第十四話 決意と逡巡と・3

「しかし、お前の相棒も薄情な奴だな。寂しがってる女を放っておくなんて、俺なら絶対やんねえよ」

「何かやりたいことがあるって言ってたんだ。こんな時だから、きっと大事なことなんじゃないかと思って」

 精一杯の笑顔は寂しさを押し込めて繕ったものだったが、思いもしない空言を口にしたわけではない。

 去り際の相棒の背中からは、迷いや過ぎた気負いは僅かほども感じられなかった。

 おそらく今頃は、過酷な試練に向けての秘策を講じているところに違いない。自分よりも随分遅れる形で参加意思を固めたにも関わらず、彼は瞬く間に心機を入れ替えてしまったのである。

 そんな相棒に対し、自分ときたら。

 ひとりが寂しいなどと、甘えの許される状況ではない。それを分かっていながら、対策を講じるどころか、心を落ち着かせる術さえ見つけられない有様だ。

 ――強くならなくては。

 胸元の首飾りを握りしめたユダは、心の中で何度もそう繰り返しながら、二本の足でしかと地を踏みしめる自分を思い描いていた。

「そりゃ違うだろ、ユダ。こんな時だからこそ、一緒に過ごす価値があるんじゃねえのかよ。少なくとも俺は、あいつのようには考えねえ」

 ところがサイは、どうにも腑に落ちない様子だ。ユダがどうにか整理をつけた心持ちを“いつでも掻き回してやる気だ”とでも言いたげに、刺すような眼差しでこちらを見据えている。

「相変わらずお前、あいつのやり方を強く否定しねえのな。ああいうタイプは、野放しにしとくと付け上がるぜ」

「はは……それ、ラナにも同じようなこと言われたよ」

 わざとらしい笑顔もあったものだと、我ながらに思う。しかしユダはもう、僅かな取り繕いを浮かべる余裕さえなくしていたのだ。

 力なく笑みをこぼし続けていると、とうとうサイは諦めたように長嘆息をもらし、再び物憂げに遠くを見やっていた。

「お前らの関係って、知れば知るほどよく分かんねえなあ。恋人同士って雰囲気じゃねえのは分かるが、かと言って家族って風でもねえ気がするし」

 相棒を責めたてる口調を和らげてくれたのは救いだった。言いたいことを言っているようで、やはり彼は察してくれている。

 幾分か肩の強張りが解けたところで、ユダはほうと小さく息をついていた。

「そうかもしれないね。実を言うと、僕にもよく分からないんだ――どうして彼が僕を支えてくれるのか。どうしてずっと、僕と一緒に旅を続けてくれていたのか」

 言いながらユダは、噴水の縁からひょいと身を乗り出し、澄んだ水面みなもに映り込んだ自らの姿をそっと指先で撫でつけた。

 音もなく水面に拡がった波紋が、半透明の投影をゆらゆらと歪ませてゆく。

 本当のところ、自分でも度々思ってはいた。サイの言った通り、自分とガラハッドとを繋ぐ奇縁とは、果たしてどんなものなのだろうかと。

 友人と呼ぶには近く、恋人と呼ぶには遠い。かと言って、家族のような血の繋がりが存在するわけでもない。

 過去の記憶ごと《審判》以前の一切を失った自分が彼に与えてやれる恩恵など、おそらく皆無に等しいだろう。合理主義者の彼の中に、唯一存在する非合理――まさにそれが、“ユダと行動を共にしていること”なのであった。


 しかし、短い旅暮らしの中で、ぼんやりと見えてきた“可能性”もある。それは、彼の抱えるたったひとつの非合理の理由が、ユダの過去に深く関わっているかもしれないということだ。

 鈍く、じわじわと頭の後ろへにじり寄ってくる痛み。失われた記憶を掘り起こそうとすると、決まって現れるこの煩わしい痛みが、彼と自分との因縁を思う時にも同様に現れるのだ。無理に考察を続けようとすれば、最悪そのまま意識を失ってしまうことさえあった。

