訣別と決意と

 悪徳商人や悪徳貴族といえば、でっぷり太った肥満体のオッサンというイメージが一人歩きしているように感じる。

 故郷の世界の人種族は、ほとんどがガリガリに痩せていて、確かに貴族や豪商、豪族といった階級の者ほど太っていたように思う。

 前いた世界で栄養学をかじってるという当時の同僚にそんな話をしたら、穀類をたくさん食べるから太りやすくなり、貴族なんかは特に運動不足だから肥満になるんだと言っていた。

 そう言った同僚は、自分は肉が好きだからバランスの取れた体型なんだと自慢してきたけど、二の腕の弛み切った肉を揉んでやったら怒って殴りかかってきたっけか。



 遅い夕食を待つ応接間にいる人々は、ガバンディやアントンを含めて、肥満と言える者は一人もいない。


 ガバンディなんかやつれて見えるほど細い。

 細いとは言ってもそれは顔だけのようで、中年太りの傾向こそ腹部の出っ張りに見て取れるけど、サリィやサリィの弟とは比べるまでもないほど腕や足は太く、そして太過ぎず、そこそこ鍛えられているのか筋肉質だ。

 毛深さは室内で一番か?


 アントンはバランスよく引き締まった筋肉が見て取れて、飛竜を倒したという話にも納得してしまえる貫禄がある。

 短く整えられた鼻ひげが似合う細面の顔立ちは、中肉という表現がしっくりくる。


 執事もスーツに綺麗に収めてはいるけど、壮年と取れる外見に似つかわしくない、鍛え抜かれた筋肉の存在が読み取れる。

 襲われてる時には取り合わなかったけど、執事の攻撃はアントンにも見劣りしない速さと重さがあった……んじゃないかなー?

 メイドや廊下で鉢合わせた誰よりも動きが良かったのは間違いない。


 メイドは室内に3人いて、2人は人、1人はエルフ。

 3人が3人とも体は鍛えられて引き締まっており、そこいらの兵士より腕の立つ戦士なのだと思えた。

 黒を基調としたロングスカートの、一見地味だけど着る者の美しさを損なわずに引き立てるデザインのメイド服には、きっと割れた腹筋が隠されているに違いない。

 武器を没収する時に触ったら割れてたので、間違いない。

 胸部の凶器は……なんでもございません。



 そうして室内にいる面々を観察していると、イメージは所詮イメージなんだと感じる。


 ガバンディは悪徳貴族なのかというと、そこは答えに窮する。

 ぼくが知っているのは、彼の性癖がとても倒錯したものだということくらいでしかない。

 それも、自分の目で見て確認したわけではなく、飽くまで伝聞の域を出ない。

 サリィの体に刻まれていた傷跡が、ガバンディによってもたらされたものだとは限らない。


 会話での反応から、予想はほぼ的中してるんだとは思ってるけど。


 その辺は時間を見て確認しよう。

 強度の依存に陥っているなら、別の比較的安全な性癖を刷り込んで書き換えてやればいい。

 加虐嗜好から被虐嗜好に転向させるとかね。



「ガバンディ、ちょっといいかい?」



 アントンと談笑していたガバンディに呼びかけると、来た時より幾分か毒気の抜けた顔をこちらに向けて、応じてくれた。

 やつれて乾いた顔は食事で回復するんだろうか?



