第10話 勇者と魔王

 俺が玉座の間と呼んでいる謁見の間に行くのは三度目だ。

 見張りの衛兵が立っている入口の前に来て、俺は深呼吸をした。

「王の食事を届けに来たのか。御苦労」

 俺が運んでいるワゴンを見て、衛兵の一人がそう言った。

 ……おい、目が料理に釘付けだぞ。

 もう一人の衛兵も、何か涎を垂らしそうな顔をしながら料理を食い入るように見つめているし。

 朝飯、まだ作ってる最中だもんな。腹減ってるのは分かるけど。

 俺は扉に両手を付けて、ゆっくりと左右に押し開いた。

 隷属の首輪さえ填められてなかったら片手で開けるのに、我ながら情けないと思える貧弱ぶりだ。

 臙脂の絨毯が敷かれている室内を、ゆっくりとワゴンを押しながら進んでいく。

 玉座に、魔王の姿はなかった。

 この時間帯はまだ寝室の方にいるらしいから、いなくて当たり前か。

 そのまま玉座の横を通り過ぎ、奥の方にある小さな扉の前に行く。

 この奥に、魔王がいる。

 いよいよ会うのか。

 俺は喉を小さく鳴らして、扉を静かに開いた。

 まず、俺を出迎えたのは甘い匂いだった。

 香を焚いているのだろう。果物を連想させる香りが全身を包み込み、横を通り過ぎて背後へと抜けていく。

 部屋は俺の勉強部屋と同じくらいの広さで、中央に小さな丸いテーブルが置かれていた。テーブルの上には香を焚く小さなポットがあり、そこから淡い桃色の煙が吐き出されている。

 テーブルの向こう側には天幕付きのベッドがある。このベッドひとつで部屋の半分を占領しているんじゃないかと思えるような、そのくらい大きなベッドだった。

 ふかふかの毛布に、大きな枕。天幕は左右に捲られている。

 そこに、魔王の姿はあった。

 以前俺が目にした法衣姿ではなく、ゆったりとしたガウンのような黒い服を着ていた。髪は微妙に寝癖が付いており、前髪がぴょこんと立っている。

 魔王のプライベート姿……何か、寝起きの親父を見てるような気分になるな。

 こんなのと死闘を繰り広げたのか、俺は。

 勇者として、何かツッコミを入れたくなる有様だな。

 魔王は俺の方に目を向けて、開口した。

「おお、朝食の時間か……待っておったぞ」

 早く来い、と彼は言って、右手の人差し指でくいっと手繰り寄せるような仕草をした。

 ワゴンが、俺の手を離れてからからとひとりでに部屋の中を走っていった。

 おそらく、魔法でワゴンを操作したのだろう。

 扉を閉めて、俺は小走りでワゴンを追いかけ、捕まえた。

 好き勝手にやられちゃたまらないっての。こっちにも一応役割ってもんがあるんだからさ。

「昨日の馳走は美味であったぞ。勇者よ」

 ワゴンを押して魔王の前に行くと、彼は俺をまっすぐに見据えて言った。

「今日も期待しておる。今日は、どのような馳走を作ったのだ?」

 先程と同じように右手の人差し指をちょいと動かす。

 香を焚くポットを載せていたテーブルが傍にあった椅子と共に宙にふわりと浮き、魔王の傍に移動した。

 どうやら、此処に料理を置けと言いたいらしい。

 俺はワゴンの上から料理の皿を取り出して、テーブルの上に並べた。

「鶏のみぞれ煮と、野菜スープだ」

「ほう。初めて見る馳走だな。美味そうだ」

 すぅっと胸一杯に料理の匂いを嗅いで、魔王は笑った。

 待ちきれない、と言わんばかりにフォークを手にして、鶏肉を口に運ぶ。

 それからは早かった。無言のままばくばくとみぞれ煮を頬張って、スープを飲み干し、パンを完食した。

 その所要時間およそ五分。

 ……はやっ。

 空になった皿にフォークを置いて、満足そうに己の腹を撫でる魔王。

「うむ。今日の馳走も実に美味であった。やはりうぬを料理人として抱えたのは正解であったな」

「この首輪外せよ。力が出せないのは不便なんだよ」

 俺は駄目元で言ってみた。

 実際、腕力まで封じられているというのは不便でしょうがないのだ。

 倉庫から野菜を入れた箱を運ぶ時、俺だけ箱を引き摺るようにして運んでいるんだぞ。

 時間もかかるし、道を通る奴の邪魔になるしで俺自身も迷惑しているのだ。

「外すことはできぬ」

 案の定。魔王は俺の言葉を一蹴した。

「その首輪がなければ、うぬは余の下で異世界の馳走を作りはせぬだろう」

 ……理由はそっちかい。

 普通は俺が力を取り戻したら歯向かうからとか、そういうことを理由として挙げるんじゃないのかよ。

 まあ、分かってたことだ。首輪のことはとっくに諦めてるけどさ。

「うぬが作る異世界の馳走は余の娯楽なのだ。うぬはこれからも余の下で料理を作れ。期待しているぞ」

 魔王は空になった皿を魔法でワゴンの上に戻して、笑った。

 俺は肩を竦めて、ワゴンを引き摺るようにして寝室を後にした。

 俺が自力で魔王の手から逃れるのは不可能なんだなと、改めて実感させられると溜め息が漏れた。

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