第二十話 闇夜への嚆矢・2

「レヴィンの奴は、いかにも訳知り顔って感じだな――俺たちは仲間外れってか? 付き合いの長さで言やあこいつに及ばねえのは分かるが、ちっとばかり傷付くねえ」

 へらりと口元を緩めたサイの言い回しは穏やかだったが、据わり切った目元はあまり好意的に見えない。

「いや、俺も詳しくは聞いていない。お前と同じく、思い当たる節があるというだけのことだ……おそらく原因は、ガラハッドだな?」

 このままどこからも異論が持ち上がらなければと、ついつい手前勝手を走らせていたが、あまりに虫が良すぎただろうか――その一言をレヴィンに突き付けられ、ようやくデューイの胸には諦めにも似た決意がよぎったのだった。

 思い悩むデューイを静かに見つめる友の瞳は、心底頼もしい。まるで「重過ぎる荷なら肩代わりしてやる」とでも訴えているかのように。

「参ったな――はっきりするまでは伏せておくつもりだったんだが、やはり君にはお見通しだったようだね」

 苦笑を漏らしたデューイはひらひらと両手を挙げ、降参の意思を呈していた。


「あなたたちは、昔からいつもそうね。目と目を見れば全部お見通しって雰囲気で。いつも私だけが置いてけぼりなのよ」

 不意に、空耳を疑うほどのか細い声で、ぽつりとシャルテが零したのが分かった。その瞬間、締め付けられるような痛みがデューイの胸の中心に差し込んでくる――サイと雑話を交わすレヴィンは、彼女の呟きに気が付いていないようだった。

 だがそれも束の間のことで、瞬く間にいつもの調子を取り戻した彼女は、「しょうがない人たちね」と、先の曇りが嘘のように控えめな苦笑を作り上げていた。しかし、柔らかに細めたその瞳の奥には、拭い切れない不安の色が滲んだままになっている。

 士官学生の時分から、彼女が自分を見る目に、時折こうした色が混じっていることには気付いていた。

 彼を連れて行かないで。

 私を一人にしないで。

 言葉に出来ない叫びの詰まった、悲痛な色だ。

 聡明な彼女はきっと感じ取っている。近い将来、この聖域に訪れるであろう大いなる〝変革〟の兆しを。加えて、その中核を成す歯車のひとつとして、彼女の最愛の男が組み込まれていること。そして何より、たった今相対している男こそが、彼をその歯車の中へ組み込んだ元凶であるということを。

 きっと私は彼女にとって、楽園の和を乱す仇敵そのものに違いないのだろう――彼女の悲痛な眼差しに晒されるたび、デューイはそんな風に苦悶するのだった。

「おい、デューイ。ぼんやりしすぎだぞ。具合でも悪いのか」

 刹那、傍らからの怪訝げな呼び掛けに、デューイは我に返っていた。

「――え? いや、そういう訳じゃないんだが」

 大方、呆然とシャルテを見つめていた理由を勘違いでもしているのだろう。気遣わしげな言い回しに反して、親友の口調はどことなく刺々しい。

 ところがシャルテは、真隣の不穏を気にするどころか脇へ押し退けると、こつこつと硬いヒールの音を響かせ、デューイの眼前へ詰め寄ってくる。そして不服を露わに眉を寄せ、雪白の細腕をテーブルの端へどんと振り下ろした。

