麻疹

 大人になってからも麻疹はしかというものにかかるらしい。


 昔は今と違ってワクチンも強制的にされることもなかったし、お友達か保育園か学校から大体ウィルスを貰ってくる。

 高校3年の大事な期末テスト前だと言うのに、どうやら俺は帰りのバスに乗っていた子供から頂いてしまったようだ。


 ダメだ、頭が割れそう。咳のし過ぎで胸も痛い。熱も体温計が壊れるんじゃないかってくらい温度が上がっている。

 麻疹は感染力が高く、普通であれば子供のうちにかかってそれで終了になることが多い。

 けれども、抗体がなければまたかかることもある。


 現に俺は2歳の時に一度かかったらしいが、強い感染力のせいで再びウィルスを貰った。成人の麻疹の症状は重く、面会は家族以外一切禁止となっていた。


 一般病棟の中にある隔離部屋に入院することとなり、母と父が忙しい仕事の合間をぬって交代で着替えの持参や面会に来てくれたが、雪だけはガラス越しの面会にさせられていた。

 こんなに近くにいるのに触れることもできない。

 40度近い熱が3日程下がらず、このまま死んでしまうのではないかと白い天井を見つめていると錯覚してしまう。

 病院という場所は恐ろしいもので、気持ちが萎えるとどんどん病気が悪くなる気がする。

 病は気から、という言葉は間違いではないようだ。

 

 しかし今の弘樹は気力だけで治せる程元気はなかった。

 咳のせいで食べたものは殆ど吐いてしまい、風邪のような症状が取れない。

 全身には赤いボツボツがいっぱい出ており口の中も痛い。皮膚科の先生が中耳炎や脳炎がどうのって言ってたような気がする。


 とにかく周りのものがぼんやり白く見えるし会話もあまり聞こえない。

 看護師さんには何度も解熱剤ということで座薬を挿され恥ずかしい目にあっているが、熱のせいで自分では出来ないのでどうしようもない。

 脳の方も炎症を起こしているのか、鼻からは酸素を吸わされていた。全て始めての体験たが、鼻の穴まで乾燥するようで気持ちが悪い。


「ひろちゃん……死んじゃいやだよう。ユキも入院する」


 母さんの話によると、俺が入院して丸1日雪は全く食事を摂らなくなってしまったらしい。

 元々細い身体が拒食症の子のようにガリガリになっている。

 どっちかと言えば、俺よりも雪の方が体調不良で死んでしまうのではないか?と思うくらいおかしい。

 点滴でもしてもらえと言うが、雪は前回救急車で運ばれた時から病院恐怖症になっており、注射は大嫌いになっていた。


「いいか、雪。はしかってのはずーっと続く病気じゃなくて、何日かで治るらしいからお前はしっかり体調元気にして家で待ってろ」


「やだ。ひろちゃんと一緒に帰る」


 雪はこうなると頑固で全く言うことを聞いてくれない。かと言ってこんなところで説得する体力も今の弘樹にはない。

仕方ないが奥の手と思い俺はナースコールを押した。程なくして来た看護師さんに文句を言っていたが、これ以上患者に負担をかけるなら一切病院を出入り禁止にすると諭され、渋々雪は不貞腐れたまま帰って行った。

寂しそうな背中と痩せた身体が気がかりだったが、感染力が強いので仕方ない。


 それから3日後、脳炎疑いも否定され、抗生剤がやっと効いてきたのか高熱も出なくなった。

しぶとい 麻疹のピークは何事もなかったかのように過ぎ去り、全身にあった赤いボツボツも白くなって見えなくなった部分も増えた。

 隔離室から出て一般病室に移されたところで雪が再び嬉しそうに面会に来た。

感染力はピークを過ぎたとの見解で、今度は医者からも面会の許可が降りたのだ。


「ひろちゃん! はい、あーん」


「もう熱も下がったんだから自分で飲めるよ……」


 雪はもしかして、恋人ごっこのように何か俺に世話をしたいだけなのだろうか。

 わざわざスプーンに乗せられたポカリを見て渋々口を開ける。多分、飲まない限りこの看病ごっこは終わらないし雪も家に帰らない。

幸いな事に、病気のピークが過ぎたお陰で咳込まないで飲めた。


「えへへ。もう一口飲む?」


「……もう結構です」


 いい歳した高校生が、妹に甲斐甲斐しく世話をされるなんて恥ずかしい。もう症状もなく、トイレも病棟内も自由に歩けるくらい元気になっているというのに。

 スプーンをくるくる回してブーブーふてくされている雪をそのままに、俺はとにかく早く退院したい気持ちでいっぱいになっていた。

 

 もう、本当に病気はこりごりだ……。

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