第三十八幕:架け離れゆく虹

七夏ちゃんの瞳は、未来まで写しているような気がする一日だった・・・なんて、思ったけど、まだ今日一日は終わっていない。今、七夏ちゃんと夕食を頂いている。今日のお料理は、さっぱりとした物が多い。


七夏「鳥のささ身を使ったお料理は、あっさりしていて頂きやすいです☆」

時崎「たしかに、食べやすいね」

七夏「高野豆腐は暖かい方がよかったかな?」

時崎「今は冷たい方がいいかな。喉が心地いいし・・・出し巻き玉子も同じかな」

七夏「はい☆ あっ、柚樹さん。足りなかったら、おかわりどうぞです☆」

時崎「ありがとう。でも昨日、今日と少し食べ過ぎだから、このくらいが丁度いいよ」

七夏「くすっ☆」


夕食を済ませて、再びアルバム制作に取り掛かる・・・。今日撮影したサッカーボールを男の子に手渡す七夏ちゃんの写真を見て、その時の七夏ちゃんが話した事を考え始めると、手が止まってしまう。七夏ちゃんは間違いなく優しいお母さんになると思う。それって、凪咲さんを見れば、七夏ちゃんの未来の姿と重なるのかも知れない。つい、今まで撮影してきた七夏ちゃんの写真を振り返ってしまう。


突然、窓の外がフラッシュのように光った。


時崎「雷?」


最初は窓の外が時々、光るだけだったけど、次第に雷の音も聞こえ始める。雷雲がこちらに近づいているようだ。窓に近づき、外の様子を伺う。僅かに街の明かりは見えるけど、ほぼ真っ暗な世界。


時崎「っ!」


暗い世界が脅かすかのように一瞬光る・・・ついで、大きな轟音。こういうのは不安な気持ちを呼んでしまう。


時崎「っ!!!」


さらにまぶしい光と、何かを割り裂くような音! そして、雨音も加わった。その時---


時崎「えっ!?」


突然、視界を失う、何も見えない暗闇の世界・・・どうやら停電のようだ。俺は机の上の携帯端末を探す。懐中電灯とまでゆかなくても液晶画面の光で、ある程度周りを灯せるはずだ。だけど、机の上に置いてある携帯端末画面は消えてしまっているらしく、すぐに場所が分からない。今まで明るかった部屋が急に暗くなると、黒一色の世界となって方向感覚すら麻痺する。・・・目が慣れるまでしばらくかかりそうだ。すると「トントン」と扉から音がして---


七夏「柚樹さん、大丈夫ですか?!」


七夏ちゃんの声がする。俺は直ぐに返事をする。


時崎「七夏ちゃん! 大丈夫!」


すると七夏ちゃんが扉を開けて入ってきた。


七夏「良かった・・・すみません。停電みたいです」


意外な事に七夏ちゃんは懐中電灯の類を持っていない。だけど、七夏ちゃんの瞳は結構輝いており、そこに目がゆく。すると俺の視線を感じ取ったらしく、七夏ちゃんは目を逸らしてしまった。


七夏「あっ・・・怖い・・・ですよね・・・」


その言葉は色々な意味に捉えられ、返答するのに少し時間がかかってしまう・・・。


時崎「怖くないよ。ありがとう、七夏ちゃん」

七夏「私、お母さんの様子も見てきます」

時崎「俺も一緒に!」

七夏「ありがとうございます。でも周りが暗いですから」

時崎「七夏ちゃん、机の上に携帯端末があるはずなんだけど、分かる?」

七夏「はい。机ですね。ちょっと失礼します」


七夏ちゃんは迷う事なく、机の場所へ辿り着き、携帯端末を探し当てる。その様子を見て、七夏ちゃんは暗闇での視界認識が高いという事を思い出す。瞳がより輝いて見えたのもその影響だろうか。


