神様へ、間違ってもいいですか。

かぷたろう

1話

__神様はいると思いますか?






 榊ヒナツは、ある夏の暑い日、幸せが紡げなくなった。七月になったばかり、梅雨明けのむしむしとした嫌な暑さにみまわれた日のことだった。

 その日、彼女は悪夢に襲われる。辺り一面の闇。三秒に一回程度の感覚で現れるカラフルな糸くずの塊のようで、子供のクレヨンの落書きのようで、想像上の神様の歪みきった笑顔のような、そのどれとも似つかない何か。ノイズと共に現れては、えも言われぬ不安感を置いていく。

 じわじわと心を蝕んでいくような、意味の無い画像の連なりは、朝、目覚まし時計が鳴り響くまで延々と続いた。


 どんな悪夢だろうと、目覚めてしまえばなんてことは無い。それは現実には起こりえないことなのだ。

 自分の部屋を出て、洗面所に向かう。鏡像の自身と見つめ合い、何度か顔を触っては笑顔の練習をした。これは彼女の日課。いわば、ルーティンである。

「大丈夫、笑えてる」

 ヒナツは顔をたっぷりの冷水で濡らしてから柔らかなタオルで包む。ようやく、目覚めたという感覚だ。

 ヒナツは歯をよく磨いたあと、朝食が待つリビングへと向かった。

「おはよう。お母さん、お父さん」

 いつも通りの朝の挨拶のはずなのに、母はなんとなく驚いた顔をした。

「ひどい声ね。風邪でもひいたの? 顔も険しいし、具合が悪そうよ」

 ひどい声、険しい顔。思い当たるふしはなかった。いつも通りに吐き出した声は、昨日と何一つ変わらないはずだった。笑顔だって決まっているはずなのに。母を問いだたしてみよう。ヒナツが口を開こうとした瞬間だった。

「学校行けるか?無理はするなよ」

 そう声をかけたのはヒナツの父だった。彼の目にもそう見えたらしい。そういうこと。ヒナツの中でストンと、それは解決した。ヒナツは優しく微笑んで、声になっているか定かではない言葉を紡ぐ。

「大丈夫」


 四年前、小学六年生の夏休み、ヒナツは気づいてしまった。

(神様なんていない)

 しかし、かつてのヒナツに出会ったなら、現在のヒナツは教えてやるだろう。

「神様はいるんだよ」

 確かに世界のおおよその人々が思い浮かべるような、世界の創世者はいないかもしれない。


 人を殺してはいけない。動物をむやみに殺してはいけない。でも、我々が生きるために殺すのは罪ではない。母と父に問う。どうして、と。神様はそうおっしゃったから。人々が言う神とは、どうしてこうも中途半端なんだろう。どうしてこうも優しく易しいものなのだろう。ヒナツは気づく。世界が神が言ったこととして我々に押し付けるものは、他ならぬ人間が作った決まりごとなのだ。その決まりやルールに神という像を与えて、それを崇拝するのが正しいと、人は言う。

だから、神はいる。世界にも、国にも、学校にも、陰口とイケメンが好きなこの小さな女子グループにも。法があって、決まりがあって、罰があって。従う者があって、犯す者あって。

 神はそれを見ている。神の言うことを聞かない者には、罰が待っている。

 人には見えるらしいその神様が、彼女にはどうにも見えなかったが。


__私は、幾度もなく神の意に反し、罰を受けてきた。でも、もう繰り返さない。


 ヒナツは、このときを期に変わってしまった。それは、誰の目にも激的で、別人にでも成り代わったようだと誰もが思った。

 少しも笑わなかった彼女は、からからとよく笑うおおよそ普通の女の子になった。親、友達、教師。誰も彼もその変化を過去の快く受け入れた。過去の彼女を否定しながら、現在の彼女を肯定し、賞賛した。全ての人間が。


 彼女は偽り続けた。

 自分を偽り、神を騙し続けた。


 ならば、これは罰だ。

 とうとう神は暴いたのだ。嘘、偽り、愛想。罪のすべて。


 偽ることを禁止するという罰だ。



「いってきます」

 榊ヒナツ、現在高校一年生。彼女のいつも通りの一日の始まりが、おそろしく憂鬱に始まった。


 




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