第八幕:閉ざされた虹

七夏ちゃんとの撮影が終わり、民宿風水に戻る。


七夏「ただいまぁー」

凪咲「おかえりなさい、七夏、柚樹君」

時崎「ただいま・・・で、いいのかな?」

七夏「くすっ☆」

凪咲「いいと思うわ♪」


一時は、どうなるかと思ったが、七夏ちゃんも普段どおり・・・っていう程、まだ普段の七夏ちゃんを知っている訳ではないが、元気になってくれたみたいで安心する。


七夏「柚樹さん、今日は、ありがとうございました☆」

時崎「ああ、こちらこそ、ありがとう。七夏ちゃん!」

七夏「それじゃ、私、海風に長くあたったので、流してきますね☆」

時崎「え? 流すって?」


今日の出来事を、全て水に流されてしまうのかと思い、少し焦る。


凪咲「お風呂の事よ」

時崎「お風呂・・・なるほど!」

凪咲「柚樹君も潮風に当たったのなら、早めに流しておくといいわ」

時崎「はい。そうさせて頂きます!」


俺は、七夏ちゃんがお風呂に入っている間、居間で今日撮影した七夏ちゃんの写真を確認する。写真機からMyPadへ写真データを転送する。しばらくすると、画像の転送が終わったようだ。七夏ちゃんの写真がMyPadに表示される。写真の液晶画面よりも大きく高解像度に映し出された七夏ちゃんは、拡大操作をしなくても、瞳の色は、はっきりと確認できた。


時崎「やはり・・・翠碧色の瞳だ・・・」


撮影した七夏ちゃんの写真のどれもが、翠碧色の瞳として記録されている。ある程度、そんな気はしていたが、少し残念な感覚を覚えるのは、心のどこかに「もしかしたら」という期待もあったからだろう。その期待は、単に俺の要求を満たす為ではない。七夏ちゃんの瞳が、翠碧色以外の色で映っている写真が1枚でもあれば、七夏ちゃん自身に見てもらいたいと思っていたからだ。七夏ちゃんは、自分の瞳の色が翠碧色以外に見えた事が無いと話していた。そんなの写真に写ればすぐに分かると思っていたが、何故今まで見えた事が無いのかを理解できた。俺は、見る角度が変わった時に変化する七夏ちゃんの瞳を思い出しながら、MyPadの角度を変えてみる・・・変わったのは、ジャイロセンサーが反応して画像が90度回転しただけだ。当然、この写真では瞳の色が変化するはずが無い・・・。


時崎「七夏ちゃんの瞳の色の変化は、記録に残せない・・・という事なのか・・・」


俺がMyPadを眺めていると、


凪咲「あら? 七夏の写真!?」


後を振り返ると、凪咲さんがMyPadの画像を見つめていた。


凪咲「ごめんなさい。ちょっと通りかかったら、七夏だったみたいだから・・・」

時崎「あ、いえいえ。今日、七夏ちゃんと写真を撮影してきましたので・・・」


俺は、そう言いながら七夏ちゃんが映し出されたMyPadを、凪咲さんに見せる。すると、凪咲さんの表情が一変する。


時崎「凪咲さん、どうかしましたか?」

凪咲「七夏が・・・笑顔で写ってる!?」

時崎「え?」

凪咲「七夏の写真、他にもあるのかしら?」

時崎「はっ、はい!」


凪咲さんに今日撮影した七夏ちゃんの画像を、順番に見せる。画像を見つめる凪咲さんは少し震えているようで、その瞳には、涙が浮かんでいるように見えた。


凪咲「七夏が・・・笑顔で写ってる!!!」

時崎「え!?」

凪咲「こんなに沢山・・・」


俺は、凪咲さんの言葉の意味を、すぐに理解できなかった。


時崎「凪咲さん、それって、どういう事ですか?」

凪咲「ちょっと、待っててもらえるかしら?」

時崎「はい」


そう言うと、凪咲さんは、俺の場を離れ、奥からアルバムを持ってきた。


凪咲「このアルバム、七夏の写真を記録しているのですけど、見て頂けますか?」

時崎「はい! もちろん!!!」


凪咲さんからアルバムを受け取り、眺めてみる・・・。そこには幼い七夏ちゃんの姿が沢山あった。アルバムの時代を進めてゆくと、ある事に気が付いた。更に時代を進めて、それは確信に近くなってゆく。自然と俺の表情が険しくなっていた事を、凪咲さんは見逃さなかった。


