移動要塞エレファント

桜松カエデ

第1話 移動要塞エレファント

 遠い記憶を辿って行くと、その光景だけが脳裏に浮かんでくる。何歳の時だったかは定かではないが、確かにはっきりと目に焼き付けた光景があった。

 太くて長い、およそ剣と呼ぶには逸脱している得物を、目の前の男は軽々と振り回す。

「坊主、お前はそこに居ろ。すぐに終わらせてくるからな。帰ったら金も名誉も手に入るぞ」

 はっきりとしない視界の中で、髪をオールバックにした男は笑みを浮かべた。

 背負っていた剣を手に持ち、柄の部分の細工をいじると、歯車同士がかみ合う音が響く。剣は二倍にも伸び、刃が青白く輝きだした。

 男は低く身構えると、僅かに体を前へと傾ける。

 瞬間。

 足に履いている機械から白煙が吹き出し、彼の体を僅かに上昇させる。同時に猛スピードで前へと押しだした。

 男以外にも名前を呼ばれている。はるか遠くの方で。だけど視界に映らない。

「まって……」

 声を絞り出すがそれは届かない。

 そして誰かに殴られたような感覚が頭を襲った。


「いってええ!」

 あまりの激痛に目を覚ますと、そこには灰色の床があった。

 頭部を抑えながらゆっくりと起き上がると、隣にあるベッドを一瞥する。

 寒に毛布を引き寄せようとしてしくじったらしい。

 戸締りはちゃんとしていたはずなのだが、何度も同じような体験をすれば原因に見当はつく。

「あーくそ、また割りやがって」

 割られた窓に近寄り、床に落ちていたこぶし大の石を拾い上げる。

 じっとその悪意を睨みつけてため息をつくと、石を外へと放り出した。

 その途端まるで何かに反応したかのように下から白煙が吹き上がり、顔に水滴がつく。

 下を覗き込むと、そこには何本もの配管が通っており日の光を受けて怪しく金色に光っていた。

 蛇のようにうねる配管の一本に小さな穴が開いており、そこから蒸気が噴き出してきたのだ。

 袖で顔を拭いながら部屋へと戻った少年は、すぐに漆黒の髪を乾かして身支度をする。

 深緑を基調とした襟付きのブレザーに袖を通し、チェック柄のズボンを履く。

 それから『ハーレイ・トレイン』と書かれた名札をつけると、簡易棚の上に立てかけた写真を優しく見た。


 