 ユダが相棒に、はっきりと過去の経緯いきさつを問いただすことが出来ない最も大きな原因は、そこにあった。今日もまた、これ以上の考察は危ういようである。

 痛みを振り切るように小さくかぶりを振ったユダは、首筋の汗をそっと拭って、再びサイを振り返っていた。

「サイさんならどうかな。誰かにずっと寄り添って行こうと考えるとしたら、それはどんな時だと思う?」

 特段含みを持たせたつもりはなかったが、何故だか彼は意外そうに目を丸くした。

 そして困ったように眉を寄せ、腕組みしたサイは、端々に時折低い唸り声を織り交ぜながら、ぼそぼそと言葉を並べてゆく。

「そうだな。本人によほどの恩があるか――もしくは、世話んなった人の知り合いや家族だとか。あるいは」

 だが、そこまでを並べたところで、彼は唐突に羅列をやめてしまった。

「――どうしたの?」

 黙り込んだサイは、何かに苛立っているような、それでいてひどく戸惑っているような――不可解な面持ちを浮かべている。突然の豹変に驚いたユダは、思わず無心で問うていた。

「いや……何でもねえよ。くだらねえことを思い付いただけさ」

 しかし彼は、すぐさま自嘲を浮かべ左右に首を振る。

 そして、打って変わってにやりと悪戯っぽく口端を歪めたサイは、ユダの鼻先を覗き込むように背中を丸め、そそくさと距離を詰めてきたのだった。

「他には、やっぱ下心がある場合だろうなあ。何せ相手は女だ。しかも二人といねえ美人とくりゃあ、仕方のねえ話だろ?」

「だから、彼は僕のことそういう目では――」

 さしものユダも、思わず身を怯ませるほどの至近距離である。ところがどうして、その相手がガラハッドであったなら、今のような緊張や息苦しさなど微塵も感じることはなかったはずなのだけれど。

 視線は外さないよう意識しながらも、ユダは円形の噴水の縁に沿ってずるずると尻を滑らせ、できる限りサイの側から遠ざかっていこうとした。

 ところが、笑顔のままのサイにがっしりと腕を掴まれ、地道な逃走劇は敢え無く幕切れを迎える。

「なあユダ、その点俺は安心だぜ。普段それなりに遊んでることは認めるが、一人の女に決めた後は、絶対に余所見するこたねえからな」

「まだ続けるの、それ。サイさんて冗談が好きなんだね」

「……はあ?」

 ユダが口端から微かな笑いを零すと、サイはまたも不可解な表情をみせた。眉間に深く縦筋を刻み、彼は呆気に取られたように、ぽかんと口を開けている。

「おいおいおい……お前、まさか今まで俺が言ったこと、全部冗談だと思ってたのかよ」

 ひとしきり唖然とした後で、彼は額のあたりを重そうに手の平で支え、もどかしげに口元を引き結んでいた。

「え……? だってデューイさんも同じようなこと言ってたよ。大人の男の人はみんなそういうこと言うものなんじゃないの?」

 苦渋に満ちたサイの顔色を目の当たりにし、初めてユダは動揺していた。彼の言わんとすることの全容が、どことなく見えてきたような、そうでないような気がし始めたのである。

「あんなのと一緒にすんじゃねえよ。あいつは女と見りゃあ、ババアだろうがガキだろうが、誰彼構わず挨拶代わりに口説くような野郎なんだぜ。どう考えたって、ただの社交辞令じゃねえか」

「サイさんのも、そういうものだと思ってた。だってまだ、それほど話したこともないのに……僕はサイさんのこと、何も知らないよ。サイさんも僕のこと、何も知らないでしょ?」

 その時、不意にユダの腕を掴むサイの手の平に、ぐっと力が込められるのを感じた。

 抗う間も無く引き寄せられ、ユダはそのままバランスを崩し、背後の水溜めプールへ仰向けにひっくり返りそうになる。

「わ……わっ」

 背すじに冷たいものがぎった瞬間、ユダは無我夢中でサイの右腕にしがみついていた。

 勇み足で墓穴に飛び込んだことを自覚したのは、薄ら寒い思いをひとしきり味わいきった後のことである。気が付くと、サイと自分との距離は、すっかり消えてなくなっていた。

「感情ってのは、考えるより先に生まれるもんだろ? 感情の理由なんてものは、所詮後付けされた理屈なんだよ。お前のことを深く知ろうが知るまいが、この先俺の気持ちは変わらねえ」