七夏「はい。どうぞです☆」

時崎「ありがとう」


俺は七夏ちゃんから携帯端末を受け取り、手探りで液晶画面を点灯させる。真っ暗だった部屋の様子がある程度認識できるようになった。


時崎「凪咲さん、台所か居間かな? とりあえず1階へ降りよう」

七夏「はい」


俺と七夏ちゃんは凪咲さんの所へ向かう。


七夏「階段、足元、気をつけてくださいね」

時崎「ありがとう」


情けない事に、俺は七夏ちゃんに頼りきってしまっている。七夏ちゃんが、ここの民宿の女将さんの立場であるとしても、これはもどかしかった。


七夏「ひゃっ!」

時崎「七夏ちゃん!」


窓から眩しい光と大きな音! 七夏ちゃんはその場で立ち止まる。俺は、何も出来ないままだ。


七夏「ごめんなさい! 驚いちゃって!」

時崎「あ、ああ」


再び、居間へと向かう。


七夏「ひゃっ☆」

時崎「!」


居間に到着した時、急に視界が真っ白になり、また雷かと思ったら、辺りの様子がはっきりと伺えるようになった。どうやら停電は復帰したようだ。


七夏「!!!」

時崎「凪咲さんっ!」


凪咲さんは、椅子で横になっていた。


七夏「お母さん! お母さんっ!」

凪咲「ん・・・七夏!? どうかしたの?」

時崎「???」

七夏「え!?」

凪咲「あらっ? 柚樹君も一緒?」


・・・どうやら、凪咲さんはここで「うたた寝」していた様子で、停電があった事には気付いていない様子だ。


凪咲「あ、ごめんなさい。ちょっと、うとうとしてしまって・・・」

時崎「いえ、さっき停電がありまして、それで・・・」

凪咲「まあ! 大変な所、何も出来ずにすみません」

時崎「いえ、こちらこそ、七夏ちゃんに頼りっぱなしで・・・」

七夏「・・・怖くなかったですか?」


七夏ちゃんは、さっきと同じ質問をしてきた。今度は戸惑う事無く言える!


時崎「七夏ちゃんのおかげで、心強かったよ。ありがとう!」

七夏「あっ・・・は、はいっ☆」


凪咲「ありがとう。柚樹くん」


俺と七夏ちゃんのやりとりを見ていた凪咲さんが、暖かな笑みを浮かべ、台所へ・・・そして、緑茶を持ってきてくれた。


凪咲「いつの間にか、雨が降っていたのね。ナオ、大丈夫かしら?」

七夏「お父さん、傘、持ってるのかな?」


玄関から音がした。


直弥「ただいま!」

七夏「あっ、お父さん! おかえりなさいです☆」

凪咲「あなた、お帰りなさい。大丈夫だったかしら?」

直弥「一応、折りたたみの傘は持ってたけど、急に雷と凄い雨で・・・って、時崎君!?」

時崎「直弥さん、こんばんは。さっき、停電がありまして・・・」

直弥「そうみたいだね。帰る途中で街の灯りが消えたから少し慌てたけど、大丈夫だったかい?」

時崎「はい! 七夏ちゃんが居てくれて、心強かったです!」

七夏「え!?」

直弥「そうか! 七夏は家の光だからね!」

七夏「お、お父さんっ!?」

凪咲「そうね♪」

七夏「お母さんまで!」

凪咲「あなた、雨に打たれてますから、先に流して来てください」

直弥「そうさせてもらうよ。じゃ、時崎君、失礼します」

時崎「あ、はい!」


直弥さんは、お風呂場へと向かってゆく。


七夏「あ、お父さんの浴衣!」


七夏ちゃんも、少し慌てながら直弥さんの後を追いかけてゆく。


凪咲「柚樹君、ありがとう」

時崎「え!?」

凪咲「七夏、とっても喜んでたみたいだから」

時崎「そう・・・ですか?」

凪咲「私の勘違いかも知れないけど」


凪咲さんの勘は鋭いから、勘違いではないと思う。そう意識すると急に恥ずかしくなってきた。


時崎「お、俺・・・部屋に戻ります。何かありましたら、声を掛けてください」

凪咲「はい♪ ありがとうございます。おやすみなさいませ」

時崎「はい。おやすみなさい」


まだ寝る訳ではないけど、そう話して部屋に戻る。部屋に置いてあるMyPadを見て、携帯端末よりもMyPadの方がより灯りとして適していたかも知れないと思いつつ、MyPadの画面を付けて、今の言葉を取り消した。


