コンプレックス革命

@morsu

第1話 意図した遅刻と二人の少女

 皆が新しい環境に胸を昂らせる春の日、有栖は心地良い空き具合の電車の中で1人窓辺に寄り掛かっていた。その心地良さを例えるならば、静かで広大な深海の中だろう。他にも人は居る筈だが、それを全く感じさせない程に静寂に満ちていた。


 目を閉じれば、ハイテンポさが売りのJPOPと偶に伝わってくる振動が絡み合い、一種の爽快感のある演奏に変わる。有栖自身、そういった曲は嫌いではないが、別段好きでもなく、ただ人気だからという理由で聴いていた。


 しばらくすると、その振動は小刻みなものになり、やがて、甲高い金属同士の擦れる音と共に消える。それを合図に、有栖は目を開けて扉からホームに降り立つ。


 朝だというのに、周囲には白シャツを着た学生も、黒のスーツに身を包んだサラリーマンも居ない。数人のご老人が楽しそうに会話しているだけだった。


 有栖は、今日から県内一と名高い進学校に通う予定で、今そこに向かっている途中である。しかし、時刻は既に9時を過ぎており、学校に着く頃には入学式は終わっているだろう。


 遅れた原因は寝坊でも電車の乗り遅れでも無い。ただ有栖が入学式に参加したくなかったのである。


 幼い時から他とは段違いに頭が良かったのに加え、勉強するという行為を全く苦と思わずにやり続けて来た有栖は、次席に圧倒的な大差をつけて首席で合格した。それ自体は有栖自身を喜ばせる結果となったが、問題は首席に付き纏う厄介事である。


 有栖が今年から通う『白新高校』の入学式では、毎年の恒例として、首席入学者が数分のスピーチを行うのだ。それも、最近の時事ネタを題材とした、ユーモアのある内容にしなければならない。


 作文を得意とする有栖にとってその程度は実際朝飯前だったのだが、いざそれを全校生徒の前で読むとなれば話は別である。どれ程面白い内容でも、死んだ魚のような目をした生気の無い者が、抑揚も付けずにただ淡々と話しているだけでは、聴衆の関心は殆ど得られない。


 それを悟ってしまった有栖は怖気づき、今朝寝坊した上に電車に乗り遅れたという体で、自らが読む予定だったスピーチ原稿のデータを学校に送信し、次席に押し付けた。


 白新高校での首席は、一般生徒には無い特別な権利を幾らか与えられる。


 代表的なものでは、学校生活に関わる費用の全免除と、生徒会への無条件参加である。


 前者は、具体的には寮での生活費、食費、並びに授業料などの負担を全て学校側が受け持つという意味で、多くの生徒はこれ目当てで首席を目指すのだろう。


 また、中には後者の『生徒会への無条件参加』を一番の目的とする生徒も多数おり、その明確な根拠を有栖は把握出来ていないが、生徒会の有する絶大な権力に惹かれたのだろうと推測している。


 有栖は、先程挙げた2つの権利を含め、デメリットが一切存在しない事柄は歓迎したものの、入学式でのスピーチなどの、行事毎の面倒事は好ましく思えなかった。


 有栖にとって、ローリスクハイリターンよりもノーリスクミドルリターンであり、不要な危険をなるべく避けようとする思考回路が有栖には根付いている。それ故、失敗する可能性が高い、つまり重い責任が伴う役割を有栖は本能的に避けてきた為、首席の器としては不適格だと自覚していた。


 しかし、次席は首席と同程度の権利───優先順位は劣る───を所有しながらも、首席のような負担は全く無かった。まさに、有栖の理想とする立ち位置であり、1度、自分に首席は力不足だから次席にして欲しいと学校側に頼んで見たが、結局は成立しなかった。


 学校側は、次席代理としてならば可能だとしたが、次席の生徒がそれを容認していることが必要条件であった為、対する次席が認めずに要請は断られたのだ。


 有栖がスピーチの件を次席に丸投げする形になってしまったのは、主にそのことが原因であるとしても過言ではなく、淡白な有栖も少々負い目を感じている。


「とはいえ、次席が一体どんなスピーチをするのか見たくもあったな」


 学校への道のりを歩きながら、有栖はそう小さく呟いた。


 勉学以外には精を出さない有栖とは違い、次席は勉強、運動共に素晴らしい成績を収め、積極的に行事の取締役を引き受けるなど、中学では中々の優等生だったらしい。その上誰に対しても優しく接し、異性を惹き付ける美貌と類希な実力を兼ね備えながら、決して傲慢に振る舞うことはなく、唯々皆から愛されていたようだ。