「おまえの趣味の部屋・・・・・と、手持ちの奴隷の居住区、飯の後に案内してくれない?」


「分かった。……いや、分かりました」


「服従は求めてないから、言葉遣いは好きにしてくれていいよ。ぼくは好きにやらせてもらってるしさ。ぼくと違って立場もあるでしょ?」


「立場があるからこそ、です」



 真っ直ぐ、しっかりとした言葉で語るガバンディの表情には、決意のような意思が垣間見える。

 元よりぼくの意見を押し付ける気もないので、確認が取れたならそれでいい。



「分かった。じゃあ、後でよろしく」



 ガバンディは真剣な顔で頷いて返す。


 ふと思い出したけど、ガバンディの様子は、盗みで捕まった子どもが駆けつけた親に泣いて謝られた後で憲兵に見せる変化に似てんだな。

 今回、その親の役割はアントンが担ってくれたんだろうか。

 そこから改善までは失敗や苛立ちもつきものだから、周囲の有効な援助を期待したい。


 執事他ガバンディの配下が、「旦那様ならばいつか分かっていただけると信じておりました」なんて言ってたんなら、説教しておかねばなるまい。

 知ってて止めなかったのなら、同じ過ちを犯したも同然なのだから。


 後でアントンに訊いておこう。



 しばらくしてサリィとマルセリーがメイド2人と共に部屋に戻り、眠ったサリィの弟は起こさず朝まで寝かせておくことで合意し、夕食を待つ。


 マルセリーには顔を真っ赤にしてグーで殴られた。

 加減のない、全力の、しっかり腰の入ったいいパンチだった。

 手伝いに行ってくれたメイド2人は意味深な表情を浮かべてるし、サリィは目を合わせてくれない。


 オッサンは初心ではないし鈍感でもなく、察しはいい方だと思っているので、なるほどアレはそういうことだったかと納得して謝っておく。

 謝るともう一発綺麗なストレートを打ち込まれたけど、乙女の抗議は受け止めておいた。

 すぐ治るしね。

 痛みはあるから殴られたくはないけど。


 サリィの弟の誓約の紋を喰った時はどうだったんだろう?

 それどころじゃなかったか?

 まぁいいか。

 幼くとも侵されたくない尊厳は持ち合わせているだろうし、触れないでおこう。



 執事が胸ポケットから金の鎖の付いた金色の円盤を取り出し、突起部分を押して円盤をパカッと開いて中を見詰め、素早く閉じて胸ポケットに仕舞う。

 それからガバンディに耳打ちをすると、ガバンディが夕食の準備ができたので食堂に移動するよう告げた。



「ちょっと待って。執事の人、今見てたのって……時計?」


「左様でございます。ヘルマシエ国随一の時計技師コーメス・エルセイが魔術と工芸技術の粋を尽くして作り上げた特注品にございます」



 予想以上の薀蓄まで出てきたけど、そっか、時計あったのか。



「イエン様は時計をご存知ありませんでしたか」



 ガバンディが意外そうな顔をして驚いているけど、報告書である程度は察してるだろうし、様付けは辞めていただきたい。



「ぼくの目撃報告は8日前から前が出てこないでしょ? ぼくはその日に別世界から来た後ずっとバタバタしてたから、この世界のことはほとんど知らんの。

 あと様付けは禁止な?」



 最後だけは強く主張した。

 強制はできないだろうけど、だからといって、ぼくは許容しなくてもいいのだ。

 気分の問題だけど、嫌なのでハッキリ断る。


 ガバンディは意外そうな顔を浮かべ、さして間を置かずに納得したのか、なるほどと呟いて頷いている。



「お腹ペコペコなのよ。早く行きましょ」



 我が道を行くマルセリーの一声で、食堂へと進むことになった。

 流れを折ったのはぼくなので、軌道修正してもらえるのはありがたい。




 食堂で準備されていた夕食は、妙に時間がかかっていたのも納得の豪勢なものだった。

 3部屋ぶち抜いたような広い部屋の中央には大テーブルが置かれ、真っ白なテーブルクロスで装飾されて、その上には飾り付けも華々しい料理がこれでもかと言わんばかりに並べられている。

 3種のスープにサラダ、肉料理、なんと海鮮料理まで並んでいて、目移りしてしまう。

 食材の多くが初めて目にするものばかりだったけど、匂いで既に食欲は刺激されっ放しだ。

 部屋の数カ所に酒瓶を氷水で冷やして準備されているし、ケーキのようなデザートまである。

 部屋の端には椅子やソファー、小テーブルなどが配置されていて、基本は立食形式、座って飲食に興じても良しというセッティングが成されている。


 元々アントン帰還を祝うために準備されていたものだそうだけど、これを食わせないのは勿体無いと、サリィの弟も起こして連れてきてもらった。



 揃ったところで乾杯の音頭を取れと言われたけど、全員で祝えるような音頭ってなんだよ。

 無くはないか?



