第10話 理桜(7)黒き翼のささやき

ふと気づくとわたしは、西日の射す教会の裏庭に迷い込んでいた。


 花壇を彩る春の花に見とれていると、建物の陰から一人の男性が顔をのぞかせた。


「やあ、理桜ちゃん。お花を見に来たのかい?」


こげ茶色のブルゾンにジーンズ姿の男性は、柔らかな笑顔を浮かべて言った。


「うん、きれいなお花」


 わたしは男性の元へ歩み寄った。見知った顔だったからだ。年齢は三十いくつくらい。


 ヒダカさんとかイダカさんとかいう名前で、みんなからは「ダカさん」と呼ばれている。


「ダカさん」は教会で時々、神父さんのお手伝いをしている人だった。


 この教会は学童保育をやっており、六歳のわたしは弟とともに、両親が仕事を終えて迎えに来るまで、ここで過ごさせてもらっていた。


「元は皆、野の花なのだけれど、神父様がよく丹精しているから、お行儀よく咲いているんだね」


 ダカさんは花壇の傍らに屈みこむと、いつくしむように花弁に手を振れた。ダカさんの身体がこちらを向きかけた時、わたしはあることに気づいてはっとした。ダカさんの肩に何やら生き物のような物がちょこんと乗っているのだった。


「ダカさん、それ、何ですか?」


 わたしが素朴な問いをぶつけると、ダカさんは一瞬、ぎょっとしたように目を丸くした。


「理桜ちゃん……「これ」が見えるのかい?」


 ダカさんは、生き物とわたしを交互に見遣りながら、信じられないという顔をした。


「うん、見えるよ。……でも、変わってる。こんな生き物わたし、見たことない」


 わたしは思ったままを口にした。生き物は黒っぽい灰色で、背に羽根があった。

 一見すると鳥のようだが、首の上に乗っているのはあきらかに、人間の顔だった。


「何に見える?……この生き物」


 ダカさんは何かを期待するような口調でわたしに問いかけた。


「……悪魔?」


 わたしは真っ先に浮かんだ言葉を口にした。言ってからあまり良くない想像かなと思ったが、ピンと尖った耳、人間そっくりの鉤鼻、両端が吊り上がった口、どこをとっても悪魔」としか言いようのない見た目だった。


「なるほど、悪魔ね。……やっぱりそう見えるんだな」


 ダカさんは納得したというように頷いた。わたしは逆に 首を傾げた。悪魔に似た生き物なんて、この世にいるのだろうか?


「たしかにこいつは悪魔そっくりだ。でも、こいつの名前は悪魔ではなく『御使い』というんだ。僕が知る限りこいつは地球上のどの生物にも似ていない」


「ミツカイ?」


「自分でそう名乗っているんだ、この生き物は」


「自分でって……しゃべるの?それ」


「僕だけに聞こえる声でね。頭の中に直接、話しかけてくる感じといったらいいかな」


 ダカさんは信じられないような話をすらすら口にした。わたしはあっけにとられながら、こんな生き物がいるのなら、人の言葉を話してもおかしくないな、と思った。


「どんなお話をしているの?その『ミツカイ』と」


 好奇心を抑え切れず、わたしは訊いた。


「ミツカイはね、人間と互いの願いを交換するという契約を何百年も続けてきたんだ。たとえば恋の願いを叶えてもらう代わりに、ミツカイの行きたい場所に旅をする、とかね」


「ダカさんはどんなお願いをしたの?」


「僕は特にないよ。強いて言えば、君たち子供がなるべく寂しい思いをせずに大きくなってくれればいいなと思うくらいさ。……それより、ミツカイは今、弱っていてね。そう長くは生きられないというんだ。だから僕が彼の願いを叶えてあげることにしたんだ」


「ふうん。……聞いてもいい?そのお願い」


「ミツカイはね、今から百年ほど前、ある男の願いを聞いてあげたんだ。しかし力が及ばず、男の願いを充分に聞いてあげられなかった。男は亡くなってしまったけれど、もう一度、同じことをしてみたいというんだ。ちなみに男の願いというのは、七人の女の子を集めて正義の王国を作り、子供たちのために悪い大人たちと戦うというものだ」


 女の子たちが正義のために戦う?わたしの頭に真っ先に浮かんだのは、今、女の子たちに人気のテレビアニメだった。普通の女の子たちがアイテムの力で変身し、悪者をやっつけるという内容だ。それと同じような事を、本当にやってしまおうというのか?


「面白そう。うまくいったら、ぜったい教えてね!」


 わたしは思わずダカさんにねだっていた。正義のために戦う女の子たち。見たい!


「うん、うまくいったら、ね……」


 ダカさんが少し困ったように言葉を濁しかけた、その時だった。教会の裏口が開いて、顔見知りの神父さんが顔をのぞかせた。


「イダカさん、ちょっと手伝ってもらえませんか」


「はい、わかりました。……それじゃ理桜ちゃん、話が途中になってしまって申し訳ないけど、この続きはまた、いつか」


 ダカさんは表情をくしゃっと崩して言った。わたしが頷くと、ダカさんは神父さんに言われるまま、建物の中に消えた。


 ――神父様には『ミツカイ』は見えないんだ。


 わたしは驚いた。やっぱり、普通の生き物じゃない。願いって、いったいどうやって叶えるんだろう。わたしも『ミツカイ』と話ができたりするのだろうか。


 色々な事を考えていると、ふいに上着のポケットがもそもそと動き出し、中にしまっておいたアニメのシールが勝手に飛び出した。シールはくるくる回りながら舞い上がると、わたしの顔の高さでぴたりと止まった。次の瞬間、シールの中の少女が私に向けてウィンクしたかと思うと、再び吸い込まれるように上着のポケットに収まった。


 あまりのことに、わたしは目をぱちぱちさせ、その場に立ち尽くした。

 すごい。こんなことが本当にあるんだ!なんとしてもまた『ミツカイ』に会わなくちゃ!


              〈第十一回に続く〉

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