第16話 チーズと牧場
建物に近付くにつれ、モーという生き物の鳴き声が耳に入るようになってきた。
これ、牛の声だよな。結構な数がいるみたいだな。
建物に到着し、大きな出入口から中を覗く。
俺の目が映したのは、地面に大量に敷かれた干し草と、それを食む巨大な四足の生き物だった。
……何これ、でかっ。
軽トラくらいある大きさのその生き物は、何とも凶悪そうな鋭い角を生やした風貌をしており、俺が知っている牛とは全然違っていた。
顔つきや大きなおっぱいがある姿は牛っぽい……が、どう見てもこいつからミルクが搾れる様子が想像できない。
呆気に取られている俺を入口に残したまま、グレンは建物の中に入っていく。
中で干し草を牛もどきにあげている壮年の男に声を掛けた。
「バーベンダさん。仕事中に失礼します」
「ああ、城の料理人(シェフ)さんか。よく来なすった」
バーベンダ、と呼ばれた男は作業の手を止めて、グレンに目を向けた。
「今日は何が入用かな?」
「チーズとバターを」
そう言ってグレンは俺を呼んだ。
さっきの注文書を出せ、と言われたので、俺は畳んでエプロンのポケットに入れていた羊皮紙を取り出してバーベンダに渡した。
羊皮紙に書いてある内容を一読し、バーベンダは頷く。
「注文は確かに受け付けたよ。直接渡してくれとあるが、運べるのかね?」
「ええ。問題ありません」
「了解したよ。それじゃあ、倉庫の方に行こうかね」
ついておいで、と言って歩き出すバーベンダ。
俺たちは彼の案内で牛舎の奥にある地下倉庫に招かれた。
牛舎は獣臭かったが、此処はチーズ臭い。濃厚な匂いが空間一杯に充満している。
棚に並んでいるのは、円盤型に成形されたチーズだ。いつ頃作られたものなのかは分からないが、どれも白く粉をふいており実に美味そうだ。
「こいつなんか、食べ頃だ」
バーベンダは棚からチーズをひとつ取り出して、表面をこんこんと叩いた。
俺からしたらどれも同じに見えるけど、そこは流石プロ。微妙な差が分かるのだろう。
「更に熟成させるとコクが深くなるんだが、癖が出てくるからな。赤茶の斑点模様が出てくる前に食べきることをお勧めするぞ」
用意した大きめの麻袋に、選んだチーズを次々と入れていく。
袋の口をしっかりと縛って、グレンに手渡した。
「後は、バターか。今用意するから、外で待っていてくれんか」
言われた通りに倉庫の外に出て待つ俺たち。
しばらくして、小さな麻袋を抱えたバーベンダが戻ってきた。
「氷魔法で冷やしてはあるが、なるべく早く冷蔵庫に入れてやってくれ」
この世界の冷蔵庫は魔石という魔力を秘めた石で稼動するタイプで、使い勝手は俺たちが日本で使っている馴染みの冷蔵庫とそう差はない。時々魔力を充填しなければならないという手間はあるが、普通に使う分には便利な道具だ。
俺はバーベンダからバター入りの麻袋を受け取った。
ひやりとした袋からは、ほんのりとバターの良い香りがする。
「いつもありがとうございます」
「こちらこそ、いつも御贔屓に」
頭を下げるグレンに、バーベンダは笑顔で応えた。
「お前さんたちだったらいつでも歓迎するよ。また来ておくれ」
牧場を後にした俺とグレンは、町人が行き交う大通りを城に向かって歩いていた。
「こうして、時々買い出しに町に出ることもある」
チーズ入りの麻袋を担ぎ直して、グレンは俺に言った。
「どうだ。少しは町の雰囲気にも慣れたか?」
「……そうだなあ」
俺は周囲を見回して、答えた。
「俺を見た奴らに『人間だ』って騒がれたりしなけりゃ、いい町だとは思うよ」
「そうか」
俺が住んでいた日本の町と比べると、この町はあったかい感じがする。
ただ人が行き交うだけの日本の町と違って、此処に住んでいる連中は他人と気さくに交流している分、フレンドリーだなって思えるのだ。
それも、俺が魔王に戦いを挑んだ勇者だって知られたら豹変するのかもしれないが。
ただの城勤めの料理人として過ごす分にはいい場所だと、思う。
……魔族を蹂躙した勇者から出てきた言葉だとは思えないよな。
でも、それが今の俺が抱く正直な感想だ。
きっと、魔族も人間も根本的な部分では変わらないのだ。
ただ、思想の違いなのか相容れないから争っているだけで。
もしも、互いのことを理解しようという奴が現れて、その思想が広まっていったら、俺たちは争わずに共存する道を選ぶのだろうか。
俺が、今、厨房の連中と仲良くやっているみたいにさ。
「料理長が待っている。早く戻るぞ」
城が見えてきた。
こうして、初めてのおつかいとも言える買い出しは、俺にとって色々な意味で実入りのある経験となったのだった。
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