左手のためのピアノ協奏曲

田村らさ

第一カデンツァ

 コントラバスとチェロの和声の下でコントラファゴットの超低音の旋律がむせび哭いている。

 録音状況の悪さだろうか、音は割れて低音部の音程がはっきりしないが、そもそもピッチが合っていないように思える。音程の不安定さは低音楽器の宿命ではあるのだが、却ってそのゆらぎは切実な悲哀として受け止められる。

 第一主題を提示したオーケストラから息を引き継いだピアノが強烈にカデンツァ――協奏曲中におけるオーケストラを伴わない即興的な独奏のことだ――を奏する。オクターブと完全五度の和声の平行移動で奏でられる、システマティックかつ重厚なテクスチュアはフランス的であるというよりもいっそロシア的ですらある。

 これを左手一本で?

 鐘の音のように重層的に耳の奥底に溜まっていくスタインウェイの低音を、目を伏せて粛々と縮こまって聴くことでしか奏者の卓越した技量に敬意を表することができない。

 ……ぼくはうつ伏せになってノイズキャンセリング機能の付いたヘッドフォンをしっかりと被り、ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』を聴いている。低気圧のせいか、蒸し暑いのに包まったままの毛布のせいだろうか、体も頭も非常に押しつぶされるような不快感がある深夜の三時半のことだった。

 七月も末、大学の期末テストはすべて終えた、という時期である。ついにミクロ経済学の神髄も歴史的価値も見出すことのできなかったぼくは、答案を効用関数と不勉強に対する言い訳の相の子みたいなポエムで埋め尽くして試験会場を試験開始わずか三十分で颯爽と立ち去って以来、こうして下宿の一室で薄っぺらい敷布団の上でゲーセンの開店時間を待つ生活を続けていた。

 そこそこ名の通った私大ではあるはずだ。道行く人百人に「大学といえば?」と問えば百人が必ず五番目以内に挙げるだろう自信はある、がそんなことは自らの生活の質を高めることにこれっぽっちも寄与しないということに気付くのが遅すぎた。結局、青春の内、貴重な一年とちょっとを受験勉強に費やしてしまったぼくは、いざ大学に入ってから全く価値観というものを喪失してしまったのだ。

 当時はなんとも思わずに毎日のルーチンワークとして受験勉強をこなしていた。それに不足を感じたこともなければ充足を感じたこともないが、今抱えているような言い表しようのない劣等感だけはなかったはずだ。

 だが、大学に入ってからというものの、具体的理由を伴わない鬱積がぼくを苦しめていた。いや、原因なんてほんとうは分っているのだ。唐突に世界が広がっていったことにまるで付いていけていないから、それだけのことなのだ。受験勉強をするだけでよかったあの頃とは違って、大学生はなにをするのも、古今東西ありとあらゆる意味、文脈で使われてきたように「自由」なのである。

 しかし、そんな、自由といわれても。

 ピアノの第一カデンツァを抜け、オーケストラがモチーフを奏でる。切迫した、重量感。執拗な三十二分音符の上昇音形はそのたびにまたすぐに元の高さにまで戻り、到達することを延々と拒み続ける。ピアノが左手のみであるという制約を受けてのことだろうか、本来的に精緻なオーケストラを組み上げるのが得意なラヴェルではあったが、この『左手のためのピアノ協奏曲』では、彼の他のどんな作品よりも隙の無い緊密な音の網が今のぼくに重々しく絡みついて手足の動きを奪う。

 講義は自分の裁量で取れるからと言って、「一学期から調子に乗って一限から五限まで詰め込むのは馬鹿のやることだ」とか言ってみた挙句にスカスカの時間割で暇を持て余し、残った数少ない講義にも出席することが稀になり。

 いくつかのサークルに出入りするものの、どこに行ってもすでに完成された人間関係に食い込んでいくのを怠っていつの間にか取り残され、結局顔を全く出さなくなり。後に残ったのは見覚えのないアドレスがケータイにいくつか、それだけ。