「デューイ、ちゃんと答えて。私の可愛い義妹いもうとにだって大いに関わることなんだから」

 やれやれ。これで益々、半端な言い逃れは通らなくなってしまったか――

 ある意味で彼女は、サイよりもずっと手強い伏兵だった。美玉の醸す鋭利な気迫にたじろぎながら、デューイはどうにか目元を和らげていた。

「分かったよ、シャルテ。私としても、君に嫌われるのだけは避けたいからね」

 するとシャルテは、それまでの威圧感が嘘のように、ころりと顔色を優しく染める。

「それは良かったわ。貴方のそういう話せば分かるところ、大好きよ」

 そんな彼女の背後からは、レヴィンが親の仇を見るような目遣いでデューイを睨め付けていた。


「サイ――お前はあいつの〝眼〟を見て、何も感じなかったのか?」

 そのたった一言で、デューイは親友の目の付け所に狂いがなかったことを確信する。

 傍らにシャルテが戻ったのを皮切りに、レヴィンはようやっと平静を取り戻したようであった。

「眼……? まあ、目付きの悪いやつだとは思ってたけどよ。お前だって負けず劣らずだろ?」

 しかし、サイには今ひとつピンと来ていないようである。

 おちゃらけ半分のサイの言葉を真に受けたレヴィンが、再び眉間を皺くちゃにする様を見て、デューイは思わずシャルテと目配せを交わし、吹き出しかけていた。

「そういうことを言っているのではない。俺が言いたいのは、あいつの〝瞳の色〟のことだ。珍しい色だとは感じなかったのか」

 ひくつく口元と格闘しながらレヴィンが続けると、くすくすと笑いを零していたシャルテの面持ちが不意に真顔へ立ち戻るのが見えた。

「まさか――〝紫暗しあんの瞳〟なの?」

「流石に察しがいいね、シャルテ。君が彼と直接会っていれば、すぐに気が付いていたと思うよ」

 脇腹をつねって笑いを噛み殺し、デューイは深々と頷いた。するとシャルテは「何てこと」と短く感嘆を漏らし、腰元まで伸びた金茶の髪のひと束をくるくると指に絡めて弄びながら、複雑そうに考え込み始めた。

「もしかして、例の〝古文書〟の記述に関わることか? 長ったらしい文章を読むのは得意じゃねえから、詳しく覚えちゃいねえんだが……どんな内容だったっけか」

 一方のサイは、未だに要領を掴めていない様子である。冗談でも何でもなく、本当に分かっていないような口振りだ。

 そういえば彼には、食指の動かぬ雑事を次々と下へ放り投げる悪癖があった。あの口振りからすると、記述のことを頭に入れているのは、大方彼ではなく、彼が全幅の信頼を置く〝弟〟の方であったに違いない。日頃レヴィンが〝粗放者〟と口を尖らせるのは、まさにそうした一面なのだが――

 しかしながら、記述に関する説明を求められたことは幸いと言えたかもしれない。今ならきっと、独自の解釈でもって先入観を築かれる前に、いち早くその有用性を説いて刷り込むことも出来よう。サイの職務怠慢を好機と捉えたデューイは、いつになく前のめりになりながら語り始めていた。

「あれは古めかしい言い伝えを書き留めただけの古書ではないようなんだよ、サイ。記述の全てを鵜呑みにするわけではないが、あの本は確かな先見の明に基づいて綴られた《予言書》である可能性が高いと考えている」

「予言、ねえ――」

 ところが、逃げ水を追いかけるように、熱を込めた分だけサイの興味が遠ざかってゆくのを感じた。勇み足を悔いたデューイは、思わず閉口する――おそらく失策だ。

 感情豊かで義理堅い一面から、ひらめきに頼って生きる直感主義者のように思われがちだが、サイは元来、冷静な現実主義者である。貧民街スラムという特異な環境の中で、日々過酷な現実と向き合い続けて育った彼が、〝予言〟などという極端に精神的なものを易々と信じるはずは無かったのだ。

 やれやれ。やはり、一筋縄ではいかないか――

 その目で確かめたもの、はっきりと見えたものしか信じない。そんな点で彼は、あのガラハッドとよく似ている。唯一違いがあるとするならば、それは前向きか後ろ向きか――現実の行く先に希求を抱けるか否かという点だけであろう。

「そんな得体の知れねえもん、ほんとに信用出来んのかよ」

 大方の予想通り、これでもかと言うほど怪訝な眼差しをぶつけてきたサイに笑顔で応じ、デューイはゆっくりと頷いていた。

「私もごく最近までは、君と同じ心境だったさ。でも君からガラハッドについての報告を受けたことで、書の内容が本当に未来を言い当てているのか、はっきり確認してみたくなったんだよ」