「はあ、窓ガラスの出費が今月で十回か」

 トレインは記憶を辿りながら指折りで数えてみる。

 加えて扉に書かれていた落書きも消さなければならない。昨日よりも数は増しており目も当てられない文字がスプレーで書かれていた。

 体に強い風が叩きつけ、ふと左側へと視線を向けた。

 地上五十メートルの高さに来ればこうも景色は遠くまで見える。もちろん、遮蔽物が無ければの話だが。

 今はどのあたりを進んでいるのか皆目見当もつかない。

 僅かな揺れを感じながら、トレインは手すりにしがみ付いて下を覗き込む。

 煙を吹きだし、歯車がかみ合う。鉄同士がこすれ合い、四つの足が器用に動きながら前進する。

 移動要塞である『エレファント』は人間をどこへとなく運んでいく。

 いや、あてなどあるはずもない。強いて言うならガルマスから逃げているのだ。

 無機質でありながら生物のように動く足から目をはなす。

 気を取り直して目的地へと足を向け、歩き出そうとした時。

「おい、あいつ見ろよ」

「今日またガラス割られてたぜ」

「地上人と仲良くって……頭おかしいよな」

 聞こえてくる囁きに目を向けると、そこには見知った顔の学生がいた。

 いつも聞こえるかどうかの声音でトレインの悪口を囁いているのだ。

 もちろん、名前なんて知らないし記憶に入れたくもない。出来ることなら彼が死んでも。

「おい、こっち見たぞ」

「エレファントから降りればいいのにな」

「ガルマスに食われて一発で死ぬだろ」

 トレインはすぐに目を逸らして足早に歩き出す。慣れているはずなのに、それでも体が拒絶反応を示してしまう。

 目的地である『対ガルマス戦闘員養成所』にたどり着くと、教室に入るなりすぐに本を広げる。

 かなり昔に書かれた本で題名は『神話の成り立ち』だ。読書家ではないがこの本には父の考えがかなり詰っている。

 本に集中している間は教室中の視線を感じなくてもいい。

 周りで談笑している男子生徒と、転校してきたイケメン男子を見に行く女生徒の声音が入り混じる。

 音だけは遮断できないが、それでも幾分かは気が楽になる。

 肩の力を抜いて一人の時間を楽しんでいると。

「あんた、何でそんな本読んでるのよ!」

 怒号が聞こえ、トレインの持っていた本が上から下へと急上昇して教室の隅まで飛んで行った。

 何事かと目を見開き、目の前にいる原因に視線を向ける。

 目じりを釣り上げた女生徒が、万歳している格好でトレインを睨みつけていた。

 ポカンと口を広げているトレインは何が起こったのか分からない。

 しかしそんな胸中など意に返さない口調で女生徒は続けた。

「この神話は、地上人とエレファント上の人間を同一視しているのよ! あんた気でもくるったわけ? あいつらは危険よ!」

 まくしたてる様に言われたが、トレインは眉ひとつ動かすことは無かった。もちろん、驚いたのは真実だが、こういう輩は慣れている。

 トレインは席を立ちあがると、投げ飛ばされた本の元へと歩いて行き、それを拾った。

 汚れを払うと再び席に戻ろうとするが、またもや目の前には彼女が立ちはだかる。

 頭一つ分小さいため、上目使いになるのだがどう考えても睨んできているだけだ。

「俺はどっちの人間も同じだと思ってる。だけど、警戒すべきは地上人じゃなくてガルマスだろ。俺のからかいが済んだならさっさと消えてくれ」

 少女の横をすり抜けて席に戻るが、それでも何故か彼女は付きまとってくる。

「確かに、ガルマスは危険よ。あいつらが地上を占領していることは間違いないわ。でも、地上人も同じくらい危険よ。このエレファントにも潜んでいるわ」

 ぐぐっと顔を近づけて説得してくる彼女の言葉は、トレインにとって一部妄想でしかない。

 身をのけ反らせたトレインは肝心な事を思い出して尋ねた。

「そういえば、君名前は?」

 こんな質問をするのはこの学校に入学して初めてだ。といっても卒業まであと数日しかない。

 しかしながらエレファント人が思っている『常識』に対立する考えを持っているのに話しかけて来るなんて、くるっているのはきっと彼女の方だ。

 彼女ははっとしたような顔つきをすると、わざとらしく咳払いを一つした。

「私はマキナ。スグル・マキナよ」

「名字がスグルってことは……考古学博士の?」

「ええ、お父様はガルマスと地上人の事を調べているわ」

 エレファントが作られる以前の歴史を調べ、地上人の事も研究していたはずだ。

しかし出版された書物はどれも偏見交じりでしかない。エレファントに乗っている我々こそが正当な人間であると信じて疑わないのである。そして孫もどうやらその思想を色濃く受け継いでいるようだ。