 単一楽章構成の曲ではあるが、大まかに三部構成に分けるならば二部に当たるだろうか、piu lento の繊細なピアノのメロディーが流れ出す。

「左手だけで弾くとき、わたしはピアニストというよりも、ヴァイオリニストになったような気がする」

 ――クララ・シューマンの言葉らしいが、それも肯ける。ロマンチックで流れるような旋律。ひたすらに甘い甘いその響きはおそらく恋の味にも似ているのだろう。

 ぼくが講義をさぼり、高田馬場のタイトーステーションに音ゲーをしに行く間、ぼくが何をするわけでもなく家にこもり、貧弱な音響でプロコフィエフを聴く間、どんなきっかけがあったのか分らないが順調に周囲に成立し始めたカップルたちはみなとみらいに、スカイツリーに繰り出して、つつけばなにか出そうな赤く熟れた横顔を二つ並べて御親切にもぼくに見せつけた。そんなことを思い出させる甘美な、慈しむべき旋律。

 ピアノは次第に律動を細かくし、金管楽器とハープの掛け合いを経て弦楽器が執拗に音楽を引っ張っていく。ジャズの影響をあからさまに受けたであろうユーモラスなピアノの伴奏の上に木管が、金管が、弦が、ソロで、または重なり合って楽しそうにアンサンブルを見せる。

 周りの人間だって必ずしも勉強だとか、恋愛だとかに精を出しているわけではなくて。例えば、一か月に十万円近くを稼いで年末調整が今から心配だと嘯く奴の表情は自信とやりがいに満ち溢れていたし、自主ゼミで日本の将来を考える奴は確かにウザったかったが、いつも自分以外のためのなにかのために考え行動しようとしていたし、ボランティアと言いながらカンボジアに飛んだぼくは名前の知らないあの女の子だって、どれだけの人生経験を積んだのかはわからないが、少なくとも日に焼けた肌を持ち帰ってきた。ひたすら親の金で友人と呑んだり遊んだりを繰り返す奴ももちろん居た。

 かと思えばぼくは。アルバイト活動に精を出すわけでもなく、ついに一学期を通して友人の一人も作ることなく。遊びといえばゲーセンで千円札を百円玉に、百円玉を無にすることしかしなかったし、消費活動といえば古本を何冊かと、CD を何十枚か買ったくらいだ。

 別に彼らのようにテンプレートに染まった(という言い方はちょっと露悪的に卑屈すぎるだろうか?)「大学生らしい青春」を「謳歌し」たいわけではない。いかなる方法を使ってでもいいから、彼らと同じように屈託なく笑い、疑うことなく遊び、迷うことなく人の悪口を言い、一日の最後には疲れ切って余計なことを考える前にベッドに倒れ伏して寝て、また次の一日を迎えるという生活が送りたいだけなのだ。

 曲は第一主題をオーケストラが再提示したのち、ピアノの第二カデンツァに入っていた。

 左手一本で奏されるという、一見表現上の大きなハンデとも思える弱点を抱えながら、それでも同じくフランスの作曲家であるフローラン・シュミットによって「カデンツァの模範型」と評されたそれは、最愛の母を失い、「フランス六人組」やジャズ、現代音楽といった新しい音楽の出現によって時代遅れになることを余儀なくされ、楽曲の制作意欲を極端に落ち込ませていたラヴェルが、記憶障害や言語障害に悩まされながら書き上げたものである。確たる死の予感と、そしてそれを無条件に受け入れる神々しさとを併せ持つ迫力と緊張感は、おそらく左手一本にのみ表現を委ねたが故に現れるものでしかなく。

 あぁ、そうだ。ぼくの通っている大学は私大の最高峰ではあるが、第一志望ではない。国公立も同時に受験したが落ちた。言い訳にしか聞こえないって? その通り。浪人という選択肢を蹴ったのは自分だ。

 一段に一小節しか収まらないという、常軌を逸した息の長い、煌びやかな音の羅列は、死と幸せとは信じられないほど密接に絡まりあっていて、不可分だということを教えてくれる。ラヴェルはワーグナーが好んだような宗教的テーマを題材にすることを嫌ったが、そんな言い分は全く信じられない。

 何度聴いても、ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』の第二カデンツァからは、どうしても〝神〟を感じてしまうのだ。

 最高潮に達したピアノにオーケストラはさっと駆け寄り、これ以上ないほどに高まった壮大なオーケストレーションは、ピアノとバスの下降音形によって予想外なほどにあっさりと未練なく、劇的に八分音符の D メジャー、ニ長調の主和音に収束してしまうのだ。

 ――ぼくにはそれが、ラヴェルの上げた断末魔にしか聞こえなかった。

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