161 - ノルヌ平原の戦い(前編)

 常とは違う街の気配に黄昏の空を見上げた者達は、そこに迫りくる化け物の影や礫や火矢を見、最悪の事態を予感した。だが直後にそれらが霧散したことに安堵し、多くの者は家に籠って窓を固く閉ざした。特に内側の区画において、慌てふためきどこかへ逃げだそうとする者はほとんどいなかった。

悪魔は去ったのだという王国兵の御触れがあったのだし、何より彼らは、どこへ逃げれば良いのか、どうすることが最善なのかの判断もできなかった。

 闇が深まる頃、最初に避難を始めたのは、家のない者達だった。あるいは、より脅威を身近に感じていた外側の区画の者達、そして自らの住まいが惜しむ程のものではない者達だった。

彼らは誰に指示されるでもなく、同じ場所を目指した。

「鉱山へ――」

王都に富と不安、繁栄と喪失をもたらした鉱山へ。そう、避難を始めた者達の多くはそこがどういう場所かを知っていた。少なくとも、自分たちの住まいや路上よりも安全だろうと、そう判断したのだった。

「鉱山へ――」

家のネズミが逃げるのを見て災害の前兆だと気付く様に、やがてその不安の波は混乱を巻き起こしながら広がって行った。





 協議を短時間で終え、彼はノルヌ平原へと打って出る部隊を率いて城門を出た。

最低限度王城の守りに不備が無い様差配はされているが、街の者の避難誘導、城壁の防護にも人員を割いた為、共に往く兵の数は――無論、他の場所に配備している兵へも招集はかかっているから、後々増えてはくるのだろうが――やや心もとない。

 そして本来なら、自分達も逃げ出したい筈の者達を統率するのは、容易くないだろうと覚悟していた。だが、思いの他、彼の周りの者達は皆士気高く冷静だった。

先ほど門を出て行った旅人の言葉に触発された者は少なくなかったし、「王侯貴族のつまらない権力争いに巻き込まれて、友と刃を交えるよりよほど良い」等と言う者まで居て、カーティスは思わずはっとさせられた。

 よく見れば多くが、自分と似た境遇から兵士となった者達だった。

皆がそれぞれに、この国を守るということに――誇りを持っているのだと。当然のことだ。そうやってセヴェリ司教は、多くの貧しい子供たちや若者を救い、教育し、そして培ってきたのだ。この国の民としての誇りを。

たとえそれが、国王への忠誠と愛国心を植え付け、叛意を起こさせないようにするためだったとしても――現に王都では、重くなった税制に不平こそ漏らしたとしても、叛意を示す行動を起こす者は居なかった――彼によって救われた命は、確かにあったのだ。



 外に向かうにつれ、戦いの気配が濃くなっていく。ついに結界に綻びが生じたのか、時折何かが飛来し、城壁を守る兵士らが、それらを必死で撃ち落としている。空からの敵の侵入を許せば、内側から総崩れになりかねない。せめて結界の魔法に長けた者は、地上平面ではなく上空に術を施す様言いつけた筈だが――間に合っていないということだろう。カーティスは我知らず馬足を速めた。

 最外郭の城壁の上に配置されているのは、主に魔術や飛び道具を使う兵士達。彼等は壁をよじ登り乗り越えようとする魔物や、壁自体を打ち崩そうとする魔物達をどうにか払い落とし退けている。だが、限られた足場で、防戦一方では恐らく長くは持たないだろう。