「では、誰一人として欠けることなく明日を迎えられる幸運に、乾杯!」



 そうしてバトルは始まった。




 時間は深夜だったこともあり、何度も襲い来る睡魔の襲撃に、1人倒れ、また1人倒れ、椅子とソファーは見る間に埋まり、床に倒れる者まで出始めた。

 それは壮絶な闘いだった。

 一度倒れても何度も食事バトルに臨む挑戦者たち。

 明日も食べられますからと制する執事とメイドたちガーディアン

 盛り付けから盛り付けへと渡り歩くぼくに、イエン殿もう一杯と襲い来る追手アントン

 お前らも食え食え、飲め飲めと怒号を飛ばせば、執事とメイドたちも食卓フィールドに参戦し、思い思いに料理ターゲットを屠り、酒を呷り、談話に興じる。


 執事とメイドたちは、ぼくとあんなに肉体言語で語り合ったのに、タフだなと感心してしまう。

 クスリでもキメてるんだろうか。




 朝焼けがテラスから差し込み始めた頃、食堂に立っている者はいなかった。




 ええ、本当に執事とメイドさんたちはとてもタフで、一人眠るガバンディを担架で運んでもらいながら、ガバンディの趣味の部屋・・・・・に案内してもらって移動していたのです。

 アントンも酔い切れなかったのか、一緒に着いてきた。

 ぼくはサリィを背負って歩いている。

 苦い思い出に一つの区切りを付けさせてあげたかったから、連れてきたんだ。


 ガバンディの寝室に設置された隠し扉を潜り、地下の小部屋から更に隠し階段を降り、鉄製の大扉の前に辿り着く。


 そこで先にサリィを起こし、これからやろうとしていることを端的に説明し、意思確認を行う。



「ぼくはできればサリィに、自分の手で、壊して欲しい。場所が場所だから火は使えんけど、気が済むまで壊したらいい」


「ご主人様にお願いしてはいけませんか?」


「最後の片付けはするよ。でも、全部はやらない。それはぼくが触れていいことじゃない」



 縋るような目で訴えかけられるけど、譲れない。

 依存してもらっても付き合いきれないし、自分で精算することで、精神的に解放されて欲しいんだ。

 ぼくが代わりにやれば、サリィは新しい鎖で縛られるだけになる。

 巣立たせ、自律に導くのは、親や大人の務めだ。


 精算とは言ったものの、その方法は人によって様々ではある。

 心に負った傷、その象徴を、消してしまうことばかりが精算ではない。

 サリィは終わったのだと実感すること。

 ガバンディはこれで訣別するのだと覚悟すること。

 言葉だけでなく、上っ面の意識だけでもなく、それらの思いを事実として記憶に刻み、新たな一歩を踏み出すこと。

 それができなければ破壊でも意味は成さず、それさえできれば破壊という手法にこだわる必要もない。


 古い自分の葬式みたいなもんだ。

 この場で完結するものではないだろうし、いつ完結できるのかは誰にも分からない。

 それでも、決意して踏み出さなければ、終わらないし、変われないのだ。



 少し時間はかかったけど、サリィは頷いてくれた。

 それだけで褒めちぎってあげたい気持ちに駆られたけど、ありがとうと告げるに留めた。


 ガバンディは途中で起きていたんだろう、サリィとのやり取りを終えると、立ち上がって大扉の前に移動した。



「始めようか」



 大扉がガバンディによって開かれる。


 肌に吹き付ける熱気、微かに漂う異臭、一見して何を目的とし、どのように使われるのかが分かる数々の道具。

 高い天井には4つの通気孔が口を開け、壁に、床に、梁に、そして寝台に、幾つもの枷と、何本もの縄とが設置されている。

 赤黒く変色した石畳、斑らに染まる石壁、渡された梁にも染みは広がり、丁寧に手入れされた道具だけが鈍色の銀の光沢を返す。



 これじゃ誰が鬼なんだかな。



 思いはしても、口にはしない。

 ぼくの役目は、二人の選択を見守ることだけなのだから。

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