第2話 女は秘密を着飾って美しくなる
「冒険しようぜ!」
朝、携帯の鳴る音で目が覚め、彼女かなと思って出たら、聞こえてきたのはよく知る男の声だった。
「意味がわからないんだけど」
「だから、冒険しようってことだよ。楽しそうだろ?」
「いい加減、わかるように話してくれないかな? 桐島」
「だから冒険だって」
いつまでも、話さない桐島に俺はだんだんイラついてきた。
「もう、切るね。じゃあ」
「待って、待てって。ちゃんと話すから」
「最初からそうしてくれないかな?」
「悪かったって」
桐島はいつものようなお気楽そうな声で、『冒険』とやらのことを話し始めた。
「冒険っていうのはな、宝探しのことだ」
「抽象的な表現がまた別の抽象的な表現になっただけなんだけど? もっと具体的に話してくれないかな? 」
正直もう、いい加減にして欲しかった。
「そうだな、具体的に言うとタイムカプセル探しだな」
「タイムカプセル?」
「そうだ」
「タイムカプセルなんて埋めた覚えないんだけど?」
言葉の通り、そんな青春の塊みたいなものを埋めた覚えは一切なかった。
「ああ、俺もないぞ」
きっぱり言い切るその姿はいっそ清々しかったが、本格的にわけがわからなくなってきた。
「お前大丈夫か? 埋めてもないタイムカプセルを探せるわけないだろ?」
至極まっとうな意見のはずだ。
埋めてもないものは掘り出せない。
「俺たちじゃなくて、昔の卒業生が埋めたらしいんだよ。それを掘ろうってことだ、わかっただろ?」
「もっとわからなくなったな。なんで他の人が埋めたタイムカプセルを俺たちが掘るんだよ?」
俺はわからないを何回言えばいいんだろうか?『わからない』がゲシュタルト崩壊しそうだ。
「実はさ、今年タイムカプセルを埋めて10年たったから掘り出す予定だったらしいんだ。でも、人数が全然集まりそうになかったから中止になったらしい。それを俺たちが掘り出そうってことだ」
「だからなんでそうなるんだよ? 俺たちにはそのタイムカプセルになんの思い出もないだろ? そもそも何でお前そんなことを知ってるんだ?」
「櫻子ちゃんに聞いたんだよ。昔タイムカプセルをうめたってな。あの人うちの学校の卒業生らしいぞ」
「櫻子ちゃん? 誰?」
聞いたことない名前が桐島の口から出ていた。
さっきから俺の言葉には何回クエスチョンマークが使われているんだろうか?
「お前知らないのか? うちの学校の音楽の先生だよ。すごいかわいいって有名だぞ」
「知らないよそんなの、音楽の授業とってないし。そもそも、お前も選択音楽じゃないだろ?」
受けてない授業の教師になんて知ってるわけがない。そもそも俺は、隣のクラスの担任の名前すら知らない。
「俺は、かわいい人のことは誰だって知ってるんだよ。まぁ、俺だってことを抜きにしても、あの人は結構有名だぞ。知らないお前の方が珍しいからな」
「あっそ」
もう俺はこの話から興味を失っていた。
つまるところ、桐島の目的はそのタイムカプセルを掘り出して、その人の機嫌を取ろうというところなんだろう。
そんなことに、貴重な春休みを割くつもりは一切なかった。
その旨を桐島に伝え「一人でやれよ」と言って電話をきろうとした。
「待てって、櫻子ちゃんのこと知らないならちょうどいいじゃん。これを機会に仲良くなろうぜ」
調子のいい桐島の声が聞こえた。
「仲良くなりたいのはお前だけだろ。俺は一切興味ないから。だから一人で頑張れ」
「わかったよ。後で後悔しても知らないからな」
「絶対にないな」
そう言うと今度こそ電話をきった。
しかし、あいつもよくやるよなと思う。
その先生がどんだけ綺麗なのかは知らないが、あいつのルックスや性格だったら、別にその先生じゃなくてもたくさん相手がいるだろう。
唯一の問題は自由奔放なところくらいかな。
あれだけにはついていけない人がいるかもしれない。
まぁ、そんなことはどうでもいいか。
俺にだってやることはあるからな。
やることといってもただ髪を切りに行くだけだけど、それでも他人のタイムカプセル掘りよりは有意義なことだろう。
*
というわけで、髪を切るために美容院まで来た。
ここは床屋というよりは美容院というべきところだろう。
誤解しないでほしいんだけど、別におしゃれに気を使ってるとかじゃないよ。
ただ子供の頃から髪を切る場所を変えてないだけだ。
そこだけはわかっておいてほしい。
「いらっしゃいませー、カット?」
見知った顔の店員が聞いてくる。
「はい」
「じゃあいつも通り美咲ちゃんでいいよね?」
「はい」
「オッケー、じゃあちょっと待ってて」
美咲とは四年くらい前からこの店で働いている店員のことで、最近はずっとこの人に切ってもらってる。
十分くらいで美咲さんの手はあいたようで、席に案内された。
「今日はどうする?」
席に着くと早々、美咲さんは美容師の定型句を口にした。
どうすると聞かれても、さっき言った通りこだわりなんか持ち合わせてないので「いつも通りで」と答えた。
ちょっと思ったんだけど、『いつも通り』ってなんかこそばゆい感じがしない?