 速やかにノルヌ平原に兵を展開しなければならない。


 戦いへの昂揚と、はやる気持ちを自らも全身に感じていた彼の目に、ふと妙なものが飛び込んできた。

「あれは――」

 到達した門の前で何やら場違いな騒ぎを起こしている中心人物に、カーティスは見覚えがあった。


「叔父が城に来ている筈だ」と。かつて城門の前で同じ様に、必死に訴えていていた人物だった。

あまりに必死な様子に、誰か何か知っているものは居ないかと一旦城に入って見た時、通りかかった司教が教えてくれた。

その者ならば、役目を終えて確かに城を辞した、と。必要なら、自分が行って説明しよう、と。

 多忙な司教の手を煩わせることもなかろうと、自分が説得するからと引き受け戻ったのだが。

司教の言葉を伝えると、ならば探させてくれないかと縋った。

誰かが言った。

「自分たちはそんなに暇じゃない。付き合っていられない」と。

確かに暇ではなかったが、それほど忙しいわけでもなかった。

「そもそもここは、人間の、しかも王族の住まいたる城。ノーグごときが入城を許されるわけがないだろう」と。

その後に続けられた侮蔑的な言葉の数々は、思わず顔を顰めたくなるようなものだった。だがカーティスは止めなかった。そういうものだと思っていたし、気にかけるようなことではないと思っていた。あの時は。

 それでも、酷く傷ついた顔で去って行った小さな後姿を、カーティスは忘れられずにいた。

否、覚えていたわけではない。思い出したのだ。


 彼は先ほど、城内で一人のノーグを見た。長く囚われていたと思しき姿、そしてマリアベラが呼んだその名も、記憶にあったものだった。

「そこで何をしている」

カーティスは馬上から声をかけた。

まだそうだと決まったわけではない、だが確かに、ノーグは居た。居るはずだと縋った男を、そんなものは居ないと言って追い返したのは自分だった。

「カーティス士官!」

身体の割に力が強いのだろうか、3人がかりで取り押さえなんとか大人しくさせた様だ。

傍の者達が、彼らに気付いて敬礼をした。

 それに応え、馬から降りたカーティスの前に10歳程度の子供位の背丈の、だが大人の顔つきをしたノーグの男が連れてこられた。薄汚れた髭面で、どこかから寄せ集めてそう仕立てた様にしか見えない古びた武具を身に着けている。

「このノーグが、門を開けろと――」

「頼む、開けてくれ! おらは、あの人を助けに行かなきゃなんねぇんだ!」

少年の様にまっすぐな濃い色の瞳でノーグは彼を見つめた。

その必死な声音に、何を訳の分からないことをと兵士達は失笑するが、カーティスは静かに問い返した。

「――あの者を、助けに行くと?」

「そうだ! あの人は、死なせちゃなんねぇ人だ!……おらは、自分が愚か者だって分かってるから、あんたたちの行いも、仕方がねぇんだと思ってきた。けどな、今回ばっかりは、やっちゃあいけないことをしたんだ!」

やや訛りのある口調で、だがはっきりと怯むことなくノーグは続ける。

「あの人は……あの人は、心優しい人だ。『病気の子供はいないんだ』って、おらの手を握って……この汚れた手を、握ってくれた……!」

そして自らの小さな掌をじっと見つめた。救いなんだ、と呟く。

 城壁の上での戦いは激しさを増している。援護する者達の動きも慌ただしい。

ノーグ一人に時間を食われているわけにはいかないが、無碍にもできずカーティスは刹那黙った。

どこからともなく、おまえごときに何ができる、とさざ笑うような苛立つような声がして、

「何も出来ないさ! できないけど、それでも、おらは、自分の心に従いたい! あの人を、死なせちゃなんねぇんだ!」

小柄なノーグは全身で叫んだ。嘘偽りなく、単なる思い付きでもなく、切なる願いだとばかりに。

カーティスは周りの者達を仕草で持ち場に戻らせ、後方からの逸る気持ちを感じながらふっと息を吐いた。

「……サッヴァと言う名の、叔父のことはもういいのか」

「!?」

驚きに、これでもかと見開かれる瞳。

「お前の探し人は城に居る。これを、持って行けば会えるはずだ」

カーティスは言いながら外套に縫い付けられている紋章を外し、差し出した。

呆然としたまま無意識的に受け取りかけ、だがノーグはいやいや、と首を振って両手を握りしめる。

「で、でも……でも、おら、あの人を助けに行きたい!」

「戦えるのか」

「わ、わかんねぇ! わかんねぇけど、じっとしてるなんて、嫌だ! あの人の為に、何か、何でもいいから、したいんだ……!」

自分の言葉を聞き、何故か叔父のことを知っている士官の態度に、ノーグは自分の思いが通じたのではないか、願いを叶えてくれるのではないかという気持ちになって言い募った。

