルが怪訝そうに愛弟子に声をかける。


「気が・・あの方がお近くに」


 血の気を失ったヨミが慌てた視線を周囲へ走らせ、耳を澄ませる。


「・・リュート様ね?いずこに・・」


「御師様っ!」


 鋭く声をかけるなり、ヨミが小柄な師を脇へ押しながら前に出て三日月剣を振り抜いた。激しい金属音を残して、赤い光を帯びた狙撃弾がヨミの剣で叩き切られて散り去る。

 間髪を入れず、わずかに離れた石壁の陰から野戦服の歩兵が短機関銃による掃射を行ってきた。


 咄嗟に、ウルが霊鎧を防ぐために用意していた防陣を後方へ振り向けて銃弾の雨を防ぎ止めた。そこへ、魔導で強化された榴弾が放物線を描いて放り込まれた。咄嗟の動きで、ヨミがウルを抱えて跳び退りながら逃れようとする。

 肩口と二の腕に榴弾の破片を受けながら、ヨミはウルを背へ庇って歩兵達を振り返ると、歯を食いしばって前に出た。その唇を割って尖った白牙が覗き、双眸が赤光を放っている。


 そこへ、銃剣をつけた長銃を腰だめに、大柄な歩兵が飛び込んできた。

 無事な左手で歩兵の銃剣を払いつつ前に出たヨミが掬い上げるように三日月剣を振った。鉄帽の顎紐ごと歩兵の首が千切れて飛ぶ。


 ヨミは歩兵の死骸から長銃を奪うなり、後方から狙い撃とうとしている歩兵めがけて引き金を絞った。鉄帽ごと頭部が吹き飛んで歩兵が斃れる。ほぼ同時に、ヨミは横腹を撃ち抜かれて地面に転がった。


「ヨミっ!」


 ウルの必死の声が飛ぶ。


「ま、まだやれます」


 ヨミは倒れながらも離さなかった長銃を杖に身を起こした。

 その時、頭上に影が差した。

 はっと振り向いたそこに、巨大な霊鎧が聳え立っていた。大きな戦鎚を高々と振りかぶって、鈍色の光を滑らせる。


 時が止まったかのような静寂を覚えて、ヨミは微かな嘆息を漏らした。

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