時崎「七夏ちゃん・・・」


MyPadの画面に大きく映った七夏ちゃんの写真。これを七夏ちゃんが見たらどう思うだろうか・・・いや、今回が初めてではなく、以前にもこのような事があったので、いつも俺のMyPadには七夏ちゃんの写真が表示されている印象を与えてしまいかねない。これは、少し恥ずかしく思う。


時崎「よし! アルバム作りに戻るとするか!」


アルバム制作に集中した。七夏ちゃんの瞳は、未来だけでなく、みんなを照らしてくれているのだと思った。


時崎「おやすみ、七夏ちゃん」


俺も、七夏ちゃんを照らせるように頑張りたいと思いながら、今日一日を締めくくった。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


遠くなった意識・・・最初にその事が意識なのだと気付かされたのは---


時崎「雨・・・」


雨の音に目覚める。そう言えば、昨日から雨は降ったままのようだ。雷が呼ぶ雨は一時的な事が多いけど、今回は違うようだ。


時崎「起きる・・・か」


昨日と同じように、窓の外を眺める。街の景色はまだ薄暗く、遠くの街灯の灯りを眺めると、雨が降っている事を音だけではなく目でも確認できた。


時崎「ん? あれは、直弥さん?」


窓越しから、広がった大きな傘が目に留まる。今日はいつもよりも早い出勤なのかな?」


時崎「いってらっしゃい」


そうつぶやきながら、小さくなってゆく傘をぼーっと見送っていると、扉から音がした。


七夏「柚樹さん、起きてますか?」

時崎「七夏ちゃん?」


扉へ向かい、開ける。


七夏「あ、おはようです☆」

時崎「おはよう! 七夏ちゃん!」

七夏「柚樹さん、起きてました☆」

時崎「え!?」

七夏「くすっ☆ 今日は、お寝坊さんなのかなって」

時崎「???」


時計を見ると、思ってたよりも1時間くらい時間が経過していた。


時崎「え!? もうこんな時間なの?」

七夏「あ、今日は雨で、お外がまだ暗いですから」

時崎「そういう事か。ごめん」

七夏「くすっ☆ 朝食、出来てますから☆」

時崎「ありがとう、七夏ちゃん」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


凪咲「おはようございます。柚樹君」

時崎「凪咲さん、おはようございます」

凪咲「雨、よく降ってるわね」

時崎「はい」

凪咲「あら? お外へ出掛けるのかしら?」

時崎「いえ、ちょっと、雨の風景も撮影しておこうかなと思って」

七夏「柚樹さん、私、お手伝いできる事ってあるかな?」

時崎「七夏ちゃん、ありがとう。どちらかって言うと、七夏ちゃんにはモデルさんになってもらいたいかな?」

七夏「え!?」

時崎「傘を差してる七夏ちゃんを、お願いしてもいいかな?」

七夏「はい☆」

凪咲「~♪」


民宿風水の玄関先で背に傘を差す七夏ちゃんを何枚か撮影する。俺も傘を差しながらの撮影の為、思ったよりも難しい・・・光の量が少なく、手振れが発生しないようにする事に意識を集中する。


七夏「柚樹さん、大丈夫ですか?」


七夏ちゃんが気にかけてくれる。あまり長時間にならないように、手短に済ませる。


時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」

七夏「はい☆」

時崎「突然のお願いでごめんね」

七夏「いえ、お母さんも喜んでくれてます☆」

時崎「ありがとう、いいアルバムを作れるように頑張るよ!」

七夏「はい☆ では、朝食に・・・です☆」

時崎「ああ! 一緒に!」

七夏「くすっ☆」


朝食を頂いた後は、昨日と同じように、七夏ちゃんは宿題、俺はアルバムという、いつものここでの流れだ。昨日と違うのは雨が降っているという事。今日も午後から、七夏ちゃんとお出掛けできればいいなと思いながらも、それは難しいかも知れない。その分、アルバム制作は進められるはずだ。俺は、制作に集中した。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


