第12話 理桜(9)昏き館の主、ふたたび
ガラガラという奇妙な音で、意識が眠りの縁から浮上した。
わたしは仰向けになったまま、うっすらと目を開けた。視界に飛び込んできたのは、看護師らしき人物の姿だった。どうやらわたしはストレッチャーに乗せられてどこかへ運ばれる最中らしい。
「ここは……どこ?」
浮かんだ問いを口にすると、二人いる看護師の一人が「しっ、まだ安静にしていてください。今、病院に連れて行きますから」と言った。
わたしは言われるまま、口を噤んだ。天井は打ちっぱなしのコンクリートで、蛍光灯が鈍い光を放っていた。まるでトンネルのようだ、とわたしは思った。やがてストレッチャーの速度が落とされ、緩やかに止まった。
「ドア、開けまーす」
看護師の一人が言い、突然、わたしを乗せたストレッチャーが開けた場所に出た。
「お仕事中、お邪魔してすみません。上の病院に搬送する患者さんです」
ストレッチャーを押しながら、看護師が言った。誰に向けてなのかはわからない。とにかくここが病院の廊下でないことだけは確かだった。コンクリート壁は先ほどの通路と同様だったが、部屋全体が蒸気で煙り、ごうごうという音がこだましていた。
「誰もいないわね。休憩中かしら」
「あの人ならいるんじゃない?ごみ処理の人」
看護師の会話を聞きながら、わたしはそっと首を曲げて周囲を見た。金属のタンクやパイプが部屋の大半を埋め尽くしていた。ボイラー室、という言葉が脳裏に浮かんだ。
ストレッチャーはあっという間にボイラー室を横切ると、簡便な仕切りを抜けて隣のフロアに移動した。薄暗い廊下を進んだ後、ふいにストレッチャーの動きが止まった。
「あ、ちょうど来たみたい」
看護師がそう告げるのと同時に、エレベーターの扉が開く音が聞こえた。
「すみません、乗るのでドア、開けたままにしておいてください」
看護師が誰かに向かって声をかけた。降りてきた人と入れ違いに乗るのだろう、そう思っていると、視界の隅を青い作業服がすっと掠めた。
――あれっ?
次の瞬間、わたしはストレッチャーごとエレベーターに乗せられていた。ドアが閉まり、上昇を始めたエレベーターの中でわたしは、たった今すれ違った人物の面影を反芻した。
――あの人、見覚えがある。……ダカ……ダカさん!
わたしの頭の中で、夢で見た人物とすれ違った人物の姿が重なった。十年分のフィルターを重ねるまでもなく、作業服の人物は昔、教会で知り会ったダカさん、その人だった。
※
外科クリニックの診断の結果、幸い、わたしの怪我は脚と腰の打撲だけだった。
「気にすることないよ。誰が見たってあれば事故だったんだから」
メンバーも関係者もそう言ってわたしをなぐさめた。わたしはありがたさを噛みしめつつ、それでもこの失敗は簡単は取り返せないなと感じた。
「今日は見学でしたけど、お医者さんからは二、三日休んだら活動を再開していいって言われました」
わたしが報告すると、サコさんは困ったように小首を傾げた。
「うーん。それはわかるんだけど、一週間くらい休んだほうがいいと思うな。身体もそうだけど、あんまり早く再開してステージ恐怖症になっても困るし」
わたしは俯いた。わたしがいくら歌える、踊れると力説したところで、周りが不安になるのなら、参加する意味がない。
「松館さんも、今度からステージ周りの照明をもう少し明るくするって言ってたわ。ちゃんと客席との境目がわかるようにするって」
すみません、たすかります、とわたしは頭を下げた。
「こうなると『大人は救ってあげない』のフォーメーションも少し、変えたほうがいいわね。これからはセンターの子があんまり前に出すぎない形にするわ」
わたしは胸が苦しくなるのを覚えた。わたしの事故のせいで、せっかくのダイナミックな振り付けがおとなしい物になるのだとしたら、これほど切ない話はない。
「それより、お披露目会の後半、できなかった内容を今度、あらためてやり直そうっていう話が出ているの。今度は下のフロアで一、二曲歌ってすぐその場で即売会よ。これなら安心でしょ」
「はい……」
「一応、来週末を予定してるから、それまでゆっくり体を癒してね。……じゃ、私は別の仕事があるから、これで」
「あの、サコさん」
「何?」
「事故の直後、ストレッチャーで運ばれてる最中に、ボイラー室みたいな場所を通り抜けた気がするんですけど、あそこって、どこなんですか」