凪咲「分かった・・・かしら・・・」

時崎「・・・はい」


アルバムに写る子供が成長するにつれて、写真の枚数が減ってくるのは、然程珍しい事ではない。しかし、このアルバムはそれに加えて、笑顔も無くなっている・・・それ所か、ある時期からの七夏ちゃんの写真は、殆どが目を閉じている。唯一、瞳が確認できる入学式や卒業式らしき写真でも、その表情は険しい。今日俺が撮影した七夏ちゃんの笑顔の写真・・・それは、凪咲さんにとっては、すぐに考えられない事だったのかも知れない。


凪咲「七夏、ある時期から写真を撮られるのを拒むようになって・・・・・」


七夏ちゃんが写真に対して良い思いをしない事は、何となくだが理解できている。そこで俺は提案する。


時崎「今日撮影した七夏ちゃんの写真、このアルバムに加えてもいいですか?」

凪咲「ありがとう・・・ございます・・・是非・・・お願い申し上げます・・・」


なんとか、言葉を絞り出してきた凪咲さんに、俺の心も大きく揺さぶられた。


時崎「な、凪咲さん、そんなに改まらないでください!!」

凪咲「ありがとう・・・ございます・・・」


俺は、このアルバムの中の閉ざされた虹・・・失われた七夏ちゃんの笑顔を、取り戻してあげたいと、強く思うのだった。


時崎「凪咲さん!」

凪咲「はい」

時崎「今日、七夏ちゃんを撮影してて、思った事があるのですけど・・・」

凪咲「瞳の色・・・の事かしら?」


凪咲さんは、俺の次の言葉よりも先に切り出してきた。七夏ちゃんの瞳の色の事も気になるが、それは俺の興味本位なだけだ。七夏ちゃんの事で、もっと気になる事がある。


時崎「・・・いえ、七夏ちゃんの見ている虹の色について・・・です」

凪咲「え!? 虹の色?」

時崎「はい。七夏ちゃんは、虹色が他の人と違って見えるって話してくれて・・・」

凪咲「そう・・・七夏が・・・」


凪咲さんの話によると、虹の他にも他の人と違って感覚される物があるらしい。「シャボン玉」や「眼鏡」といった、条件によっては七色に見える色が当てはまるようだ。


凪咲「ありがとう・・・柚樹くん」

時崎「え!?」

凪咲「七夏の事を、第一に考えてくれて・・・」


七夏ちゃんの事を第一に・・・。俺は凪咲さんの「ありがとう」がすぐに理解できた。凪咲さんの表情から、七夏ちゃんの瞳の事を訊かなかった事だと。七夏ちゃんの瞳の事を聞くのは『自分が第一』な考え方だからだ。凪咲さんも、アルバムを見て、七夏ちゃんの瞳の色の事ではなく、笑顔が無い事を気にしている。凪咲さんにとって、七夏ちゃんの瞳の色よりも、七夏ちゃんの心の方が大切だと言う事なのだろう。


