42th try:Apostle

 ドラゴン、サイクロプス、アンデッド、ゴーレム……


 広間に洪水のようになだれこんできた魔物たちが、あたりかまわず凄惨な破壊をまき散らしてゆく。


「灼熱に呑まれろ! <噛み砕く龍炎の顎アル・ラキス>ッ!」


 サンドラが嬉々として放つ炎が、姉妹の体を燃やし尽くした。


「ぷぎー、ぶふ、ぶひっ! ……じゃなかった。これでも食らえッスー!」


 ビスキィが巨大な戦闘斧バトルアックスを地面に打ち込むと、石畳が鋭い棘となって彼女たちを刺し貫いていった。


「バカな……バカな! 魔物風情が私の可愛い作品たちを……おのれ!」


 王が怒り、その背後でナナとミミが続けざまに放った閃光を、闇精霊人ダークエルフが放つ闇の魔術が呑み込んでゆく。


 俺はハイネに首根っこを掴まれ――それをただ見ていることしかできなかった。


「くそっ! 離せ! 離せよ!」


「やめろシュウ。貴様の体はもうボロボロだ。いま割って入ったところで、貴様にできることはもはや何もない」


「だけど、けど――!」


「割り切れ」

 

 強い口調が俺を遮った。


「たとえに魂があったとしても、向かって来る以上は敵なのだ。人形と人間の線引きと、敵と味方の線引きを混同するな」


「お前はいいのかよ! 自分と同じ奴らが、あんな使い捨てにされて――」


 振り返った俺は、ふと言葉を切った。

 彼女の表情を隠す仮面が、俺を掴む手が――微かに震えていることを。


「無論、良いわけがないだろう」


 悲鳴が聞こえた。


 見ると、いつの間にか地面を這っていた細く長い影が、混戦の中で身を隠していたアルメキア王の足に絡みつき、締め上げているところだった。


「こんな、いつっ、いつのまに……あぁっ!」


 情けない悲鳴と共に、奴は上空へとつり上げられる。

 助けようと飛び込んだナナや、あらゆる方向から放たれた<穿て左拳ポリュデウケス>を、複雑にうねる黒い炎が遮り、呑み込んでゆく。


 掴まれた足に走る激痛に顔をゆがませながら、王が叫んだ。


「クソッ! 何をモタモタしている! 早く私を助けろ、!」

 

 ――急に、周囲の気温が冷えた気がした。


「良い。実に素敵だ。貴様のような人間は」


 一見普段とかわらない、あくまで穏やかなハイネの口調。

 静かに耳から忍び込み、俺の心の深いところで共鳴する言葉。

 その源泉を、俺は理解する。


 彼女が常に抱いている感情。それは深く、暗く、際限が見えないほど大きくなりすぎたために、かえって穏やかに見えるほどの。

 

 怒り、だ。


「こう見えて私も元聖女でな。シュウほどじゃないが、心が痛むんだよ。どんな形であれ、生き物を殺すのはな。だから貴様のような人間はひどく助かる。遠慮をしなくてもよいからな」


 彼女が喋るのに合わせて、ゆっくり、ゆっくりと、その黒い炎が、アルメキア王の全身を呑み込んでいった。


「ああああぁ熱い熱い! クソッ! 女神さま! 女神さまァ!」


「くひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ。いいぞ。実に貴様にお似合いの、惨めたらしい鳴き声だ。さあ、祈れ、乞え、願え。聞いてくれるといいなあ? あのクソ女神が、貴様の懇願を。そら、もっと身が入るようにしてやろう」


「なん、これは……やめっ、見せるな! ああ、あ、ぎゃわああああああああああああああああああああがあああ!」


「フヒヒヒヒヒヒヒヒ! どうだ? 楽しいか? 私が今まで殺した人間の苦痛を圧縮して流し込んでいるのだ。そらもっと真剣に祈らないと、発狂するか死ぬかだぞ? 楽しませるんだろ女神を? ええ? フヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


「めっ、女神さまァ!! めがっ、めがみ、あがっ、ぎいぃぃぃぃい!」


 狂ったような哄笑と絶叫の二重奏が響き渡る。

 ナナとミミもいつしか動きを止め、もはや助けに入るでもなく、その光景を見つめていた。


 苦痛にあらゆる体液を垂れ流しながら、王は広間の真ん中で、苦痛に身をよじらせながら、狂ったように女神への言葉を叫び続ける。


 ありとあらゆる嘆願を。平伏して懇願を。天を見上げて慈悲を。


 すべての語彙を総動員して、天に向かって言葉を吐き続ける。その間も炎は彼を蹂躙し続けていた。殺さぬように、狂わさぬように――だが俺にはわからない。彼はもしかしたら、最初から狂っていたのかもしれなかった。