ほら、バーで「いつもの」とか「あの女性に一杯」って言ってるみたいで、恥ずかしいよね。
まぁ、どうでもいいんだけど。
「君、いつも同じこと言うよね。たまには冒険しようよ」
美咲さんはいつも通りに少し不満なのか、どこかで聞いたようなことを言ってきた。
だけど、一日に二回も「冒険しよう」って言われると思わなかったよ。
まだ昼過ぎなんだけどね、もしかしたらまた別の人に言われるかもしれないな。
「安心とか安全を好むんですよ、俺みたいなのは」
「つまらないなー、まぁ、いいや。お客様の仰せのままに」
少し笑う美咲さんの顔が鏡越しに見えた。
「それでお願いします」
そうして、俺の髪が切られ始めた。
美容師ってすごい話しかけてくる人と、あんまり話しかけてこない人がいると思うんだけど、美咲さんは話しかけてくる方のタイプだった。
俺は本来、どっちのタイプも苦手なんだ。
話しかけてくる人は面倒くさいし、かといって話しかけてこないと気まずくて鏡と自問自答したりしちゃうし、要するにすごい面倒くさい人間なんだけど、でも、美咲さんには何故か話しかけられても平気だった。
もちろん初めて切ってもらった時からたくさん話せたわけじゃないけど、それでも他の人よりは全然大丈夫だった。
それで、何回か通っているうちに普通に話せるようになってた。
なんでだろうか? 別に好きとかじゃないんだ。
ただ、一緒にいるとなんか心地いい感じがする。
美容師の究極のテクニックかもしれない。
桐島も同じような能力を持っている気もするけどな。
*
「いや、それ絶対好きですよね?」
もう何度目だろうか? 彼女の口から同じ言葉が繰り返される。
「だからそういうのじゃないって言ってるだろ」
俺が何度否定しても彼女は引かなかった。
「いや絶対好きでしょ」
「だから……」
とりあえず、なんでこんなことになっているか説明しよっか。
まず、あの後髪を切り終えて家に帰った。
その後はいつも通り適当に過ごして、夜になると約束通り彼女から電話がかかってきた。
最初は過去(未来)につながった電話の謎について割と真剣に話し合ってたんだ。
でも、いくら話しても結局思い当たる節もなくてだんだん話が脱線していき、気づくと今日あったことをお互いにはなしてた。
その流れの中で美咲さんのことを話した結果、俺は彼女に何回も「好きですよね?」と聞かれ続けられてるわけだ。
「好きですよね? 絶対好きですよね?」
「だから違うって。そんなこと言うなら君だって磯崎先輩って人のこと好きだろ?」
磯崎先輩とは、彼女と話している時に何回か出てきた人で、この人のことを話している時の彼女はどことなく嬉しそうだった気がした。
しつこい彼女への俺なりの反撃だ。
「はい、好きですよ。言ってませんでしたっけ?」
何故だろうか?