「ああ、あれはね、ボイラー室とゴミ収集室のところを通るルートが、外科クリニックへの近道だったの。それだけ」
「そんな行き方があるんですか」
「器具室の奥にごみ処理室への通路があるの。職員しか使ってないんだけどね」
なるほど、そういうわけだったのか。わたしは先日見た光景が夢じゃなかったことに安堵した。……ということは仮にあの日、見かけた男性が「ダカさん」なら、意外に近くで働いてるということになる。
「とにかく、あの日のことはもう忘れたほうがいいわよ。それじゃ、また連絡するわね」
サコさんが姿を消した後も、わたしはあの時のダカさんの姿を、思い浮かべ続けた。
※
「そいつはおそらく、メディカル・ビルになる前の建物の設備だな」
薬のような匂いのするお茶を一口すすると、和緒はきっぱりした口調で言った。
「前の建物って?」
「現在のビルが立つ前、この場所には『アンジェリカ病院』っていう病院があったんだよ。覚えてないかい?」
わたしは記憶を弄った。たしかに、そんな病院があった気がする。
「実はこのビルを建てるとき、以前の建物の電力室やボイラー室をそのまま残したらしいんだ。……見ろよ、これ」
そう言って和緒はタブレットの画面上に一枚の画像を表示した。それはメディカル・ビルを裏側からみた風景だった。駐車場を挟んで、白いタイルの美しい建物が見えるのだが、その手前に小さな平屋の建物がぽつんと置き忘れられたように立っているのだった。
「この部分が、元の電力室にあたる建物だよ。今ではごみを収集するときしか、出入りしないけどね。見るからに古いだろう?」
わたしはうなずいた。最新のビルに隠れるようにして、くすんだ灰色の建物が古城のように立っているさまは、なんだか不気味ですらあった。
「この建物と、メディカル・ビルはつながってるんですね?」
「そう。おそらくライブハウスからの通路と、外科に上がるときに使ったエレベーターが、唯一の連絡路だろうね」
「じゃあ、その電力室かゴミ処理室に行けば、働いている「ダカさん」に会えるんだ」
わたしが呟くと、和緒は腕組みをし、鼻から太い息を吐き出した。
「その「ダカさん」なんだけどな。その人が『ヴィヴィアン・キングダム』に採用された応募者とは限らないだろう」
「でも、十年前のわたしを知っている人って言ったら、その人くらいしかいないわ」
わたしはむきになって反論した。自分でもあまり説得力のある理由とは思えなかった。
「ようするに、教会に通ってた頃のことを、思い出したってんだろう?それ自体は実際の体験かもしれないけどさ、問題はダカさんが連れてたとか言う『ミツカイ』のことだよな。そこだけはどうにも説明がつかないし、到底現実の話とは思えないんだ」
わたしは口ごもった。確かに、肩に悪魔を乗せていた、なんていう話を真に受ける人がいたら、その方が常識を疑われるに違いない。
「その部分さえなければ別に「ダカさん」がアイドルプロジェクトの応募者だって構わないし、ヘンリー・ダーガーに詳しくて、入れ込んでいたとしても、どうってことはない」
「つまり少女の戦士とか、正義の王国とかはみんな、ダーガーの妄想をダカさんが受け継いだってこと?」
「そうなるね。アイドルプロジェクトの話を職場の人から聞かされて、たまたま十年前に教会で見かけた女の子たちのことを思い出した、それだけの話じゃないのかな」
「じゃあ、『ミツカイ』の部分は全部、わたしが夢で勝手に付け加えた想像ってことね」
わたしが睨み付けると和緒は「うん、まあ……」とばつが悪そうに語尾を濁した。
「ようするに、そう考えれば一応の辻褄はあうってことさ」
「もういい。もう一度、自分で考えてみる!」
わたしは声を上げ、椅子から立ち上がった。和緒の言うことはいちいちもっともだった。
ただわたしには色々な不思議をそのまま受け止めてくれる場所が必要だったのだ。
「あらっ、どうしたの理桜ちゃん。……そこのおじさんにまた、意地の悪い理屈でいじめられたのね。……いいわ、うちの医院にいらっしゃい。もみほぐしてあげるわ」
背後から風のように現れた人影――真琴さんはそういうと、両手で肩を揉む仕草をした。
〈第十三回に続く〉
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