戯少女の王国

五速 梁

第1話 プロローグ~理桜(1)


               プロローグ


「いい声ですね」


 雨の上がった教会の庭で弟と『夢幻少女 タイニーチェリオ』の主題歌を歌っていたわたしは、ふいに投げかけられた男性の声に動きを止めた。


「あっ、すみません。邪魔してしまって」


 振り向いた視線の先には、お父さんよりいくらか若い、ジャンパー姿の男性がいた。


「素敵なコーラスだったんでつい、聞き入ってしまいました」


「どなたですか?」


 わたしは身を固くしつつ、男性に聞いた。お母さんから「見ず知らずの大人」から声をかけられても相手にするなと言われていたのだ。確かに大人は身体も大きいし、怖くないと言ったら嘘になる。だが子供のような大人だっているし、必ずしも怖いとは限らない。


「怪しいものではありません。この教会で時々、手伝いをさせてもらっているんです」


 男性はそう言うと、軽くほほ笑んだ。悪い人ではなさそうだ、とわたしは思った。


「姉妹で素敵なコーラスですね」


 男性はわたしと弟を交互に見ながら言った。どうやら弟は女の子と思われたらしい。


「あの、これ弟です。このピンクの服がわたしのお下がりだから、女の子に見えるかもしれないけど、一応、ちゃんと男の子です」


「ああ、そうでしたか。ごめんなさい。……教会の中で、みんなと遊ばないんですか?」


「それが……今、風邪はやっているらしくて、中で歌うのはちょっと……雨もやんだし、弟もあんまり体が丈夫じゃないから、うつされないように外に出てきたんです」


「なるほど……おかげで美しいハーモニーを聞く幸運にあずかれたってわけですね。弟さんのハモりが特に素敵でしたよ」


「いえ、ハモっていたのはわたしの方です。弟の方が声が高いから」


「あ、そうだったんですか。じゃあ、素敵だったのはあなたの声の方だ」


「声なら弟のほうがきれいだと思います。合唱団に入れたいくらい」


「そうかなあ。僕はあなたの声のほうが、好きですけど。……ええと」


「リオです」


「リオさんですか。高校生くらいになったらまた、聞いてみたいですね。今の歌を」


 高校生か。……高校生といったら、十年くらい先の話だ。その頃わたしは、どんな声になっているだろうか。


「お姉ちゃん、もう中に入ろうよ」


「いいけど、中に入ったら、今みたいにあんまり口開けちゃ、だめよ。風邪の菌が入ってくるから」


「歌っちゃだめ?」


「だめだめ。……それじゃ、わたしたち中に戻ります」


「うん、そうだね。……風邪に気をつけてね」


 わたしはぺこりと一礼すると、男性に背を向けて教会の中へ引き返した。



                 理桜 1


「あれっ、理桜りおじゃん。どうしたの、こんなところで」


 地下鉄の出口に向かう階段で声をかけられ、わたしは足を止めた。


 地上からの光を背に受けて立っていたのは、幼馴染の梨奈りなだった。


「うん、ちょっと近くに用事で……梨奈こそ、楽器もってこんなところで……路上ライブの帰り?」


 わたしは梨奈が背負っているギターケースをちらちら見ながら言った。


「うん、この近くに親戚がやってる喫茶店があってさ。ちょこっと演奏させてもらったんだ。理桜と一緒じゃなくなってから、歌もやらなきゃいけないから大変だよ」


 そう言うと梨奈は胸に手を当て、声を張り上げるしぐさをして見せた。


「いいな、弾き語り。今度聞かせてね。場所を教えてくれたら、絶対行くから」


 わたしが羨ましさをにじませながら言うと、梨奈はちょっと考え込む顔つきになった。


「それは嬉しいけど……それより、また一緒にやらない?部活だ勉強だって忙しいかもしれないけどさ。やっぱりあんたのヴォーカルがあるとないとじゃ、全然、違うんだよね」


 わたしは答えに窮した。……たしかに梨奈ともう一度、路上ライブをやってみたいという気持ちはある、実は密かに「機会があれば」とも思っていた。でも……


「あのね、実は最近、ちょっと新しいことを始めちゃったんだ。そっちかこれから忙しくなるかもしれないの。だから、一緒にやる約束は難しいかな……」


「ふうん、そっかあ。それは残念。……で、新しいことって?」


 やはりそう言う流れになったか、とわたしは天を仰いだ。クラスメイトにはまだ一人も教えていない、とっておきの秘密だが、幼馴染の梨奈になら教えてもいいかもしれない。


「……じつはね、二週間ほど前から、ローカルの地下アイドルをやってるの」


「え―っ、アイドル?理桜が?」


 行き交う人々が振り返りかねない音量で、梨奈が叫んだ。予想通りの反応だ、と

わたしは思った。梨奈と二人で路上ライブをやっていた時のわたしは、古い洋楽のコピーなど、アイドルの歌う曲とはおよそかけ離れた音楽をやっていたのだ。


「すごーい。素敵っ!ね、なんていうグループ?……いつデビューすんの?」


 予想に反し、目を輝かせてたたみかける梨奈に、わたしはいささか拍子抜けした。


「すごくないよ。地下アイドルだもん。……『ヴィヴィアン・キングダム』っていう名前で、デビューはまだ。この近くにできたライブハウスで月に二回くらい、出演する予定なんだ」


「へえ―っ、すごいじゃん、……実はね、わたしも一度、アイドルのオーディション、受けてみようかな――なんて思ったりしたことあるんだよね」


 へえ、と今度はわたしが目を丸くする番だった。てっきりアーティスト志向かと思いきや、そういうミーハーな一面があったとは。


「教えてくれたら行くよ、ライブ。絶対に。……で、何人のグループ?理桜はどの

へんの位置で歌うの?」


 梨奈の問いにわたしはまたも返答をためらった。決して恥ずかしいことを聞かれたわけではない。だが、口にするにはそれなりの勇気が必要だった。わたしは身を乗り出して待ち構えている梨奈に対し、できるだけさりげなく聞こえるように言った。


「……七人グループの、センター」


             〈第二回に続く〉


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