「おれは考えが違う。どちらも同一種族だと……いや、この話は止めようか」

 トレインは教室を見渡して、さっきまで遮断していた目線に気が付く。

 マキナのせいでクラスメイトの視線が二人に注がれているのだ。

 話を中断したいのに、マキナはさらに続ける。

「今まで特に気にしなかったんだけど、もうすぐ卒業だし記念に見に来たら予想外の出来事が起きたの」

「俺の本を吹っ飛ばしたことか?」

「まあ、それもあるけど、一番はあんたの頭の中がおかしいって事よ」

 断言されたトレインは僅かに眉根を寄せた。

 今までこの手の嫌がらせは幾度も受けてきたが、マキナはどうやらその類では無いらしい。むしろもっと厄介だ。

 閉口していると、マキナは続けて言った。

「あんたの親がどんな人か知っているわ。ガルマスとの戦闘で活躍した英雄でしょ。でも、あんたの考えと同じだった。だから消えたのよ」

 トレインが嫌がらせを受け続けている理由は彼女が今しがた説明した通りだ。

 地上を徘徊する生物、ガルマスとの戦闘で活躍した英雄的存在の父は変わった考え方をしていた。簡単に言ってしまうと、養成所で教わる当たり前を否定していたのだ。

 地上人もエレファント人も皆同じだと言っていたのだ。

 おかげでトレインが皆と違う考えを持っていると知ったのは、入学してからだった。その頃には既に父はエレファントの外に出て行ったきり帰ってこなくなっていた。

 ガルマス討伐の依頼を受けていたはずだ。

「親父は関係ないだろ!」

「そうかしら? ならいいけどね。でもその考え方は間違ってるわ。いい、正真証明、人間は私たちよ」

 人差し指で胸を突いてきたマキナは、念を押すように言う。

「それを証明できるのか?」

「ええ、証明するわ。この養成所に入ったのだって、外に出て神話を追及するためよ。どっちが本物の人間なのか証明してやるんだから」

 腰に手を当ててない胸を張るマキナ。

 エレファント内に残っている神話には地上人とエレファント上の人とガルマスの成り立ちについて書かれている。もちろん内容は様々だが、どれも真実味があるとは思えない。

 考古学者の父のために地上に降りて確証を押さえたいという意気込みは尊敬するが、外に出るとガルマスとの戦いが待っている。

 ちっぽけな人間は、蒸気の力を借りて武器と移動手段を得た。

 バイクにグライダー、地を滑るように移動できるローダーはガルマスと戦う時に必要となる。

 そして武器も扱えるのか心配だ。

「それは大変なことだな。噂によると地上のどこかに、ガルマスが現れる前の都市が存在しているって話だけどな」

「よく知ってるじゃない。だから私はそこを探し出すの。そしてエレファントに乗っている人間こそが真の人間だって証明するわ」

 容易では無い。

 地上を支配しているガルマスは体調が十メートル以上もあり獰猛だ。しかも未確認のガルマスならば攻撃の方法も分からない。弱点を見つけるのにも苦労する。

 ガルマスが現れて人間は無法地帯へと旅を余儀なくされた。これはどの神話にも当てはまる設定だが、根本的な所で二つのストーリーに分けられる。

 もともと人間は地上に住んでいた説、そしてエレファントから地上に移った人々がいる説だ。

 もちろん、後者の設定がエレファントの中で信じられている。というかエレファント人が人間であると教わるし、地上人の悪行はこれでもかと聞かされる。

 自然と地上人に対しては敵対意識を持つようになる。

「それで、話はそれだけか? 生憎と俺は親父が言った言葉を曲げるつもりは無いんだよ」

 遺言にも似た意思を今更易々と変えるつもりは無い。

「マキナの親父はエレファント人が本物だと思っている事は知ってるけど、それを押し付けるなよ」

「なっ! 折角卒業前の時間を使って人が教えてやってるのにー」

「頼んでない。それに俺の近くにいると君まで変な目で見られるぞ。帰ってから窓ガラスがあるといいな」

「あんた何言ってるの?」

 首を傾げたマキナにそれ以上話す必要は無かった。

 チャイムが鳴り、彼女は強制的に教室へと戻らなくてはならなくなったからだ。

「あんた、覚えてなさいよ」

 そう言われてトレインは肩をすくめる。

 教師が入室すると同時にクラスの全員が礼をして着席をする。この宗教的儀式にも似た行為もあと数回を残す。

 まだ若い教師はいつもと違った、それこそ慈しむ様な眼差しで室内を見渡した。

「君たちがここに入ってきた目的はそれぞれだろう。しかし学んできたことは一緒だ。ガルマスを倒すために武器の扱いを覚え、乗り物の訓練を繰り返してきた。これからは技術者か戦闘員としての道を歩むだろう。そして先生は絶対に君たちの事は忘れない。私はこれまでも……」

 長くなりそうな話にトレインは欠伸を噛み殺した。

 この教師も初めは父親の事を知った瞬間に眉根を寄せたものだ。彼の心境は入学当時から変わらないだろうが、表面上は愛しんでくれる。

 大げさに両腕を広げて熱弁している先生は、それから一限目の授業が始まっても閉口することは無かった。

 午後の授業が終わると同時にトレインは足早に家へと帰った。

 あの場所は心地悪い。誰も話しかけてこないし、まるで自分が空気みたいだ。周りと違うとこうも白い目で見られるのかと痛感するが、もう少しで卒業だ。

 部屋に入るなり、クローゼットを開ける。

 苛立つときの憂さ晴らしと言えば決まっている。

 それからテキパキと訓練用防具を取り出して装着していった。

 壁に無数の配管が通り、お世辞にも広いとは言えないこの部屋は外よりも厚い。しかしながら胸や腕、脛に金属プレートをはめていく。それぞれが最適な形で加工されているため抵抗なくあてはめられる。

 そして最後に移動手段であるローダーを足に装着した。

「蒸気はっと……」

 くるぶし辺りにあるスイッチを押すと、足底から白煙が吹き出し僅かに体が宙に浮かぶ。

 その場でくるりと一回転してバランスを確かめるとトレインは一人で頷いた。

 問題は無さそうだ。

 部屋の片隅に目を向けてゆっくりと移動すると、そこにある剣を見つめる。

 親父が残して行った唯一の形見だ。現役の戦闘員が持っている武器よりも格段に性能がいい。

 柄には大小様々な歯車がついており、剣の内部にも細工がしてある。

 御大層な機能をつけた剣をトレインは片手で持ち上げる。

 学校の授業では剣や銃、格闘技の三つを習う。その時に用いる模擬武器でもこんなものはない。

 学校での模擬刀が非常に軽かったのを思い出しながら、トレインは背中の防護プレートにある引っかけに剣を駆けて背負う。

 そう言えば、窓ガラスを新調しないといけなかった。

 だがそれは後だ。今は頭の中にある薪ンアの顔を消し去りたい。

 トレインは口元を引き締めると部屋から出た。

 眼下に広がるのはエレファントの外縁部を被い尽くす配管のうねり。

商業地区と住宅地にある何本もの煙突からは煙が生き物のように吹き出ており、金属で出来た住処を掠めている。

背中に重みを感じながらトレインは体重を前に傾ける。

瞬間、ものすごい速さで加速した。

配管に沿って道を下り、行き交う人々の間を縫って行く。

すれ違う人々からは怒りの声が聞こえるが、それは無視だ。普段は相手にしないのに、今だけは怒りをぶつけてくる。

商業区に出るとさらに人通りが多くなる。道の両端には店が並び、店主が大声で客引きを行っている。

雑多に入ったが周りの行動を予測、そこから出来上がった道を進んで行けば問題はない。

ローダ―を扱うに当たって重要なのは、進む場所を瞬時に決めることだ。小回りの技術でも、角を直角に曲がる技術でもない。

トレインは父から教わった事を思い出しながら街中を目的も無く進んで行く。

体に当たる風と周囲の人々の声が心地いい。

すると、視界の端、正確には右斜め前に見える住宅地へと続く斜面にきらりと光る何かを捉えた。

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