「戦えない者は邪魔なだけだ。戦場において、お前にできることはない」

「!」

だが、返された言葉は酷く冷淡なもので、一瞬でも期待した分、彼を酷く打ちのめし呼吸すら奪った。

「だから、これを。手先は器用だと、以前言っていたな」

カーティスは、受け取られなかった紋章に眼鏡を添えて再度差し出した。

「取り上げたままで、壊してしまった。直しておいてくれるか。あの者が帰ってきた時の為に」

見覚えのある、青い色味の入ったレンズの眼鏡。

「……」

ノーグは両手を捧げて受け取り、顔を上げた。

飴色の厳しい瞳が、真摯に見下ろしていた。

「救われた命なら、無駄にするな。お前の心は俺が預かろう。城へ行け。我々が戦う」

カーティスは身をひるがえし、馬に跨った。開門の合図とともに、術者が数名門の前に身構える。

集中的に攻撃を受け、打ち破られようとしている岩壁を開き、そして彼らが通った後そこからの敵の侵入を防ぐためだ。

 受け取ったものを胸に抱きしめ、ノーグはその場を引き下がった。戦場へ向かう戦士たちに深く頭を下げ、そして門が開かれる音を背後に聞きながら駆けだしたのだった。




 王城との連絡通路こそ質素なものではあったが、鉱山に築かれた施設は宮殿と呼ぶに足る優雅さを誇っていた。

敷かれた絨毯、装飾の施された壁面、配された灯は明るく辺りを照らし、そこに洞窟特有の重苦しく不安になる様な閉塞感はない。勿論この広大な鉱山全ての場所が同様に整備されているわけではなく、ごく一部だけではあるのだが。

そしてこの"城"の主は案の定、最も奥の最も豪奢で優雅な一室で扉を屈強な兵士に守らせ誰も寄せ付けぬよう引きこもっていた。

「王都が、魔物の襲撃を受けています」

 王太后マリアベラは、その男の前に書類を差し出した。

そして男はその書面に碌に目も通さず署名し、返されたものを恭しく受け取る彼女に早く出て行けとばかりの仕草をした。仕舞には全てが片付くまで何者も入室を許さないと喚く様に言って彼らを追い出したのだった。

「さぁこれで、手続き的なものは全て終わったわ」

マリアベラは、侍女ネーナの持つ箱に書類を仕舞い、鍵をかけた。

「マリアベラ様……」

呆然と、セヴェリは事の成り行きを見守っていた。装飾の施された箱におさめられた書類には、放棄、委譲、象徴――そういった文言が、書かれていた。

もしやと思うセヴェリの目の前で、国王はそれを承認した。――そう、王太后がセヴェリを伴ったのは、国王を信頼させ油断させるため。そして、間違いなく国王が署名したのだという、証人として、だったのだろう。

 セヴェリの声に老貴婦人は微笑んだ。その表情は底知れず、意図も読めそうにない。

「あなたが何故あれほど熱心に仕えてくれていたのか分からないわね。……我が息子ながら、人の上に立つべきでない人間だわ」

呆れたように、マリアベラは溜息を吐いた。そしてちらと寄越された流し目に対して、

「私はただ、この地にて神の御心を実現させたいと、ただそれだけを……」

セヴェリは幾分冷静さを取り戻した声で応えた。

「この地に、第二の聖都を築くつもりだったというの? それとも世の救済者にでもなりたかったのかしら」

「まさか。そのような大それたことは……!」

歩き出した老貴婦人に続きながら、司教は声を上げそうになって堪える。

「――そう。いずれにしても、貴方はあまりに理想主義的で、そして情というものが足りないわね」

王太后はピシャリ、とそう断じた。

「貴方の冷徹さは、必要なものだったと思うわ。理想は大切よ。成し遂げるための犠牲も、時にはやむを得ない。でもね、何かを犠牲にするのなら、その痛みを知り背負う必要があるわ。