 ひときわ近くで響いたサイの低音を耳にするや否や、胸の真ん中が俄かに騒ぎ出していた。次第次第にそれは、ことさら小さく重たいものに変わり果ててゆく。

 その異変の原因を手探りするように、ユダは拳でぐっと左胸を押さえつけている。確かにそこは、いつにも増してけたたましく暴れているようだった。

「貴方の言いたいことがどういうことなのか、僕には――」

「悩むほど難しい話か? お前が好きだって言ってるだけだろ」

「で、でも……」

 顔を上げてはいけない気がする。

 直感がユダの脳裏を過ぎっていた。

 ゆったりとした衣装に隠れて見えなかったサイの腕のたくましさが、緊張に強張る手指を介し、少しずつ伝わってくる。その度に、頭の芯を甘い痺れが疾り抜けてゆくのを感じていた。

 誰かの言葉に、こんな感情を抱いたのは初めてだ。逢魔の森で初めて彼と言葉を交わしたとき、からかい半分で寄越された台詞などとはわけが違う――

「あのさ、ユダ。俺、試験に関していくつか助けてやれることがあるぜ」

 これ以上、今のからめ手を続けられたらどうすればいいのか。そんな不安を思っていた時のことだ。

「え?」

 あまりにあっさりとした二の太刀に拍子抜けしたユダは、不意に顔を上げていた。

 殊のほか面喰らっていた自分は、さぞかし腑抜けた顔をしているに違いない。しかし、見上げた先に居たサイは、ただただにこやかに微笑んでいたのである。

「試験後に俺と一日デートしてくれるなら、力になってやるよ。どうだ? 悪い話じゃねえだろ」

 よかった、いつものサイさんだ。

 いかにも彼らしいその軽妙な口回しに安堵したユダは、何事もなかったかのように、ゆっくりとサイの腕に預けた体重を引き取り、小さく息をついていた。

「いや――せっかくだけど、やめておくよ。ごめん」

 すっかり落ち着きを取り戻した胸元から手を引いたユダは、まっすぐ前を向く。

「もしも騎士になれたとしても、自分だけ楽したんじゃ、他のみんなに合わせる顔がないからね。辛いことも、ちゃんとみんなで共有したいんだ。そうやって僕は、胸を張って騎士になりたいから」

 そこから先の言葉は、自分でも驚くくらい自然に湧き出していた。紡がれるほどにそれは大きな自信となって、心のぐらつきを支えてくれるような――不思議な手応えを感じる。

「そうか……まあ、お前ならそう言うと思ってたけど」

 沈んだ口調。

 信念に背く物言いをしたつもりはないが、サイの厚情を反故にしてしまったのかもしれない。

 たったひとつの気掛かりを思い、ユダは精一杯の笑顔を傍らへ向けていた。

「僕のことを心配して、いろいろ考えてくれたんだね。ありがとう、サイさん。すごく嬉しいよ」

 微笑んだユダを見た瞬間、サイははっと驚いたように切れ長の紅眼を見開いていた。そして同時に、哀しみと切なさの入り混じったような、何とも言えず辛そうな顔を見せたのである。自信に満ちた平時の彼を思えば、それは驚くほど弱々しい変わり様であった。

 繋がれたままの手が、小刻みに震えている。

 傷付けてしまったのだろうか?