トントンと扉がなる。


時崎「七夏ちゃん?」

凪咲「柚樹君」

時崎「凪咲さん!」


少し急ぎ気味に扉を開ける。


凪咲「ごめんなさい。そんなに慌てなくても」

時崎「すみません」

凪咲「昼食、出来てますから」

時崎「え!?」

凪咲「七夏も、柚樹君もなかなか降りてこないから・・・」


・・・時計を見る。思っていたよりも1時間以上経過していた。


時崎「すみません・・・なんか今日は、いつもよりも時間の感覚が・・・」

凪咲「そんな日もあると思います」

時崎「七夏ちゃんは?」

凪咲「今日は少し宿題に時間が掛かってるみたいね」

時崎「そうですか。俺、何か手伝えないかな?」

凪咲「ありがとう、柚樹君。七夏が困ってたら、お願いできるかしら?」

時崎「はい」

七夏「お母さん、あ、柚樹さん」


七夏ちゃんが姿を見せた。


時崎「七夏ちゃん、宿題どう?」

七夏「えっと、少し困ってて」

時崎「俺でよければ、手伝うよ!」

七夏「え!? いいの?」

時崎「分かる範囲でなら」

七夏「ありがとです☆」

凪咲「七夏」

七夏「あ、答えだけ聞かないようにします」

凪咲「そうではなくて、お昼、まだでしょ?」

七夏「え!? あ、もうお昼の時間になってるの?」


どうやら、時間の感覚がいつもと違うのは俺だけではなかったようだ。ちょっと嬉しい。


七夏「? どしたの? 柚樹さん?」

時崎「いや、なんでも。七夏ちゃん! お昼一緒に!」

七夏「はい☆」


いつもと同じ・・・そんな事はなく、いつもと同じようでも、少しずつ変化はある。七夏ちゃんと、これからも「いつもと違ういつも」を大切に過ごしたいと思った。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