 それはまさに絵に描いたような完璧美少女であり、そこまでの者が皆の前でスピーチをすれば大盛り上がりだっただろうにと、有栖が惜しむように呟く。


 ───少しだけ見てみたい


 実際に口に出したことで好奇心が強まり、有栖は無意識の内にそう思ってしまった。


 そのおかげで、幸か不幸か予定よりも相当早く学校に着いてしまい、有栖は入学式の途中から参加することになった。


 教師達の呆れるような視線に晒されながら有栖が指定の席に着くと、今度は同級生達から熱い視線を注がれることになる。それだけならまだしも、隣りの生徒に至っては、平然と有栖に話し掛け始めた。


 その生徒の名は蒲河洋大というらしく、何故遅れたのかから始まり、最後には、彼女はいるのかといったプライベートな領域まで有栖に尋ねた。対する有栖は、いつものように、低めの声で聞かれた質問に答えるだけして、話が途切れれば、何事も無かったかのように前に向き直る。


 話が続かなければ、相手もそれ以上は立ち入ろうとはせず、しばらくの間静寂が訪れたが、次のプログラムを伝える放送部の無機質な声が聞こえた瞬間、今までで一番の笑顔になり、嬉しそうに語り始めた。


 「次の新入生代表による挨拶ってやつさ、俺の幼馴染みの六反田柚梨ってやつがやるんだけど、こいつが凄いんだよ。勉強は得意な上に、運動も出来るし、美人で、性格も良い。まさに理想の女性像とも言える姿なんだよ。今回の入試では惜しくも2位だったけど、それでも柚梨は俺の自慢の……自慢の……」


 しかし、蒲河はそこまで言って最後の一言が出ずに躓く。有栖は、最初、蒲河の赤く染まった頬は興奮状態によるものだと思っていたが、最後の様子を見れば、その原因は恋心にあるのだと分かった。


 ───話の流れから察するに、おそらく蒲河と六反田は彼氏彼女の関係なのだろう。


 有栖は、初対面ながら馴れ馴れしく話し掛けてくるような奴でもこういう時には恥じらいを持つのだと知り、適当なエールを送って、良いクラスメートを演じるつもりでいた。


 しかし、突然何かを思い出したかのように蒲河の表情が強張り、次の言葉を言い出せずに詰まらせる。やがて、諦めたかのように溜息を吐き、目を逸らしてから重々しく口を開いた。


 「……ただの ──── だよ」


 絞り出した蒲河の言葉は、突如湧き出た生徒達のどよめきで掻き消される。蒲河は自らの想い人が壇上に現れたことを悟り、「できればさっきのことは忘れて欲しい」と有栖に言い残して前を向いた。


 有栖も釣られるようにして前を向く。そして、くすんだ黒の長髪を腰で小刻みに揺らしながら、堂々とした様子で歩く一人の美少女を視界に捉えた。彼女は、その悠然たる佇まいと美貌から、ヨーロッパの貴族の令嬢がそのまま日本人になったようで、有栖は素直に魅力を感じていた。


 そして、六反田は、洗練された動作でマイクの準備をし、原稿を広げ、深々と礼をし、顔を上げる。


 彼女は微かに笑みを浮かべており、有栖が執筆した、有栖が読むべき文章を愛おしそうに読み始めた……。


 有栖は、六反田という女生徒の演説を聴いて……もしくは見て思う。


 ───格が違い過ぎる。


 彼女の濁りの無い透き通った声は、優しく撫でるように鼓膜を揺らした。白鳥が空に羽ばたくように日焼けを知らない真っ白な両手を動かす様は、聴衆の皆を虜にした。


 有栖も六反田の演説に心を奪われると同時に、彼女が読んでいる原稿が自分のものであると思い出し、得も言えぬ誇らしさを感じていた。


 終了時の鳴り響く轟音は凄まじいもので、おそらく、彼女の演説による感情の昂りを、歓声を上げる代わりに打つ手に込めたのだろう。それに呼応するように体育館全体がビリビリと揺れた。