苦しめと言っているのじゃない。

ただ、犠牲になった人々もまた、救われたかったのだということを、犠牲になって当然の命などないことを、知っておかなければならないのよ。

そうでないと、いつか守りたかったもの、救いたかった命すら、失われてしまいかねない」

「……」

 王太后が、自分の心の内など知り得るはずがない。

――邪悪を滅し、神の教えと理に即した永久に続く平和と安寧の都を築く――

ただ祈るだけでは足りないと、思っていた。

知識を示してくれたのは、ラフクだった。

必要な技術は、ノーグから得た。

そこへ突如降って沸いた事態。

――邪悪を廃する、まさにその時だと確信した。当初の思惑とは違えど、積年の理想を、実現するのだと――

救済者になりたかったのかと問われ、思わずどきりとした。その様なつもりではなかった。だが――

「セヴェリ司教。ねぇ、あなたは何に怯え、何を恐れていたの?」

振り返り立ち止まって今度は少女の様にあどけなく問う。

「何も……恐れてなど……」

 いつもなら、これまでなら、このように誰かに――たとえ王太后であったとしても――圧倒されることなどなかったはずだ。だが今、先ほどラフクに『間違っている』と言われてから、あらゆるものが揺らいでいる気がした。

 絞り出したセヴェリの言葉にマリアベラは、ニコリと微笑んだ。

「『自らの恐れを知らぬ者は幸いである。何事をも成すことができるからだ。

而して、恐れを知らぬ者は哀れである。初めてそれを知る時、得難いものを既に失っているからである』」

「……!!」

表情に似合わぬ荘厳な声だった。セヴェリは目を見張る。

 理想を――何故、何の為に、それを成すのか、と言われている気がした。本当に求めていたものは何だったのだ、と。

『……私は貴方を救いたい』

伝えたい言葉の代わりにそう言ったのは、そうとしか言えなかったからだ。

崇高な理想を掲げ、人として、聖職者として、正しく振る舞うことで――自分自身がそう為ろうとしてきた。

「マリアベラ様!……セヴェリ、司教様……」

沈黙が流れた時、薄暗い通路の向こうから、二名の侍女を伴った貴婦人が小走りに駆け寄ってきた。

質素なドレスに空色の髪をしたその女性はリュシアンの母、現国王の妾妃コリンヌだ。

マリアベラが何事かと問う瞳を向け、コリンヌは頷く。

「鉱夫と入れ替わりに街の者が押し掛けています」

「そう、リュシアンはうまくやってくれた様ね」

「えぇ。ただ、指示系統に乱れが――」

「分かりました。行きましょう。セヴェリ司教、あなたはどうなさいます? 民の救助と怪我人の治療くらいはお願いしても?」

「え、えぇ、それは、勿論……」

彼は咄嗟に応えた。コリンヌはじっと司教を見つめ、

「……あの、マリアベラ様。セヴェリ司教様と少し、お話させて頂きたいのですが」

意を決したように、握り締めた両手に力を込める。

このような時に? と顔を顰めるセヴェリに、マリアベラが

「このような時だから、でしょう。わかりました。シビルに案内してもらいます」

 そう有無を言わせぬ声で言い、女たちは二人を残して去って行った。

セヴェリはコリンヌを見た。息子と同じ空色の髪を高く結い上げた女はまだ若く美しい。

 彼女が一体何を話そうというのか、セヴェリには全く見当もつかなかった。





 巨大牡牛の突進をかわし時折反撃を加えながら、アレスとアーシャの二人は黒い靄を目指して進んでいた。鎧を着こんだ豚顔の魔物や腐肉を纏った二つ頭の犬、毒々しい色の巨大な甲虫、岩の巨人、それから屈強な戦士の形(なり)をしたオークは、二人に襲い掛かりもしたが多くは、牡牛の攻撃を恐れてか遠巻きにして王都へと向かっている。

 本当は、それらを全部押し留めたいのだが――できない悔しさに歯噛みしつつ、二人はなんとかそこにたどり着いた。背後の王都はもう随分と小さく、建物の灯よりも取り囲む魔物の掲げた不吉な炎の光の方が多く明るく見える。

 辺りは既に暗く、闇との判別は難しい。だがその靄の縁や地面に描かれた黒い紋様は、うっすらと光を湛えているように見えた。魔物は、人が歩くよりもやや緩い速度でその向こう側から出てきている。出現の間隔に規則性や秩序がある様子はない。そう、例えばただ立ち込めた煙を潜っているかのように。