昼食を頂き、七夏ちゃんの宿題を手伝っている。英語が苦手だという事は何となくわかっていたけど---


七夏「えっと・・・」

時崎「英語は答えを言う事になってしまうけど・・・」

七夏「答えを、もっと自然になるように工夫する方法で・・・」

時崎「自然に!?」

七夏「はい。よくここちゃーに言われます」

時崎「天美さん?」

七夏「私の英語は不自然だって」

時崎「不自然・・・それって直訳してるって事?」

七夏「そう・・・だと思います。でも私、訳すだけでも大変で」

時崎「まあ、最初は正しく伝える事ができてたらいいと思うよ」

七夏「単語もなかなか覚えられなくて」

時崎「単語は地道に覚えるしかないかな」

七夏「やっぱり、そうですよね」

時崎「必要最低限でいいと思うけど」

七夏「だから、不自然になってしまうのは分かってるのですけど、早く答えなきゃって思うと、上手く言葉が出てこなくて」

時崎「まあ、そんなに身構えなくても、楽しみを見つけながら進めるといいかも?」

七夏「楽しみ?」

時崎「俺ならそう考えるかなって」

七夏「・・・・・えっと、『それは岩が隆起? しているだけだ。彼女の父は話した』」


七夏ちゃんは、宿題の英文を眺めながら翻訳する。俺もその英文を見て---


時崎「『ああ、それはただの出っ張りだ。彼女のお父さんはそう言った』」

七夏「え!?」

時崎「もっと砕けた感じで!」

七夏「えっと『岩』は?」

時崎「砕いた!」

七夏「え!? 無くていいの?」

時崎「話しの流れから、分かる事だからね!」

七夏「お話の流れ・・・」

時崎「『それ』が岩を含んでるから」

七夏「くすっ☆」

時崎「少し、楽しくならない?」

七夏「はい☆」


確かに、単語を繋ぐだけでは滑らかな会話にはならない。


時崎「どうしたの?」

七夏「私、前に海外からお泊りのお客様が来て・・・上手く話せなくて・・・」

時崎「そうだったね。でも、その相手はそれで怒ったりした?」

七夏「え!?」

時崎「一生懸命伝えようとする七夏ちゃんの事を、待っててくれたんじゃないかな?」

七夏「あっ・・・私、ひとりで焦ってたような気がします」

時崎「七夏ちゃんなら、相手が一生懸命だったら、応援するでしょ?」

七夏「・・・・・柚樹さん」

時崎「ありがと・・・です☆」


英語が上手く話せる事よりも大切な事。七夏ちゃんは知っていると思う。


七夏「私、頑張ってみます☆」

時崎「ああ!」

七夏「あとは、自由研究のテーマ・・・どおしようかな?」

時崎「あ、昨日、本屋さんで話してたよね?」

七夏「はい☆」

時崎「何か楽しそうな事が無いか、探してもいいかな?」

七夏「え!? いいの?」

時崎「もちろん、でも、研究そのものは七夏ちゃん主で!」

七夏「はい☆ ありがとうです☆」


窓が明るくなり光が差し始めた。


時崎「お! 雨、あがったみたいだね!」

七夏「はい☆」

時崎「七夏ちゃん、ちょっと庭に出てみない?」

七夏「え!?」

時崎「外の空気で頭もすっきりするし、自由研究のテーマも見つかるかも?」

七夏「くすっ☆」

時崎「あと、晴れた明るい日差しで、今朝と同じように玄関前で七夏ちゃんを撮影したいな」

七夏「はいっ☆」


俺は七夏ちゃんと一緒に玄関の前に移動した。


七夏「柚樹さん☆」

時崎「え!?」

七夏「こう・・・かな?」


七夏ちゃんは。傘を差すような仕草を行なってくれた。今朝の出来事と重なる。


時崎「傘を持ってないと、なかなか面白いね」

七夏「くすっ☆」


傘を持つ仕草の七夏ちゃんを撮影した。


時崎「七夏ちゃん!」

七夏「はい☆」

時崎「少し、庭を歩いてみて」

七夏「はい☆」


七夏ちゃんは、街と海がよく見える所まで歩いてゆく。俺はその後を追いかけながら、撮影を行う。自然な七夏ちゃんの姿をたくさん残してあげたい。


時崎「七夏ちゃん! 足元に気をつけて!」

七夏「柚樹さんもです☆」

時崎「ああ」

七夏「今日は遠くの景色までよく見えます☆」

時崎「そうだね」

七夏「あっ!」

時崎「!?」


七夏ちゃんは空を見上げる。


時崎「七夏ちゃん!?」


七夏ちゃんが空を指差す。俺も空を見上げる。しかし、青空以外に特に何かが見える訳ではなく、俺は七夏ちゃんに視線を戻す。七夏ちゃんは空に大きな円弧を描くように視線を動かす。俺も、もう一度空を見上げたけど、やっぱり青空以外は何も見えない。飛行機でも飛んでいるのだろうか?


七夏「見えませんか?」

時崎「え!?」


更に目を凝らしてみると---


時崎「あっ!」


意識すると「それ」は、少しずつ空に浮き上がってきた。雨が上がり、心も晴れる気持ちにさせてくれるはずの「それ」を見て、俺の心は無意識に曇ってしまった。

気が付くといつの間にか現れている「それ」が生まれる瞬間を目の当たりにした。感動的な光景・・・のはずだが、なんでこんな時に・・・。


七夏「・・・・・・・・・・」

時崎「・・・・・・・・・・」


ダメだ、こんな表情を七夏ちゃんに見せる訳にはっ!


七夏「・・・柚樹さんっ☆ 凄いです!」

時崎「えっ!?」

七夏「こっちから、あっちの島まで掛かってます☆」

時崎「・・・・・」


七夏ちゃんは「それ」を見て大袈裟にはしゃいでいる・・・けど、俺には分かる。七夏ちゃんは無理をしている。


七夏「・・・・・柚樹さん」

時崎「!?」


急に落ち着いた様子の七夏ちゃんに、俺の心は大きく動揺する。


七夏「虹は、どんな色に見えますか?」


前にも訊かれた事。七夏ちゃんは、もう分かっているはずだ! 俺だって分かっている! 七夏ちゃんの見ている虹と、俺の見ている虹が同じであり、違うという事を。なんて答えればいいっ!


