2-2 イマジナリーフレンド


 失っているからこそ今の幸せがある。

 それが白い街の法則だ。破ってはいけない。破ることは不幸に繋がる。永遠の幸せは風と共に散る。花が枯れるよりも早く、儚く、醜く。

 誰も何も言わない。言わないからこそ保たれている。暗黙の了解とも言うべきルールがそこにある。

 エイプリルはため息を、何度ついたかわからないほど、道に落として行く。また一つ、また一つと増えていく。これがもしも塵ならば、今頃白い街は灰に覆い尽くされている。息が見えないものでよかった、とエイプリルは内心つぶやく。

「お姉ちゃん、疲れてるの?」

 覗きこむマリアは無邪気に尋ねたが、それがエイプリルの何かを刺激した。些細な棘が神経に触れ、苛立ちに似た想いが心をちくちくと攻撃したが、そっと治めた。ここで怒っても何もない。マリアは悪くないのだから。マリアは何も知らない。何も。エイプリルの妹だが、まるで別の種類なのだから。

 人格や心を綺麗に保つために導入されたプログラム。

マザーはイマジナリーフレンドと呼んでいる。

 何かしらのトラブルで、トラウマを抱えた人。辛いその記憶を抹消し、二度と浮上させないために別の人格にそれを請け負ってもらう。この事は自分に起こった事ではない、別の誰かの事件なのだと、自分の中に記憶を別人格に封印する。所謂二重人格のような存在を作るのだ。主人格ではなく記憶を請け負う偽物の人格、擬似であり人工二重人格者を精神に植え付けて、トラウマを主人格にとってなかったことにする。

 それらがエイプリルであり、このマリアでもあった。

エイプリルは主人格の千春を守るために誕生し、身体の主人格として表に出ている。千春はエイプリルに辛い記憶を託し、楽しい夢と共に眠っている。マリアもそうして作られた存在だ。ただ、エイプリルとは違い、マリアは主人格であり、守護する人格、名もなきイマジナリーフレンドはマリアの中で眠っている。エイプリルと逆だ。主人格は主人格として表に出て、イマジナリーフレンドはトラウマを抱えて眠っている。

 マザーは言う。裏であるエイプリルが表を動き、主人格である千春が裏で夢を見るのは成功とは言わない……皮肉にも、エイプリルが口にしたこととまるで同じことを言った。

そうして、本来の成功の形であるマリアが誕生した。それ自体にエイプリルは何も思わない。マリアが生まれることに支障はない。

 ただ、悲しかった。

忘却したい記憶を、名前もないイマジナリーフレンドはたった一人で抱えて眠っているのだから。誰にも誕生を知られず、マリアの中でひっそりと息づいているのだ。

 ――エイプリルはイマジナリーフレンドの第一実験体だ。

 千春は両親の死を目の当たりにしてしまった。目玉が欲しい、犯人はその欲求一つで千春の両親を取り押さえ生きたまま目玉をくり抜いた。……犯人は殺人狂ではない。目玉に興味があっても、生死に興味はなかった。だからこそ残酷だった。千春の両親は伽藍の瞳を漂わせながら、ゆるりゆるりと死の沼へ沈んだ。千春は震えながら、瞼を閉じることもできず、生命が途切れるまでの長い時間を見続けた。耐えられるはずがなかった。まして、千春にとって犯人は見知らぬ存在ではなかった。事実は確実に千春を狂わせた。

 そうして、エイプリルは誕生する。千春が本当に狂ってしまわないように。イマジナリーフレンドに全てを押しつけ、夢の世界で平和に生きている。とても、幸せに。たとえそれが夢であろうとも。ありふれた日常を送っている。

だから、エイプリルは全てわかっている。自分がどういう存在で、犯人が誰かも。

「アザレ」

 犯人の名を呼ぶ。同じ街に住む同じ人間として、エイプリルは彼を見上げた。辛い記憶を請け負うという使命を持って生まれたエイプリルにとって、彼と話す事は不快は覚えるが、発狂などなかった。エイプリルは耐えうる人格なのだから。