「あれを、消しちゃえばいいのよね!?」

周りの魔物を一先ず一掃し、それでも油断なく身構えながらアーシャが紋様を示す。何者が施したかは分からないが、多少解呪方法が違ったとしても、その反動を受けるのは――敵の筈だ。

「あぁ、頼む!」

少し離れたところでオークを薙ぎ払ったアレスが応えるのを待って、アーシャは短く詠唱する。

紋様から5~6歩程、やや距離を取っているのは、そこから現れるものを警戒してのことだ。

 生じた水球が前方で弾け、澄んだ水が大地を抉るほどの急流となって全てを洗い流す様に広がっていく。

だが、

「だめ、弾かれてる!」

水は紋様まで達することなく掻き消え、靄には何の変化も起きない。

「くそっ!」

アレスは駆け寄り、同じく炎を召喚する。しかし結果は同じく、紋様に影響を及ぼすことはできず、運悪く現れた数体のオークを焼き尽くしただけで。

「魔法が駄目ならっ!」

少年は早々に諦め、今度はすぐ傍まで近づき馬を降りて剣を振るう。

無抵抗な靄を切り、大地に切っ先を突き立てようという瞬間、

キイン――!

という甲高い音、堅い金属を打ったような衝撃と痺れが肩まで伝わる。

「――物理攻撃も、だめみたいね」

後ずさったアレスに背を向ける形で――今後方に居る、自分たちの姿を見失ったのだろう、遠くできょろきょろと何かを探す様子の牡牛の姿を油断なく睨みながら、アーシャが悔し気に漏らした。

「どうしよう?」

「どうする?」

 再度辺りの邪魔な魔物を蹴散らして、二人は互いに背を預けて身構えた。




 黒い獅子の前肢は完全に凍り付き、更に冷気は獣の後肢へ、そして人の上半身へと広がり――

「!?」

否、いくら力を込めてもそれ以上凍結は進まない。それどころか、強く押し返される感覚が襲う。

『残念だったな……!』

見上げた頭上で獅子が不気味な笑みを浮かべ、凍り付いたはずの部分が蒸気を発しながら、みる間に溶けていく。

「そんな……!」

『やめろ、こっちだ!』

ほとんど元通りになった黒獅子が、湯気を纏いながら力を込めのしかかってくる。

レシファートは激しく吠えながら飛びかかった。

「!」

だが太い腕が薙ぎ払う仕草をすると、白狼の身はいとも簡単に弾き飛ばされてしまう。

『フン、目障りなイヌめが』

黒獅子は忌々し気に唸り、低く片手を掲げた。その掌に紅蓮の炎が灯る。

「やめっ――!」

押しつぶされぬよう堪えるばかりのセフィは身動きが取れない。強く打ちのめされ、よろりと立ち上がろうとする白狼に向け黒獅子は何の躊躇いもなく炎を投げつけた。

「レシファート!」

せめて大地に潜って逃げてと、セフィは叫んだ。集中力が途切れ、伸し掛かる重みが増し思わず膝をついた、その時、白狼の前に分厚い岩が現れ炎を弾いた。

『グワァァァ!』

続けて響き渡ったのは、獅子の咆哮。後ろ脚立って仰け反るその背後で、月光を弾く刃の軌跡が鮮やかに一閃、血飛沫と共に太い尾が宙に舞い、大地に落ちてのたうつ。

「リー!」

黒獅子の下から逃れたセフィの目前で、黒髪の彼がもう一度、今度は高く跳躍し魔獣の背骨目がけて刀を振り下ろした。

『グウッ!』

切断するではなく巨岩の重さを込めた一撃に、ズシャリ、と四肢が折れたようにその身が沈む。セフィはすかさずその身を封じるべく無数の茨を召喚した。

 だがそれらは、黒獅子の身に達したところから燃え上り、

『オオオォォォノォオォォレぇぇぇぇ!!』

地を揺らす程の唸り声、全身の毛を逆立て獅子は炎を纏う。

『許さヌ……許サヌぞォォォ!!』

剥き出しの本能と激しい怒気にさらされながら、リーは無言で強く剣を握りなおした。

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