時崎「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


なんて答えればいいんだよっ! 俺は今まで何をしてきたっ!


七夏「うぅ・・・」

時崎「っ!!! 七夏ちゃんっ!!!」

七夏「ご、ごめんなさいっ!!! 私のせいで・・・」

時崎「!!!」

七夏「私のせいで、嫌いになっちゃったら・・・」

時崎「!!!???」


嫌いになる!? どういう事だ!? 何がどうなっているんだ!?


七夏「えぅっ・・・うぅっ・・・」

主 「ななつっ!」


七夏ちゃんは、風水へ駆けてしまった。


<<七夏「くすっ☆ 虹を見ると幸せになれるのですよね?」>>

<<時崎「え!? ああ・・・そ、そうだね・・・」>>

<<七夏「私も虹を見て幸せになれるといいな☆」>>


虹を見ると幸せになれるなんて、誰が決めたんだ!? 七夏ちゃんは、虹を見て泣いてたじゃないか!!! 俺は七夏ちゃんに幸せになってもらいたいのに、なんでこんな事になるんだ!!!


さっきよりも、よりはっきりと輝く大きな虹。


時崎「副虹まで・・・なんなんだよ! 嫌味か?」


探してもなかなか見つからないのに、突然現れたと思ったら、俺と七夏ちゃんを引き離そうとするなんて・・・・・俺は、虹に対して初めて憎しみの感情を抱いてしまった。七夏ちゃんは虹に対してあまり良い印象を持ってはいなかったけど、今回の事で、虹の事がもっと嫌いになってしまったんじゃないのか?


<<七夏「私のせいで、嫌いになっちゃったら・・・」>>


嫌い・・・私のせいで・・・私のせい・・・私のせい???


時崎「!!!!! そういう事か! そういう事・・・なのか!?」


七夏ちゃんは、こんな時でも、俺の事を気遣っていた・・・なぜ気付けなかった!?

七夏ちゃんも、虹も悪く無い! 悪いのは、虹を見て素直に喜べなかった俺だ!!!


俺は、もう一度、大空を見上げる。虹の光は先ほどよりも優しく、憎しみを抱いてしまった俺を受け入れてくれるかのように思え、少しずつ儚くなってゆく・・・。


時崎「ま、待って!!! 待ってくれ!!! 俺はまだ・・・」


慌てて、写真機を構え、空色へと変わりゆく虹を追いかける! 何枚も何枚も追いかける・・・ただ、ひたすらに、がむしゃらに・・・・・。そんな俺を止めたのは---


「メモリーカードの空き容量がありません。空き容量のあるメモリーカードと交換するか、不要な画像を削除してください」


時崎「・・・・・」


形式ばった写真機からのエラーメッセージ。


時崎「不要な画像なんてあるはずないっ!!!」


空を見上げると、既にいつもの空。虹は大空へと戻っていた。


時崎「俺もこの空・・・いつものように・・・」


七夏ちゃんと話がしたい! 俺は急いで風水へ戻った。玄関を通ると、凪咲さんから声を掛けられた。


凪咲「柚樹くん、七夏と何かあったのかしら?」

時崎「・・・・・」


凪咲さんから訊かれる事くらい分かっていたはずだ。なのに、いつも後手後手になってしまっている。七夏ちゃんの事を「のんびりさん」なんて思っていたけど、俺の方がもっと、どうしようもないくらい・・・。