 不安に駆られたユダは思わず、俯いたサイの顔色を伺っていた。

「サイさん……どうしたの?」

 ――その時のことである。

 震える手が唐突に力を帯び、再びユダは為す術なくその力に引き寄せられていた。

 しかし、先ほどのように後背へ転げ落ちそうになることはない。何故ならユダの身体は、サイの両腕に強く抱き締められていたからだ。

 広い胸元から立ちのぼった麝香ムスクの香りが、昨日よりもっともっと近いところから、ユダの鼻孔に絡み付いてくる。

「あ、あのっ……」

 不意に、これから耳朶へと落とされるであろう声が、どれほど甘いのだろうと想像していた。鼻先を去らぬ妖しい香りに見合うだけの、どれほど甘美な囁きなのだろうと。

「本当は、行かせたくねえんだ。お前を見つけたら、真っ先にこう言うつもりだった」

 けれど、サイの声音はひたすらにまっすぐで、それでいてどこか弱々しいかげりを帯びていた。

 最後に見た、彼の沈痛の面持ちが脳裏を過ぎる。

 どうして彼は、こんなにも弱ってしまったのだろう――

「俺がここに来た本当の理由は、お前を棄権させるためだったんだよ」

 ぴたりとくっつけた耳で、筋張った喉を震わせるサイの声を直に拾っている。

 ようやっと、触れた肌から伝わってくる体温に慣れ始めた頃合いであったが、胸を突く痛みは限界を越えていた。

「今回の試験のことを聞かされたとき、俺は愕然とした。例年通りだなんて高を括ってた自分を、心底呪ったんだ。安易に声を掛けるんじゃなかった、ってな。もしもお前が、試験の途中で死んじまうようなことがあったらって――」

 とうとういたたまれなくなり、ユダは顔を上げる。

 夕暮れの茜が逆光を生み出すおかげで、サイの目元ははっきり見えない。けれど、影の隙間から覗く口元は、やはり震えていた。

「なあ、行くなよユダ。その首飾りを外しちまえば、試験には参加出来なくなる。たとえ守護騎士にはなれなくたって、復興のために力を尽くす手段は他にもあるだろ」

 ――ああ。

 もうこれ以上、こんなにも辛そうな彼の顔を見ていたくない。

 そう思った途端、ユダは自然と、サイの頬に指先を触れ合わせていた。

「そんなこと言わないで。そんな台詞、サイさんらしくないよ」

 すると、ユダの笑顔に釣られるように、サイの強張った面持ちがほんのりと柔らかくなった。

 頬に添えていた手をそっと離すと、サイは「そうだな」と溜息のように零し、いびつな笑みを浮かべた。

「僕、サイさんに声を掛けてもらえて嬉しかったんだよ。はっきりと生きる目的が見つかった気がしたから。僕の生きる道はこれだって感じたんだ」

 このまま彼とのやり取りを続ければ、怖気付く心が生まれてしまうかもしれない。

 それでも、ただ笑ってほしくて。

 たったひとつの思惑のために、ユダはひたすら微笑みを絶やさぬよう努めた。

「大丈夫だよ。僕はサイさんに見込まれたんだもの。だから、きっと――」

 そうして、持て余した胸の痛みに、ほんの少し気を取られていた瞬間のことだ。

 艶やかな麝香の香りが揺れたかと思うと、唐突に息苦しさを感じた。

 気が付けば、サイの唇がユダの唇に触れている。数度瞬きを繰り返し、ようやっとユダが現状を飲み込んだとき、既にサイは唇を離し、呆然とするユダにうっすらと微笑みかけているところだった。

 すぐさまユダの意識は、かつてない動揺に塗り潰される。

「え、えっと――」

 そっと触れるだけの優しい口付けは、おおよそ彼の為人ひととなりからは想像もつかないものだった。

 目元に異様な熱が飛び交っている。

 もはやユダは、ただただ俯くことしか出来なくなっていた。これから先、一生彼の顔をまともに見られないのではないかと本気で考える。

「よし、決めたぜ。俺はとことんお前を信じる」

 しかし、熱を放つ頬にそっと冷たい手で触れてきたサイは、そんなユダの甘えを許してはくれなかった。

「必ず戻ってこいよ、ユダ。絶対に死ぬな」

 頬から滑らせた指先でユダの顎を持ち上げると、サイは再び僅かの間、ユダに唇を重ね合わせた。

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