執事カフェ


「ひろちゃん、執事カフェってなあに?」


 多分麻衣ちゃんから情報を聞いたのだろう。雪は逐一俺の身辺についてキャッチが早い。


「執事カフェは男の人が全員ウェイターやるただのカフェだよ」


「ひろちゃんも出るんだよね? 今年はひろちゃんの所の学園祭に行ってもいい?」


「あぁ、いいよ。ただチケット無いと今年から入れないみたいだから、明日にでも家族分でもらってくるな」


 俺は3年生の科目が増えた事と大学受験に向けての模試で忙しくなり、雪とすれ違いの日々が増えた。

 雪は帰宅部なので基本的に帰りは早いのだが、友人の麻衣ちゃんのバドミントン部に足を運んでいることも多い。


 今日は珍しく俺も帰りが早かったので、来月に迫っている学園祭についての話になったのだろう。


 基本的に昨年の出し物と変わらないのだが、縁日のような出し物も多い。

 今年新たに増やしたのは、先程雪に説明した各教室の人気者を集めて行う「執事カフェ」だ。

 コンセプトがホストクラブのノリみたいだが、学校側も年に1度のお祭りだから極力生徒に自由にさせているのだろう。

 そもそもカフェだから酒が出る訳でもないし、揉め事も起きないはず。


 メイドカフェとは異なり、執事カフェは女子客限定のカフェで、俺も当日数時間限定でウェイターをすることになっていた。

 勿論、当日着るスーツは各々で持参だ。


「おーおー、弘樹は流石に何でも似合うな。お前ひとり突っ立ってるだけでも客集められるんじゃないか?」


 磯崎はスーツが嫌いとの理由で参加を拒否していた。学校一のイケメンなのに今年の彼は裏方だ。


「茶化すなよ。俺、明日までに生物学の課題やらなきゃいけないし、悪いけど午前の部だけな」


「悪ぃな〜。だって俺様がスーツなんて似合わないし」


 元々俺は出る予定になっていなかったのだ。これも全て磯崎が俺を身代わりに推薦したせいだ。

 開店の時間になり、俺は慌てて入口まで客を迎えに行った。

 まあ、喫茶店のバイトでもカッターシャツは着ていたし、スーツを着た所で動けないわけじゃないからいいんだけど。


「いらっしゃいませ、お嬢様」


「きゃあああああああっ!」


「雨宮先輩~っ!」


「せ、先輩が神々しい……生きてて良かったぁぁ」


「……ぇ?」


 俺はよく分からない後輩オタク女子達に一斉にカメラを向けられたが、喫茶店のバイトの時を思い出し、普通にひとりひとり笑顔で応対した。


 思っていたよりも執事カフェは大盛況だった。俺は目まぐるしい数の注文と写真対応に追われ、時々面倒な後輩にスーツをあちこち触られたり引っ張られたり……とにかく女子のオタクパワーに参った。


「おう、弘樹休憩か。お前ひとりで相当稼いでんな〜。流石うちのナンバーワンホスト!」


「俺はホストじゃねえよ! まあ、これも小野田ん家でバイトさせて貰っていたお陰だろうな……」


 やっと第一陣の客が引けたところで、俺は水分補給の為に裏の休憩室へと回る。

 午後は誰か別の人を入れて欲しいお願いをしたい所なのだが──。


「ひろちゃん!」


 思わず飲んでいたミネラルウォーターを吹き出しそうになった。どうして裏方用の休憩室に雪が? しかもその顔はかなり怒っている。


「ひろちゃんっ! 雪に内緒でどうしてあんなことしたの!?」


「あんなことって……」


「ひろちゃんが沢山の女に色目使ってたぁ~! ずるいぃ~!」


「……あぁ、執事カフェのことか」


 確かに予想以上に大盛況だった。女性をターゲットに絞ったのも効果があったのだろう。

 そして売上が伸びると俺の大学受験の大切な費用にもなる。その為にわざわざ課題を放置して磯崎の身代わりになったんだ。

 しかしそんな思惑など勿論雪には通用しない。


「お、おい雪……」


「ひろちゃん、なんかいい匂いするう」


 ご機嫌斜めのお姫様は、俺のスーツにぴったりと頬を寄せ俺の胸元に顔を押し付けてきた。──多分相当走り回っていたから汗臭い気がするんだけど。

 まあ女子絡みになると雪が拗ねるのは大体いつものことだ。


「仕方がないだろ、今年から初の出し物なんだし。あと俺は磯崎の身代わりで……」


 俺は苦笑しながら雪の頭をぽんぽん撫でて慰める。

 大体頭を撫でると、雪はそれで満足してくれるのだが、今日に限って全く引き下がらなかった。


「ひろちゃん、雪の注文も聞いて?」


「何だよ……」


「雪にもキスして?」


「はぁ!? 俺、誰にもそんなことしてないと思うけど?」


 そんな注文は受け付けていない。そもそも、入る前に執事カフェの入店方法についてのマニュアルが置いてある。

 本来、お客様から執事へのボディタッチは禁止。写真はその執事が許可した際のみOKとなっている。勿論執事からお客様に対してボディタッチなんて論外だ。


「本で見たの。執事さんって、お嬢様の手にキスするんでしょ!?」


 一体、雪はどこからそんなメルヘンを見てきたんだろう。

 しかしもうメルヘン世界に入っている雪は俺を執事としか見ていない。


「ひろちゃん、雪の言うこと聞いてくれないの?」


「──わかりましたよ、お嬢様」


 俺はやれやれと肩をすくめると、軽く膝をついて雪の小さな手を取る。


「お嬢様、これでお許しを」


 そっと雪の右手の甲に口づけする。


「ひゃあああああっ! 嬉しい〜嬉しい〜!」


 雪は幸せそうにきゃっきゃとテンションを上げたまま休憩室を出て行った。

 それと入れ替わりで磯崎が神妙な顔で俺を見ている。まさか、今のを見られたのか。


「あのな、磯崎……」


「分かってる。みなまで言うな。そうか……相澤を振ったという話はこういう事情があったのか」


「いやまて、相澤さんの件については俺が悪かっただけで、他は関係ない! お前、どこまで見てた!? 絶対誤解してるだろ!」


「いやあ、そんな誤解なんてしていませんよ。まさか天下の雨宮先輩が可愛い可愛い妹に骨抜きにされているなんてねぇ〜」


 ああ完全に見られてた。そりゃあんなに喜んで出ていく雪を見たら分かるよな。

 しかもこの言い方はあれか。俺に1日執事カフェをやれと言うことか。


「磯崎、今日の売上が口止め料な」


「まいどありぃ〜。雨宮先輩大好きよ」


 投げキッスをして軽快に出ていく磯崎の背中が憎らしい。

 雪のせいで俺は泣く泣く丸1日執事カフェで働くことになった。しかも無給で。


 翌日の執事カフェに俺が居ないせいでオタク女子から「今日も雨宮先輩に逢いたい」と相当クレームが来ていたそうだ。

 家で提出予定の課題をやっていても集中出来ないくらい電話はなり続いていたが、途中から電源を切って全て無視していた。


 俺は2日間もあんな恥ずかしいこと出来ないから、後の事なんて知らんっ!

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