 そして、終わりがやってくる。

 

 王の動きが鈍くなり、声が弱々しくなってゆく。手足が意識に反した痙攣を繰り返し、倒れた王は死にかけの昆虫のようにもがいた。それでも彼はぶつぶつと何かを唱えていたが、やがてとうとう、動きを止めた。

 直後、ハイネの黒い炎が、彼の肉体を焼き尽くしていく。

 王はもはや悲鳴すら上げることなく、闇に呑まれてゆく。


 それと同時に。

 ナナとミミたちが、いっせいに膝をついた。


「お父さん」


 機械的にもれる、その言葉。

 

「お父さん」

「お父さん」

「お父さん」


 主を失った姉妹たちのつぶやきが、さざ波のように広間を満たす。

 モンスターたちも、もはや相手に敵意がないのを感じ取ったのか、動きを止めてただじっとしていた。


「お父さん」

「お父さん」

「お父さん」

 

 うつろな目で繰り返し続けるその姿を直視するのは、辛かった。

 俺は目をそらす。

 そらした先で、ハイネと視線がかち合った。


 「終わった……のか?」

 

 「ああ」


 答える彼女の目は、つぶやきつづけるナナとミミたちに注がれ、熱いものを無理やり呑み込もうとしているように、なにかの感情を抑えていた。


「……いつもそうだ」


 ぽつりと漏れる言葉。


「あのクソ女神と争うと、いつだって後味が悪い」


「ハイネ……」


 その気持ちは、痛いほどよくわかった。

 自我もなく、最低限の動機だけを持って生まれてきた人形たち……。

 彼女たちがこれから普通に生きていく術が、あるとは思えない。


「まあ、いいさ」


 溜息とともに、ハイネが言った。


「とにもかくにも、勝った。貴様のおかげだ、シュウ。よくやったな」


 そう言って、「くひっ」と笑う。

 

 俺も肩の力を抜いて、笑みを返す。上手く笑えたかどうかはわからないけれど。


「いや、まだだろ? あのクソ女神から魔力を奪う作業が残ってる」


「くひひっ、そうだったな。もっとも、王が死んだ今となっては、そんなことは造作もないが――」


 言いながら天井を見上げた魔王の動きが、ふと止まった。

 その表情が、みるみる変わってゆく。


「……ハイネ?」


「なるほど。あいつがなぜあんな目立つ場所にいたのだろうと思っていたが……」 

  

「ど、どうしたんだ?」


 俺が尋ねると、彼女はぎりり、と奥歯を噛みしめる。

 初めて見せる感情だった。

 焦燥。

 後悔。


「すまん、シュウ」


 そう言って彼女は、俺の体を魔力で包み込む。

 身体に力が満ちていき、失った手がみるみる修復されてゆく。


「感情的になって余計な煽りを入れたのは、私のミスだ。――もう少し戦いは長くなりそうだ。というより、ここからが本番だ」


 次の瞬間、強烈な輝きが、あたりに立ちこめた!


「んなッ!?」


 俺はとっさに目を覆う。

 なんだ、この光は――!


 手で覆って透かし見るその向こうで、ゆっくりと一人の男が立ち上がる。

 

「女神様」


 その声は、さっきとはまるで別人のように力強く、明るく希望に満ちていた。


「感謝いたします。哀れで弱いこの私に、偉大な御力を賜ったことを」


 その光は天井から差していた。

 ハイネが見上げていた場所だ。

 俺はそれを目で追い、そして気付く。

 

 浮かび上がる魔方陣の文様――

 それはまさに、俺が召喚されたあの部屋にあるのと同じものだった。


 王が潜んでいた場所。

 あそこは、


「あの魔方陣は、女神にとっての魔力経路だ。よりによってそこに、あの男を置いてしまった……。


「……そういうことです」


 背後で王の声を聞いた時にはもう遅かった。


 目の前にいたはずの王が消えたことに気付き、振り返ると同時に――俺は、目の前に迫る金色の右脚を見た。


「女神の御力に砕かれなさい――<彗星の一踏メテオリック・スタンプ>」


 視界が、白く染まった。

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