救出


 8年前、ボクは父を殺した。

 だがそのことでボクが少年院に送られることはなかった。代わりにボクは紫蒲しがまさんの監視下で生活することになった。


 大きな屋敷だった。場所は山奥としかわからない。ボクと同じように訳ありの子供が大勢いて、ボク達は屋敷から一歩も外に出ることなく暮らした。学校にも行っていない。代わりに紫蒲さんの部下から教育を受けた。WGの操縦もその1つである。まだ6つか7つくらいの子供にWGの動かし方を教えて何をさせたかったのかはわからない。


 そうして2年ほど経ったある日、紫蒲さんから突然パスポートをもらった。


「VKに行きたいと言っとったな?」


 彼女は机に向かって書き物をしながら言った。

 はい。ボクは即答する。

 そうか、と彼女は言った。興味なさそうに。


「なら好きにせい。ああ、礼は要らんぞ。そのパスポートはおまえの姉の遺品だ。礼を言うならそっちにするのじゃな。ちなみに有効期限は今年までだ。行くならさっさとするんじゃな」

「あの、1つ訊いてもいいですか」

「答えるかは保証せぬが」

「どうして、急に、これを?」


 その日は年度末でもなければボクの誕生日でもなく、祝日でもなかった。褒美をもらうようなことをしたおぼえもない。


「聞きたいか」


 その時になってようやく、紫蒲さんはボクを見た。そして笑う。獲物をいたぶる獣のような邪悪な笑みだった。


「戦力外通告という言葉はわかるか? 自分の成績はわかっているであろう? 我々も慈善事業でやっているのではないのでな。おまえをこれ以上育成するのは無駄と判断したわけじゃ」

「…………」

「もうおまえは要らぬ、ということよ。もう帰ってこなくてよいぞ」


 つまりボクは見限られたのだった。


 ショックを受けなかったといえば嘘になる。紫蒲さんには恐ろしさと同時にぼんやりとした親近感も感じていたので、面と向かって否定されるのは正直こたえた。

 だが彼女を恨むのは筋違いだ。2年間衣食住の世話になっておいて、愛情まで期待するのは贅沢というものだろう。子供にだってその程度の分別はある。


 だから責めるべきは己の無能さだ。


 自分が落ちこぼれだという認識と、ひとりぼっちの心細さ。そしてわずかな荷物。それだけを抱えてロンドンの移民保護局に辿り着いたボクの前に現れたのがシスター・ラティーナだった。

 僧衣の裾が床につくのもかまわず、彼女は幼いボクと目線を合わせ、にっこりと微笑んだ。


「はじめまして。会えて嬉しいわ。カリヴァ・カシワザキ君ね?」

「柏崎、カ・リ・バ、です」


 ボクはふくれっ面で訂正した。名前の発音の間違いを、馬鹿にされたと感じたのだ。他のありふれた子供達と同じように、大人扱いされたがる年頃だった。

 彼女は困った顔をした。


「ごめんなさい。間違えたわけでも馬鹿にしたわけでもないのよ。あなたの名前は吸血人には呼びにくいの。わたしは、移民孤児保護局で働いている、ラティーナです。今日からわたしがあなたの保護者になります」

「……保護者ね。まあ短い間でしょうけどよろしくお願いします」


 ボクは何の役にも立たない。役に立つ才能がない。紫蒲さんにも見捨てられた。姉さんの足を引っ張るばかりで何もしてやれなかった。きっと「どこにでもいる平凡な人間」以下だろう。そんな奴、誰だって嫌いに決まってる。この女だってすぐにボクを追い出すだろう。


「……悲しい目に遭ってきたんですね」


 小さい子供をあやすように、シスターはニッコリと笑って両手を広げた。


「安心して。もう怖い思いはさせません。あなたは、わたしが守ります」


 ボクは元々猜疑心の強い子供だったし、当時は更に警戒心をMAXにしていた。もう世界にひとりぼっちだと思っていたからだ。これからは1人で生きていかなくてはならない。周囲は全て敵。誰も信用するものかと飛行機の中で誓ったのだ。