七夏「あ、柚樹さん・・・と、お母さん!?」


七夏ちゃんがお風呂から上がったようだ。そう言えば、結構な時間が経過している。


時崎「お、七夏ちゃん、結構長風呂さんだったね」

七夏「はい☆ 今日は、のんびりです♪」

凪咲「な、七夏!」

七夏「は、はい!?」

凪咲「お風呂上りなら、ちゃんと水分取らないと・・・今、冷茶煎れるから・・・」


そう言うと、凪咲さんは、七夏ちゃんの方を見る事無く、台所へ移動する。


七夏「お母さん、どうしたのかな?」

時崎「さ、さぁ・・・」


俺は、気の効かない返事をしてしまい、七夏ちゃんに状況を悟られないか少し焦る。


七夏「あっ! 私のアルバム!?」

時崎「え!? ああ、さっき凪咲さんが見せてくれて・・・」

七夏「な、中を見たのですか?」

時崎「ま、まあ・・・その・・・まずかったかな?」

七夏「・・・いえ。ただ・・・・・」


ただ・・・その言葉の先は、鈍い俺でも分かる・・・ので、俺は話題を変える。


時崎「七夏ちゃん!!」

七夏「は、はい!?」

時崎「今日撮った写真、七夏ちゃんにも渡すから!」

七夏「ありがとうです☆」


とは言ったものの、今、手元にプリンターが無い・・・。デジタルの写真機は便利だが、こういう時の機動力/瞬発力の無さは進化していない・・・。最も、プリンターのインクで印刷した写真は、長期保存に適さないので、俺は写真屋さんでプリント依頼をする事が多い。プリントするのに写真屋さんへ出かけるのは、写真を現像する事と然程変わらないのだが、良い写真は、ひと手間を惜しんではならないと思っている。


時崎「明日、写真屋さんに、プリント依頼してくるよ」

七夏「ぷりんと・・・あ、はい☆ 楽しみにしてます♪」

凪咲「七夏、柚樹君。はい、どうぞ!」


凪咲さんが、よく冷えたお茶と、和菓子を持ってきてくれた。


時崎「ありがとうございます。凪咲さん」

七夏「ありがと。お母さん! あ、今日は和菓子もあります!」

凪咲「それじゃ、夕食の準備いたしますね」

七夏「あ、私も・・・」


・・・と、七夏ちゃんが言いかけた時、


凪咲「七夏、お茶を飲んで、今日は、ゆっくりしてなさい」

七夏「あ、はい」

凪咲「柚樹君、ありがとう」

時崎「あ、はい」

七夏「???」


七夏ちゃんと全く同じような返事をした俺を、不思議そうな目で七夏ちゃんが見てくる。


時崎「? 七夏ちゃんどうしたの?」

七夏「え? あ、この和菓子、色が綺麗だなって・・・」

時崎「確かに、色鮮やかで、見て楽しめる工夫がされているね」

七夏「はい☆」


ん? ちょっと待てよ。ここにある和菓子は色々な色が使われている、それこそ、ぱっと見では7色あるけど・・・七夏ちゃんは、どのように見えているのだろうか?


時崎「七夏ちゃん!」

七夏「はい!?」

時崎「ちょっと、訊いてもいいかな?」

七夏「はい☆」

時崎「この和菓子、何種類ある?」

七夏「えっと、七種類・・・かな?」

時崎「そう・・・七種類・・・か・・・ありがとう」

七夏「???」


俺は、色の事を悟られないように種類で聞いてみたが、今の答えから、七夏ちゃんは、虹以外の色の判別については特に、問題は無い様子で、ここにある七つの色の和菓子は、俺と同じように七つの色として感覚できているようだ。なぜ、虹の色だけは見え方が違うのだろうか・・・。考えても仕方が無いか・・・俺は更に話題を変える。


時崎「七夏ちゃんは、好きな色ってある?」

七夏「えっと、青色・・・かな」

時崎「青色か・・・俺も、空の青とか水色が好きかな」

七夏「くすっ☆」


七夏ちゃんと、共通の好みがあった事が嬉しい。視線を感じ、七夏ちゃんの方を見ると、ばっちりと目が合ったが、なぜか七夏ちゃんは慌てて視線を逸らしてしまった。大きく変化する瞳の色がとても印象的/魅力的に思う。写真には記録できない「ふたつの虹」を、俺はこれからも追いかけたいと思うようになっていた。


第八幕 完


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次回予告


虹は、いつも見えている・・・少し角度が変わると、見えなくなるだけで・・・


次回、翠碧色の虹、第九幕


「見えていない虹」


ご期待ください!!!

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