 有栖も同様に、拍手という形で彼女に絶賛を送る。その隣にいる中尾も、先程の憂鬱そうな顔は消えて、晴れやかな表情になっていた。


 嵐のような拍手は、彼女が壇上から降りて元の席に着いてからも続く。終いには放送で「拍手を止めて下さい」と注意される程で、会場はちょっとした笑いに包まれた。


 こうして六反田柚梨のスピーチは大盛況に終わり、今更ながら、自分が首席で良いのかと思い始める有栖であった。



 ────────────



 入学式が終わり、有栖にとっては最初のHRが始まろうとしていた。


まだ、担任の教師が来ていない為、席を立って話をする生徒は多かった。


 教室内を見渡す限り、小学生以来の付き合いである友人の竜石雅貴に、白新高校での知人一号の蒲河洋大、そして次席で完璧美少女の六反田柚梨がいた。


 有栖は窓際の一番後ろに座っており、その前に蒲河がいる。比較的見え辛い場所ではあるが、それ故に教師の目は厳しくなり、あまり寛げる場所ではなかった。


 因みに、有栖の苗字は西生寺といい、隣の席には、ロシア人を思わせる雪のような白い肌を持つ細身の女子が座っている。有栖に全く興味を示さず、まさに本の世界に入り込んでいるかのように、手製のブックカバーに包まれた本を読んでいた。


 白新高校には、裕福な家庭の、それも日常的に社交パーティーを開いているような、名門家の令息令嬢が多く集まる。これは、白新高校が100年を越える伝統を持ち、数々のエリートを輩出してきた超有名私立だからだ。


 社会に出て莫大な富を築いた白新高校卒業生は、結婚して授かった子供を、自分と同じ道を歩ませる為に英才教育を施し、何としてでも白新高校に入学させようとする。当然、物心の着く前から教育を受け続ければ、ほぼ確実に合格できる。


 そして、その子供達が出世して結婚すると、子に英才教育を施して、白新高校に入学させる。これが延々と繰り返された結果、白新高校は名門家御用達の発射台と化し、今では学力よりも礼儀礼節が重んじられていたりもするのだ。


 そんな中、西生寺有栖は異彩を放っていた。


 礼儀を知らない下品な一般庶民でありながら、他を抑えて堂々の首席合格……にも拘らず、入学初日から遅刻をするという、エリート達のプライドをズタズタに引き裂いた問題児は、伝統ある白新高校において異質である。


 だから有栖は、他の生徒達にとって宿敵であり、憎悪の対象でもあった。中尾のように無頓着な者も多少はいるが、有栖が教室に入ってきた瞬間、静寂が訪れると共にテンポ良く舌打ちが聞こえてくる程度には嫌われていた。


 有栖は、そんな嫌われ者が隣に座っても何の意にも介さずに読書をしているあたり、この子も中々変わり者だなと思いながら、彼女を見つめていた。


 六反田のような後付けの上品さとは違い、元から持っている、素の上品さを兼ね備えており、有栖の彼女に対する第一印象は、森の奥に住む囚われのお姫様といった感じだった。


 また、白い肌とは対照的な光沢のある黒い髪と睫毛が目立ち、それらが、透き通って儚げな彼女の存在を現世に引き留めているようである。


 と、有栖が隣の席の少女を観察していた際、不意に、漆黒色の澄んだ瞳が動く。


「何か用ですか?」


 睨むように問われた有栖は、一瞬返答に詰まったが、すぐに最もらしい理由を思い付いた。


「ちょっとだけ、珍しい人種なのかな?と思ったりしただけ」


 有栖の言葉に、御令嬢は怪訝そうに眉を顰める。読んでいた本を片手でパタンと閉じ、小さく溜息を吐く。


「それは貴方自身のことを言っているのですか?」


「いや……まあ、強ち間違ってはいないけど、君のことでもある。1人だけ本読んでたし」


「……『君』とか日常会話で使いませんよ」


「否定はしないのね」


「……」


 唐突に黙ってしまった彼女は、おもむろに鞄から1冊の本を取り出す。そして、そのまま有栖に向かって差し出した。題名は『車輪の下』である。


「これはどういう意味かな?」


「読めば分かりますよ、学年首席さん」


「……忠告どうも」


「いえいえ、ただの皮肉ですから」


 ───見た目の割に口が悪いな。


 やっぱり変わり者だと確信した有栖は、これ以上の会話を放棄することにした。当初の理想と掛け離れていたことに失望したのも原因の一つである。


 有栖は、読破済みですと短く言い切って、差し出された本を押し戻す。対して、そうですかと答えた彼女は、目を細め、勝ち誇ったかのように口角をニッと吊り上げて笑う。


 それを見た有栖は、フンと鼻を鳴らして顔を反らして前に向ける。


 ───まあ、これも悪くは無いな。


 可愛い女の子の笑顔には弱い有栖なのであった。

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