第13話 第1章・エピローグ
少女の刀が狼を処刑する一連の動作を、イデは見ているだけだった。
ネヴは狼の動きを完全に見切り、僅かな所作で必殺の動きをかわす。
刃は流れるように狼の身体に這いりこむ様は、注視していなければ
気が付けば、そこにいた。それほど少女の動きは軽い。
剣筋は流水を斬るように重く、天に一心に向かう鳥のように真っ直ぐに。殺しのわざというより、芸術家が筆をふるうさまに似ていた。
イデは素人ながら「美しい剣筋」だと見惚れてしまう。そして見惚れる間に刃が振り下ろされ、巨狼の首をぽっとりと地面に転がしていた。
わざわざ斬首の形にして斬ったのだ。
狼の頭が転がりながら人に戻る。眠るような表情は憑き物が落ちて穏やかだった。
狼の気迫に満ちていた夜が、急速に静けさを包みこむ。
孤独な獣が暴れた傷跡を埋めるように、鳥の鳴き声と風のささやきがあたり一帯にいきわたっていくのを感じた。
「終わったんだな」
「この件はね」
イデはゆるゆると溜め息をつく。はりつめていた緊張の気が口から抜けるようだ。
対してアルフは不穏な物言いをする。
どういうことだとそちらを向けば、彼は抜かれた鞘を持ってネヴの元へ向かうところだった。
イデも車を降り、ネヴの元へ向かう。
彼女はその白い服に一滴の返り血もつけぬまま、座り込んでいた。
手袋だけがどす黒い液体に濡れている。
よごれた両手で、ネヴは優しく人に戻ったルーカスの頭部を拾いあげた。
「分解してわかりました」
「何を?」
「本来のルーカス・グルレは獣に至るほどの人間ではない。全くもってツイていなかったのです。タランテラを踊らされたのですね」
ぼさぼさになったルーカスの髪を何度も何度も撫でつける。
分厚い生地でできた手袋では、傷んだ髪をすくいあげられない。
あぶらでくっついた髪の束を何度も取りこぼしながら、そうしなければならないとでもいうように撫でる手を止めない。
「タランテラ……蜘蛛タランチュラの毒を抜くためには踊り続けなければならないことからできたっていう踊りか」
ネヴの例えに、今はルーカスの遺体を見た。
タランテラは激しい踊りだ。イデからすれば、動き回れば毒が抜けるどころか、いっそう早く回ると思う。
しかしそういう理屈でいうものではないのだろう。
少なくともタランテラを生み出した人々は、そうすれば毒が抜けると信じたのだ。
「タランテラの激しさは、毒の苦しさゆえに踊り狂って死ぬ姿なんですってよ。クルクルまわり踊る回数が重なる度、速く、難しくなっていくのです」
思うところあるようにルーカスを抱きしめている。
当然だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。それを教えるのはお目付け役の仕事だ。
アルフが膝をつき、恭しく鞘を差し出す。
「……これには私の責任もあります。あの時、先生をつかまえられたなら……」
「あの鞄の男か」
すっかり忘れかけていたが、たった数日前のことでもある。
全ての始まりの日。イデが見知らぬ男に鞄を押し付けられた、あの日だ。もう随分と前にも感じられる。
「ええ。本当に察しがよいですね。けれどもうそれぐらいにしておいてください」
「あ?」
「ここからは私達の仕事です。もう貴方が獣に追われることもない。明日からまた、毎朝あたたかなココアを飲む日々に戻れるのです。変に察して、余計に関わることはないのですよ」
「あー……」
ちらとアルフの方を見た。
彼は何も言わず、本心のうかがいしれない綺麗な顔でイデを見つめ返した。
イデはそれを同意ととる。
「それなんだけどよ」
「はい? もしや何か不手際が?」
「不手際ならあの散々な運転を……いや、それはいい。だが今回のことで
「それもそうですね。いくらです?」
嫌がる顔ひとつせず即座に返す。金銭に対する「惜しむ」というものがまるでない。ネヴの金持ち具合に辟易とする。
