第十一話 候補者たち・5

「要は、目星を付けた人員の適正を改めるということでしょう。まあ、その辺りは当然の成り行きというか……道理ですね」

 メリルの話をすんなりと聞き入れた相棒を見るなり、ユダは俄かに緊張をおぼえていた。

 彼女の話した〝選抜試験〟とやらを受けて立つということは、つまり騎士を目指す旨を受け入れたも同然ということになろう。

 結局のところ、昨晩赤髪の男と話して以来、相棒の率直な意見は聞き取れていない。

 彼は今、何を思いながらここにいるのだろう――案じながらもユダは、答えを聞き出すタイミングをはかりかねていたのだった。

「課題の内容がはっきりしてないせいで、あたしは昨日気になってあんまり眠れなかったわ」

「私もです。今朝から少し、胃が痛くて……」

 一気に覇気をなくしたラナと、憂い顔で俯くメリルを見た途端、ユダの胸にももやもやと不穏が湧き出していた。

「僕も何だか、緊張してきちゃったなぁ」

 膨らんだ不安の重みに耐え切れず、ユダはいつの間にか空腹のことなどすっかり忘れ、メリルの足元に静々としゃがみ込んでいた。


 重苦しい沈黙が流れる。

 このまま居たのでは、膨張を続ける不安感に押し潰されてしまいそうだ。

 何か話題はないものか――せめて一様に皆の気が紛れるような、明るい話題は。

 頭を抱えたユダが、すがるように相棒を見遣る。そんな折のことであった。

 骨の髄までを揺さぶられるほどの凄まじいいびきが、静まり返った大広間に轟々と響き渡っていた。

 まるで地鳴りだ。

 けれどもユダは、その何とも長閑のどかな騒音に、いたく心を救われたような気になっていた。

「〝何か始まったら起こしてくれ〟だそうです。彼は昨日からずっとこの調子ですね。食べるか寝るかしかしていないような……」

 呆れ顔のガラハッドが見下ろした大柄な体格の青年は、〝ヴァイス〟というらしい。

 浅黒く日に焼け、至る所に傷跡の刻まれた筋骨隆々の腕で長柄の三日月斧バルディッシュを抱え、青年は背後の白壁にだらりと体重を預けたまま、大口を開けて呑気に鼾を掻いている。

 彼もまた、守護騎士候補者の一人だ。年の頃は、ガラハッドよりも僅かに上といったところだろうか。素朴で愛敬のある顔立ちをしているが、候補者の中では誰より大人に見える。

「田舎者は気楽でいいなぁ。見た目の通り、体力が有り余ってるんだね」

 さすがに読書を続ける心地では居られなくなったのか、苦々と口端をひん曲げたエスターが、世にも珍しい生き物でも眺めるかのような目遣いでヴァイスを見下ろしていた。

「こいつの図太さは到底理解出来る気がしないけど、今だけは羨ましいって思うわね……」

 気が付けば傍らのラナも、同じような顔付きで彼を見つめている。

「ヴァイスさんは、山間の村のご出身なんだそうですよ。どこででも眠れることと、五感の鋭さが自慢なのだと仰っていました。屋外調査フィールドワークが基本の学者としては、羨ましい限りです。私も見習わなくては!」

 高揚気味にまくし立てたメリルも同じく、珍しい生き物としてのヴァイスの〝生態〟に興味を示しているのだろうか。しかしながら彼女の観点は、ラナたちとはどこかずれているような気がしてならないが。


「それにしても、試験ってどんな内容なんだろうね。〝審判〟前の知識が必要とされるなら、僕はみんなよりだいぶ不利になっちゃうなぁ……」

 気を取り直してから、ユダが再び不安をさらけ出すと、一同を取り巻く空気にぴりりと緊張が戻っていた。

「ユダは記憶喪失なのでしたね……今回は候補者の人数もかなり限定されていますから、その辺りは考慮されそうな気がしますが」

「例年通りなら、一般から志願者を募る形式になるはずだったんだ。でもそれだと、あまりにも志願者の数が多くなって、実力者を見極めるのにえらく手間がかかったんだよね。今回からはそこを踏まえて、現役の守護騎士からの推薦って形になったわけ。だから前みたく、志願者をトーナメント方式で戦わせるなんて乱暴な内容にはならなそうな気がするんだけど」