 それでも。


 気がつけば、ボクはベソをかきながら彼女の腕の中に飛び込んでいた。

 まだまだ1人で生きるなんて無理だと悟った。


 他人の暖かな体温を感じたのは姉が死んで以来だった。疲れが出たのか、幼かったボクはそのまま眠ってしまった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 雲の隙間から気まぐれに顔を覗かせる月の光だけで踏破するには、その森はあまりにも深かった。

 シスターに肩を貸し、どこをどう歩いたのかもうわからない。奥へ一方向に進んでいるはずだが、もしかしたらUターンしているかもしれない。同じ所をグルグル回っているような気もする。


「大丈夫ですか、シスター?」

「……はい。足も動くようになってきました」


 ありえない角度に曲がっていた右足は、もうほとんどまっすぐになっている。それでもまだ1人で歩くのは無理そうだ。


「でも、お、おかしいですね……撃たれたところ、出血が止まらない……」


 シスターの背中には2発分の銃創ができている。映画やドラマでは追いかけっこの最中に何発撃たれても都合よく当たらないものなのに、現実は非情にも全弾命中だった。


 おかしいのは、撃たれてからそれなりに時間が経っているのに出血すら治まっていないことだ。彼女の背中を支えるボクの手をつたって血が零れ続けている。吸血人の回復力なら傷が塞がってたっておかしくないはずなのに。


「やっぱり、おぶりますよ」

「いえ……肩を貸してくれるだけで充分です」


 忌々しいことにボク自身は多少擦り傷や打撲があるだけでほとんど無傷だ。シスターがクッションになってくれたおかげである。


「おんぶと言えば……あなたと初めて会ったときのこと、おぼえてますか?」

「……ええ。シスターに抱きしめられて、そのまま寝……」


 この昔話がボクにとって好ましいものではないことにボクは気づいた。


「やめませんかこの話。ほら、敵に聞こえるかも」

「――起こすのも可哀想だと思っておんぶして孤児院に連れて帰ったんですけど、カリヴァ、わたしの背中でおねしょしましたよね」

「……そうでしたっけ。それより、今何時ですかね」

「起きたときにごめんなさいごめんなさいって大泣きして」

「へー、記憶にないですね。それより、ここ何処でしょうね」

「それで一緒にお風――」

「シスター!」


 追われているのでなければ大声で誤魔化したいところだった。


「ど、どうせ思い出話をするなら、もっと綺麗な話をしましょうよ、これが――」


 これが最後になるかもしれないのだし、と言いかけて寸前でやめた。縁起が悪すぎる。


「ほら、もっと感動的なエピソード、あるじゃないですか。そう、たとえば……えっと、ボクがシスターの誕生日に花を贈ったときのこととか――」

「ごめんなさい、おぼえてません」

「ひどい!?」

「冗談ですよ」


 いたずらっ子のように笑ったシスターは、しかし次の瞬間、顔を歪めた。

 ぐぼ、と何かを吐いた。鉄錆くさい臭いが漂う。


「シスター!?」

「……問題ないです、おかまいなく」


 問題ないはずがなかった。ボクを受け止めたときに内臓の1つ2つ潰れていてもおかしくない。


「そうだ、ボクの血を飲みますか?」

「雑食人から直接血を吸うのは犯罪ですよ」

「非常時は別なんでしょう。それにあれだけスピード違反しておいて今更何を」


 そうでしたね、免停になったらどうしましょう、とシスターは力ない笑みを浮かべた。


「でも、気持ちはありがたいのですが、そもそも血を飲んだからってすぐに傷が治ったりしませんよ。吸血人にとって雑食人の血はあくまで栄養補給飲料であって、薬や魔法の水じゃないんですから」

