右腕の行方

赤屋いつき

第1話

いつもと変わらない穏やかな小春日和のこと、私はお偉いさんの呼び出しに応えて、とある屋敷の門を叩いた。そこは名を呼ぶことさえ平民の私には許されない、かく御方の別荘で、普段は近づくこともできない御殿であった。数台のカメラの検分、入念な持ち物検査、屈強な警備兵の尋問。その様々を済ませて、ようやく私が通されたのは屋敷の中で一番狭いと警備兵が鼻で笑った物置小屋であった。とは言っても、私の家と大きさはほぼ同じである。学生生活のすべてを万年ドベクラスで過ごした平民の代表では、国を支えるお役人様の物置小屋が精一杯のようだ。

数分後、突然ドアが開いた。物置小屋をノックするものなどいない。使用人かと思い振り向くと、私を呼び出した張本人が秘書を携えて立っていた。


「やぁ、どうも」


愛想よく言った私に、秘書が封筒を突き出してきた。目は口ほどにものを言う。彼は何も言わなかったが、その目は学生時代によく見た上流階級の奴らと同じであった。つまり、平民とは話をしたくないのだ。

私が封筒を受け取ったのを見届けると、彼らはさっさと出て行ってしまった。終始無言のやりとりにも慣れたものだ。残された私はその場で中身をあらためようとしたが、すぐさまやってきた警備兵によって追い出されてしまった。仕方ない。やんごとなき邸宅の並ぶ道を足早に抜けて、私は物置小屋と同じサイズの自室へと歩を進めた。

配給のコーヒーはまずい。油を飲んでいるような気分になる。これなら水のほうがマシだと、わざわざ配給で水をもらった。なので私の飲むものはだいたいいつも水なのだ。それをコップ一杯注いで、封を開く。入っているのはタブレットだ。小さなサイズで、インターネットには繋がらない。機密情報の受け渡しにはピッタリの代物だ。画面のマークに指を宛てると、登録した指紋に反応してロックが外れる。


「要人連続猟奇殺人事件」


あまりにも刺激的なタイトルである。概要はこうだ。

政府の重要ポジションに身を置くお役人が次々謎の死を遂げている。ある者は首を吊り、ある者は車にはねられ、ある者は惨殺された。そのすべてに共通するのが「右腕を切り落とされている」ということ。これは自殺や事故の可能性を否定し、一連の犯行が同一人物によるものであることを主張している。さらに被害者が要人ばかりであることをも、政府の癇に障ったのだろう。こうして一介の私立探偵なんぞに解決を依頼してきたのだった。

被害者は今までの間にすでに十五を越えていた。いずれも国の未来を支え、導くであろう優秀な人材である。無差別的というにはあまりに整然としたラインナップではないか。

私は知らず笑みを浮かべていた。ただの水がどうにも美味い。封筒にタブレットを戻し、テーブルに置く。代わりに、私はボストンバッグを持ち上げた。今朝仕入れたばかりの証拠品が、ずっしりと揺れた。


「あのぅ、すみません」


訝しげな警備兵に恐る恐る声をかける。ここは一番近い交番だ。私は名刺を取り出すと、少し声を落として、


「実は私、政府から直々に事件の調査を依頼されておりまして。上層部に確認していただいても結構ですから、Z地区への立入を許可してもらえませんかねぇ」


警備兵は私の申し開きに少し躊躇った。Z地区は平民の立入禁止区域なのだ。私はますます声を潜めて、


「あなた方の悪いようには致しません。むしろ私はあなた方の目下の悩みを解決できる唯一の存在だと自負しています。証拠品もあるのです。けれどひとつだけ、ただひとつだけ、確認しなければいけないことがある。今朝、Z地区でこちらの総長さんが亡くなりましたね。その現場を見たいのです。どうかどうか、私立探偵の名に免じて、ご協力いただけませんでしょうか」


泣き落としにも近い懇願に、若い警備兵はとうとう頷いた。もちろん本部に名刺の名前を確認して、私の身元が明らかになったためでもある。かくして私たちは二人でZ地区へのゲートをくぐった。当然のことながら平民の私には初めて見る景色である。状況を思えば不謹慎極まりないことだが、私の胸は躍っていた。

一方、年若い警備兵は現場に着くなり膝を折り、上司の遺体のあった場所にすがりついてしまった。


「大丈夫ですか、顔色がひどいですよ」

「私は平民の生まれでしたが、両親を事故で亡くし……あの人の養子となりました。あの人は私を育ててくれただけでなく、立派な警備兵の何たるかを教えてくれたのです。あの人は私の憧れです……もっと、いろんなことを教えてほしかった……」


そう言って泣き出した青年の背を撫でながら、私はふとあたりを見回した。


「あなたの養父はさぞやご立派な方だったのでしょうね。平民の私がZ地区に立ち入るというのに、監視があなただけとは」

「それもありますが、あなたの身分は証明されましたし、上層部の依頼は我々警備兵にとっても最重要任務です。可能な限り協力せよとのお達しですので……」

「なるほど。それではお言葉に甘えて」


青年の涙が止まった。正しくは「止められた」と言うべきか。腹に刺さったナイフが、ぬらぬらと紅色に濡れていた。目玉だけが「何故」と言いたげにこちらを見たので、私は答えの代わりにナイフを抜き、二度、三度と刺し続けた。やがて倒れ尽きたその身体は、今朝見た死体とよく似ていた。

仕事を終えた私は、それを置き去りにしてさらに奥へ進んだ。能力は発動したままにしておくことを忘れない。やがて、行き止まりが見えてきた。行き止まり!私の推理はやはり正しかった。この世界には果てがあったのだ。

行き止まりは巨大なドアになっている。その脇に小さなパネルを見つけて、私は息をついた。やっとここまで来た。肩にかけていたボストンバッグを降ろし、口を開く。タブレットの被害者情報に記された「国交権限」。ようやく今朝仕留めた獲物が、それを持っていた。無駄に持ち帰ってしまった右腕は、自室の冷蔵庫に置き去りだ。いずれバレることだが、大して興味はなかった。

能力を解除するとパネルに光が灯る。同時に無数のカメラが私を見つけて警告音を鳴らした。じきに数多の警備兵が飛んでくることだろう。最期へのカウントダウンを聞きながら、私はパネルに右腕を押し付けた。

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右腕の行方 赤屋いつき @gracia13

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