 どこか不安げなメリルに対し、すらすらと選抜試験の〝傾向と対策〟を語るエスターの口調は、余裕に溢れている。

 読書中は言葉少なげであったが、意外にも彼は、お喋りも嫌いではないようだ。ラナの言った通り、兄のカイルとは容姿こそそっくりだが、性格的にはあまり似ていないようである。

「へえ、そんなことがあったんだ……大人数の中から勝ち抜くの、大変だっただろうな」

「そうだね、組み合わせの相手次第では、実力を発揮出来ない者も出そうだし。ちなみに前回の試験を突破したのは、そこで寝てる大男をスカウトした〝レベッカ〟って女騎士だよ」

 お喋りも嫌いではない、という表現には語弊があるかもしれない。こちらが興味を示せば、あれもこれもと気前良く情報を寄越してくれる――どうやら彼は、正真正銘のお喋り好きのようである。嫌味の虫が鳴りを潜めてくれさえすれば、ラナとも充分仲良く出来そうな気がするのだが。

「勝ち残ったの、女の人だったんだ? すごいね」

「レベッカは強いわよ。そこいらの男じゃきっと、束になったって到底勝てやしないわね。トーナメントの時のレベッカはホントにカッコよかったわあ……一緒に見学してたあたしの友達がみんな、〝彼女が男だったら〟って惚れ惚れしてたくらいだもの! あたし、強い女の人って大好き!」

 祈るように両手を重ね、ラナはうっとりと記憶の中の勇ましき女騎士に思いを馳せている。

 同じ女としてユダも、強く生きる女性には憧れを感じてやまないが――それより何より気になっているのは、彼女に見込まれたという目の前の青年のことである。

 もしかするとこの高鼾は、絶大な自信に裏打ちされた余裕から来るものなのでは――沸き立つメンバーをよそに、全くもって目を覚ます気配のないヴァイスを見下ろしながら、ユダはそんなことを思っていた。

「彼女の場合は、純粋に高い戦闘能力を買われて選ばれた感じだったよね。志願者側は大変だったと思うけど、前回の試験は見学自由だったから、観てる方は楽しかったな。まるで武術大会を観覧してるみたいだったし」

 にこやかに何度も頷いたエスターは、珍しくラナの言葉に同調している。

 後学のためというよりは、単純な好奇心から来る願いだが――出来れば自分も、その大盛り上がりの選抜試験を観覧してみたかったと思う。

「戦闘能力、か――」

 しかしながら、自身にその激闘を勝ち進む実力があったかと考えると、気が気ではなくなってくる。ユダが目指しているものはまさに、その豪傑の女騎士が数多の対戦者を破って勝ち取ったものと同じ、〝守護騎士〟という位置ポストなのだ。