肩を竦めて、イデは首を横に振った。
「金でもいいんだが、今回は別がいい」
「はあ。では何を?」
「俺も連れていけ」
「………………はい?」
ネヴがぽかんと口を開ける。
彼女にしては珍しい「お前アホか」とでも言いたげな生意気な表情だ。
「俺ァな、ケジメつけてえんだよ」
「貴方の案件は解決しましたが」
「わかってねえな」
皆目見当もつかずに動揺しているネヴに、難しい顔をして腕を組む。
見えぬものを見る目があったとしても、見えるだけで、心を読めるわけではないらしい。
「ルーカスに関しては、解決したとは到底いえねえだろうが。原因が野放しなんだろう? 解決方法も皆目見当ついてないぐらいは想像がつくぜ。
ルーカスが何を考えていたかは、俺にはわかんねえ。口でいってこなかったんだから、わからなくて悪かったなんて罪悪感もねえよ。
けど、あいつがこうして死んじまった遠因が俺にあるっていうんなら、きっちり終わりを見届けたい。これから毎日、目覚めが悪くなっちまう」
恐怖はあった。だが何より恐いのは、イデのなかで納得できないことがますます増えていくことだ。
それに比べれば、現実に襲い来る恐怖など時間さえ過ぎれば解決するのだから、カワイイものである。
今度はネヴが呆れる番だった。
「はあ……あの、貴方って、もしかして凄くお人好しだったりします? ていうかイイヒトでしょ?」
「違ぇよ。目覚めが最悪になって朝のココアが不味くなるのが許せねえんだ。毎朝いい気分でいっぱい飲まねえと一日ムシャクシャすんだよ。だからコレは俺のためだ」
「そういうことにしておきましょうか。そういう理由は、ぶっちゃけ好きですよ。けどコトがコトですから……。では経験豊かなアルフに決めてもらいましょう。アルフ、どう思いますか?」
「お嬢のお好きになさってください」
「えっ」
任せようとしたのに、まさかの投げ返しをされたネヴは目を丸くする。
「何故です? 私が判断したら私情が混ざりますよ?」
「そういうことを自分でいわんでください。
オレに意見を求めるならね、そりゃあ反対ですよ。胸張っていられる仕事じゃない。いわくつきって奴だ。
だが男として、けじめをつけたいって気持ちもわかる。本人がそうしたいっていうんなら、あとは彼自身が自分の責任を負えばいい。頼み込む立場ならそれが当然だ。
だったら他人がごちゃごちゃ言うこともない。面倒になったら見捨てればいいんですよ」
「で、でもー……」
「だから俺の最終判断基準はお嬢です。お嬢がいいというなら、そうすればいい。オレはもう文句をいいません。できる限り二人が一番納得がいくように手伝うだけです、なんせオレは貴方のお目付け役ですから」
「う、うー」
ネヴは腕を組み、うんうんと唸りだす。
時間は無常にも過ぎ、太陽が空に近づいてくる。
のぼりたての朝が暖かさを連れだって、夜風を追い出していく。
それにともなって、目覚めの気配がにじりよっていた。ぽつぽつと街に活気が漂い始める。
「ほら、はやくしないと人が来ますよ。事後処理だってあるんだからね」
「うっ……わ、わかりました! イデさんは、そうしないと気が済まないんですよね?
わかりました、わかりました、わかりました! ここまできたならお好きになさればよろしいでしょう! そら車に乗ってください、私が運転します。急いでこの場を離れますよ!」
問い詰められたネヴは、ついに逆ギレの叫びをあげる。
未だ人が起きぬ時間帯に、ネヴの声が反響していった。
「ああ。好きにする」
そういってイデが微笑んだことに気が付いたものはいなかった。イデ自身さえもそうである。
けじめをつけるという目的を得たこと――そして自分にそっくりでまるで違う少女の横に居られることへの笑顔だとは、つゆともわからなかったのだ。
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