凪咲「急に近づき過ぎたのかも知れないわね」

時崎「え!?」


凪咲さんが呟くように話した。


凪咲「なんでもないわ」

時崎「すみません。実は---」


俺はさっきの出来事を凪咲さんに話した。


時崎「俺、どう答えたらいいのか分からなくて」

凪咲「そう・・・柚樹君と七夏、似てるわね」

時崎「え!?」

凪咲「柚樹君にとっての虹と、七夏にとっての虹。それだけの事かしら?」

時崎「それだけ?」

凪咲「柚樹君と七夏が、お互いの事を想って・・・」

時崎「いえ! 俺なんかっ!---」


凪咲さんは首を左右に振って、俺の言葉を止める。


凪咲「少し、距離を置いてみると、色々と見えてくると思うわ」

時崎「・・・・・」

凪咲「七夏の事なら、心配しなくても大丈夫。柚樹君は自分の気持ちをよく考えて、大切にしてくれるかしら?」

時崎「すみま・・・ありがとうございます」

凪咲「七夏もきっとそう思ってると思うわ」


凪咲さんは優しく微笑んでくれた。俺は一礼をして七夏ちゃんの所へ向かった。


時崎「七夏ちゃん・・・」


・・・けど、扉を前にして身動きが取れない。七夏ちゃんに会って話がしたいけど、今、会って上手く話せるのか? 


<<凪咲「少し、距離を置いてみると、色々と見えてくると思うわ」>>


時崎「凪咲さん・・・」


俺は、七夏ちゃんに会いたい気持ちを抑え、凪咲さんの言葉に従うことにした。少し、冷静になった方がいい。


自分の部屋に戻ったけど、何も行おうとする気がしない脱力感に襲われる。写真機を机に置き、そのまま机にうつぶせになる。自分が情けない。目を閉じてこれまでの事を考えようとするけど---


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


??「・・・君」

時崎「・・・・・」


誰かに呼ばれている気がした。


??「柚樹君」

時崎「んん・・・」


誰かに呼ばれている!


凪咲「柚樹君」

時崎「な、凪咲さん!?」


部屋に凪咲さんが居る。何か用事だろうか?


凪咲「ごめんなさい。勝手に入ってしまって」

時崎「い、いえ! 何か用事でしょうか?」

凪咲「お夕食、出来てます。柚樹君、なかなか居間に来てくれないから」

時崎「え!? 夕食!?」


時計を見る・・・21時半!?


時崎「す、すみませんっ! 寝てしまって」

凪咲「いえ、良かったら、降りてきてくださいね」

時崎「はい! あっ、な、七夏ちゃんは?」

凪咲「ごめんなさい。七夏は先に頂くって・・・」

時崎「そ、そう・・・ですか」


夕食を手短に頂いて、部屋に戻る。今日は、七夏ちゃんと会わない方が良いのかも知れない。だけど、いつまでもこのままではダメだ。明日は、七夏ちゃんとお話しが出来るように努めなければ!

机で長い時間うたた寝していたにも関わらず、脱力感は残ったままだ。凪咲さんが準備してくれたと思うお布団にもぐり込む。


時崎「七夏ちゃん・・・ごめん」


七夏ちゃんは、俺よりも辛い想いをしているに違いない。その理由が俺にあるのだから、謝る気持ちしか出てこない。だけど、それって、七夏ちゃんが喜ぶ事なのか?


<<時崎「明日からは『今まで通り、いつもの天美さんになる事!』」>>


天美さんに、こんな事を話しておいて、俺は・・・。


時崎「他人の事って簡単に言えるんだよな」


・・・違う、七夏ちゃんは他人---


時崎「・・・・・」


急に心が締め付けられた。今の感覚・・・俺は、七夏ちゃんを「他人」だと思っていないという事だ! 頭で考えるよりも心で考えた方が良いのかも知れない。少しずつでいい。少しずつ、七夏ちゃんと・・・。


時崎「七夏ちゃん、おやすみ」


心に従うと、幾分、安らかな気持ちになった。安らかな気持ちは、次第に冷静な判断ができるように変化する。


時崎「距離を置く・・・か」


七夏ちゃんの家、民宿風水にお世話になりっぱなしだ。この街に来た時に宿泊した駅前の宿の事を思い出す。俺は民宿風水を発とうと思い始めていた。明日、凪咲さんに相談してみようと考えると、落ち着きを取り戻した心が、また揺れ始めるのだった。


第三十八幕 完


----------


次回予告


距離を置く事で見えてくる事がある。しかし、そうして出来た隙間は不安定で、何かで埋めようとしてしまう。


次回、翠碧色の虹、第三十九幕


「すれ違いの虹」


俺は、あまりにも突然の想いを知り、心を大きく揺さぶられる事になる。

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