「…………」


 結局、ボクは大切な人に迷惑をかけるばかりで何の役にも立たないのか。


「……やっぱり、ちょっとだけいただきましょうか」

「え?」


 シスターはボクの頬で乾きかけた血を舐め取った。


「はい、おかげで、元気になりま、した」


 ボクの頬は赤くなっていただろう。こんな時でも自分のことしか考えていない、そのみっともなさに気づいたからだ。ヴェレネお嬢様を笑えない。

 なのにシスターは傷だらけの身にもかかわらず、そんなボクを気づかってくれたのだった。


「……それは……よかったです」


 だからボクは、精一杯の笑顔を作って返した。シスターも微笑む。けれど、すぐに真面目な顔になってささやいた。


「カリヴァ、わたしを置いて逃げなさい。あなた1人ならまだ身軽でしょう。彼等はきっと、わたしの血の臭いを追ってくるはずです。川を見つけたら飛び込みなさい」

「ボク1人で逃げたとして、シスターはどうするんですか」

「……隠れます」


 嘘だ。長い付き合いだからわかる。その嘘にだけは付き合ってあげられない。


「シスターが逃げて、ボクがあいつらの前に出て行けばいい。あいつらの狙いはボクなんだ」


 そうだ。姉さんが死んだときからずっと思っていた。ボクが死ねばよかったのにって。

 生きるためにできることをコツコツやっていた姉さんこそ、生きて幸せをつかむべきだった。ボクじゃ代わりになんかなれない。なのにダラダラ未練がましく生きていたせいで、今度は孤児院のみんなや、シスターまでもが――。


「最初からボクがいなければ……」

「……そんな風に思っていたんですか、カリヴァ」


 シスターは空いた手でボクの頬を撫で――額に唇を寄せる。カサブタを押しつけられたような感触。シスターの唇は酷く乾いていた。


「これだけは忘れないでいてください。わたしは、あなたに生きて、幸せになってほしいと願っていることを。……あなたのお姉様にではなく」

「……なんでボクなんかのために。それもカーミーラ様の教えだからですか」


 ボクは吸血人じゃない。生まれついてのVK人でもない。カマイラ教の信徒でもない。

 そういうと、今度は小突かれた。


「野暮なことを言わないの。愛する人の幸せを願うのは当たり前でしょう?」


 その時、がさがさと草むらを乱暴にかきわける音がした。こっちに近づいてくる。ボク達2人は思わず息を止めた。頼むから野生動物――それも小型の――であってくれと願う。


 祈りは虚しく、ボク達の前に現れたのは、あの3人組だった。


「もう暴れる余裕はなさそうですね」


 初老の男がシスターを見て満足げな笑みを浮かべる。


「……あなた達、わたしに何をしたんですか」

「怪我が治らないのが不思議ですか? 銀が吸血人の回復を阻害するのは御存知でしょう。あなたに撃ち込んだのは銀の弾丸、それも特殊なものです」

「特殊……?」

「先の大戦で開発されたものでね。吸血人の回復を阻害するだけでなく、毒を付与し傷口を壊死させてしまうんですよ」


 君たち雑食人が発明したものだよああ恐ろしい、と初老はボクに顔を向けて言った。そして再びシスターに視線を戻す。健康な雑食人より手負いの吸血人の方が危険だからだ。


「私も前線でくらったことがありますから、痛みはお察しします。適切な処置をしないと死にますよ。早く病院に行ったらいかがですかな。もちろんそのお子さんは置いておいて――」


 シスターはボクを後方に突き飛ばした。


「ガァァァァァァ!!」


 咆哮。吸血人は威嚇の際、人相が人間のそれから肉食獣じみたものになる。瞳孔は縦筋1本になるまで細められ、犬歯はサーベルタイガーのように伸びる。喉から絞り出される声は完全にライオンのそれだ。初めて見た時は心臓が止まるかと思ったものだ。