「報告ったって……ユダと違って性格がクソねじ曲がってるってこと以外に、何か気になることでもあったかよ?」

 次こそは隙を作るまいと構えていたつもりであったが、またもやサイの素っ頓狂な言い回しに調子を崩されてしまった。吹き出したくなる衝動を懸命にこらえていると、呆れ顔のレヴィンが、見兼ねた様子で続きを引き受けてくれた。

「大有りだ。お前、自分で報告しておきながら何も感じなかったのか? あいつは〝詠唱なし〟で魔術を発現させることが出来ると言ったな。もはや、それは――」

 しかし、さすがのレヴィンもその先ははばかられたようである。低く喉を鳴らし、言いかけた台詞を文字通りに呑み込んだレヴィンに代わって、デューイは滔々とうとうと言い放っていた。

「それは、人の領域を超えた力だ。神々の威光たる魔術の力を、誓いの言葉を連ねることなく行使することが出来るのは、他ならぬ神そのものか、もしくは――」

「もしくは、〝紫暗の瞳の者〟ね。《予言書》の記述を信用するならば、ってことになるけど」

 的確なシャルテの補足に、思わずデューイは無心で頷いていた。流石のサイも事態を察したのか、返す言葉を決めあぐねているようだ。いつの間にやら居眠りをやめていたカイルも、珍しく緊迫した面持ちを浮かべてやり取りに聞き入っている。

「〝その者、神の導きを請わずして、大いなる力を振るう〟だったかしら。なるほど……それなら彼は《予言書》に記された〝紫暗の瞳の者〟の特徴にばっちり当てはまるわね。王都の外からやってきた人間だっていうのも、確か記述にあったはずよ」

「その通りだよ、シャルテ。これまで我が騎士団では、外界から様々な人間を受け入れてきたが、彼ほど《予言書》の記述に合致する者はいなかった」

 前のめりを踏み止まるようにテーブルの縁を掴み、いっそうの熱を込めてデューイが語ると、すぐさま沈黙が辺りを包んだ。いつの間にか、口を開くものは一人として居なくなっている。

「だが、まだ彼が〝紫暗の瞳の者〟であるという確固たる証拠を得た訳ではない。だから私はこの土壇場で、試験会場を変えることに決めたんだよ。彼がもしの出身者なら、必ずあそこで何かが起こる。破滅の謎を解くきっかけとなる何かが、ね」

 深い吐息が重なり重なって、沈黙の隙間を埋めてゆく。未だ口を開こうとするものは現れない。議題を持ち掛けたサイはもちろんのこと、シャルテもカイルも、そして元よりデューイの意図の大筋を理解していたはずのレヴィンでさえも、突き付けられた命題の重さを持て余しているようだった。

「私たちにとって《予言書》の存在は希望そのものだと思っていたけど」

 ひとしきり思い悩んだ後で、最初に口を開いたのはシャルテであった。

「いざ記述通りの事実に直面すると、戸惑うものね……まさかこんなにも早く予兆が現れるなんて」

 喉元から絞り出したような、シャルテの掠れ声に答えるものはいなかった。再び、長い沈黙の帳が降りたかと思われた、その時のことである。

「〝紫暗の瞳の者〟が本当に現れたと言うなら――」

 耳鳴りするほどの静寂を打ち破ったのが、これまで一度たりと発言していなかったカイルであったことは、意外中の意外であった。ぼんやりと考えに耽っていた一同が、弾かれたように顔を上げる。

「あいつの傍らにいた、あのユダという少女は一体何者なのだ」

 重くひんやりとしたその一言を聞くや否や、喉元に込み上げた圧力がデューイの二の句をすっかり押し込めてしまっていた。

 カイルの指摘は、驚くほど的を射ている。仔細にわたりガラハッドの来訪に関する諸事を言い当てていた〝予言書〟の中に、彼の相棒であるユダという少女に関する記述だけがどこにもなかったのは、デューイの大きな疑念であったのだ。