「心配には及ばないよ。おそらく今回に限って、それはない」

 不安のあまり、気付かぬうちに黙り込んでいたユダの背中に、とんと温かいものが触れてくる。

 見れば、部屋の隅に立っていたはずのガラハッドが、いつの間にやらユダと背中を合わせる形で大広間の床に座り込んでいた。

「戦闘能力だけを採用基準とするなら、選ばれる人間は既に決まっているからね」

 肩越しに見やった相棒は、何とも落ち着いた面持ちで、昼の光をそそぐ天窓の向こうをぼんやりと眺めているようだった。

「何よ、勿体つけちゃって。それは自分だって言いたいんでしょ。まったくあんたって人はホント――」

 やはりと言おうか――またもラナはガラハッドの言葉を自らへの皮肉と捉え、頬を膨らませ怒り散らしている。

「それは聞き捨てならないな。選ばれるのはどう考えたって僕でしょ? 君が問題外なのは誰の目にも明らかだと思うけど!」

 エスターまでがそこへ加わると、もはや二人は揉め事の発端となったガラハッドのことなど忘れた様子で、再び揚げ足の取り合いを始めてしまった。

 二人の剣幕に圧倒されながら傍らを見やると、「いつものことですよ」とメリルが、小さく肩をすくめて微笑んでいた。


「しかし……あまりに遅いですね。あれほど早々と呼びつけておいて、一言の声すら掛からないとは」

 そうしたのち、これまで――待たされることに関しては――文句のひとつもこぼさなかったガラハッドが、とうとう根をあげる瞬間がやってきた。

「まさかこれも、忍耐力をはかるための試験のうちのひとつだったりして――ね? ガラハッド」

 退屈しのぎの軽い冗談のつもりで言って、背中合わせの相棒にわざと体重をかけてやる。「くだらない」と鼻で笑う相棒の姿をありありと思い浮かべながら、ユダはゆっくりと背後を振り返っていた。

 ――しかし。

「それだよ……どうして今まで気が付かなかったんだろう」

「――え?」

 目いっぱい首を伸ばし、ガラハッドは煌びやかなシャンデリアの吊るされた高い天井を見上げている。法衣の詰襟からのぞく白い喉元が、ごくりと生唾を飲み下す音をこぼしていた。

「やられたよ、ユダ。君は真南に昇った太陽が、東へ降りていくのを見たことあるかい? つまり、ここは――」

 ふてぶてしく笑みを浮かべ、ガラハッドが立ち上がる。ユダがそれに倣うのとほぼ同じタイミングで、足元にうずくまっていた大きな影がゆらりと動き出していた。

「嫌な匂いが近付いてきやがる。上からだぞ!」

 あれほど深く寝入っていたのが嘘のように、電光の勢いで跳ね起きたヴァイスが、長柄の斧を身構え、頭上を睨め付けていた。

「え……ちょっと、一体何なの?」

 未だ状況を飲み込めていない様子のラナが、よたよたと面喰らったように後ずさる。

 その、刹那のことであった。

「きゃあっ!」

 甲高い破裂音がいくつも聞こえたかと思うと、天窓に張られていたガラスが残らず砕け散っていた。

 間髪を容れず、狭い窓枠に無理くりその身をねじ込みながら、見慣れぬ生き物が広間へ侵入してくる。

 ――その影は、ひとつではなかった。

「何で……? 気配なんて、全然感じなかったのに!」

 真っ白な陽光を浴び、まばゆい輝きを放つガラスの雨の中を、大人の胴ほどもある巨大な羽虫がうぞうぞと飛び交っている。それらは昆虫によく似た形状フォルムを有していたが、ユダがこれまでに見てきたどんな虫たちとも異なる姿をしていた。

 蟻のような、もしくは蟷螂かまきりのような――そのどれにも似ているようで、判然とそっくりであるとは言いきれない、異様な形貌。外形にこそいくつか似通った点はあるものの、その体表には〝昆虫〟と呼ばれる種に不可欠であるはずの、甲冑様の外皮がどこにも見当たらない。代わって彼らの体を覆っていたのは、まるで人のそれのように滑らかで、肉々しい肌色であった。

 さながらそれは、狩り獲った人の肉を誇らかに纏っているかのような――悪夢の如き妄想にとりつかれたユダの胸に、激しい嘔吐感が押し寄せてくる。

 間違いない――奴らは《異形》だ。


「皆さん、落ち着いてください! 私が彼らの弱点を――」

 刹那、驚愕と動揺の渦に呑まれた大広間の空気をつんざくように、メリルの叫声が轟いていた。

 すると途端に、混乱の一色に塗り潰されていたユダの意識が平常を取り戻す。そうして初めて視野の中へ飛び込んできたものは、先を争うようにメリルの頭上へと群がってゆく、おぞましい羽虫の一団であった。