俺の予定では今頃、好きな人を指摘されて慌てふためく彼女の声が聞こえるはずだった。
それなのに、実際に聞こえるのはすましたようにあっさり認める彼女の声で、何故か動揺しているのは俺の方だ。
「それより今、『君だって好きだろ』って言いましたよね。それってつまり、自分も好きってことですよね?」
彼女がさらに追い討ちをかけてきた。
こんなひどいこと人間にできるとは思えないよ。
彼女がこんな風にあっさり認めたのに、俺だけ必死になって否定するのは負けたみたいで嫌だった。
いや、実際こんなこと思わされてる時点で負けてるんだろうけどさ。
「そうだな、普通の人はこの感情を恋と呼ぶのかもな」
「すごい面倒くさい言い回ししますね。というか面倒くさい人ですね」
自分でだってそんなことわかってる。
そもそも、元々誰かを好きとか恥ずかしいことを言わなきゃいけないんだから、言い回しが恥ずかしくたって大して変わらないだろ。
「でも、とりあえず好きってことですよね。そうですか」
多分、彼女はニヤニヤしてるんだろうな。
結局負けた気がするよ。
「それで告白とかしないんですか?」
「なぁ、もういいだろ。この話やめにしようよ」
これ以上話を続けたら本当にいたたまれなくなる。
「えー、いいじゃないですか。女の子は恋バナが好きなんですよ」
「そんなに言うなら、そっちこそどうなんだよ。告白とかしないわけ?」
言い終わってから気づいたけど、これはマズイな。
完全にさっきと同じパターンだ。
「したいですけど……怖いじゃないですか」
彼女の声は急に弱々しくなっていた。
「意外だな。怖いとか思うんだ君でも」
てっきりまたさっきみたいにあっさり言われると思っていたので驚いた。
「ひどいですね。なんだと思ってるんですか私のこと」
「人の痛いところをついてくる悪魔?」
「なんですかそれ、むしろ天使でしょ」
「それはないな」
「あー、今のは傷ついたなー」
彼女の声はまた今までの明るい声に戻っていた。
「わかりました。じゃあ、こうしましょう。私は女の子の目線であなたの相談に乗ります。その代わりあなたは男の子目線で私の相談にのってください。そして二人で告白を成功させましょう」
彼女の声は「いいアイデアでしょ?」とでもいうように自信満々だった。
こんなにコロコロ声の調子が変わるなら、表情はもっとコロコロ変わるんだろうな。
「どうですか、これなら天使でしょ? 恋のキューピッドになってあげますよ」
「なんでそうなるの? 俺、一言も告白したいなんて言ってないんだけど?」
「しないんですか? しないと何も始まりませんけど?」
その言葉に俺は少しドキッとした。
なんでさっきまでふざけてたくせに、急に本質をつくようなことを言うんだろうか?
苦手だ、こういうタイプは。
「わかったよ。よろしくお願いします、天使さん」
少しふざけて言ったのは精一杯の強がりだ。
本当はそんな余裕なんてどこにもないのにさ。
「決まりですね。『さくらんぼ作戦』始動です」
「さくらんぼ? 何それ?」
「知らないんですか? 大塚 愛」
「知ってるけど。古くない?」
「二年くらい前ですかね」
そういえば、彼女は十年前にいるんだったな。くだらない話をしすぎて忘れてた。
「好きなの? 大塚 愛」
「まぁ、それなりには。それに『さくら』は私にとって特別なんです」
「どういうこと?」
「秘密です。女の子に秘密はつきものでしょ?」
ただの想像なんだけどさ、きっと彼女は今人差し指を口に当ててると思うんだよね。
得意げな顔でさ。
うん、絶対そうだと思う。
「それより、2016年ってどんな曲が流行ってるんですか? すごい気になるんですよね」
「昨日も言ったけどさ、そういうのは言っちゃうのマズいだろ? ほら、歴史とか変わっちゃたら困るでしょ?」
だから俺たちは名前すら名乗らないまま恋愛話までしているわけで、よくよく考えるとかなり変な状況だな。
「えー、ケチ。少しくらいいいじゃないですか」
「ダメだって。そうだ、そっちはどんなのが流行ってるの? 音楽だけじゃなくて、他にもいろいろ」
「うーん、そうですね、さっきも言いましたけど、大塚愛だったら『プラネタリウム』ですよね。『さくら』だったらケツメイシかな。あとは『粉雪』とか『青春アミーゴ』ですかね」
聴いたことある曲がたくさん並べられた。
「音楽以外だったら、『オリラジ』が最近ノッてますね。ドラマは『1リットルの涙』ですね。後『電車男』も」
彼女は次々と懐かしい言葉を羅列していった。
懐かしい言葉のオンパレードだな。
彼女と話してるとタイムスリップしてるみたいだよ。
まぁ、半分してるようなもんだけどさ。
「あー、あと、あれも好きです。ほら、なんかアニメの、『一万年と二千年前から愛してる』ってやつ。なんでしたっけ?」
「『創世のアクエリオン』?」
「それです、なんかいいですよね響きが」
「なんか、すごい懐かしい気持ちになれたよ。ありがとう」
「そうですか、だったらそっちのことも少しくらい教えてくれてもいいと思うんですけどね」
また勝手な想像だけど、今度はきっと口をとがらせていると思うな。
「そうだな、じゃあ一つだけ、『PERFECT HUMAN』を覚えておくといいよ」
これだったら歴史に影響はそれほどないだろうし、言っても問題ないだろう。
「なんですか? それ。完璧人間?」
「うん、完璧人間。覚えといて」
「わかりました」
彼女は不思議そうな声で応じた。
そんな話をしているうちに時間は過ぎていき、もう今日は遅くなってしまったので、続きは明日にすることになった。
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