 複雑なものを抱え続けるエイプリルの事など何も知らないように、アザレは片手をあげ、楽しそうに近づいてきた。白い街とは不釣り合いの無精さがあるが、不思議と馴染んでいる。

「よう、エイプリル。今日もいい目をしてるな」

「あんたにあげる目玉は一つだってないよ」

「はは。じゃあ、抵抗するお前を殺して奪うしかないか」

 冗談ともつかない調子でアザレは笑った。そして、マリアを見つけた。

「ところで。見慣れない子がいるようだが?」

「ワタシの妹」

「マリアよ」

 マリアは物怖じせず堂々と一歩前に進み、胸を張ってアザレを見上げた。ハチミツ色の瞳が楽しげに瞬いたが、それはアザレにとって毒だ。エイプリルはすぐに二人の間に入ると、またもため息をついてしまった。

「アザレは知ってるだろ? ワタシのこと。似てないけど妹ってことは」

「なるほどな。新しい……ってやつか」

 その間に入るのは「実験体」という恐ろしい言葉だ。エイプリルは胸を撫で下ろした。アザレがここで何かを言ってしまえばおしまいだからだ。

「マリアは何も知らない。知らないから、そのつもりで」

 アザレは鼻を鳴らすように返事をすると、マリアから目をそらし、通り過ぎた。何も言わなかったし、エイプリルも何も言わなかった。マリアだけが不思議そうに小首を傾げ、エイプリルの服の袖を引っ張った。

「お姉ちゃん。今の人は?」

「アザレって奴。あんまり近づかない方がいいよ」

「そうなの? いい人そうだったわ」

「人を見た目で判断すると痛い目見るよ」

「そうかなあ」

「てゆか、いい人そうか? みんな趣味が悪い」

「いい笑顔に見えるけどなぁ」

 マリアは物欲しそうな子供のように指を食むと、エイプリルよりも一歩二歩先を歩いた。エイプリルも慌てて走るが、距離は縮まらない。マリアは鼻歌混じりだというのに、おっとりとした見た目よりもすばしっこかった。

「ねえお姉ちゃん。マザーに聞いたの。この街の人ってみんな幸せなんでしょ? さっきの人もそうなの?」

「多分」

 この街でアザレは許されている。その上、大好きな目玉を集める事が出来る。彼にとってそれは幸せなことなのだろう。

「あと、大きな人と小さな人も」

「シロとクロだよ」

最も幸せな二人だ。猫でいることで全てから逃れられるシロと、全ての記憶を失っているクロ。だからこそシロはクロの、クロはシロのそばにいる。二人の事情を知るエイプリルではないが、二人を見ているとなんとなくそんな気がするのだった。

「お姉ちゃんも幸せなの?」

「ワタシは……」

 千春の全てを請け負うことで誕生できたエイプリル。千春がトラウマを負わなければエイプリルは生まれなかった。

 エイプリルは瞼を閉じ、笑って見せた。それが本物の笑みかはわからない。嘘かどうかもわからない。ただ、これだけは言える。

「幸せだよ」

 ――もし生まれなければ。死と同様、無であった。無であることは幸せだ。何もない。だが、生まれてきた今は何でもある。なんでもあるからこそ、無である自分を傍観し、恐怖を覚える。

 生まれてきたことを喜ぶべきか。それとも悲しむべきか。今となってはわからない。それでも幸せなのは、白い街がそういう幻想を抱かせる場所だからだろうか。

 瞼を開ける。マリアの姿は随分と遠くに行ってしまった。風力タービンを目指しているのだろうか。彼女の足は止まらない。

「マリアも、幸せになるために生まれたのだろうか」

 誰に問うわけでもなく、ふわんと生まれた疑念を風に解き放つ。返ってくるものは何もないが、消えることもなかった。

 ――マリアは全てを知らない。欠落したことすら知らない。

 エイプリルは身震いした。誕生しながらも生まれていない、本物の妹を想って。

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