 もしかするとあの少女は、変革の過程に組み込まれるはずのなかった、変則分子であるということなのか。

 それとも書き留めるに値しない、些細な要素のひとつに過ぎないということなのか――

「何者でもねえよ。普通の女だ。純粋に世界を破滅から救い出したいと考えてる、俺たちと同じ普通の人間だ」

 デューイに代わり、何とも複雑そうに口元を結んで答えたのはサイである。少女の無垢な笑顔を思い描くと、彼の苦々しい見解が当たっていることを願ってやまない。

「……そうだな。俺にも彼女はごく普通の少女にしか見えなかった。無事に試験突破を果たすことが出来たなら、まっすぐな信念を持った良い騎士になるだろう」

 そこへ畳み掛けたのはレヴィンである。

 おそらく感じたままを発言したまでなのだろうが、それはサイにとって何よりの救いとなったようで、にんまりと屈託無く笑った彼は「だな」と満足げに頷いていた。

「付け加えるような言い方で何だが、試験会場としてあの樹海を選んだのは、サイが連れてきた二人以外の参加者たちの、これまでの経歴や能力も加味してのことだよ。あの場所には、今後彼らが守護騎士としてやっていくにあたって、乗り越えて欲しい課題が山のように存在しているからね」

「それは、怪しげな《予言書》ってやつの導きなのかい? お前独自の決断だってんなら、これ以上とやかく言うつもりはねえが」

 張り詰めた空気が遠のいていたことに気が付いたのは、穏やかな語調を取り戻したサイの言葉を聞いた後だった。

 口元にこみ上げてきた笑いを小さく噛み殺し、デューイは長椅子の背もたれを大きく軋ませる。

「私はいつだって、何にも踊らされているつもりはないよ。何しろ君と同じに、神の救いとやらを信じないクチだからね」

「相も変わらず、魔道の国のリーダーとは思えねえ口振りだな」

「……私が人である限り、私の信じるものは人だけだよ。気まぐれな神などに期待はしていない。金輪際、期待などすべきではない」

 言いながらデューイは、夕陽の沈み切る瞬間の地平と、闇に染まってゆく城下の家々をじっと眺めていた。瘴気に濁され、紅の光はひどく朧げにしか届いてはいなかったが、それでも、破滅の以前から変わらず在り続けるその光を目にする度、奥底に激情が湧き出してくるのを感じる。

 ――そうしてその度に、運命の日から幾度となく繰り返してきた台詞を、再び胸の内で繰り返すのだ。

『そうでなくては、この世界が神から受けた仕打ちに、説明がつけられないだろう?』


「どんなことにでも、はっきりとした意義や意味を見出そうとするところは、昔から変わらないわね。あなたは魔道の才能には目覚めなかったけれど、真理を追い求めようとする志は誰よりも強い――どんな魔術士よりも魔術士らしいと思うわ。あなたが騎士団を導いてくれるなら、私たちはきっと世界の真実に辿り着くことが出来る」

 いつの間にやら、瞑想のように深い思案に耽っていたデューイを、シャルテの柔らかな声音が包んでいた。措辞と抑揚とリズム――全ての要素でもって聞くものに大きな安堵をもたらす彼女の話し振りは、神を信じないデューイにさえ、女神の福音を彷彿とさせた。この世に神がいるとするならば、それはきっと生きた人の内に存在するに違いないと、密かに確信する。

「君に褒めてもらえるなんて光栄だな。だが世界の真実よりも、私には君の心の行方のほうが気になるところだ。どうだい、たまには二人で気晴らしに城下の散策にでも――」

「今の台詞を城下の大通りで叫んでみろ……通りすがる民たちから石をぶつけられたとしても、断固として無視してやるから覚えておけ」

「じょ、冗談だよレヴィン――何も本気で怒ることはないだろう?」

 福音にほだされたがゆえの過失――というのはいくら何でも言い訳が過ぎるだろうか。再び傍らの親友が怨敵を呪うような眼差しでこちらを睨んでいることに気がついた途端、デューイの夢見心地は辛くも終焉を迎えていた。

「お前、ほんと所構わずだな……」

 呆れきった顔でサイが目をやった窓の向こうは、深い深い闇色に染め上げられていた。

「では……気を取り直して最後の議題に入ろう。先日の〝暗殺事件〟に関して、いくつか行った調査の結果についてなんだが――」

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