 けれど初老の男は眉1つ動かさなかった。


「美人が台無しですよ」


 銃声が無情に轟き、シスターの身体は電流に打たれたように後ろへと吹き飛んだ。


「シス……」


 雲が流れ、月明かりがボク達のいる場所を照らす。シスターの頭は半分なかった。初老の男が握っているのは、雑食人なら撃っただけで手首がへし折れるような大口径のハンドガンだ。吸血人であろうとひとたまりもない。


 もったいねえ、と眼鏡が呻く。


「……なんで」


 ボクの声は滑稽なほど震えている。

 なんでボクじゃないんだ。姉さんの時も今回も、どうしてボクじゃなくてボクの大切な人が死んでしまうんだ?


「……なんでボクを撃たなかった!? あんたらが殺したいのはボクで、この人じゃないだろう!」

「あの様子じゃ、どうせ君を撃った後に撃つことになっただろうからね。可愛い子供の屍を見ずに済ませてあげたのだから、むしろ慈悲深いと思ってもらいたいな」

「よく……よくぬけぬけと……!」

「心配しなくても、ちゃんと君も殺してあげるから」


 初老の男が銃口を向ける姿が滲んで見えた。その、ぐにゃりと歪んだ視界の中で、何かが激しく揺れ動く。


――もう大丈夫よ、かりばちゃん。


「えっ?」


 涙を拭う。クリアになった視界に初老の男は姿を消していた。いや、大地に倒れ伏している。その近くにすらりとした影が立っていた。長い髪が風になびく。


「誰だ!?」


 無個性な男が叫ぶ。

 影は名乗った。高らかに。


「我が名はラマイカ・ヴァンデリョス!」

「ヴァンデリョス……? ヴァンデリョス伯爵家の……?」


「そう、その通り! ドーンレイ・ヴァンデリョス伯爵が末娘、ラマイカ・ヴァンデリョスだ! 誇り高き大英吸血帝国貴族として、私の血婚相手に狼藉を働き、あまつさえ罪のない市民を手にかけた貴様等を、断じて許すわけにはいかん! 我が手にかかって死ぬか、自ら腹をさばくか、2つに1つ、選ぶがいい!」


 前時代的な――いや、吸血人からすればまだまだ時代的なのかもしれないが――口上を高らかに歌い上げるラマイカ・ヴァンデリョス。

 男達からはさっきまでの余裕が消え失せていた。伯爵令嬢に危害を加えれば、今度は自分達が追われる身になると理解したからだろう。


「み、ミズ・ヴァンデリョス……?」

「ラマイカでいいよ、カリヴァ君」

「ラマイカさん、なんでここに……」

「仕事がてら血婚の件で君の家に向かっていたのだが、派手な追いかけっこをしていると聞いてな」


 と、ラマイカさんの背後の茂みがガサゴソと揺れた。ラマイカさんは反射的に構えを取る。

 顔を出したのは、ガリリアーノ刑事だった。頭や肩に枝や木の葉をぶら下げたシュールな姿で銃を構える。


「そこまでだ、動くな! VK警察の者だ! ……って、おい!」


 残念ながら、刑事の登場は男達に逃げる隙を与えるものでしかなかった。倒れたままの仲間を見捨て、残りの2人がバラバラの方向へ脱兎のごとく駆け出す。


「待て! ……刑事、そこの少年を!」

「わかりました」


 ラマイカさんは2人を追って森の中に消えた。本来それはガリリアーノさんの仕事だが、足場も定かならぬ夜の森を平然と駆ける吸血人達を捕まえるなど、雑食人の刑事には不可能な話だ。

 大人しく犯人の追跡を民間人に任せ、刑事はボクに近寄ってきた。


「おい刈羽、だいじょう――」


 ぶ、と刑事さんは足を止めた。く、と喉を鳴らす。ひざまずいて祈りを捧げるように指を組み、そしてボクの頭に手を乗せ、震える声で言った。


「……ごめんな」


 ボクは泣いた。


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