「メリル、危ない!」

 あるものは長い前脚を鎌のように研ぎ澄ませ、あるものは細くしだれた尾を針のように尖らせ――

 続けざま、メリルの上方で空中停止していた羽虫たちが、一斉に禍々しい利刃を身構える様を目の当たりにしたユダは、弾かれたように地面を蹴っていた。

「駄目だ、ユダ!」

 ――ところが。

 無意識に嗚咽が漏れるほど、喉元を強く締め上げられる感覚があり、気が付くとユダは、メリルのところからは遠く離れた石床の上に転がされていた。

 強烈な息苦しさに朦朧としかけた頭を振り、大慌てで跳び起きる。そしてユダはうっすらと涙の滲んだ目で、自らを絞め上げた張本人を猛然と睨み付けていた。

「何するんだ、ガラハッド! このままじゃメリルが――!」

「くそっ……伏せてろ、メリル! 動くなよ!」

 刹那、ユダの抗議の声を掻き消すように、ヴァイスの怒号が轟いていた。

 はっと息を呑んだユダは、苦々しく眉を寄せた相棒のもとから視線を外し、声のした方を振り返る。

「来るなら来やがれ、羽虫ども! 残らず叩き落としてやるからよ!」

 おそらくヴァイスは、ユダとほぼ同着となるタイミングでメリルのもとへ駆け寄り、そのまま彼女を突き飛ばした。

 そうして彼は、石床に倒れ込んだメリルを庇うように大斧を構えて立ち、矢の如きスピードで飛来してくる羽虫の一団を、真っ向から迎え討とうとしていたのである。

「ヴァイスさん、危険です! 下がってください!」

 悲鳴のようなメリルの声が、ユダのすべてを震え上がらせていた。

 ――声も出ない。

 ――息も出来ない。

 恐怖と絶望の応酬に、胸の真ん中が潰れそうなほどの痛みを放っている。

「ヴァイス……!」

 途端に自重を支えきれなくなり、ユダはがくりと力なくその場に崩折れていた。


「ひええ……危ねえとこだった。ありがとな、助かったぜ!」

 ところが。

 異形の強襲を受けたはずのヴァイスは、擦り傷ひとつ負うこともなくピンピンしていた。

 しかし、千状万態の凶器を携えた異形たちの一斉攻撃を食い止めたのは、彼の大斧ではない。

「どういたしまして。あんまり突然だったから、詠唱が間に合わないんじゃないかと思ったよ」

「へえ……これは凄いな」

 そこには、相棒も思わず感嘆の声を漏らすほどの絶景が広がっていた。

 羽虫の群れは、ただの一匹たりと逃すことなく、石床から逆さまに突き出した巨大な氷柱つららの中に封じ込められていたのである。

 土壇場で妙技を披露してみせたのは、細い指先で揚々と鼻の下を擦ったエスターのようであった。

「いつもなら、もう少し手段を選べたかもしれないけど……仲間が襲われる瞬間を目の前にしておきながら、なんにも動けなかった誰かさんと比べたら、遥かにマシだよね?」

 手近にあった氷柱のひとつを手の甲でコンコンと叩いてみせたエスターは、空色の瞳を満足げに細め、傍らのラナをちらりと側めていた。

「うっ……うるさい……」

 茹で蛸のように顔を真っ赤にしたラナは、悔しげに両肩をわななかせている。

 ――事後の嫌味臭さはさて置くとして。

 彼の助力なくして、あの場を乗り切ることは不可能だったに違いない。咄嗟に上衣を引っ掴んで、相棒がユダの動きを制してきたのは、この顛末を見越した上でのことだったのかもしれない――それにしたって、もう少し他にやりようはなかったのかと、鬱々とした思いは残るけれど。

「とにかく、みんな無事でよかった。大丈夫、メリル?」

 しかしながら、いつまでも些事を気にしていても仕様がない。早速と気を取り直し、ユダはヴァイスの強かな突き飛ばしを喰らったメリルの側へ歩み寄っていた。

「駄目――」

「え?」

「駄目です! まだ油断してはいけません!」

 ところがその時、ヴァイスの巨体の陰から、氷漬けになった異形の群れを吸い込まれるように見つめていたメリルが、唐突に金切り声をあげていた。

「彼らは、意のままに空間を転移する能力を持っています! 完全に息の根を止めるまでは、物理的に拘束しても――」

 それより先の言葉は、突如として鼓膜の奥に飛び込んできた異音に飲み込まれ、聞き取れなくなっていた。

 気が付く頃には、不気味な羽音を撒き散らし、再び異形の虫たちが、一同の頭上を覆い尽くしている。

 息を呑んだユダの眼前で、羽虫の一匹が凶牙を振りかぶっていた――。

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